第11話-B ストレンジャー・パレード

 何度目かもわからない回避の後、ギリーは即座に体勢を立て直して敵を目で追う。

 今しがた身体の横を突っ切った怪物は木をへし折ったところで止まり、その背中に相棒の斬撃が叩き込まれたところだった。

 幾重にも重ねられた裂傷。そこから流れる血は怪物の消耗を示しているが、それでも底の見えない体力を前にすると気が滅入るのは確かだった。


「しぶとい……っ! おいレイ、まだいけるよなぁ!」

「もちろん。ギリーこそ、まだまだへばらないでよ!」

「上等だオラァ!」


 こちらへ向き直った怪物へと挑発を仕掛けつつ、幼馴染の少年、レイと軽口を叩き合うことで己を鼓舞する。

 再びの突進。馬鹿の一つ覚えのように同じ攻撃を繰り返してくる敵だが、大質量から繰り出される攻撃の一つ一つが致命の一撃。

 薄皮一枚向こうを通過する死の感触に背筋を冷やしながらも、ギリーは戦うことをやめなかった。




 数十分前、村にモンスターが現れた原因を探るために再び探索を始めた二人が遭遇したのは、見たことのないモンスターだった。

 この森に本来いるはずのない存在。事件に関わるものだということは容易に察せられる。

 今までに戦ったことのない強大なモンスター相手とあって、態勢を立て直すため一度は村に戻ることも考えた二人だったが、村に敵を招き入れてしまうかもしれないリスクを考えるとそんなことはできなかった。


 モンスターは、生来の生物とは違い生まれながらに他者への憎悪を持った生命体。一度人間の姿を認識したからには、小型のモンスターであろうと執拗に襲いかかってくる。

 それは当然この怪物も例外ではなく、二人の姿を見た時から既に臨戦態勢に入っていた。そんな状態で村に戻れば必ず被害が出る。


 故に戦いを選んだ二人だが、想定以上の敵の体力に苦戦していた。

 見た目は傷のないレイ達の方が有利に見えるが、実際はそう簡単ではない。

 確かにレイの攻撃は既に数十回ヒットし、相応のダメージを与えてはいる。だが、未だ致命傷には至っていないのだ。


 あの怪物はマナを魔術などに使うことはないが、その分肉体が強化されている。分厚い皮膚と太い筋肉が天然の盾となり、中々内部に貫るダメージが入らない。

 最初は二人がかりで攻撃を仕掛けていたのだが、ギリーのナイフは僅かに切り込みを入れるだけの結果に終わってしまった。もしその瞬間をどこかの誰かが見ていたならば、『開発さん防御力の調整ミスしてない?』とキイキイ文句を言っていただろう。

 だから今は陽動と攻撃に別れて相手の体力を削っているのだが、攻撃が入れば即戦闘不能になるような敵のパワー。それを掻い潜って攻撃を当て続けるのは、かなりの体力と精神力を要する。


 それでも、このまま行けば二人の勝ちは揺るがないだろう。攻撃を当て続けた結果、敵はかなりの血を流している。失血というデバフはじわじわとモンスターの体力を減らしていく。

 そして今もまた、繰り出された突進をギリーが躱した。それも今度は限界の限界まで敵を引き付け、敵の動きを誘導するというオマケ付きだ。

 その隙を突いて、レイが今まで以上の踏み込みからなる強烈な二連撃を叩き込んだ。


「シィッ!」

『GORUAAAAAAA!?』


 脇腹に深々と食い込んだ会心の攻撃クリティカルヒットが、ここに来て怪物の体力を一気に削った。

 明らかに怯んだ動き、それは長く続いた戦闘が終盤へと差し掛かった証。


「ナイスアシスト、ギリー!」

「おう、任せときな!」


 荒い息を吐きながらもお互いに短く声を掛け合い、次の行動に備える。

 二人も数十分に及ぶ全力の戦闘で、かなり体力を消耗している。畳み掛けるなら今だと気合いを入れ直し、それぞれが持つ武器へと力を籠めた。


 戦いの速度が上がる。回避と攻撃の間隔が短くなり、スタミナを代償に更なる傷を怪物の身に刻み続ける。

 回避、攻撃。回避、攻撃。怪物が構え、再び突進する。ギリーもまた、限界まで引き付けてからその一撃を避けた。

 あとはまた、レイが攻撃を入れる……はずだった。


 彼らの戦い方に間違いがあったわけではない。しかし、模擬戦ではない初の格上との戦い、戦闘で磨り減った体力と集中力、あと少しで終わると予測したが故の気の緩み、僅かな光源しかないほの暗い夜の森という視界の悪さ。あらゆる要因が絡み合い、今この瞬間、最悪の状況が作り上げられた。


