飼い犬の面倒な手続き
コロが天王寺家に来てから七日間が経った。わたくしはこのごろ飛び回る忙しさです。ふだんは炊事に掃除に編み物くらいしかやることもございませんが、これでもまあわたくし天王寺家の使用人頭にして薫子さまのもっともよく動くお指の一本でございます、忙しいときには、忙しいのだ。
なぜかというとまあコロ、というより東雲公子の諸々の作業がありまして。まず母親の失踪を書類上も確立させねばいけませんし、養子として迎え入れるさいの特別縁組もまあまた厄介なものでございます。とはいえ。薫子さまは外面はとてもクリーンですし申し分ない。財力など足りぬわけもない。ましてや事情が事情です。住み込みの女性の子どもが置いて行かれた、という。そしてこういったときこそ薫子さまは旦那さまに出てきてもらうことでしょう。あの奇人の旦那さまに。いまはどの国で過ごされてらっしゃるのだっけか。グアムか、スペインか、カナダか、まあそれほどまでに統一性のない御仁でありますから。
いまのこの状態は、公子の母親、東雲ひろを捜索しているあいだ預かっているというていで問題ないですし、のちに問題となることもないとわたくしは踏んでおります。天王寺家はきちんと東雲ひろの捜索願も出すよう手配しました。身内の見当たらない女です。むしろ雇用主がそこまでするというのは、天下の天王寺家のイメージ向上にさえもつながるでしょう、……わたくしはじっさいそのあたりはどうでもいいっちゃどうでもいいのですが。ただまあ薫子さまは外面のイメージが上がれば上がるほど悦ばれるから、そういう意味ではよかったのではないかしらね。
だからつまりして、書類上とか法律上とか、そういったもろもろは今回もわたくし経験など生かしまして切り抜けてみせますよということです。まさか五十を過ぎてこう難題が来るとは思わなかったですけどね。薫子さまの御傍にいる以上、予想外なんて言葉は御法度なのだ。天高いあの御方の考えることがわたくしども俗人に予測できるわけもない。
だから、それはどうにかいたしますが。
……もっとも難しい問題は、書類上でも法律上でもない。
公子にいかに道理を呑み込ませるか。
養子に取る取らないにかかわらず、あの子はすでに東雲ひろの長女東雲公子として戸籍が存在するのですから、公的機関が無視を続けるわけはないのです。もちろんそれぞれのお役所や役人によって対処法はていねいだったりまたずさんだったりするでしょう。けれどもそういった話ではない。公子の存在は公的機関においてはきちんと人間でなければいけない。
すべては、薫子さまがそう望まれるから。いまさら拉致監禁事件などあのひとは望んでやしないのです。いえ、あまり大きな声では言えませんが、拉致監禁あるいはそれに準ずるご遊戯でしたら、あのかたはお若いことにもう飽きるほどやってきた。わたくしはそのお手伝いもさんざんしてきました。わたくしは大柄でかつ柔道の心得がありますし、他人の惨めなすがたなど見てもなんとも思わなかったので、脅しとして写真や音声を取ってくることなど容易でした。
だからこそ、その次のお話なのですよ。これは。
プレイではない。事件でもない。いっときの夢でもなければ苦痛でもない。
泡沫のごとき畜生への変身譚ではなく、人間を犬と成すことを、あのかたはほんとうに望まれているのだ。
……だから、公子は、お外ではちゃんと人間でいなければならない。
わたくしはきょうも深夜のひっそりとしたダイニングテーブルでひとり、そっと頭を抱える。
……なんど考えても、難しい、やはりこれは。あの子にしていることは人間レベルで考えればまごうことなき虐待だ、すでに。センセーショナルすぎてよいネタとなるのでしょう、露見すればわたくしはああいかに醜い変態犯罪者としてテレビも週刊誌も嘲笑いそして本気でぞっとおそれることか。いえじっさいランニングマシンの躾など考えたのは薫子さまですけれどもね。首輪ひっかけてえんえん四足歩行させるとかね、あのかたはどうすればそういう発想に行きつくのだろうか、ほんとうに……。
公子が外の人間にぽろりとそんなこと言ったらこのお遊びもわたくしの社会生命もお終いなのだ。
「……あと一年……」
わたくしのしゃがれ声がひとりごととして響く。
公子は今年五歳になる歳。来年もまだ未就学です。養子に迎えるタイミングにもよるが、最悪であの子が小学校に上がるときまでにはどうにかあの子の心をもコントロールしておかねばならない。あの子は、小学校には、行かせる。……これはプレイでも事件でもない。公子にとっては単なる生活だ。そして、薫子さまにとってのご遊戯だ。
まだ、一年あるというのは、あまりにも楽観的。
地獄に突き落とされて絶望したあの子に、地獄こそがおまえの生き場所だと無理なく教え込むには、どうしたらいいのやら。
「……無理、あるわねえ」
わずか苦笑したわたくしのひとりごとは、至極、当たり前のこと。
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