非情だが、これが現実

「……え……? な……何があったの……?」


 刹那に交わされた攻撃とその結果を目の当たりにして、マリーシェが呆気にとられた声を上げた。

 恐らくはカミーラの放った剣閃を、目で追う事が出来なかったのだろう。


「……東国に伝わる剣術の奥義……『居合』だ」


「……いあい……やて……?」


 俺が種明かしを口にし、サリシュがその言葉を復唱した。

 俺もハッキリと見えた訳じゃあない。

 いや……全く見えなかった。

 でも、何をしたかは分かっていた。

 それは、あの攻防で何処を見ていたかと言う違いに他ならなかった。


 俺は東国に行った事があると言う経験上、「居合」と言う技の存在を知っていた。

 そしてその技の姿も。

 どの様な技法が使われるのか知っていれば、見つめる先も違うと言うものだ。

 全体を俯瞰して見ていたマリーシェ達と、ただ彼女の剣を持つ手だけに神経を集中していた俺とで、見解が分かれるのも当然の事だった。それに……。


 専心一意……これは東国の言葉で、全ての神経を一つに集中しろと言う意味だ。

 そして「居合」とは、極限まで高めた集中力を以て驚くべき速度で剣を抜き、相手を斬り、再び鞘へと戻す。

 その一連の流れが一つの技であり、その使い手は神速の剣技を可能とするのだ。

 勿論、誰にでも出来る訳では無い。

 実際、彼女の居合を目の当たりにした俺も、驚きを隠せないでいた。

「居合の型」はそれを知っていれば出来る者も少なくないだろうが、その練度は高い技術と日々の訓練、そして類稀なる才能に依るところが大きい。

 俺も以前、居合の達人と言われる者と立ち会った事がある。

 その様な者たちと比べればカミーラの技術はまだまだ低いんだけど、それでも今のレベルからすれば強力な技と言わざるを得ない。


「……ふぅ―――」


 大きく息を吐いて力を抜いたカミーラが、こちらに歩み寄りながら俺に微笑みかける。


「良く“専心一意”などと言う言葉をご存知でしたね。それに私の振るった技が『居合』などと、一体何処で知ったのですか?」


 確かに、彼女の疑問はもっともだ。

 普通に冒険をしていても、東国に行く機会があるかどうかも疑わしい。

 それに、東国の文化はこちらに余り知られていない。

 この大陸で過ごす者なら、東国の文化に触れる機会は殆どないんだからな。

 俺もカミーラの戦いに集中するあまり、うっかり口を滑らせてしまったんだ。


「以前、家にあった書物で読んだんだ。親父が、異国の書物好きでな」


 俺は、咄嗟に考えた言葉をカミーラに伝えた。

 うん、我ながら中々良い言い訳だと、俺は自分の口を自賛していた。

 彼女もその答えで取りあえず納得したのか、「なるほど」と呟いて笑みを浮かべている。

 マリーシェ達は多分俺をどこかの富豪のボンボンだと思っているだろうし、今はその考えの方が俺も都合が良かったからその話を助長させる発言をしたんだが。


「それよりもカミーラ、マリーシェにサリシュも。早速、捕まっている人達を解放するんだ」


 もっとも、このままこの話題を続けられると、いつかどこかでボロが出る。

 俺は意識を逸らすと言う意味合いも込めて、そう彼女達に提案したんだ。

 まぁ、これこそが本当の目的なんだから、嘘は言ってないよな。

 俺の言葉に、当初の目的を思い出したカミーラとマリーシェ、サリシュがハッとした表情を浮かべる。


「多分あそこから先に進んだ場所に、捕らわれている人達が閉じ込められていると思う。行ってみよう」


 俺は玉座の横に設けられている、先へと続く細い通路を指差しそう提案した。

 恐らくだけどあの先には捕まった人達だけじゃなく、バドシュが隠し持っている財宝も置かれている筈だ。

 こういう三下の悪党は、自分のすぐ近くに“財宝”を置いておきたいものだからな。


 俺は先頭に立って、玉座の裏手に続く様に延びた通路を進んだ。

 この先には、恐らくだが待ち伏せや罠は用意されていない。

 まさか自分が敗れると思っていない者が、自分だけが入れる所に待ち伏せとは言え他人を配置したり、自分に襲い掛かる罠を仕掛ける筈もないからな。

 案の定何の障害も無く、俺達は攫って来た者達を閉じ込めている小部屋へ辿り着いた。


 ―――……だが、その状況は俺が想像していた通りだった。




「ア……アヤメ―――ッ!」


 探し人を見つけたカミーラの慟哭が周囲に響き渡る……。

 その周辺には、カミーラが探していたアヤメ以外にも数人の少女が横たわっていたが、どれもアヤメと同じ様にひどい有様だった。

 鼻を衝く悪臭漂うその部屋で、彼女達は一様にボロボロの衣服を身に付けていた。

 しかしそれは衣料とは名ばかり……殆ど体を隠せておらず、何をされたのか如実に物語っている。

 中には酷い暴行を受け、手当てもほとんどされていない少女もいた。

 それを目の当たりにしたマリーシェ達は驚きと動揺、恐怖と困惑の為に顔を蒼ざめたまま立ち尽くし声も出せないでいたんだ。

 俺は静かに小部屋へと入り、少女達一人一人に床へ無造作に置かれている布を掛けてその安否を確認した。