『GOGYAAAAAAAAAAAA!!』


 今しがた己の横を通過したモノからではない、まったく別方向からの叫びに、一瞬ではあるがギリーの思考に空白が生まれた。

 反射的に顔を上げた先、咆哮の発信源で彼の目が目にした光景は。




 空白地帯を囲む木を薙ぎ倒しながら、二匹目の怪物が現れる瞬間だった。




「なっ──!?」


 タイミングが悪すぎた。一匹目が突進し、それを躱した瞬間の乱入。一匹目が地を鳴らす音で二匹目の近付く音に気付けていなかった上、回避直後で体勢が整っていない。そんな状態のギリーの元へと、ネメアタウロスが角を構えて突貫する。


 ギリーが難なく回避していたので勘違いしそうになるが、ネメアタウロスの突進は決して遅くない。その重量故に小回りこそ利かないが、一度スピードに乗ってしまえばむしろ速い。地球の象や河馬を想像してもらえればわかるだろうか。

 そんなスピードに乗った状態の、体高がニメートルを超すトラック大の怪物が人間へとぶつかればどうなるか、そんなことは目に見えている。

 数秒後には凄惨な光景が広がるだろう現実。己目掛けて鋭い角の切っ先が飛んでくる状況に、思わず目を閉じそうになるギリーだが、彼の目が映したのは違う光景。


 全力のタックルで、己を突き飛ばすレイの姿だった。


 駆け寄った勢いのまま、抱きつくような姿勢で跳ぶレイ。二人は絡み合うようにして突進の進行方向から除くことになるが……あと一歩、足りなかった。

 最大の凶器である角の射線からは逸れたが、ネメアタウロスの前肢、まるで木の幹のようなそれが、僅かに勢いの足りなかったレイの胴体に激突する。


 メキリと、嫌な音が響いた。

 脇腹に当たった脚はレイの身体をくの字に折り曲げ、そのままの勢いで吹き飛ばす。

 いっそ冗談じみた挙動で、人間の身体が簡単に宙を舞う。まるでボールを蹴り跳ばしたかのような気軽さだが、中に詰まっているのは空気ではなく重い血と肉だ。


 放物線を描いて飛んだボールレイが地に落ち、ゴロゴロと草原を転げた後、背中から木にぶつかってようやく止まった。

 仰向けに倒れ伏したその口元から零れるのは、吐瀉物ではなく赤い液体。


「レイーーーーー!!」


 その傍ら、突き飛ばされたことで辛くも突進を避けることができたギリーが、泡を食ってレイへと駆け寄る。

 イレギュラーにより崩れた均衡、絶対にもらうわけにはいかなかった一撃をもらってしまった。

 ボロ切れのように転がるレイの姿に、最悪の想像が脳裏を過る。


 顔を青ざめさせるギリーの前で、しかしレイは手をついて上体を起こす。

 だが、その動きはとても平常とは言えず、身体はボロボロだった。

 身体を守っていた革鎧はひしゃげ、もはやその用を為していない。

 転がった時にあちこちを打ったのか出血と打撲が至るところに浮かび、頭から零れた血が顔を覆い隠している。

 口から流れる血の量は多く、明らかに内臓を損傷していることがわかる。服で隠れて見えない腹部は一体どんな状態になっているのか、迂闊に触れることすら躊躇われるその姿。


「かっ……は……」


 意識はある。だが放置すれば間違いなく致命傷になり得る状況であると、本人が一番わかっていた。

 うまく動かせない手をそれでもなんとか操って、もしもの時のためにと師から渡されていた上級回復薬ハイポーションをポーチから取り出そうとする。しかし今の衝撃で瓶は割れ、中の薬液は全て零れ落ちてしまっていた。


