第1話-B 剣の勇者

 森の中、本来なら明るい日が差し込み、清涼な空気が広がるはずの場所。

 だが、今は辺り一面に少なくない血と死体が転がり、その中心に二人の少年が立っていた。


「ふう……」


 一息ついて、一人の少年が身体の力を抜く。

 まさか森に入ってすぐに吸血蝙蝠の群れに襲われるとは思わなかった。

 予想外の戦闘ではあったが、無事切り抜けたことに安堵する。


「よう、お疲れ」


 その少年に、横合いから声と共に水筒が投げられる。

 それ危なげなくキャッチした少年がそちらを見ると、よく見慣れた顔がヒラヒラと手を振っている。


「お疲れさま、ギリー」


 労いの言葉を返すと、ギリーと呼ばれたもう一人の少年は笑みを浮かべて頷いた。


 短い赤髪を逆立たせ、獣じみた鋭い黄色の瞳を持った、どこか猛禽類のような雰囲気の少年だ。

 背は高く、筋肉に覆われているがしなやかで細い身体つき。その身体に纏うのは軽く、動きを阻害しない布製の装備のみ。

 モンスターの攻撃をくらえばひとたまりもないような装備だが、それを全て避けられるという自負があるからこその軽装。

 今も実際、動きが単調とはいえ尋常でなく素早い吸血蝙蝠に対し、逆に得物であるナイフを一方的に叩き込むことで、無傷で戦闘を終わらせている。


 そしてもう一人、受け取った水筒で喉を潤す少年。

 少し長い鈍色のクセ毛と、銀色の瞳を持つ少年だった。

 もう一人ほどではないが、同年代に比べれば高い身長。その身体を覆うのは、成長途上ではあるもののしっかりとした筋肉。あちらを猫だとすれば、こちらは犬と言ったところだろうか。

 防具は動きを阻害しない程度に要所を守る革鎧と、左手に固定された小型のバックラー。ギリーと呼ばれた少年の回避特化の装いとは違い、モンスターの攻撃をある程度受け止めることを前提とした、攻防のバランスを重視した装備。


