ツカズのコウモリ

櫂梨 鈴音

一章 Welcome to the NEW WORLD

第1話 NEW GAME




さようなら、私の世界。




 ◇




──《Re:START》──




 ◆




 その少年の顔を目にした瞬間、濁流のごとき情報の波が俺の頭を埋め尽くした。

 あまりに膨大な量のそれを一気に流し込まれたせいで、頭が割れそうなほど痛いが……思い出す。


 いいや、思い出すというのはちょっと違う。

 これは記憶の統合だ。

 今の俺と、前の俺の記憶が、子どもが砂場で土と水をこねくり回すかのように、ぐちゃぐちゃと混ざり合っている。

 俺という存在の根幹を揺さぶるような衝撃。最悪な気分、吐き気がする。今にも倒れてしまいそうだ。


 だが、今はそんなことをしている場合じゃない。すべきことは別にある。

 そして俺は本能と理性……すなわち、野生の勘と記憶から状況を判断し、全力でこの場から逃走した。


 すぐ近くにいた少年とその仲間、そして俺の群れを置き去りにしてあっという間に戦線離脱する。

 大丈夫だ、誰も追ってきてはいないし、追ってきたとしても追い付けない。


 そうして逃走のために木々の合間を縫って飛翔しながら、尚もガンガンと痛む頭で考える。

 少年の顔に見覚えがあった。

 俺が大好きでやり込んでいたゲームの主人公、レイ・ブリンガー。彼にそっくりな顔をしている。


 いや、そっくりどころか本人なのだろう。

 だってこの混ざり合った記憶が確かならば、ここはそのゲーム、『七剣の英雄譚ソード・オブ・ユナイテッドロード』の世界なのだから。


 今重要なことは、そのゲームをプレイしていたのは前の俺、古森こもり束事つかずであって今の俺ではないということ。


 そして今の俺は人間ではなく、レイ、ひいては人類の敵である存在。


 雑魚中の雑魚として有名な初期フィールドの経験値エサ、『吸血蝙蝠』というモンスターになっているということだった。




 ◆




 ファンタジーRPG『七剣の英雄譚ソード・オブ・ユナイテッドロード』、通称『SOUL』。 俺が高校在学中に発売されたゲームだ。


 元からゲーム、特に王道のRPG好きだった俺はそいつに手を出し、そしてのめり込んだ。


 学生の本分である勉強こそしていたが、それでもいつもゲームのことを考えてしまうくらいにははまっていた。親にゲーム機ごと没収されそうになるくらいには。


 それは俺だけではなかったようで、瞬く間にそのゲームは売れていったそうだ。

 記憶がおぼろげなんだが、メディア展開も決定していたような。


 まあそれはいい、ゲームの設定自体は王道だ。世界を支配しようとする悪の魔王がいて、『剣の勇者』とその仲間達が魔王を打倒する勧善懲悪の物語。


 剣の勇者は各地を回って仲間を集め、七つの剣の力を手に入れることで魔王を倒し世界を救う。 大雑把に言えばそういうストーリーだ。

 そのストーリーが俺は大好きで、それが原因でSOULにのめり込んだと言っていい。

 特にメインストーリーのエンディングなど、コントローラーを握りしめながらボロ泣きしたものだ。


 何が言いたいかというと、それくらい俺はそのゲームが好きだった。

 ……だから、これだけ類似点があればここがどこで、俺が何なのかわかってしまう。


 森の地形。森の中にある泉の位置や、奥にそびえ立つ険しい岩山。

 何より、記憶を取り戻した時に目にしていた少年……鈍色の髪を靡かせ、竜の意匠が刻まれた剣を手にしていた彼の背中を、俺は画面越しにずっと見ていたのだから。


 あの少年、七剣の英雄譚ソード・オブ・ユナイテッドロードの主人公、レイ・ブリンガーの姿を。


 二つの記憶が頭の中に同時に存在している。

 思い出した瞬間こそ脳ミソが爆発するんじゃないかってほど痛んだが、今じゃ何で覚えてなかったんだってくらい馴染んでいるこの記憶。

 画面越しに彼らの冒険を見ていた俺と、今ここに……SOULの世界にいる俺。


 つまりこれって、いわゆる異世界転生ってやつ?


 ファンタジー好きな一高校生として、俺もその手の物語に触れたことはある。だが、今この状況がそうだって言うのか?


