第9話 ストーキングモンスター

 蝙蝠型モンスター、『ミストバット』。

 魂の森は七剣の英雄譚ソード・オブ・ユナイテッドロードにおける最初のフィールドであるが、ミストバットはそこからいくつかのマップを超えた先、王都周辺のフィールドに出現するモンスターだ。


 プレイヤーの平均レベルが15程度に達するフィールドのモンスターであるのだが、そのステータスは素早さを除き著しく低い。

 かろうじてクリティカル攻撃だけは発生率が少し高く、同レベル帯のプレイヤーにそこそこのダメージを与えられるが、防御力もHPもゴミなので通常攻撃一発ワンパンで死ぬ。


 というか、吸血蝙蝠やミストバットに限らず、SOULに登場する蝙蝠型モンスターはすべて素早さ特化で他ステータスが終わっている。

 流石にストーリー終盤では強い蝙蝠型モンスターも出るし、時折発生するダンジョンには蝙蝠型唯一のボスモンスターが出現することもあるが、とにかくほとんどの種はステータスがカスだ。制作会社は蝙蝠に恨みでもあったのだろうか。


 おっと、話が逸れた。

 そんな吸血蝙蝠に毛が生えたようなモンスターだが、ミストバットは一つだけスキルを保有している。

 そのスキルの名は《黒霧》。名前の由来にもなっているこのスキルは、読んで字の如く黒い霧を発生させる代物である。


《黒霧》の効果は至って単純、使用者の回避率を向上させる。

 ミストバットは異様に高い素早さで先攻を取り、まず《黒霧》を使用する。そうするとどうなるか……とにかくプレイヤーの攻撃が当たりにくくなるのだ。

 攻撃を一発当てれば死ぬ敵に、その一発が中々当たらないので戦闘が長引く。その間にチクチクと微ダメージを与えられ、他のモンスターと比べ微妙に高いクリティカル発生率が時折大きな損害を出す。


 そんな、弱いくせにとにかく面倒な戦法を取ることでプレイヤーに嫌われているモンスター、それがミストバットなのである。




 ◆




 状況が理解できないが、とにかく今は現実を直視するしかない。

 気絶して、起きたら身体が大きくなっていた。

 これは大事件だ。だがそれ以上の問題が今の俺を襲っていた。


 腹が減った。


 こんな時に何を、と思われるかもしれないが、今やそんなことに意識を割く時間すら惜しい。

 一度それを認識してしまえば、もはや抗うことなどできないほどの腹に空いた穴。

 空腹。いや、もはや飢餓と言った方がいい食への渇望は、人間としても蝙蝠としても記憶にない強烈な衝動を俺に与えている。


 食いたい。


 食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい!


 何でもいい、この飢えを満たすために、アレを腹に収めたい!


 思考力は一瞬にして失われた。食の一文字に脳を支配されたまま、一回りは大きくなった翼で勢いよく身体を射出する。

 向かうは正面、俺が殺した獲物に集る不埒物の一匹に狙いを定める。


 誰の獲物に手ぇ出してんだ、てめえが餌になりやがれ!

 もはや戦法がどうとかを考えることすらしない。ただ本能に任せ、大口を開けてその胴にかぶりついた。


 どちゃっ! と水っぽい音と肉が裂ける音が混ざり合って響く。昨日までホーンバニーにすら通用しなかった俺の牙はしかし、今は深々とフォレストクロウラーの背中に突き刺さっていた。

 噛みつかれたフォレストクロウラーがめちゃくちゃに暴れ出したが、そんなことに構っていられない。肉を引き裂くとそのまま嚥下する。

 胃の中へ温かい物が落ちてくる。だがまだだ、まだ足りない。

 そのまま二度、三度と噛みつき、牙と爪でその肉を抉り取る。その度にろくな抵抗すらなく肉が零れてフォレストクロウラーの体積が減り、俺の血肉へ変換される。


 びくびくと震えていた緑色の身体が動かなくなった。その代わりに動き始めたのは残り数匹のフォレストクロウラー。

 いくら何でもここまで派手に動けば夜闇の帳ムーンレス・ナイトクロスのステルス性も効果をなくすのか、芋虫の背中に張り付いた俺に気付いているようだ。


 ぐっ、と全ての個体が頭を下げる。朝も見た糸を吐き出す予兆の動き。

 だがこれから何をするのかがわかっているなら、避けてしまえば問題はない。

 俺は牙を突き立てたまま獲物ごと空に飛び立つ。数秒遅れで俺がいた位置を大量の糸が通過した。


 フォレストクロウラー達は突然消えた標的を見失ったようで、糸吐きをやめ、表情を読めないながらも辺りを窺っているように見える。

 だが、俺がそれに付き合う義理はない。


 一刻も早く飢えを満たすため、沈む日を追うようにして俺はその場を後にした。




 ◆




 何やってんの俺、本当に何やってんの俺!?


