第14話 BOSS BATTLE
夜闇に包まれた森の中、一匹の獣が悠々と歩みを進めている。
その
特殊な能力などは持ち合わせていないが、その身体はとにかく頑強。生半可な戦士では傷一つつけられないほどの皮膚に、大質量から繰り出される突進と致命の威力を孕んだ大角など、前衛からすれば厄介なこと極まりない存在。
そんなモンスターであるが、今はその目が片方潰れていた。
己の生において初めてつけられた深い傷、この傷を刻んだ『黒いの』は始末したが、なくなった目から滲み出す痛みが獣の臓腑を焼く。
獣に知性はないが、感情はある。傷が憎悪を生み、傷をつけた存在を潰したところで恨みが晴れることはなかった。
その怒りはモンスターが生来持っている人間への敵意と混ざり合う。原始的な衝動に導かれるまま、先ほどの人間二匹を喰い殺すべく己が破壊してきた道を戻る。
と、横合い、樹上に生い茂る葉の中からガサリと音がした。
常であれば気にも留めていなかっただろう小さな音。しかし、今しがた小さなモノに奪われた左目。獣であれど、獣であるからこそ学習した危険信号。
そして獣が見上げた先、夜の闇に紛れるように『黒』が落ちてきた。
『GORUA!?』
仕留めたと思っていた存在が再び現れたことに動揺するも、咄嗟に首を捻って回避する。
残る右目を狙った攻撃が逸れて獣の眉間に当たる。とても肌にぶつかったとは思えないような、硬質な音が鳴り響いた。
『黒』は奇襲に失敗したと見るや即座に樹上へと舞い戻り、獣が行く道とは逆方向、木から木へと跳ねていく。
今の攻撃は結果的に傷も痛みもない貧相なものだった。しかし、一度目と同じく己の光を奪おうとした所業、仕留めたはずの敵がまだ生きて歯向かってきたこと。それらに対する怒りが人間への憎悪を上回り、獣の内部で爆発する。
『GOAAAAAAAA!』
大きく咆哮すると、獣は『黒』を追ってレイ達とは逆方向、森の奥へと進撃を始めた。
◆
奇襲に失敗した。全速力で離脱する。
本当なら今の一撃で右目を潰しておきたかったのだが、ヤツは明らかに攻撃を仕掛ける前からこちらの存在に気付いていた。いくら最高装備の隠密性と言えど、限界があるということだろう。一度見つかった相手には発見されやすくなるなどの条件があるのかもしれない。
つまり今後は奇襲が成立しなくなるのだろうが、それでは俺のアドバンテージの九割九分が削れてしまう。唯一勝っていた速度でさえ今は怪しいところだからだ。
そう、覚悟を決めたからと言って状況が変わるわけじゃない。レベルアップで多少の体力は回復したが、それでも被害は甚大。右の翼に至っては大穴が開いて使い物にならない状態。
飛ぶことすらできないが、勢いをつけて羽ばたくことで跳躍と滑空はできる。元々のスピードは見る影もないが、それでも動けないよりマシだろう。
身体を動かす度に違和感がある。痛覚が切れているおかげで動かせてはいるが、この状態が健全であるはずもない。残された時間はそう長くないはずだ。
だからこそ初撃で完全に視力を奪ってケリをつけてしまいたかったのだが、それは失敗してしまった。
ならば次善の策を取るしかない。
つまりは逃走。俺は再びヤツから逃げる。
片翼を思いっきり振るって、不恰好な軌道で木の枝に飛び移る。枝を掴み、飛びついた勢いを利用して跳躍。また翼で勢いをつけて隣の木に飛び移る、この繰り返し。
蝙蝠というよりムササビやモモンガのような飛び方だが、右の翼が使い物にならない以上こうして移動する他ない。これでも走るよりはずっと速いのだから。
背後から叫び声と大きな足音が聞こえる。目だけで後ろを確認すると、やはりネメアタウロスはまっすぐこちらを追いかけて来た。
覚悟を決めた割にさっきまでとやっていることが変わらないが、状況は大きく変わっている。
さっきは考えなしにヤツから逃げ回っていたが、誰にも被害を出さないと決めた以上話は別だ。
ただ逃げるだけじゃない。最低でもレイ達がもう一体のネメアタウロスを倒すまでは引き付けておかないと、状況は振り出しに戻ってしまう。だけどいつ倒せるかなんてわかるはずもない。
だからなるべくレイ達からずっと離れ、村から遠く、森の奥へ奥へとこいつを誘導して逃げ続け、時間を稼がなければならない。