 俺の名前は古森束事。どこにでもいるごく普通の高校生だった 。

 ……どこにでもいるって言うと逆にどこにもいない感じになるのなんなんだろうね。まあ俺は本当に平凡な人間だったが。


 だった……。そう、人間だった、である。

 なぜこのような言い方をするかと言うと、はい、俺の身体にご注目。



 全身を覆うは黒い体毛。

 頭から生えるのは大きく広がる耳。

 腕が変化したと思しき体長を優に超す大きさの翼。

 口から覗いているのは短くも鋭い牙。




 どこからどう見ても蝙蝠です。本当にありがとうございます。




 ……いや、なんでやねん。


「キィ……」


 ため息を吐いたつもりが、口から出るのは甲高い鳴き声。更に気分が沈んでいく。

 逃げ回って渇いた喉を潤すためにやって来た泉。その水面に映っていた自分の姿から目を離して頭を抱える。

 抱えるというか、腕が翼になっているせいで皮膜ですっぽりと頭を覆う形になっていた。邪魔くせえなこれ。


 泉の周りに生い茂る木は一見すると普通のものに見えるが、所々に極彩色の葉や奇妙な形状の虫が張り付いている。

 泉の上空、木々の合間から見える空の高みには、鳥のような翼の生えた馬が飛んでいた。あれ、稀に飛んでるとこ見るとレアアイテム落とすランダムエンカウントモンスターじゃなかったか? わーい、幸先いーい。

 実にリアルないつも通りな光景。人間としての記憶からするとファンタジーなあり得ない光景。


 前世の記憶が戻ったせいで、自分がどういう存在なのか自信がなくなってしまったが、今世の記憶にも間違いはなかったようだ。


 不肖古森束事。人間からモンスターにクラスチェンジしております。


 いや、本当になんでやねん! なんでこないことになっとんねん!!


 夢だと信じたいけど……うわー。思い出せる、思い出せてしまう。俺は確かに人間だった。


 前世の記憶。日本で文化的な生活を送っていた古森束事

 今世の記憶。この森で野生的な生活を送っている吸血蝙蝠

 二つの記憶は相反することなく俺の中にある。なんなんだちくしょう。


 だけど待って欲しい。さっきの話に水を差すようだが、これは本当に異世界転生なのか?

 というのも、思い出した前世の記憶の中、俺が死んだという覚えがまったくないのだ。


 少なくとも高校生だったことは確かだ。だけどSOULに触れたしばらく後……高校三年生になったあたりからの記憶が妙にぼやけている。

 確か、大学に進学しようとしていたはずだ。だけど大学に通っていた記憶がない。そもそも卒業したのかも覚えていない。


 思い出せるのは物心ついた時から高校生までの記憶で、それ以降の記憶は靄がかかったように、思い出そうとしても思い出せない。


 俺は本当に死んだのだろうか……。

 お父さん、お母さん、二つ下の妹、学校の友達。みんなの顔が頭に思い浮かぶ。

 もしこれが夢じゃなくて本当に異世界転生だったとしたら、二度と会うことはできないかもしれない。


 ……ヤバい。泣きそうだ。


 さっきまでは状況の突拍子のなさと痛む頭でそれどころじゃなかったが、冷静になるほどに理性が悲鳴を上げ始める。

 俺が死んでいるとして家族はどうなった。まさか事故で一緒に死んだとかじゃないだろうな。俺一人だけならまだいいが……いやよくない。何を言ってるんだ俺は。クソッ。


 後から後からまとまりのない考えが浮かんでは、ほどけることなく降り積もる。

 なんなんだよ、何で俺はこんなことになってるんだ。

 こんな姿で、こんな場所で、あんな駆け出しの勇者に殺されるかもって時に何で記憶が──




 ──駆け出しの勇者?




 天啓を得た。


 さっき遭遇した勇者レイ、彼の装備は物語開始時と同じ初期装備だった。

 そして今の俺は雑魚モンスター。SOULにおいて吸血蝙蝠が出現するフィールドは、主に一番始めに訪れる場所……この森だ。


 つまり、今ってもしかして物語開始直後ってことで。




 SOUL




 ガバッ! と、伏せていた顔を上げる。

 顔を上げた先の景色。ついさっきまで絶望の象徴だったファンタジーな光景が、今やどこを見ても天国だ。


 大好きでたまらなかったゲームの世界で、主人公の旅を最初っからすぐ側で見ることができる?

 あの出会いも、あの台詞も、あの冒険を全部……同じ世界特等席で見ることができる!?


 最ッッッ高じゃねえか! 異世界転生最高!! ヒャッホーウ!!


 マジか! マジかよ! そんなことができていいのか!? いいやできちゃうんだねこの状況なら!!

 そうと決まればこんなことしちゃいられねえ! これからの俺は勇者の追っかけストーカーだあ!


 何? ストーカーは犯罪?

 残念! 俺はモンスターだから人間の法律なんざ関係ありませーん!


 そして俺は、かつて画面越しに眺めていた世界、あの日焦がれた光景を今度はこの身で感じるために、青い空へと飛び立った。




 さあ、NEW GAMEの始まりだ!




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る