覚悟と準備

 奇襲に近い襲撃を受けた人攫い集団のアジトは、正しく蜂の巣を突いた様な有様だった。

 折角、外敵の侵入を阻む為に準備しておいたであろう罠の数々も、仕掛ける前に強襲されたのではその性能を発揮する事も無く捨て置かれるしかなかった。

 ……もっとも、それを計算に入れての、早朝のアジト襲撃作戦なんだけどな。


 マリーシェ達には内緒だが、勝手知ったる何とやら……。

 この街の地下に張り巡らされている情報を俺の持つ豊富な資金で収集して、人攫い集団について調べ上げた結果の判断だった。

 地獄の沙汰も金次第……相場よりもちょっと多く上積みしてやれば、そう時間が掛かる事無く、多くの情報を仕入れる事に成功したのだ。

 夜を活動の主としている集団であるらしく、逆に日中は人の動きが緩慢でアジトの守りは罠に依存する傾向にあると言う事だった。

 そして俺は、それを逆手に取った作戦を組み上げたんだ。

 活動と休息の僅かな隙間……そこを突く事で相手には余裕を持たせる事無く、常に主導権をこちらが握る事に今の処は成功していると言って良かった。

 逐次迎撃に飛び出して来る戦闘員は、先頭を自らの歩調で歩くカミーラが次々と行動不能に陥れて行く。

 襲い掛かって来る戦闘員のレベルは全て5から7であり、レベル10のカミーラに敵う訳もなかった。

 俺の指示通り、彼女は握った愛刀の刃先を逆に向けて全て峰打ちで敵を気絶させていった。

 技量に大きな隔たりがあるんだ、無理に殺傷する必要はない。


 ―――何も、無理矢理殺人者になる必要など無いからだ……。


 人の心理とはおかしなもので、どれだけモンスターを倒そうとも、どれ程レベルが上がった処で相手が人となれば途端に委縮してしまう。

 勿論、万人がそうとは言えないが、俺の知る限りでは殆どの人が「殺人」と言う行為に禁忌を抱いてしまう。

 そしてそれは、人として当たり前の心理だ。


 だがそう言った感情も、回数を重ねると来る。

 禁忌に対して、以前よりも畏怖を覚えなくなってくるのだ。

 今、カミーラに襲い掛かって来る男達も禁忌が緩み、罪を罪と感じない外道ばかりだ。

 そんな相手に、手加減なんてする必要は当然……無い。

 しかしそれまで人に手を掛けた事のない人間に、相手が非道だから殺せと言った処でそんな事がすぐに可能かと言えばそんな事は断じてない。

 どれほど腕に覚えのある人間であったとしても、やはり一瞬の躊躇を覚えてしまう可能性は決して低くないんだ。

 そしてその僅かな油断の先にあるものが、必ずしも「死」では無いと断言出来る者も居ないのは確かな事。

 それならば、無理に殺す必要はない。

 俺の出した指示は、正しくその事に重きを置いてのものだった。




「……一つ聞くけどなぁ。お前達、人を殺した事って……あるのか?」


「……へ?」


 昨晩、酒場での席。

 人攫い集団のアジトへ向かう事を検討しようと決めた直後、俺が放った質問を受けてその場にいたマリーシェ、サリシュ、カミーラは硬直した。


「な……なんでそんな事が関係あるのよ……? 今はそんな話じゃ……」


「関係あるんだよ」


 話を逸らそうとしたマリーシェの言葉を、俺は途中で遮った。

 明らかに語気の強くなった俺の声音に、マリーシェもサリシュさえ反論出来ないでいる。

 カミーラに至っては、先程から一向に口を開こうとしていなかった。

 ただ太腿の上に置かれた手が、強く握り込まれている。


「……相手は無法者だ。間違いなく、その手を悪事で染めているだろう。その中には、人を殺した事のある奴も一人や二人じゃない筈だ」


 ―――ゴクリ……。


 と、誰かが息を呑む音が聞こえる。

 さっきまではどこか気楽な雰囲気を湛えていた場が、俺の言葉で緊迫の度合いを増していたのだった。


「そういう輩は自分が死ぬか、相手が死ぬまで攻撃を仕掛けて来る。生半可な攻撃で相手を封じ込めても、相手はこちらの息の根を止めるまで諦めないだろう。今の俺達に、昼間現れた無法者達を無傷で抑え込むだけの力量は無い。どれだけ相手を確実に仕留めるかって事が重要になって来る。そして、仕留めるってのは……殺すって事だ」