「……っ。レイ、しっかりしろ! ごめん、俺のせいで……!」


 駆け寄ったギリーが、自分に持たされていた上級回復薬ハイポーションの瓶をレイの口に当てがう。

 今ギリーの心を占めているのは悔恨と恐怖。大切な幼馴染を助けるためについてきたのに、その相手に守られてしまった。自責の念と、喪失の恐怖から手が震える。

 喉奥から湧き出る血が嚥下の邪魔をするが、ギリーの助けもありなんとか薬液を飲むことに成功した。


 弱まっていた身体に僅かに火が灯る。多量のマナが含まれた回復薬が即座に身体中を巡り、損傷のできた箇所を修復し始めた。

 しかし頭の傷や打撲はともかく、たとえ上級回復薬ハイポーションであっても内臓にできた傷を治すには時間がかかる。それまで安静にさせなければならないが……状況がそれを許してくれるはずもない。


『GAAAAAAAAAA!』

「ちくしょっ……!」


 ギリーがレイを担ぎ上げ、全力でその場を飛び退いた。

 そこに突っ込んできたのは傷だらけの怪物。全身から血を流しながらもその目は怒りに染まり、二人の少年を鏖殺せんと動き続ける。


 更に、先程までであれば再びの攻撃まで多少の間隔が空いていたタイミングで、もう一度攻撃が来る。

 二匹目、突如乱入してきた怪物が二人を狙った突進を仕掛けた。

 来ることがわかっていた一撃、しかし怪我人を担ぎ、回避直後で体勢を整えきれていない状況では回避難易度が跳ね上がる。


 それでもなんとか射線から飛び退き、地面に倒れ伏しながらも攻撃を躱す。

 だが倒れた衝撃は傷を負った身体に更なる負荷を加え、脂汗が浮くレイの口から呻き声が漏れた。


「ぐぁっ……!」

「レイ!」


 思わず出た呼び掛けの声に、レイは口の動きだけで大丈夫だと返事をする。

 だけど二人ともわかっていた。形勢は完全に逆転し、このままでは二人とも死ぬことになると。


 相手が一匹だけなら、レイを隠してギリーが怪物を引き寄せることで回復の時間を稼げるだろう。

 しかし二匹の敵を前にしては、片方を止めたところでもう一方がフリーになる。

 何故、自分達は事件の原因が目の前のものだけだと思い込んでいたのか。複数の敵かいる可能性を考慮していなかったことを後悔するが、時既に遅し。


 二人は絶望的な状況を前にそれぞれ思考する。ギリーはどうすればレイを救えるかを。レイはどうすればギリーを逃がせるかを。

 そんな二人を嘲笑うかのように、二匹の怪物が再び突進の構えを取る。


 ギリーは歯噛みしつつも決意した。大切な弟分を抱え、なんとしてでもこの敵から逃げきることを。

 レイは血反吐を吐きながら覚悟を決めた。たとえ相討ちになろうと、かけがえのない親友だけは守り抜いてみせると。


 そして、二匹の獣が大きく踏み込んで──




 ──その目が切り裂かれ、月明かりの下に飛沫が舞った。




『GORUAAAAAAAAAAAAAA!?!?!?』


 今までの中で最も大きい叫びが迸る。乱入者である二体目の怪物。その喉から絞り出されているのは驚愕と苦痛。

 それも無理はない。傷一つなかった身体、その左目に縦の線が走り、綺麗に切り裂かれていたのだから。


「……は」


 思わず、ギリーの口から空気が漏れた。

 当たり前だろう。ギリーは何もしていない。だというのに敵が傷付き苦しんでいるのは何故なのだ。


 まさかレイがこの状態で何かをしたのかと様子を窺うも、彼もまたギリーと同じように驚愕していた。

 ……いや、違う。確かにレイは驚いている。しかしそれは怪物の目が潰れたこと自体ではなく、他のものに向けられた感情のようで。


 レイの視線が向けられた先、それを追って、ギリーもに気付く。


 そこには闇が浮かんでいた。


 二人と二匹の中間地点。今しがたまで何もなかったはずの場所に、真っ黒な塊が浮遊している。

 それは闇であり黒であり透明であり非現実的なもの。目はそれを捉えているはずなのに、その像は揺らめき何であるのかを認識できない。

