第12話 GAME OVER

 突如乱入してきた二体目のネメアタウロスが、ギリーを庇ったレイを吹き飛ばした。

 人間が弾丸みたいにぶっ飛ぶ光景を見るのは初めてだ。なんて非現実的ファンタジーな光景だろうか。


 あまりの急展開に脳がフリーズして、益体もない考えが頭に浮かぶ。

 地面に転がったレイは死んではいないようだが、起き上がることも難しいような状態だった。


 何だ。一体何が起きてるんだ。

 二体目のボスモンスターが現れることなんて原作ではなかったし、ありえないはずだ。だって、アレスが相手取っているはずなんだから。

 まさか村の方で何かが起きて、もう一体がそのまま素通りして来たのか?


 ……どう見ても、マズい状況だろう。

 ようやく認識が追い付いてきた。ギリーが回復薬を飲ませてるみたいだが……。

 元々が二対一を想定して配置されたボスモンスター。それが二体に増えるなんてバランス崩壊もいいところだ。二周目プレイじゃないんだぞ。

 しかもレイは明らかに死に体。ゲームなら回復薬さえ使えばすぐ戦線復帰できるはずなのに、見たところ肩を貸してもらわないと立つことすらできないようだった。そういうとこまでゲームとの差があるのかよ。


 二体のネメアタウロスが連続して二人に突撃する。レイを担いだギリーはそれを必死に回避しているが、先ほどまでのキレのある動きは取れない。

 当然のように、二体目の突進を躱したところで倒れてしまった。俺はただその光景を見て固まっているだけだ。


 どうなっているのかわからないし、望んだ光景を見ることができないショックはある。だけどそれ以上に、目の前で倒れる二人の姿に心がざわついた。

 この森で生まれてから、それなりに死を見てきたつもりだ。食うために生き物を殺したし、同族が食われたこともあった。

 だけど今は、二人が傷付いている状況がただ恐い。俺の意識が人間だからなのか、今までのファンタジー補正がどこかに飛んでしまっていた。


 二人の元へネメアタウロス達が近付いていく。傷を負った個体も、新しい個体も彼らを逃がす気はなさそうだった。

 このままじゃ確実にゲームオーバーになるだろう。そしたらまたセーブポイントからやり直し──




 ──そんな都合のいい仕組みが、本当に存在するのか?




 心臓が跳ねた。頭を過った思考が心を掻き乱す。

 改めて言う。俺はこの世界でそれなりに死を見てきたつもりだ。


 その中で、生き返ったものなどいない。


 モンスターと人間の違いだとか、NPCとPCの違いだなんて理由かもしれない。だけど俺が今まで見てきた死は、どこにでもあるただの『死』だった。

 ゲームなら死体は消える。だけどここでは死体は残るし、それは食われて循環する。

 この世界はSOULにそっくりだ。だけど、違うところもたくさんあるということは身を以て学んでいる。

 そんな世界に、死者蘇生やコンティニューなんてものが存在するのか?


 たとえば今ここで、あの二人がモンスターに殺されたとしよう。それがゲームの中での出来事であれば、所持金ロストのペナルティと引き替に、セーブ地点で復活する。

 だけど、本当にそんなことができるだろうか。

 死を覆してやり直せる? その間、世界はそのままか、まさか勇者の復活に合わせて世界の時間が巻き戻るとでも言うつもりか?

 もしそうでなければ、ここで暴れるモンスター達が村を壊滅させてもおかしくはない。


 SOULには蘇生アイテムがあった。なら、この考えが杞憂だって可能性もある。

 だけどもし、万が一この考えが当たっていたなら……今、レイ達は本当の意味で命の危機を迎えていることになる。


 身体が震える。ゲームとしての知識と、ここで経験した記憶が頭の中でせめぎ合う。

 どうする、どうすればいい!?

 もしそうだとすれば、当然あの二人を助けないといけない。ここで剣の勇者が倒れたとすれば、村どころか世界が終わる!

