第10話-B 王国の聖騎士
王国騎士団副団長、『
その名を王国内で知らない者はいないだろうほどの存在であり、聖騎士として数多の苦難から国を守り抜いた英雄。
圧倒的な実力とまさに騎士然とした高潔な精神性から民にも慕われる、騎士の中の騎士。
ここ二年ほどはある王命、今代の剣の勇者を育成するために表立った舞台に上がることは少ないが、それでもその名に陰りはない。
だがその騎士は今、切迫した状況に対し歯噛みしていた。
舞台はアルファスト村、状況は異常の一言に尽きる。
まさか、己が王都に召集されていた数日の間にこんな事態が起こるとは。自分が村に残っていたならばと益体もない考えが浮かぶが、状況の慌ただしさがそんなものを押し流す。
「アレス様! 戦えない者の避難が終わりました!」
「わかりました、柵の補強も完了しています。自警団を中心に戦える者は集会場の守りを。日頃の訓練の通り、生き残ることを最優先に考えて行動してください」
「は、はい!」
まだ少年と呼んで差し支えない年頃の若者に、そんな話をしなければいけないことがもどかしい。だが、今はそうしなければならない理由がある。
アレスが村を留守にした数日間で、森に異変が発生した。そして今日、戻ったアレスが目にしたのは、一部が破壊された柵と、村の中に転がるモンスターの死体。
幸いにして村人に怪我人は出ていないが、森の中に棲むモンスターが村に出てくるのは、はっきり言って異常事態だ。
村の近くにある森に棲息しているモンスターは普通の動物と変わらないほど弱く、自分から森の外に出ることは滅多にない。吸血蝙蝠などは、多少の武芸を身につけた一般人ですら対応できる。
だと言うのに、吸血蝙蝠やホーンバニーなどのモンスターが既に数度、村へ襲い掛かっている。
これを撃退したアレスの弟子である少年二人は、断続的に森から出てくる原因を突き止め、この事態を解決するべく森に向かってしまったと言う。
今代剣の勇者であるレイと、その親友であるギリー。正義感が強く、このような状況を見過ごせない二人。
平時であれば、アレスも彼らの判断を肯定していただろう。問題の根を叩くのは間違いなどではないのだから。
だが、今はとにかくタイミングが悪かった。アレスが事態の原因を掴んでいる状態で、出立と帰還が入れ違いになってしまうとは。
せめてあと一時間早く帰還していればと思わずにはいられないが、もはやどうにもならないことだ。こうなったら一刻も早く二人を追わなければならないと思考を切り替える。
(村の防備が揃い次第追わないと……。今の二人の強さなら、滅多なことは起こらないと思いますが)
幸い、あの二人がモンスターの撃退と村人の避難勧告を出していたのでアレスが指示する内容は少なく済んだ。こんな状況ではあるが、弟子の成長を嬉しく思う。
後のことを自警団に任せ、自身も森に向かおうと気を張って……その視線に気付いた。
「……っ!」
それに気付いた瞬間、思わず息を呑んでいた。
アレスから見て三時の方向、村からずっと離れた上空にこちらを窺うナニカがいる。
努めてそちらに視線を向けないようにして今まで通りの態度を演じるが、内心を流れる冷や汗は止まらなかった。頬に感じる視線は、気付いた今となってはこちらへ構えられ引き絞られた弓のようにしか思えない。
直前までそこに何かがいることに気付かなかった、今そこに突然現れたのではないかと錯覚するほどの隠形。そしてその存在に気付いた今でも、大きな違和感に苛まれる。
気配が、薄い。
あれほどの隠形を有するならば、アレは相当な手練れのはずだ。だが、その存在に気付き意識を集中させた今でも、その気配を掴みきれない。まるでそこにいるのが低級のモンスターと錯覚しかねないほどの、希薄で小さい気配。
だがそんなはずがないのだ。もしそんな存在ならば、王国でも五本の指に入る実力者であるアレスの目を欺けるはずがない。
つまりはアレスと同等、もしくはそれ以上の強者。それも空中に身を留めているということはまず間違いなく人間ではない、上位存在かモンスターか。
そんな存在が今日この時に偶然ここを通りかかったなどという、楽観的なことは考えられなかった。
十中八九、この異変と関係がある存在。むしろ彼の存在が送り込んだ尖兵なのではないか。
だとすればどうするべきなのか、村を守らなければならず、レイ達の援護にも向かわなければならない以上、どんな決断を下すにせよ即座の対応が求められる。
あるいは己以上の強者を敵に回し孤軍で戦わなければならないかもしれない。そう覚悟を決めて、アレスは今度こそその気配へ目線だけを向けて。
そこには、闇があった。
夜に溶け込んだそれは、その存在に気付いていなければ認識すらできなかっただろう。
黒く暗く、しかし透けても見えるそれは矛盾の塊。目を離せば一瞬のうちに薄れて消えてしまうようなそれは、この世にあり得ざる蜃気楼の如き姿。一体、どれほどの業を持てばこのような存在が生まれるのか。
空間を無視するかのような光景から驚愕に呑まれる中、視界の内でほんの少しだけその存在がブれて、闇の中が垣間見えた。
零れ落ちた血で彩られたかのような赤い瞳と、三日月の如く裂けた口から覗く銀色の牙の輝き。それが、透き通る闇の中からアレスをじっと見つめていた。