 それと同時に「魔法袋」から人数分のポーションを取りだし、傷口に掛けて飲ませたりもしてやった。

 幸いだったのは酷い状態とは言え、誰も命に別状はない事だった。


 ……もっとも彼女達にしてみれば、命を失っていた方が良かったのかもしれない。今後の人生を考えれば……な。


 だが俺達が此処に来たのは、彼女達を死なせる為じゃない。

 兎に角、生き永らえさせる。

 その後の判断は、彼女達個人に任せるしかない。

 俺は、少女達の介抱をマリーシェ達に任せてその小部屋を出た。

 そして、すぐ隣の部屋へと踏み入る。


 そこは、少女達が閉じ込められていた小部屋とは打って変わって煌びやかな、とても豪奢な部屋だった。

 一目でそこが、バドシュの個室だと俺には分かった。

 俺はザっと一通り部屋を見回し、目についた高価な品々を次々と魔法袋に突っ込んだ。

 手際よく目ぼしい物に当たりを付けて回収出来たのは、残念ながら以前の冒険で得た経験によるものだった。

 それを実感してしまい、そんな場合では無いと思ってはいても、俺の口元に苦笑が浮かび上がるのを抑える事は出来なかった。

 早々にバドシュの部屋を後にした俺は“最後の一仕事”をする為に、再びバドシュが倒れているだろう広間へと足を向けたのだった……。




「く……くそがっ! 俺様を……舐めやがって……っ!」


 思った通り、既に息を吹き返していたバドシュが、俺達の進んだ通路とは反対側に設けてあった隠し通路から逃走を図っていた。

 カミーラから受けた攻撃は余程のダメージだったのか、バドシュはもつれる足を引き摺って壁に手を付きながら進んでいる。

 その姿は、正しく尻尾を巻く負け犬だった。


「……だが……俺はこんな処で終わらねぇ! ……商品なんていくらでもいるんだ! 傷を治して、いずれは復活してやるぜ!」


 周囲に恨み辛みと言う毒を撒き散らし、それでもこの場から逃げる為に足を止めないバドシュ。


「……って事は、お前を放っておいたら、これからもあんな悲劇を撒き散らす。つまりは害虫って事だな……?」


 這う這うの体で逃げに徹しているバドシュの背後から、気配を隠して近づいた俺が奴の耳元でそう囁きかけた。


「なっ!? ……グフゥッ!」


 驚きの余り振り向こうとしたバドシュは、次の瞬間口から血泡を吐いてそう唸った。

 腹には、俺が背中から突き刺した剣先が顔を覗かせている。


「お……おま……さっきの……」


 肩越しに俺を見るバドシュに、俺は何の感情も抱かず視線を向けていた。

 奴の目には、俺はきっと死神か何かに映っていたに違いない。

 何故ならバドシュの目はこれ以上ないほど怯えを湛え、その表情は驚愕そのものだったんだからな。

 俺は奴の問いかけに答えず、すぐさま剣を引き抜いた。

 支えを失ったバドシュは、いともあっさりとその場へと倒れ込んだんだ。

 そしてその場には夥しい量の血が、まるで池の様になって広がって行った。


「……お前のやってる事に是も非も無い。ただお前に運が無かったのは、お前の行動が俺の仲間に悲しみを与えたって事だ……」


 まるで陸に打ち上げられた魚の様にパクパクと口を開閉していたバドシュだったが、それも束の間の事ですぐに動かなくなった。

 その目には涙が浮かんでいる。

 こんな外道でも、痛みを感じれば死への恐怖もある様だった。

 ……もっとも、もしも助命を懇願されても俺は許さなかったけどな。




 バドシュの絶命を確信したその時、不意に後方の広間に覚えのある気配を感じた。

 多分この感じは……カミーラだろう。


「バドシュッ! 何処へ行った!」


 その考えを肯定する様に、彼女の怒りが籠った叫びが耳に飛び込んでくる。

 自身の親しい者があんな目に合わされたんだ。

 心中に荒れ狂う憎悪は如何ほどのものか……想像に難くないな。


 それは……バドシュを殺しても収まらない程に。


 でも、そんな怒りに彼女を呑み込まれさせてしまう訳にはいかない。

 だからこそ俺は、先んじて奴を処理したんだからな。


「……アレク殿。そなたは……」


 通路から出て来た俺を見て、彼女はやや驚いた声を零した。

 よもや、隠し通路から俺が出てくるなど、思いも依らなかったんだろう。


「……バドシュならいないぜ。とっとと逃げちまったのかもしれないな」


 カミーラが何かを言う前に、俺が先に言葉を投げかけた。

 本当ならこう言われてしまうと、次に取る行動の選択肢は2つしかない。

 つまり……いったん諦めるか、それとも追おうとするか……なんだが。


「アレク……そなた。血の匂いが……」


 だけど、カミーラは全く別の反応をして見せたんだ。

 まいったな……。俺たちの年代で、これほど塩と汗と血の臭いが混在する場所で、俺の剣に付いた鮮血の臭いをかぎ分けるなんて……誤算だった。


 俺は彼女の能力の高さに舌を巻きつつも、そんな素振りなどおくびも出さずにカミーラへ話しかけたんだ。

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