 だけど俺に何ができる? 進化したとはいえ、俺はただの雑魚モンスター。ボス級の強さの前に出たところで、一撃でミンチになるのが関の山だろう。

 だが無い袖を振ろうとしたところで、無いものは結局無い。


 何でだ。俺はただゲームのイベントが見たかっただけだっていうのに、何でこんな状況になってるんだ。

 いや……そう、そうだ。俺はただ見物に来ただけだ。


 レイ達だって、俺が一方的に知ってるってだけだ。知り合いでもない相手のことで、何故そんなに躍起にならなければいけない。

 そもそも、ここはどう考えたって現実なんかじゃないだろう。俺の夢か、あるいはゲームの中か。仮に異世界だったとしても全部俺の考えすぎで、普通に復活して全部やり直せるかもしれないだろう。


 俺がやらなきゃいけないことなんて何もないんだ。たとえ夢だったとしても、こんな状況をただの高校生……ただの雑魚モンスターがどうにかできるわけがないんだから。


 だから……だから、俺は何も悪くない。

 震える身体を押さえつけた。頭の中をごちゃごちゃとした考えが回る。自分の考えが他人のもののように感じられる。


 どこかぼんやりとした視界の端に、怪物達の姿が映る。

 今にも飛びかからんと力を蓄えるその身体、その先には当然、二人の少年がいた。

 決死の形相で怪物を睨む赤髪の少年の肩で、鈍色の頭が動く。

 死に体の姿、ろくに動かせもしない身体で、それでもボロボロの腕を前へと伸ばす。

 その腕は、己から零れた赤に染まっていて──




 ──『助け……』──




 ──気付いた時には、俺は戦場に飛び込んでいた。




 ◆




《黒霧》を纏った身体を、翼の推進力を使って全力で押し出す。

 フォレストクロウラーの時と同じだ、狙うべき場所は生物の弱点。


 そして俺は歪に強化された脚先の爪で、無傷だったネメアタウロスの左目を切り裂いた。


『GORUAAAAAAAAAAAAAA!?!?!?』


 怪物の口から悲鳴が上がる。馬鹿デカい声だと思っていたが、至近距離で聞くとほとんど攻撃だ。身体がビリビリと震え、耳鳴りが頭蓋を貫いているかのような気分になる。


 後ろから視線を感じるが、今はそんなことに構っちゃいられない。奇襲のための《黒霧》を解除してネメアタウロスの鼻先で飛ぶ。

 今まで何が起きたかわかっていなかったようだが、流石に至近距離まで近付けば俺の存在に気付くらしい。片方しか残っていない目が俺を捉えた。


『GOGYAAAAAAAAAAAA!!』


 混乱するような声音から一転、多分に怒気が含まれた咆哮を上げると全身に力を漲らせた。

 それを確認してから反転し、森の奥へと飛ぶ。

 背中越しに荒い呼吸と破砕音が聞こえてくる。弱った獲物よりも、自分の目を奪った相手を選んだらしい。

 天然の闘技場から離れ、怪物を引き連れて飛ぶ、飛ぶ。そんな中、頭を占める思考は一つだった。


 やらかした。


 クソッ、何やってんだ俺は! 何であの場に突っ込んだりした!

 本当に、気付いた時には飛び出していたとしか言いようがない。あの血濡れた手を見た瞬間、反射であんなことをしてしまった。


 勇者達がギリギリの戦いを繰り広げてた相手に、俺みたいな雑魚が勝てるわけがないだろう。モンスターになってとうとう頭までイカれたのか俺は!

 ええい畜生! もういい、過ぎたことを考えるよか、今は思考を切り替えろ!


 確かに俺がネメアタウロスに勝つことなんてできない。剣で刻まれまくってたピンピンしてた相手に、多少鋭いだけの爪が通用するはずもない。

 ミストバットはスピード特化型モンスター。その代わり他のステータスが全部死んでるんだ、ボスモンスターのスペックに敵うわけがない。

 だけど逆に、スピードだけなら格上ともタメを張れる。皮肉なことに、アレスに殺されかけても逃げきれたことがそれを裏付けている。


 現に今も、背後から迫るネメアタウロスとの距離は、縮まるどころか離れていってる。このままなら簡単に逃げきれるだろう。

 だけど……。

 俺はあえてスピードを落とし、ネメアタウロスとの距離を縮めた。

 互いの距離は一〇メートルほどだろう。夜闇の帳ムーンレス・ナイトクロスがあっても俺を見失ってはいないのか、片方だけになった視線が俺を捉えて離さない。


 恐い、恐くてたまらない。

 今まで相手にしてきた同格のモンスターや、アレスのような人間ではない、今まで見たことのないほど巨大な体躯、根源的恐怖を撒き散らす怪物から受ける圧は半端じゃない。本音を言うなら今すぐ尻尾を撒いて逃げ出したかった。


 だけど、それをしたらどうなる? もし俺を見失ったなら、ヤツはレイ達の所へ戻るんじゃないか?

