犬のしつけはどうしたらいいの
「怒られちゃった」
ダイニングルームにひとり戻って来られた未来さまは、しゅんと肩を落としておりました。コロは歩行訓練の休憩中でぐったりと伏しておりましたが、短い距離をとぼとぼと歩く未来さまをその動きに合わせて瞳だけで追いかけておりました。……ずいぶん犬らしいふるまいをするようになった。ある程度はこの犬としてふるまえることさえも、人間としての本能であるのか。
ダイニングテーブルのまわりのよっつのダイニングチェア。まるで一般家庭のごとくです。未来さまの定位置はわたくしの隣です。壁がわであり、おもちゃ箱やプレイングマットや、またランニングマシンわダイニングルーム用のコロの檻とももっとも近い位置。余裕のある配置にしているのです。ほんらいならばわたくしがいちばん下座に座るべきですが、まあわたくしはこれでいてひそかにボディーガードでもありますのでねえ、それこそもっとも襲撃に備えやすいという意味で、自分自身の定位置をここに設定しております。
未来さまは定位置のダイニングチェアによじのぼりまして、よいしょ、などとおばあさんのごとくわざとらしく口にしました。……まあわたくしと過ごす時間は未来さまは長いですから。薫子さまよりも旦那さまよりも良子さまよりも美加登さまよりも、ずっと、未来さまはわたくしと長く時間を共有されている。天王寺の血の正統な受け継ぎ候補。
わたくしはそんな運命的な子どもがその運命性の根拠でもあるあの御方、この子にとっては祖母であるあの御方にどうやらきつく叱られ、机に両腕を伏せて拗ねている、そんなさまを目の前にして、なにげないふうに問うのです。まるでどこにでもある一般家庭の風景のように。
「怒られましたか、坊っちゃん」
「怒られたよ。怒られたもん」
「まあ。なんて」
「コロをもっとちゃんと厳しくしつけてあげなきゃいけないんだって……。僕がコロをだめにしてるって言われた」
ここであえてわたくしはコロを見ることはしない――だがいまコロが話を聴いて理解していたのだとすれば、びくりと身体を震わせたことだろう、――見ずともわかる。
「あらあら。そうなのですね。でもそうですねえ」
「……飯野おばさんも、そう思う? 僕がコロをだめにしてるって思う?」
「ええ、ああいえいえ、坊っちゃんはよくがんばってコロをしつけてると思いますよ。コロも坊っちゃんにはすこしなついているでしょう。わたくしなんか鬼ばばと思って近よりもしないのですよあの子。……ただねえ、犬っていうのは、言ってもわからないのですよ、ねえ坊っちゃん。坊っちゃんは人間の子ですからこうやってお話をすればわかりますね?」
未来さまは神妙な顔でわかったふうにうんうんとうなずいている。
「でも犬っていうのはそうではない。弱く、人間ほど頭がよくないのですよ。だからいまのうちにすこし厳しくしつけてあげないと、かえってね、コロがかわいそうなのでございますよ」
「……でも、厳しくしつけると、コロ、つらいよね」
「そうでしょうね」
「だってコロ、歩く練習が終わると、いつもぐったりしてるの。僕がお部屋に連れてってあげてもふらふらだよ。もっときつくするの?」
「そうですね。そうしたほうがよござんしょ。それにしつけとはなにも歩かせるだけじゃないですよ。わがままを言ったらだめと言って叩いて教えてあげることも、しつけです。なんでもよい、ではいけませんよ」
「……叩かれるとね、痛いんだよ。それが、コロのためになるの? なんで?」
「……犬とはね。そういう生きものですからしてね。坊っちゃん。おばあさまとよくよく約束できたのですよね? コロをもっとよくしつける、と」
「……うん。そうでなきゃコロ、川に捨てちゃうって」
「未来さまが、コロをちゃんとしつけられなければ、コロが段ボールに詰められて川に置き去りになってしまうのですよ」
未来さまは、どこかつらそうに顔を伏せました。そのまましばしの時間が経つ。未来さまは、がばっと顔を上げました。なにかをとても決意したとでも言いたげな顔で。
「ねえ、飯野おばさん、教えてよ。コロを厳しくしつけるって、どうすればいいのか、教えて」
若干四歳にして、――具体的解決策を訊いてくる。厳しくとかしっかりとかいう抽象概念には、騙されない。
……このようにすくすくとお孫さまが成長されていること、貴女さまは嬉しいのでしょう、……だからこそ試し続けるのですね。
子犬だけではなく、自身の孫にも、なんのためらいもなく呪いをかけ続けるのですね。
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