 そこにいるのかいないのかすらあやふやな存在は、まるで空間にぽっかりと空いた穴のようで、目の前の怪物とはまるで異なるプレッシャーを感じさせる。


 突然の異常現象。あるいは二匹目の怪物以上に衝撃的な存在の発露に、場の緊張感が高まった。

 何せ、いつ現れたのかも、どうやって攻撃したのかもギリーはわからなかった。今は敵側に攻撃を仕掛けたが、それがこちらに向かないとは限らない。


 だが、それ以上に衝撃を受けているのはレイの方だった。

 彼はその存在に気付いた時から、勇者の技能である《鑑定》を闇に対して使っていた。

《鑑定》とは対象のマナを読み、その情報を取得する技。馴染み深いものや格下にはよく通り、初見のものや格上には通りにくい。実際、ギリーに対して使えば体力や技能などが細かくわかるが、怪物に対して使用した時はごく薄い亜龍の血が入った獣型モンスターの一種であるということしかわからなかった。


 そのことを踏まえた上で、目の前の闇に《鑑定》を仕掛けた結果だが……何も、見通せなかった。

 本当に何もわからない。それどころか、そこに存在しているかどうかすらあやふやにしか捉えられない。

 だがアレは間違いなくこの場に存在している。つまりは、レイよりも、怪物よりもずっと格上だろう化物だ。


 傷のせいだけではない冷や汗が噴き出す。あの闇が何であるのかはわからないが、もしこちらに敵意を向ける存在であればどうしようもないのではないか。そんな考えが頭を過った。


 だが、そんなレイに構わず闇が動きを見せる。

 それがどうやって移動したのかわからなかった。だが、気付けば闇は動いていて、目を潰された怪物の前に浮かんでいた。

 ぐにょぐにょと、形容しがたい動きで闇が揺れる。目の前でそれを見せられた怪物は今までの苦悶に満ちた呻きから一転、己の光を奪った存在へと怒りを以て吼え立てた。


『GOGYAAAAAAAAAAAA!!』


 怒りに満ちた咆哮。それを受けた闇は再び認識し難い動きで宙を滑り、この場を離れる。それを追って、目を潰された怪物も木をへし折りながら森の奥へと消えて行った。


「……っ。レ、レイ。ここで待っててくれ、絶対死ぬんじゃねえぞ!」


 存在感がない故のプレッシャーを放っていた闇が消えたことで、場の空気が元に戻る。

 放心しかけていたギリーは正気に戻ると、レイを木陰に隠して、一匹だけ残った傷だらけの怪物の前へと飛び出した。


「こっちだ! 来い、化物!」


 ナイフを翳して気を引き付ける。動きを止めていた怪物もそれで意識を取り戻したのか、ギリーを追ってレイが隠された場所から離れていく。

 立ち上がってそれを追おうとしたが、膝をついた途端に腹から滲む痛みで前のめりに倒れてしまう。

 呻きながら、今の状態では足手まといにしかならないと理解し、ポーチの中に残っていた薬草を口に放り込む。回復薬に比べれば微々たる効果でしかないが、それでもやらないよりはマシなはずだ。


 我知らず止めていた息を吐いた。

 一刻も早く回復してギリーの援護に向かうべきだとわかっている。しかし、自分の内から響く鼓動が血を掻き回す。

 アレは何だったのか。結果だけ見れば助けられた形になるが、得体の知れない恐怖が身に残っている。


 最後、あの闇が森の奥へと消えていく一瞬前のこと。その輪郭がブれて、ほんの僅かだが見えたものがあった。

 それは翼。鳥のものではない、まるで巨大な蝙蝠のような翼が垣間見えたのだ。


 得体の知れない存在に対する恐怖と、助けられたのかもしれないという困惑。

 しかし今は傷を癒し、村を、友を守るために戦わなければならないと、治療に専念する。

 怪物が消えた先、闇が溶けこんだかのような影を覗き込みながら。



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