 昨日も訪れた泉の近くにて、辺りに広がる血痕を見渡して俺は吐き気を堪えていた。

 芋虫食べちゃった、思いっきり貪りついちゃった! もう肉片すら残ってねえ!

 あれだけ最後の手段にしておこうって言っときながらがっつり食べちゃったよ! うえっ、舌の上にまだ食感が……。


 暴力的なまでの飢えは、人間としての正気度と引き替えにしてフォレストクロウラーをまるごと胃に収めたことでだいぶマシになった。それでもまだ満腹じゃないっていうんだから、どれだけ腹が減っていたんだという話だが。

 さっきの暴走は腹が減っていたとはいえ俺の意思はあった。うわ恥ずかしい、いい年こいて腹が減って暴れ回ったとか……。

 でも吸血蝙蝠になってからはそんなに経ってないし、まだ子どもと言ってもいいんじゃない? お腹が空いて暴れるのは赤ん坊の仕事だし悪いことじゃないのでは?

 よし、そういうことにしておこう。黒歴史なんて早めに忘れてしまうに限る。


 しかし、吸血蝙蝠、吸血蝙蝠ねえ……。

 散らばる血痕から目を逸らすようにして泉の方を見て、水面に映った己の姿を改めて確認する。そこにいたのは昨日見たモンスターとは明らかに違う存在だった。


 全体のシルエット自体は大きく変わっていない。相変わらず地球の蝙蝠をそのまま大きくしたような姿だ。

 ただし、その大きさ自体はかなり変化している。周りの物と比較してみれば、その体長は八〇センチほどだろうか。吸血蝙蝠が五〇センチほどの大きさだったから、ずいぶん大きくなっていることになる。


 更に大きな変化は翼。これは倍などという話ではない。一回り、二回り……以前は身体より少し大きい程度のサイズだったはずが、今では片翼で二メートル近くあるんじゃないか?

 魂の森はどの木もサイズが大きく間隔が離れているから問題ないが、他の森だと木に引っ掛かって飛べなくなりそうだ。


 直接その姿を見たことはないが、俺はこのモンスターを知っている。画面越しに何度も見たことがあるからだ。

 恐らくは蝙蝠型モンスターの一種、ミストバット。水面に映るのはその姿だった。


 素早さ&回避率とクリティカル攻撃が異様に鬱陶しい、プレイヤーの適正レベル15ほどのモンスターだったはず。間違いなく魂の森にいるモンスターではない。

 右翼を上げてみる、水面の蝙蝠は左翼を上げる。

 舌を出す、水面の蝙蝠も舌を出す。

 自分の頭を叩いてみる、水面の蝙蝠が頭を抱える。

 い、痛ぇ……夢じゃない……。


 つまり水面に映っているのは間違いなく俺の姿で、俺はいつの間にか吸血蝙蝠からミストバットにクラスチェンジしていることになる、と。

 っていうか、仮にこれが俺で、この姿がミストバットのそれだとしても、だ。俺の知ってるミストバットとちょっと違うんだよな……。


 まず脚、本来ならここは蝙蝠らしく細く小さい器官のはずなのだが、俺の胴から伸びるそれは随分と様子が違う。

 何というか、随分と厳つい。いかにも切れ味のよさそうな爪と節くれだった皮膚は鷹や鷲といった猛禽類のそれに見える。今までは物を掴むのにも難儀していたが、この脚なら色々とやりやすそうだ。