一〇分か、一時間か、それ以上か……だがそれは難しいかもしれなかった。
息が荒れる。痛みとはまた別の苦しさがじわじわと首を絞めていく。だというのに背後の怪物との距離は変わらない……いや、むしろ間隔が狭くなっている。
当たり前だ、痛みがないからといって傷が消えたわけじゃない。むしろ時間が経過するごとに体力は落ちていく一方だ。
背後の圧が一気に膨れ上がった。半ば以上勘に従って進行方向を直角に変える。
横っ飛びに移動した直後、今まで掴まっていた木が大質量の激突によって根元からへし折られた。
葉を散らし、破片をばら撒いて倒れた木を踏み砕くようにしてネメアタウロスが姿を現す。その身体には傷一つついていないが、流石に足は止まっている。
追撃の中、僅かに得たその隙を逃がすまいと弧を描くように軌道を戻し、更に森の奥へと飛ぶ。
まだ追い付かれてはいないが、今の通り危ない状況に変わりはない。そもそもカス当たりとはいえまだ生きてることが不思議なくらいのステータス差だ。今の俺はヤツの攻撃どころか、撒き散らされた木片が当たっただけで死にかねない。
何より一番ヤバいのは……。
血走った目でこちらを見据えるネメアタウロスが、全身に力みを入れて大きく息を吸った。
それを見た瞬間に移動をやめ、木の枝に身体全体で取りつき、翼で耳を覆う。
『『『GOAAAAAAAAGYAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!』』』
~~~~~ッ!!
まるで顔がまるごと口になってしまったかのように開かれた巨顎、そこから迸るのは文字通り音の速さで迫る衝撃波。
耳を塞いでいるにも関わらず、脳を直接掴んで揺さぶられるような衝撃が駆け抜ける。全身を振動が伝播し、掴まっている木すらも大きく揺れた。
再びの
一回目とは違い、事前に来ることがわかっていたので致命的なダメージはない。だが逆に言えば、しっかりと防御姿勢を取ったにも関わらず無視できないダメージが入っている。
これだ……! この口撃が厄介極まりない!
耳を塞いで耐えれば気を失いはしないが、どうしたって移動はできなくなる。
頭痛と吐き気で思考が乱れ、けれど視界はこちらへ突進を仕掛ける大きな影を捉えている。これ以上立ち止まることはできない。
防御の姿勢を解くと、ふらつく身体を動かして飛ぶ。すぐ後ろをネメアタウロスが追い詰めてくる。
立ち並ぶ木があっという間に木っ端微塵になる。夜を貫く咆哮が辺り一帯を震撼させる。
逃走、回避、防御。逃走、回避、防御。ひたすらこれの繰り返し。
木から木へと飛び移り、丸くなって音から身を守るたび、ただでさえ満身創痍な身体から更に力が抜けていく。
だけどまだだ、まだ足りない。
全部救うためには届いていない。
岩山がすぐ側に迫っている。距離はかなり稼いだはずだが、レイの回復が済んだかはわからない微妙なラインだ。
だけど背後のネメアタウロスはどんどん距離を縮めて来る。今の攻撃なんて、枝を離した次の瞬間には掴まっていた木が薙ぎ倒された。
このままだとそう時間を掛けずに追い付かれ、今度こそ殺される。そうなればレイ達の命もないだろう。
もう少し、あと少しで届くはずなのに……!
そう思っていた。危ない状況ではあるが、まだいくらかの余裕はあると。
だけど。
バリ、と。いっそ呆気ないほどの軽い音を立てて、右の翼が完全に破れた。
「ギッ……!?」
今まで何とか風を捉えていた皮膜が用を為さなくなる。空中で体勢が崩れ、次の着地地点を目指す軌道が墜落へと切り替わった。
クソ! ここに来て痛覚が切れてたことがマイナスになりやがった! 元々大穴が開いた上で無理矢理動かしてたんだ、いつやられてもおかしくなかったが、痛みがないせいで前兆に気付かなかった!
着地は、ネメアタウロス、回避、木、逃走ルート、間に合わな、現在位置、ギリー、回復、レイ、目的地。
墜落するまでの僅かな時間、頭の中を情報の波が埋め尽くす。
視界の隅、やけに遅く流れる景色の中を、背後からネメアタウロスが一気に迫って来る。このままでは完全に直撃するコース。
ここまでか? 結局また足りない、また届かないのか?
あの日最期に見た光景を焼き増しするかのように、俺自身も、レイ達も助けられないのか?