 だが何よりも目を引くのは、彼が右手に持つ物……。異様な存在感を放つ、金の装飾が施された長剣だった。


 刀身の根元に竜の意匠が施されていることを除けば、ごく普通の剣に見えるそれ。

 しかし、腕が立つ者ならばすぐわかるだろう違和感。

 肌に感じるのは、何かとてつもなく大きな存在がすぐ側にいるかのような重圧。はっきり言って、尋常なそれが放つものではない。


 プレッシャーは、彼が剣を鞘に納めたことで霧散する。

 その剣はただ『竜剣』と呼ばれている。

 そしてその剣を持つ少年、彼の名はレイ・ブリンガー。今代『剣の勇者』である。


 剣の勇者。

 世界に危険が迫る時、竜剣が選ぶ救世主。

 ある時は全てを破壊する天災を、ある時は全てを喰らう怪物を、またある時は全てを滅ぼす『魔王』を、全ての災厄を竜剣で切り裂き、世界を守る最終防衛機構。


 その剣は平静の世には現れない。一説では普段は竜王が所持しているのではないかと言われているが、それも定かではない。

 竜剣がいつ世に姿を現すのか、それは誰にも予知できないが……一度姿を現したからには、それは世界が滅ぶ危機が間近に迫っているということ。


 レイ・ブリンガーはアルファストという農村出身の、ごく平凡な子どもであった。

 両親と三人、幼い頃から畑を耕し、森の恵みを授かり、慎ましやかに生きてきた。


 だが、彼が一三歳の時だ。ある朝目を覚ますと、彼は一振りの剣を手にしていた。

 村の誰もがそれを知らないと言い、鞘から抜こうとしてもびくともしない謎の剣。

 だが、レイだけはその剣を抜くことが叶った。

 そして現れた刀身、そこに施されていたのは、この世界の人間ならば誰もが知っているであろう、竜を象った装飾であったのだ。


 この報せは即座に国の中枢へと届けられ、改めての確認を経て、レイが今代の剣の勇者であることが認められた。

 伝説の勇者の再来、しかしそれは世界にまだ見ぬ危機が迫っていることを意味している。


 ひとまず、竜剣とそれを担う新たな剣の勇者が現れたことは、王国の上層部など一部のみで情報が開示され、一般には秘匿された。

 世界の危機が何であるか、いつ襲来するかがわからず、手の打ちようがない現状では無用な混乱を招きかねないと判断されたからだ。


 そのため、レイは生まれた村に留まり、王都から派遣された師に戦闘を教わりながら今まで過ごしてきた。

 そして二年が経った現在、一五歳となったレイは一端の戦士として力を身につけていた。


 二人の少年は、お互いに水を飲んでから今の戦闘を振り返る。


「おかしいぜ。森に入ったばっかであんな数のモンスターが出るなんて」


 そう口に出したのはギリー・ネイジー。レイと共に森へ踏み込んだ少年である。


 彼はレイの幼馴染であり、一歳年上の一六歳の少年だ。

 レイがオールラウンダーな剣士だとすれば、彼は速度重視の遊撃手。職業はレンジャーであり、野営の知識にも精通している。


 レイが竜剣を得た時、幼馴染が世界の危機に立ち向かうのならば自分も共に戦うと決意した。

 それからはレンジャーとして、同じ師の元で鍛練を積んだ相棒。

 レイにとっては頼れる兄貴分のような存在であり、無二の親友でもある。


 今日もまた二人で鍛練を積んでいたのだが、とある事情から村近くの森へやって来ている。


「うん、やっぱり何か変だ。森の中で何かが起きてるのかもしれない」


 アルファストの村近くにあるために、アルファストの森と呼ばれることもあるが、この森には特に名前がついていない。


 モンスターも生息している森だが、比較的おとなしいものばかり。村人が浅い位置に生える薬草を採りに来ることもある場所、のはずなのだが……。


「村長が言ってたことは本当だったんだな。森の様子がおかしいって」

「だね、これは明らかに異常だよ」


 彼らがこの森にやって来た理由は、森に異変が起きているという話を聞いたからだった。

 昨日森に入った者達が妙にざわついた様子に勘づいた。それだけでなく、今朝になると村の畑が荒らされていたのだ。


 幸い怪我人などは出ていないが、このままでは被害が出るかもしれないと、村で一番腕が立つ少年二人が調査に出たという次第である。


 結果として、調査に出たのは正解だった。

 二人は鍛練のため、師と共に幾度となく森の中に踏み込んだことがある。

 その時はこの辺りにモンスターなどいなかった。もっと奥に入ってようやく数匹のモンスターと遭遇する程度だったのに、今日はこんなに浅い位置で群れと戦闘になった。これは明らかに異常事態だ。


「先生もタイミングが悪いぜ……。こんな時にいないなんてよ」

「仕方ないよ。急に王城から呼び出されたっていうんだから」


 二人の会話の通り、彼らの師匠は今村にいない。

 しばらく前に王都から書簡が届き、今は一人で王城を訪れているからだ。


 戻るまであと二日はかかるだろう。村に駐在する騎士もいるが、はっきり言ってこの二人より弱いため、危険な状態の森に連れてくるのは避けておきたい。


「とにかく、俺達でやれることをやるしかないよ。まずは何が原因か探ってみよう」

「……そうだな。よしっ、気合い入れていくか!」

「けど安全第一で。危なそうなら一旦戻って、先生の帰りを待とう」

「吸血蝙蝠くらいならいくら来ても大丈夫だと思うけどな」

「先生に怒られるよ」

「安全第一で行こうぜ」


 軽口を叩き合い、緊張を解してから行動を再開する。

 何せ、何度も入った場所とは言えこの異常事態。しかも師匠は不在で、彼らにとっては初めての冒険とも言える状況なのだ。

 不安はあるが、村に被害が出てからでは遅い。

 心を占める不安と、村を守るという使命感を胸に、二人は森へ踏み込んだ。


「あ、そういえば」


 と、レイが何かを思い出したように、歩きながらもギリーへ声を掛ける。


「なんだ? トイレにでも行きたくなったか?」

「違うよ。さっき襲ってきた蝙蝠なんだけど、最初に一匹だけ逃げたやつがいたよね」

「あー、戦う前にどっか行っちまったやつな。それがどうした?」

「おかしくないかな。モンスターが戦う前に逃げ出すなんて」


 モンスター。それは生来の生物とは違い、他者への悪意を持って生まれる生命。

 故にモンスターは同族以外、いや、種によっては同族にすら襲いかかる危険生物である。


 だから解せない。先ほど襲いかかってきた吸血蝙蝠の中、戦う前に逃げ出した一匹のことが。


「うーん……おまえにびびったか、竜剣に圧されたんじゃないか? おまえ、もうすぐレベル15だろ」

「えーっと、《ステータス》、《鑑定》……。うん、あとちょっとでレベル15だね。ギリーはもうすぐ16だ」

「えっ、マジ? この調子なら今日中に上がるかもな……。で、そんだけのレベルがあったらここじゃ敵なしだし、雑魚が逃げることもあるんじゃないか?」

「そう……なのかな」


 確かに吸血蝙蝠は弱いモンスターだ。だけど、だからと言って何もせずに逃げたりするだろうか。


 何より、逃げ出した吸血蝙蝠の目。

 群れの先頭に立っていた吸血蝙蝠の目が、自分の姿を見た瞬間に驚愕に彩られたような気がしたのだ。


 あの目は、モンスターの目というより……知性ある、人間の目に見えた。


 その後もレイはしばらく悩んでいたが、今は考えても仕方ないと、調査に意識を傾けた。


 この出会いが大きな節目であったと、与り知らぬまま。



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