15年前の記録
驚愕の真実を知った俺は、目の前で酷薄な笑みを浮かべて選択を迫るフィーナに何も言えず、声も出せず、身動ぎ一つ出来ないでいたんだ。
特にショックだったのは、長く行動を共にして来た俺に対して、グローイヤにシラヌス、スークァヌやヨウ・ムージは何も感じていなかったと言う事だった。
人同士が長い時間接すれば、何らかの「情」が湧いても不思議じゃあない。
俺だって、こいつ等と同行していた理由は不純だが、それでも少なからず繋がりの様なものは感じていたんだ。
そしてそんな結びつきを感じてしまったら、そう簡単に「切る」と言う選択など取れなくなる筈だ。……普通の人ならな。
しかし、そんな気持ちを感じていたのはどうやら俺だけだったらしい。
それが尚更、俺の動揺に拍車をかけていたんだ。
奴らが俺に記録をしないと決めた瞬間の顔を、俺は一生忘れられないだろう。
苦渋の決断でも無ければ。
怒りや憎しみと言った感情でも無い。
悲しみを浮かべているものは誰一人居らず。
路傍の石かゴミでも見るような……感情の籠らない瞳。
ああ……人って、こんな顔が出来るんだなぁ……と、30年生きて来て漸く気付いた。
そんなある意味で人の持つ「闇」を垣間見てしまうと、その衝撃は恐怖や苦しみの比じゃあない。
「ねぇ……アレックス。あんた、いい加減にしてよね」
そんな、見ようによっては悲劇に見舞われた人物に対して、此処の管理者であり女神の一柱でもあるフィーナは全く容赦がない。
「私だって、暇……は暇で良い暇つぶしにはなったけど、いつまでもあんたに構ってる訳にはいかないの。あんたの悲惨な……と言うより、面白かった過去になんか興味ないのよ。……まぁ? ちょっと? ウケたけど?」
その口ぶりは、完全に俺の事を馬鹿にしているそれだった。
でもまぁ……女神さまに蔑まれても、それはそれで仕方ないよな。
俺には……人を見る眼が無かった。
そして……俺自身に確固たる目的が無かった。
その結果が……このざまなんだから。
そして、そんな思考に耽っていた結果が、思わぬ効果を齎す。
「あ……あんた、今の言葉を聞いて、何で笑ってるの!? きっ持ち悪い……」
自嘲気味に笑みを浮かべていた俺を見て、フィーナは慄き仰け反って驚きを露わにしている。
それにより、ピーチクパーチクと五月蠅かったフィーナの言葉を遮る事が出来たんだが……怪我の功名って奴かな?
更に、訪れたその微妙な静寂のお蔭で、幾つかの疑問が頭に浮かんだんだ。
って事は、少しはさっきのショックから立ち直りつつあるって事かな? ……さすが、伊達に長くは生きてないか。
「……なぁ、フィーナ。幾つか質問があるんだけど……」
それでも、俺の声に精気は戻っておらず、どこか抑揚のない声音になってしまった。
その無機質な圧力に気圧されたのか、フィーナは更に身を捩り身構え。
「な……なに?」
探るような声で俺に反問して来たんだ。
いや、別に襲って食ったりしないから。そんなに警戒されると、違う意味でダメージが蓄積されちまう。
「まず、さっきあんたが言った『ラフィーネ』って誰なんだ? 何でこの世界での勇者について聞いた? それに、何故俺は記録なんかしていないのに15年前に戻ると言う選択が出来るんだ?」
俺はフィーナの態度にはお構いなく……と言うか、気に掛ける余裕なんて無かったんだが、兎に角頭に浮かんだ疑問を口にした。
そんな俺を見て、彼女は表情を改めて何かを考え込むかのように間を置き、そしてゆっくりと口を開いたんだ。
「そうね……。まずはラフィーネって言うのは、私の……妹分ってところかしら? 彼女も私と同じフェスティス様に創り出された……フェスティス様にお仕えする女神なんだけど……」
そこまで説明して、その先は少し言いづらいのだろう。彼女は言い淀んで口を閉じてしまった。
この世界に、女神が少なからず関与していると言う事実には正直驚いた。
なんせ短くない冒険者人生の中で、女神の存在を聞くのも初めての事だったんだ。
まぁもっとも。
こんな、ほとんど人が来ないだろう場所で管理人なんてしていれば、その存在が世間に知れる訳もないよな。
教会も主神を崇めてはいても、その下にいる女神までは祀っていないようだし。
更に驚きなのは、女神が一柱ではなく複数この世界に関与していると言う事実だ。
一体何柱の女神がこの世界に関わっているのか疑問も浮かんだが、今それを知ったところで意味はない。
「まぁ、その妹分に実質的な世界の調整を譲ったんだけど……。そうだ、アレックス。この世界で『記録』しようと考えた場合、どんな条件を熟さなければならないの?」