……冗談じゃない。
ふざけんな。あんな思いは二度と、死んでもごめんだ。
諦めたふりをやめろ。視線を逸らすな、目を凝らせ。今度こそ最期の一瞬まで、いいや終わるその瞬間でも諦めずに前を見ろ。
ぐるりと、身体を捻る。僅かな動き、軌道を変えることすらできない悪足掻き。
けれど、それで変わることもある。
首に巻き付けていた
身体を捻った勢いを利用して、右の翼を思いっきりスカーフに叩き付けた。
広がった黒布が穴を覆い隠す。応急処置とも言えない雑に過ぎる対応。もしこの状態で羽ばたきでもしようものなら、簡単に外れてしまうだろう。
その間にもネメアタウロスが迫る。やはり俺を視界に捉えているようで。墜落する軌道を狙い、空中の俺を跳ね飛ばすことが狙いの位置取り。
……好都合だ。
圧倒的な巨躯が目の前に広がる。もう回避しようとしても間に合わない位置。
ならば、回避などしない。
俺の唯一の武器はスピードであり……そのスピードを制御するための感覚もまた武器だ。
どれだけ速く動けても、動きを制御できなければ障害物に激突して自爆する。そうなっていないのは、俺の感覚器官はその速度に対応することができているということ。
目を凝らして耳を澄ませ。あの巨体の突進なんて、俺の最高速度より遥かに遅い。恐怖を意思で抑えつけて、その向こうにあるものへ走れ!
ヤツの角が身体を串刺しにするその直前。俺は自分からヤツの攻撃に当たりに行った。
脚裏で角を掴むような挙動。けれど本当に掴むわけではない。
脚と角が触れそうになる。ビリビリと震える空気がその威力を物語っている。
だけど今はそれが必要だ。
ついに身体が激突する。脚先が僅かに触れ──
──今だ!!
感触が伝わるか伝わらないかといった瞬きほどのタイミング。それを狙って、全力で後ろへ飛んだ。
羽ばたきと、跳躍。突進の威力を全て推進力に変換する。
ハリボテの翼を風を受ける帆に、細い脚を衝撃を吸収するバネに。
土壇場での賭け。一歩間違えば即死亡の大博打。
その結果として……俺は、今までにないスピードで宙を吹き飛んでいる。
ダメージはあった。右脚が明らかに折れ曲がっている。とてもではないがまともに使えないだろう。
身体に伝わった衝撃も無視できない。あちこちの傷が開いて再出血し、口からも赤い液体が零れ落ちた。
所詮はアドリブの悪足掻き、俺に剣の勇者のような、世界を救えるほどの力はない。ならばこの結果も当然のことだ。
だけど、死んでいない。
五体満足で、俺は生きている。
まだ繋げる、救う意思は燃えている。この胸の炎は消えていない!
そして……届いた。
高々と打ち上げられた身体。今までにない高度から見える景色にソレが見えた。
この戦いが始まった時から、あるいは前世の最期から求めていたもの、希望の光。
頂点まで達した
眼下、木々の中をネメアタウロスが駆けている。しつこいことに、俺を見失ってはいなかったらしい。
ヤツの身体が膨らむ。もはや見慣れ、聞き慣れた
身体が、脳が揺れる。一拍置いて、音が一切聞こえなくなった。ここまで来てついに鼓膜が破れたらしい。
つまり
生い茂る葉を突き抜け、狙い通りの場所に身体が落ちる。高さは一〇メートルほどだろうか。大木の幹から飛び出した足場に、片足で無理矢理掴まった。
『─────!!』
少し遅れてネメアタウロスが追い付く。木に掴まった俺を見付けるや否や、血走った目で突っ込んで来た。
叫び声を上げているようだが、生憎と今の俺には聞こえない。どうせ代わり映えもしないただの咆哮だろうが。
逃げ場はなく、移動手段も絶たれた。俺は何か行動を起こすこともなく、突っ込んで来るその巨躯をただ見つめる。
そして、ネメアタウロスが木に激突した。
満身創痍、敵は健在、逃走は不可能。
どうしようもない。詰みの状況だ。
盛大に鳴り響く破砕音。今まで薙ぎ倒してきた木達と同じく、今掴まっていた木も根元からへし折られ──
そう、詰みだ……お前にとっての、な!!
──枯れた大木が、文字通りにその全身を砕かれ粉微塵に崩壊した。
逃げ切ることも、時間を稼ぐことも難しいのは最初からわかってたんだ……なら、あとはぶっ倒すしかないだろうが!