ゾワリと、アレスの脊髄に氷柱が刺し込まれたような悪寒が走る。
違う、アレは何かが違う。人でなく、モンスターでなく、アレスが知り得る中で例えることのできるモノがない、存在自体が強烈な違和感を放つ矛盾の塊の如きナニカ。
全貌を見通すことすらできないナニカに、その時感じたのは恐怖だった。騎士として幾多の戦場で感じてきたものとはまるで違う、得体の知れない物に抱く未知への恐怖。
そんな未知に対し、彼が咄嗟に取った行動は攻撃だった。動揺しているにも関わらず、身体は染み付いた動きを完璧にこなす。
背負った弓を独自の魔術、《
自然の摂理に反し、地から天へと飛び立った人工の雷が、紫電を撒き散らし大気を焼きながら闇へと迫る。
威力は勿論、どれだけ相手が素早かろうが見てから避けることなどできない、至高の戦士による最速の攻撃。
そんな攻撃はしかし、狙った的を掠めることさえしなかった。
透き通る闇がその影を翻し、天に突き立つ稲妻の陰を潜るようにして無傷で回避したからだ。
「何っ!?」
自身のありったけを乗せた攻撃を放った反動で硬直するアレスは、思わず驚愕の声を上げていた。だがそれは弓矢ほどの速さでなくとも相当のスピードで動いた闇に対するものでも、己が最速の攻撃を避けられたことに対するものでもなく、その直前に闇が見せた行動に対してのものだった。
あの闇は、アレスが矢を放つ前に回避行動を取った。それは即ち、アレスが何をするか予測し先手を取ったということだ。
見せていない己の手の内を読まれたことに、更に動揺が広がる。
しかし闇はその動揺にたたみかけるように行動を重ねた。
攻撃を躱し、尋常ではない速度で真下へと落ちていた闇が膨らんだのだ。
透き通るような不可解な闇の奥から、靄のような『黒』が噴出する。それは勢いよく周辺へと広がり、ただでさえ夜の暗がりに紛れていた蜃気楼の如き姿を完全に包み隠してしまった。
自分の存在が露見したと見るなり再びの隠形、目を離すことなく確かに視界に捉えていた存在が、瞬きの間にその姿を消失させるという非常識な光景。
だが彼とて歴戦の戦士。一秒にも満たない時間で驚愕を振り払い、即座に次の行動へと移る。
「私は出ます、皆さんは待機を!」
硬直が解けたアレスは、突如何もない天へと矢を放った騎士に驚く村人達へそう告げ、勢いよく村の外へ飛び出した。
(アレは危険だ。何としてでもここで食い止めなければならない)
僅かな行動から感じ取った思考の癖や、アレスへ向けていた視線の感触からするに、あの闇はまず間違いなく知性を持った存在だろう。
だとすれば一番マズいのは、アレがレイを狙っている場合だ。
世界の最大防衛機構である剣の勇者。だが、彼の内に秘められた力はともかく、現状はまだ手練れと言えない少年。
アレスはレイを大きく評価しているが、その力は未だ世界を救うには足りないもの。故に辺境の村で身を潜めながら彼を鍛えていたのだ。
竜剣も未だその真価を発揮できない状態にある以上、今のままアレスと同等の力を持つ者が仕掛けてきたなら二人の命は奪われてしまうだろう。
「それが、よりにもよってこのタイミングで……!」
二年間も共に過ごした弟子達を心配する気持ちと、今まさに現れた世界の危機へと対抗するための存在を失いかねない焦燥感。二つの思いが胸の内でない交ぜになり、騎士の身体を突き動かす。
一時間にも思える一分にも満たない時間を経て、アレスは先ほどまで闇が飛んでいた場所にたどり着く。
しかしそこに闇の姿は既になく、意識を尖らせても痕跡すら見当たらない。
やはり遅かったかと歯噛みして、アレの姿がないなら一刻も早くレイの元へ向かおうとした瞬間だった。
『『──ooooOOOO…………!』』
遠く平原の向こうから、 何かの叫び声が聞こえる。
それはアレスの正面、ずっと遠くの岩陰から現れた二つの影から放たれた咆哮だった。
影が揺れる。一歩足を進めるたびに、影の周囲の地も揺れる。遠目からでもわかる巨体と、圧倒的なパワー。
その進行方向はアレスの方へと、つまり、このままでは確実に村へとぶつかる方へと向いていた。
「……はは。次から次へと、悪い事というのは重なるものですね」
あるいはこれは、あの闇がアレスをこの場へと足止めするために仕掛けていた罠なのかもしれない。
だとすればまんまとハメられたことになるが、それでも騎士はこの場を引くことができなかった。守るべき民が背中にあって、このまま放置すれば確実に村が壊滅するのがわかっている。ならば彼が引けるはずもない。
あの影に負けることはないだろう。しかしタフネスの塊が二体、どうしたところで時間がかかることは間違いない。
それでもすぐにあちらへ向かわなければならないと、再び自己強化を始めたアレスは不安を振り払うように大きく一歩踏み込んだ。
「なるべく早く終わらせます。それまで生き延びてくださいね。レイ、ギリー……!」
愛すべき弟子達の名を口中でそっと呟くと、騎士は背中の剣を抜き放って影の方へと一直線に走り出す。
その内心を、先ほどの闇が不安で黒く塗り潰そうとする。新たな魔王の誕生と、それに影響され掻き回される盤上で。
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