そう答えたフィーナは、逆に俺へと質問を投げ掛けて来たんだ。
でもそれは、何とも不思議な質問だと思った。
何故ならその「記録」と言う御業は彼女達の主神であるところの「女神フェスティス」が齎したとされるものであり、彼女達がその事について知らないとは考えられなかったからだ。
「……そうだな。なんせ、メチャクチャに高いお布施を『フェスティス教団』に納めないといけないな」
「高いお布施……? 金銭って事ね? それで? 高いってどれくらいなの?」
「う―――ん……。普通に暮らしている者には、到底払えないだろうな……。それこそ、一生が何度か買える額なんじゃないかな?」
俺も、その金額に詳しい訳じゃあなかったが、何となくのイメージでそう返答した。
それを聞いたフィーナは、「そう……」とだけ答えて更に考え込んだ。
しかしそれも、そう長い時間ではなく。
「……あ、ごめんなさい。それで、あなたが15年前に飛ばされるって話だけど……」
すぐに意識を俺に戻した彼女は、返答の続きを口にした。
もっとも、「勇者」に対するくだりが飛ばされていたんだが、そこは俺もスルーした。
今更「勇者」について聞いたところで、今の俺には関係ないからな。
「あんた、15年前にクリアしたクエストの報酬で、無料で『記録』されている事になっているのよ。覚えてない?」
その答えを聞いて、俺は絶句すると同時に深く考え込んでしまった。
と言っても、15年前と言えば駆け出しも駆け出しの冒険者。
見る事やる事全てが面白おかしく、事の有用無用に関わりなくクエストを受けてはクリアしてたからなぁ……。
あの頃は俺も……若かった。
「……覚えてないのね? ……今調べてみたら、時間の掛かるクエストの割に報酬が『記録』だけなんだから、誰もやりたがらないわよねぇ……。受けた事も忘れているケースが殆どみたいだし」
そこまで言われて、俺の記憶に引っ掛かったクエストがあった。
それは、教団から請け負ったクエスト。
レベルが低くてもクリアできるのは間違いないんだが、兎に角リアルラックが何度も要求されたのを今でも覚えている。それで、途中で投げ出した奴らがいた事も……。
ただそれ程面倒なクエストだったにも拘らず俺の記憶に残っていなかったのは……俺にとってそのクエストが、何ら苦にならなかったからだ。
―――まず、1年に1度訪れる月夜の晩に、ある浜辺で見つけなければいけない「月光石」の取得。……俺は、クエストを受けた翌日にゲットできた。
―――そして、漁師でも釣り上げる事が難しいとされる「希少魚」の入手。……俺は、釣りを開始して初めの1匹で捕まえた。
―――その他にも、見つけるのも稀なキノコやら、不定期に訪れる行商人など、凡そ普通に取り組めば数年かかりそうな案件を、俺は1週間程度でこなしたんだ。……しかも、他のクエストに取り組むその合間に……である。
その難易度を知ったのは、クエストをクリアしてから数年後だった。
そして俺にとっては多少手間だった程度だが、他の奴らにしてみればクリア不可能の超難関クエストだった様だ。
もっとも。
報酬が「記録」だけで、それも特別な儀式が行われる訳では無く事務的な処理に終わり、しかもその先の冒険に必須だとは思えないんじゃあ、忘れていても仕方がないよな。
駆け出しの若造ってのは、明日自分が死ぬかもしれない……なんて、考えもしない。
死ぬつもりがないからな。
だから記録に頼ると言う発想も湧かないし、利用しようとも考えない訳だ。
何よりも、ある程度冒険を進めて記録したいと思った処で、おいそれと出来るような事でも無いんだが。
「そうか―――……。あの時の記録って、まだいきてたんだなぁ……。それで、俺の転送される先が15年前か―――……」
漸く納得した俺の言葉を聞いて、フィーナはウンウンと頷きながら明るい顔になって俺に改めて問いかけて来たんだ。
「分かった様ね? じゃあ、15年前に転生するってことで良いかしら? まさか、このまま死にたいなんて言わないでしょうしね」
そう言って俺の返事も聞かず、手続きに入ろうとしたフィーナだったが。
「……だ」
俺の絞り出した声を聞いて、その手が……指が止まる。
「……え? 何? 何か言った?」
そして俺に、確認の言葉を投げ掛けて来た。
そんなフィーナに、俺はさっきよりも大きな声で……大きすぎる声で返事をしたんだ。
「嫌だっ! 嫌に決まってんだろっ!」
余りの俺の剣幕に、フィーナはぽかんと口を開けて呆気にとられたまま動きを止めてしまっていたんだ。
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