INTERLUDE-1

 お兄ちゃんが死んだ。


 お通夜もお葬式も終わって家に帰って来たお兄ちゃんは、小さな壺に入る大きさになってしまった。

 お父さんとお母さんは人前では堪えていたようだけど、家に戻るとずっと泣いている。無理もないと思う。あまりにも急で、予想もしてなかったことだったから。


 二人の啜り泣く音が聞こえるリビングに背を向けて、自分の部屋に戻る。両親と同じ部屋にいると、変な罪悪感を覚えてしまうから。


 お兄ちゃんが死んで何日も経ったけど、その間、私……古森こもり束音たばねは一度も泣かなかった。


 お兄ちゃん、古森こもり束事つかずとの仲は悪くなかったと思う。だけど、二歳上のお兄ちゃんが高校に入って忙しくなると、一緒に過ごす時間はそれまでよりずっと減った。

 そのままなんとなく会話が減ったまま月日が流れて、気付けば二年。私はお兄ちゃんと違う高校に進学して、お兄ちゃんは高校三年生の忙しい時期。結局これまで通りの距離感のままだった。


 そんな矢先、お兄ちゃんは交通事故であっけなく死んだ。

 休みの日、ちょっと買い物に行って来ると家を出て、そのまま帰って来なかった。


 トラックに轢かれて死んだと、生気の抜けた顔のお母さんが電話を握りしめながら言った時は、何かの冗談ではないかと思っていた。

 そんな出来の悪い冗談の通りに状況は進んだけど、ひどい状態だからと遺体を見ることもできないまま、お兄ちゃんはあっという間に壺に収められてしまった。

 そのせいなのか、まだお兄ちゃんが死んだという実感が湧いてこない。お父さんとお母さんとは違って、悲しいという感情が状況に追い付いていない。


 聞いた話によると、お兄ちゃんはトラックに轢かれる直前、トラックを避けようとせずに前へ飛び出したらしい。目の前で倒れていた人を助けようとして。

 そして、けどそこから退くには間に合わず、助けようとした相手ごと、二人揃って亡くなった。


 残された方の身にもなってほしい。お兄ちゃんの癖に何をかっこつけているんだとか、その人を助けようとしなければお兄ちゃんは助かったんじゃないかとか、悲しい気持ちの代わりとばかりに怒りの感情が湧いてきて、自分で自分が嫌になる。

 更に言えばトラックの運転手もそのまま信号機に突っ込んで、今は意識不明の重体らしい。そうなっては怒りをぶつける先すら見つからなくて、どうにもならない感情だけが、どこに行くこともなく胸の中に貯まっていく。


 当てどない感情のままに廊下を歩いて、自分の部屋の前に立つ。ドアを開けて中に入る前、廊下の突き当たりの部屋が目に入って動きを止めた。


 私の部屋の隣に位置するその部屋。扉にかかったドアプレートに書かれている『TUKAZU』の文字通り、お兄ちゃんの部屋だ。

 少し悩んで、自分の部屋に入ることなくそちらの部屋に向かう。


 思った通り鍵はかかっていなかった。抵抗もなくドアが開いて、目に飛び込んで来たのは生活感のある室内。

 ベッドの上に脱ぎ散らかされたままのパジャマ、机の上に置かれた参考書やノート、放置されたペットボトル……。


 生活感の漂う部屋がそのまま残されているのは、誰もそこに触れることができなかったからだ。

 今まで見ていたのは悪趣味な夢で、こうしている今にもひょっこりとお兄ちゃんが帰って来るんじゃないか。みんながそんなことを考えている。


 しばらくの間、そうやって部屋の中をぼーっと眺めていると、あるものに気付いた。


 部屋の奥、漫画やゲーム、遊び道具なんかが雑に並べられた棚の中、一ヶ所だけ妙に整えられたスペースがある。

 そこに置いてあるのは一台の携帯ゲーム機と、わざわざスタンドまでつけて飾られたゲームのパッケージ。そこに書かれたタイトルは『七剣の英雄譚』。


 そのタイトルには見覚えがあった。一年と少し前、私達兄妹の会話が少なくなり始めていた頃、急にお兄ちゃんが薦めてきたゲームだ。


 その頃は会話が減っていたのに、ある日突然『最高のゲームだからやってくれ! 全部借すからやってください!』とグイグイ来るし、 勢いが強すぎて恐かったから断ったんだけど……その後もちょくちょく薦めて来て鬱陶しかったゲーム。


 部屋の中を横切って棚の前に立つ。他のゲームはごちゃごちゃと積まれているのに、これだけは綺麗に飾られているあたり本当に気に入っていたんだろう。私が断るたびにしょぼ くれていたのを思い出す。

 私はそんなにゲームというものに興味がない。みんなでパーティーゲームなんかはやることもあるけど、それよりも友達と買い物に出かけたり、服を揃える方が好きだ。だから今までもずっと断ってきた……、だけど。


「……いつも借すってうるさかったんだから、今借りても問題ないよね」


 誰も聞いていないのに言い訳するようにそう呟いて、ゲームを手に取った。

 そのまま自分の部屋に持って帰ると、改めてパッケージを眺めてみる。


 真ん中で剣を構える男の子は主人公だろうか。その周りには彼の仲間だろう人達が並び、背後には悪魔みたいな見た目の見るからに悪役っぽい影と、それより大きな竜の影。そし て大きく刻まれたタイトルロゴもまた、竜のようなデザインで七色に彩られていた。


 いかにもお兄ちゃんの好きそうなデザインだなと思いながら、カセットをゲーム機に挿入した。

 電源を入れて、ゲームを始める。セーブデータに表示されたお兄ちゃんのプレイ時間に若干引きながら、空っぽのセーブデータを選んでゲームを開始。そして流れ始めたオープニング映像を眺めながら、私は何でこんなことをしているんだろうと考える。


 感傷や後悔、現実逃避。色々な言葉が浮かんでくるけれど、どれも違うような気がして自分の気持ちを当てはめることができなかった。


 結局答えを出すことはできないまま、オープニングが終わって本編が始まる。

 純朴そうな 主人公と、不良っぽい見た目の男の子の二人が森を歩きながら話している。するとそこに何かが襲い掛かってきた。


 現れたのは吸血蝙蝠という名前の一匹のモンスター。

 これがチュートリアルってやつかな? 画面に説明が出て操作方法を教えてくれる。相手の攻撃を受けたけど、主人公が盾でガードしたのでダメージにはならなかった。


「えいっ」


 そして指示に従って攻撃する。ザシュッというゲーム独特の音を上げて、吸血蝙蝠はあっけなく死んだ。



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