 次に胴体なのだが、本来のミストバットが黒一色なのに対して、俺の胸元には一本の模様が入っている。

 僅かに弧を描くその模様、銀の体毛が三日月のように身体を飾り立てていた。まるでツキノワグマのような模様だが、これは鋼のような艶を持ち夕日を照り返している。


 他の部分は俺の知っているミストバットと同一なんだが、この二点だけが明らかに違う。

 というか、銀色……自然界の生物にあるまじきこの光沢、どう考えても見覚えがある。昼間見た解魂の果実、あの色とまったく同じだよなこれ。

 うわー、やっぱり身体に影響あったじゃんあれ。これ本当に大丈夫なんだろうな、身体の形が変わるとか相当だぞ……って吸血蝙蝠からミストバットになってる時点で大概か。


 身体を動かしてみるも、どこにも異常は感じ取れない。でも感じないことがおかしいだろ。ここまで大きな身体の変化があって、何で生まれた時からこの身体で過ごしてきたかのように違和感なく動けるんだ。普通ならこれだけサイズや重さやらが変わったらまともに動けなくなるはずだ。

 っていうかこの感覚、使ったことのない機能すら何となくわかるような。


 試しにと、その何となくの感覚に任せて翼に力を入れてみる。すると身体の芯から何かが抜けていくような感覚とともに、翼に黒い靄が纏わりついた。

 このエフェクト、ゲーム内と同じだな。スキル 《黒霧》、ミストバットの得意技だ。

 黒を纏った翼を振るうと、霧が周囲に拡散される。それは辺りの物を覆い隠してしまうが、俺自身は何故かその霧に左右されず周りの状況がわかる。

 回避率向上……こういうことか。目くらましとして便利なスキルだな。


 そしてこれで確定か。少し姿は違うが、やっぱりこの身体はミストバットになっている。進化……進化でいいのかなこれ。まあいい。ゲーマー的に進化と言った方が馴染みがある。


 とにかく、レベルアップ以外にこんな強化方法があるとは、ゲームではモンスターはモンスターで人類の敵、という説明しかなかったが、意外と色々な設定があるのだろうか。

《黒霧》を展開したまま空を飛ぶ。そのスピードは昼間までの比ではなく、あっという間に泉が遠く離れていった。


 流石適正レベル15のモンスター、吸血蝙蝠のステータスとは段違いだ。

 さっきもフォレストトクロウラーを道具に頼らず一発で仕留められたし、もはやこの森に敵はいないと言っていいだろう。

 そうやって色々と試してみて、ようやく認識が状況に追い付いた。

 そうか、これが育成ゲームでお馴染みの進化ってやつか……。


 ……何で!?

 進化システム? そんなもんSOULにはなかったぞ。モンスターはポケットに入れない、とにかく墓に入れていくゲームだったからな。


 進化とか……浪漫の塊じゃねえか! クソッ、進化できるんなら先に言っといてくれよ、キメポーズとってかっこよく進化したかった!

 けどどうせならひこう単体じゃなくてひこう・ドラゴンにしてくれない? 駄目? あっ、そう……。


 いや、それは残念だがこの状況は喜ばしいものだ。進化という言葉に心躍らない人類がいるか? いいや、いない。つまり今の俺はめちゃくちゃアガっている! 最高の気分だ!

 しかも吸血蝙蝠とかいう最弱種からの卒業! いやミストバットも強いモンスターってわけじゃないが雲泥の差だ! 魂の森の適正レベルが5程度に対しミストバットの適正レベルは15程度、これで兎や芋虫に負ける屈辱を味わわずに済むし、簡単に死ぬこともなくなるはず。


 進化は何がきっかけだったのかわからない。タイミングと育成ゲームのお約束的に一定のレベルまで上がることが条件だったとかかな?

 まあいいや。理由はわからないが進化という響きはとにかく最高だし、感じているのは心地よい全能感。身体に満ちる力は今までの比じゃない。

 今なら空だって飛べる気がする! 元から飛べるけど!


 失神や空腹なんかのトラブルはあれかな。レベルアップで身体能力が上がっただけでも副作用はあったんだし、これだけ変化があれば必要なエネルギーが増えたからなんだろうか。

 何でこんなに変わった身体を自在に操れるかはわからないけど、むしろプラスな点なのでそこは良し。ポジティブに物事を捉えていこう。


 とにかく、これは脅威的な前進と言えるだろう。一体どれほどステータスが上がったのやら。

 レベル4から実質レベル15って破格ってもんじゃないよな。俺の今のレベルどうなってんだろ。リセット? 5レベから続行?


 色々と予定外ではあるが、とにかく当初の目的である死なない程度の強さを手に入れたと言ってもいいだろう。

 吸血蝙蝠という底辺からの脱却、アイテムによる強化、高まったテンション。つまり、今こそ計画始動の時。




 俺、 勇者の追っかけ始めます。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る