阿子(2)
薫子さまとはじめてお会いしたのは文芸部の部室でありました。女子中学部の紺色の制服をぴしっと着た新入生たちが横に並びます。薫子さまは部室でゆいいつ椅子に座っておりました。ほかの上級生の部員たちは立ちっぱなしだというのに。薫子さまはそばの机に両方の腕で頬杖をついていた。なんときれいなひとがいるんだ、と自分も女なくせにどぎまぎした。
新入生五人はきれいに横並びで、女ですのに兵隊さんみたいに、順番に素早く、名前と所属のクラス名を名乗ります。
わたくしは並びの関係で二番でした。前のかたはだいぶもたついていたのですが、わたくしはこのあたりはなぜか器用にこなす能力がありました。……当時から。阿子は本番に強いのね、などと嬉しそうだった母の笑顔はいまはもううすぼんやりとぼやけてしまっております。
あのかたが、わたくしに、はじめてかけた言葉。……それは、わたくしの名前。
「あこ?」
前のかたのときにはなにもおっしゃらなかった先輩、しかも部長さんが楽しそうに片眉を上げますので、わたくしはむしろなにか粗相を致したかと心配になります。
「あこさん。漢字は、なんと書きますの?」
「漢字、あ、えっと。漢字。あっ、その、あの。阿……阿、って、」
そういえば私の阿ってどういう意味の字なんだろう。
おろおろするわたくし。薫子さまは机の上のメモ用紙をびりりと破り、手渡してくださいます。
「……ぁ、すみません……私……」
すると薫子さまはにっこりと笑うのです。……それが世間という舞台のための演技の技術のひとつであると、わたくしが気がつくのは、よっぽどあとのことでございます。
「よろしくてよ。それより。教えてくださらない?」
わたくしはその紙にわたくしの名前を書きます……。
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