俺が逃げ回ってたのはレイ達から距離を取るためじゃない。この場所を目指していたからだ。
岩山のすぐ近く。周囲に青々とした木々が広がる中、一本だけぽつんと佇んだ大きな枯れ木。
何故枯れているのか、ここに何があるかを俺は知っている。
やることは何も変わらねえ。エクスカリバー、グングニル……俺に倒す力がねえんなら、外付けで攻撃力を持ってくる! それが知性ってもんだ、クソモンスター!!
亀裂が走り崩壊した大木から、掴まっていた足場が……幹に突き刺さっていたその装備が解放される。
大木という名の鞘から解き放たれたのは、黒と赤のコントラストに彩られた短剣、
昼間、岩山の上から落としてしまった装備。こいつを求めてここまで来た!
片足で針を握りしめる。以前とは違い、進化した脚はしっかりとそのグリップを捉えて離すことはない。
そもそもこいつがこんな場所に突き刺さっていたのは重すぎて扱えなかったからだが、今は問題ない。
何せ持ち上げる必要がない。こいつが落ちるのに合わせて、微妙な軌道調整をすればいいだけだ。
眼下、遠く離れた地面に見えるのは突進後の体勢で硬直したネメアタウロス。位置取りは好都合なことに俺の真下。
なあ、ボスモンスターさんよ。確かにてめえは強いんだろう。だけど所詮は
そんなヤツが
虎の威を借る狐ならぬ、勇者の威を借る蝙蝠だ。借り物の力、存分に味わえ……!
破れた翼に、それでもありったけの力を込めて……弾丸のように、己の身体を真下へと射出した。
──彼我の距離、一〇メートル。
空気を切り裂いて身体が落ちる。重力という助力を得た羽ばたきは、今までにない速度を叩き出した。非力な身に速度と質量、二つの力を加えた攻撃でヤツの鎧を貫かんと加速する。
──九。
体力的にこれが最後のチャンスだろう。この攻撃に失敗すれば、もう動くことすら困難になるという確信がある。
──八。
だからこそ、この攻撃を外すわけにはいかない。狙いは頭。僅かでいい、攻撃を急所に当てることだけ考えろ。
──七。
ヤツがこちらを見ている。もはやその場から動くことも、
──六。
その答えは迎撃。大きく身体を動かせないまでも、首を捻ることで鋭い角の照準をこちらに合わせるカウンターの動き。
──五。
片方しかない目が俺を映している。この僅かな距離では大きな軌道の変更はできない。ヤツが捉えるか俺が躱すか、確率は五分五分と言ったところか。
──四。
だから俺は、最後の力を振り絞って全力全開の《黒霧》を撒き散らした。
──三。
僅かに残っていた力、その全てを代償にして一面を黒が塗りつぶす。霧に包まれたヤツの目が俺を見失う。ここまで連れて来るためにあえて使わなかった《黒霧》。アレスからの逃走で、これは捕捉されていても有効だと学んでいる。正真正銘、俺の最後の手札。
──二。
突如目の前を覆い隠した霧に、反射的に硬直してしまったネメアタウロス。もはやその目は何も映していない。
──一。
突き出された角を掻い潜り、完全に懐に潜り込む。もう身体に力が入らない、全ての感覚が飛んで、自分がどういう状態なのかもわからない。だけどもう、そんなことは関係なかった。脚先の感覚だけはしっかり感じる。重力に導かれるまま、吸い込まれるように飛び込んで。
──ゼロ。
英雄すら殺す蠍の尾が、赤く染まる左目に深々と突き刺さった。
『───────!!!!!!』
ビリビリと空気が震える。音は聞こえないが、ネメアタウロスが叫んでいることだけはわかった。
ヤツの身体に突き立った短剣を支点に、身体がめちゃくちゃに振り回される。それでもガチガチに固まった脚から力は抜けず、短剣は離れない。
ついには、短剣自体が勢いのままに傷口からすっぽ抜けた。まるで俺の方が付属物になってしまったかのように、身体が短剣ごと放り出される。
地面に落ちる。それなりの勢いで叩きつけられたというのに、もはや痛みどころか衝撃すら感じない、どこか夢のような感覚に包まれている。
だけど横倒しになった視界の先、そこに見えるのはネメアタウロスの巨体が沈む光景。
……ああ、良かった。
今度こそ、俺は間に合ったんだな。
気が緩んだ瞬間に意識が遠くなり、視界が黒く染まっていく。
だけど確かな充足感に包まれて、俺はそのまま目を閉じた。
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