 そうなったら今度こそ二人はおしまいだ。一度こいつを引き付けてしまった以上、俺が逃げたせいで誰かが死ぬなんてことを考えると別の恐怖が走る。たかが一高校生が、誰かの命の責任なんて取れるはずがないだろう。


 つまり俺がやるべきことは、あの二人が一匹目のネメアタウロスを倒すまでこいつを引き付けておくこと。一匹目はもう倒せる状況だったんだ、レイが回復すれば倒すことに問題はないはず。

 そうじゃなくてもアレスが援軍として来れば、こんなやつなど一撃だろう。だからそれまで時間を稼げば、俺が戦う必要はなくなる。

 そう考えるといくらか気が楽になった。大丈夫、あのアレス・G・アムドレッドからだって逃げきれたんだ。あんな筋肉達磨から逃げることなんてわけないさ。


 とっくにレイ達の姿は見えなくなっていた。追ってくる巨体と付かず離れずの距離を取りながら、村とは反対、森の奥の岩山の方へと逃げ続ける。

 ネメアタウロスは頭に血が昇っているのか、進行方向の木や哀れにも逃げ遅れた生き物達を粉砕して、一直線に俺を追ってくる。が、見た目の通りパワー特化。俺に追い付くことはなさそうだ。


 よし、岩山がすぐ近くまで迫ってきた。もう少し遠くまで行ってから適当な場所でこいつを引き離せば、そう簡単には元の場所へ戻れないはず。そうしてから俺は隠れてしまえばいい。

 そう算段を立てると希望が見えた気がした。無鉄砲に飛び出してしまったが、このままいけばむしろ最良の結果を手に入れられる……!


 けれど、愚行は所詮愚行でしかなく。


 真後ろ、少し離れた距離を地を踏み鳴らしながら追ってくるネメアタウロスが、今までにない動きを見せた。

 ぐ、と全身に力をこめ、走りながら大きく息を吸っているように見える。轟と風が吹く音とともに、元から大きい身体が更に膨らんだようにさえ見えた。


 何だ、あいつは何をやってる。ネメアタウロスに特殊技なんてなかったはずだ。あの行動の意味は一体……。

 刹那の思考。けれど答えを出すより早く……音の速さでそれはやって来た。




『『『OoooOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!』』』




 空気がたわんだ。音が力を以て世界に広がり、全ての物質を揺らしていく。


「ギギャッ……!」


 自分の口から声が漏れた気がした。けれど、自分が発したはずのそれを認識できない。


 大声。


 今までの咆哮とは比較にならないほどの圧倒的な声量で吼えた。あいつがやったのはただそれだけのことだ。

 だけど、たったそれだけのことが致命的だった。

 ライオンの叫び声は数キロ先まで届くという。ならばその数倍の体躯を誇るネメアタウロスの叫びは、一体どれほどの声量を秘めているというのか。


 一体だけの叫びが連なり重なって聞こえるほどの音に、比喩抜きで世界が揺れた。

 あたり一面の草花が震えて実を落とし、場所によっては木の枝が折れている。もしここにガラス窓がありでもしたら、それは粉々に割れていたかもしれない。

 そしてその叫びを至近距離で聞いた俺がどうなったかなど、言うまでもない。


 頭が割れるほどの痛み。記憶を取り戻した時、いいや、あれよりひどい。

 目の前のものが歪んで見えた。身体がうまく動かせないし、そもそも身体のパーツが正しくくっついているのかすらわからなくなる。


 ミストバットは音で周囲の状況を探る。つまり耳がいい。

 そんな重要な器官に、とんでもないダメージが与えられた。ただの声に、俺の行動が全て封じられたのだ。


 歪んだ視界、なんだか落ちているような気がする。音はまったく聞こえないが、視界の端にこちらへ向かってくる大きな影が見えた。

 ほとんど無意識で翼を動かそうとする。動かせているのかもわからない。


 影が迫る。引き伸ばされた体感時間、痛みが意識を支配する中で影が迫る、迫る、迫──


『揺れる世界』、『赤い光』、『クラクション』『大きな影』、『小さな影』、『叫び声』、『衝撃』、『光』、『赤』、『赤』『赤』『赤』『『『『『『赤』』』』』』、『腕』『声』『黒』……。


 ──ああ、そうか。




 これは、死だ。




 衝撃と共に、意識が闇に呑まれた。



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