未来とコロのはじめての夜(3) そして、光と成る
この部屋はただ豆電球の光があるだけで薄ぼんやりと暗いのは変わらないのに、少女は、光を見ていた。そこにあるのは、目では感じることができなくとも、心では、わかるの、煌々と輝く光であった。あるいはずっとこのひとは光だったのだなと少女は、感じていた、――感じていたので思考ではない。そういったレベルの話では、ない。少女は、ただ、感じていた。
ずっときもちわるかった手袋を嵌められた手で。使用人のおばさんに手ではなく前足と言われてその意味がわかってしまうほどには聡いから、涙を飲み込んで唇をぎゅっと噛んでうつむいていた。けれどいまこうしてこの手を床につけるのは少女にとって屈辱ではなかった。むしろそうするべきと自然に思ったし、自然と、そうしていた。いまここで立ち上がったりするのは、ちがう、と。
少女が四つん這いでケージの外に出ると、そこには、幼くも優しい主人が彼女を待ち構えていた。おいで、と言って、両手を広げていた。少女よりも少年は若干小柄であるのに、少女にとっていま、その少年の未熟な胸部は大海よりもひろかった。
いいのですか、と、少女は言葉ではなく目線だけで問う。いいよ、と少年もまた、言葉にせずとも愛おしそうに目を細めて、うなずいた。
少女は、
子犬は、
――コロと名づけられたペット、
少年の愛犬は、
主人の胸に、飛び込んだ。
未来の胸にしがみつくその手はあまりにも力がこもっていて、未来の柔らかなパジャマを縦の筋として引っ掻いていく。未来はそんなコロの背中を、優しく、さすってやる。……おそらくどちらもほとんど本能的に。
「……うっ、うっ、うあ、うあ、うああああ……あう、あうう、コロね、コロ」
「うん」
「こ、コロね、コロはね、おしゃべりしたいの、コロが思ってることね、ぜんぶね、しゃべりたいの」
「うん。そうだよねえ、コロ」
「でも、でもね、しゃべれないから。しゃべるとぶたれるから」
「うん」
「痛いから、しゃべれないの。……このまま一生しゃべれないのかも。……あう。あのね、……未来さま」
「なに?」
「こーこ……うぅ、あぅ、ちがうの、コロがね、コロが悪い子だから、こうなっちゃった?」
未来は深刻そうな顔つきになってコロの背中をなでる手を止めた。
「一生のお願いって、未来さまにすればいい?」
「僕にかなえられるかなあ」
「ほかにするひといない」
「どんな願いなの?」
「……コロが良い子になれますように、って。わたしが」
コロは、泣き笑いを、した。
「……わたしが悪い子だからみんなが南の島に行っちゃうんだ」
「南の島?」
「うん」
「楽しそうじゃん」
「でもコロは行っちゃだめなんだもん」
「なんで?」
「……悪い子、だから」
意味としてはけっきょくはおなじことを言っている。未来はそれ以上のことはわからなかった。けど、だけど、いいだろう。未来はコロの背中をふたたび撫でさすりながら、なんだかこの子が来てくれてよかったなあとしみじみ思っていた。
僕の、かわいい、ペット。
コロの身体は未来の膝の上ですこしずつ弛緩していく。
「……コロは、悪い子じゃ、ないよ」
返事はなかった。代わりにコロは、ぎゅ、と自由の利かない前足で、未来のパジャマの膝のあたりを、強く強く、握った。
「コロは、とても、良い子だよー……」
コロは目を見開いた。そこに、戻った。
きゅっ、と。
「……わん。……えへ」
ふざけてみせちゃったりなんかして、すこし、笑った。
間違いない。問題ない。なにも怖いことはない。
東雲公子は、その名を棄てて、天王寺未来の飼い犬と成った。
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