 物語やお伽噺の世界じゃないんだ。

 相手が屈服して「参りましたぁ」で終わる様な、生易しい話じゃない。

 奴らも、冗談で人攫いなんて非合法な事をしている訳じゃない以上、必死でこちらに襲い掛かって来る。


 ―――誰からも返事は無かった……。


 つまり誰も人を殺した事のない、真っ白な手だと言う事だ。

 もっとも、それは俺も想定内だった。

 俺が彼女達のレベルだった頃、俺だって人に手を掛けた事なんてなかったからな。


 ふぅ―――……っと、一つ大きく息を吐く。

 それは彼女達がこの年齢、この容姿で人を殺した経験が無かった事への安堵のものだった。

 ……んだが、彼女達はそうは取らなかった様だ。


「あ……あんただって、人殺しの経験なんか無いでしょうっ!?」


 どこか馬鹿にされたとでも思ったのか、マリーシェが顔を真っ赤にしてそう反論して来た。


「……ある」


 その問いに、俺は真顔でそう答えた。

 顔を引きつらせるマリーシェ。

 息を呑むサリシュ。

 そして……こちらをまじまじと見つめるカミーラ。

 三者三様の反応を確認した俺は、用意していた言葉を繋げた。


「……な―――んて、ある訳ないだろ? 確認だよ、確認」


 おどけた言葉、弛んだ表情でそう言うと、彼女達はどこか安堵の溜息を吐いて脱力した。

 ただ彼女達の手前、そうは言ったけれど実際の処は……ある。


 俺には人を殺した経験があったんだ。

 ……勿論、前回の冒険での話だが。

 勇者だ何だと言われた所で今回の様な騒動に巻き込まれたり、言い掛かりを付けられたり果し合いに臨んだり、時にはクエストに「暗殺」が記されていたものもあった。

 レベルが上がれば、攻撃力も上がる。

 それは即ち、殺傷能力に優れると言う事だ。

 対する相手のレベルも低くなく、体力や防御力も跳ね上がる。

 到底、手加減出来る状況では無い事も少なくない。

 再びやり直す事となった今の俺の手は、恐らく真っ白だ。

 でも脳裏に刻まれた記憶では、俺が無垢な存在じゃないと告げている。

 今でも必要ならば……そして可能であったなら、躊躇なく実行する事が出来ると確信しているほどだった。


「……じゃあ、なんでこんな事を聞いたのよ?」


 落ち着きを取り戻したマリーシェが、呆れ顔でそう問いかけて来る。


 ―――な―――んだ、やっぱりあんたも同じじゃない。


 彼女の顔には、そう書いてあった。


「まず、心構えだな。どこか浮っついた気分を、一新させる必要があった。俺達がやろうとしてる事はかなり難度の高い事だって、しっかり認識しておかないといけないからな」


 その問いに、俺は“表の答え”で返した。

 ここから先は、俺は一般的常識論しか話さないつもりだ。

 無理矢理彼女達を、「引き返せない道」に引き摺り込む事は無いだろうからな。


「それから、俺達は人を殺した……斬った事のない奴ばかりなんだから、無理にそれを実践しようとは思わない。何でか分かるか?」


 俺はそう問いかけて、三人の顔を見回した。


「……経験の無いもんが無理したら……絶対隙が出来るからちゃうん……?」


 その問いに答えを出したのはサリシュだった。


「そう……経験のない場面に出くわすと、人は必ず動きが鈍る。そこを数で押されたら、俺達に勝ち目なんて無い。だったら最初から相手を殺さず、行動不能にする事を念頭に置いた方が良い」


「ふむ……確かに例え無法者だったとしても、同じ人間が手や足を斬られて転げまわる様を見れば、少なくない動揺が走るかもしれぬ……。ましてそれが、自身の手で傷つけたものであったなら尚更……か……」


 俺の説明を受けて、カミーラが顎に手を添えてそう独り言ちた。


 人の血を間近で見れば、慣れていなければ少なからず動揺する。

 そこを付け込まれれば、後悔する事の出来ない眠りに陥る事もあり得る。

 俺はカミーラの言葉に、頷いて答えた。


「でもさ―――? 相手を行動不能にって事は、気絶させたり手足の骨を折るくらいはしないとだよね―――? しかもこちらは無傷でさ? それって、よっぽど相手とレベル差が無いと無理なんじゃない?」


 そこでマリーシェが、先程俺が言った言葉を肯定する様に呟いた。


「それには俺に一案がある」


 俺がニヤリと笑って、マリーシェに返答した。

 彼女達はその内容に惹かれていたが、まずは目の前の食事を片付けて後で説明する事で納得してもらった。




 殆どの食事をサリシュと俺で片付け (マリーシェは飲み専で小食、カミーラは心配で食が進まなかった)、それから1時間後に3人は俺の部屋へと来てもらった。

 当初は昨日と同じセミダブルの部屋を取っていたんだが、今夜は色々な準備や説明を考えて同じ部屋で過ごす事にした。

 それにはセミダブルの部屋だと、流石に4人が入るには窮屈過ぎる。

 俺は部屋を5人部屋に変えて、準備を進めたんだ。

 俺の部屋に訪れた彼女達は、そこに並んだ物を見て目を輝かせて魅入っていた。

 俺がこの部屋に陳列した物、それは……彼女達に貸し与える装備の数々だった。


 マリーシェには鋼製チェストアーマー、ヘッドギア、アームガード、レガース、盾を用意した。

 材料に「赤の鉱石」が混ぜ込まれており、市場に出回っている鋼の鎧よりも遥かに軽く、強度も高い。

 昼間俺が使った武器「烈」のシリーズ品でもある。


 サリシュには魔術師のローブ、緋の腕輪、碧の首飾り、魔法のリングだ。

 防御力はそれほど高くないが魔法攻撃力、魔法浸透力、魔法発動力が大幅に向上される代物ばかりである。

 特に浸透力は状態異常耐性を打ち破る効果、発動力は発動スピードを向上させる効果がある。

 これらは敵を麻痺させたり眠らせるのに有効であり、乱戦でも即座に魔法を使用する手助けになる。


 そして、カミーラには倭甲冑「紅シリーズ」を一式。

 鮮やかな桃色の弦走つるはしりと胸板、真っ赤な大袖と草摺くさずりが美しい。

 やや赤黒い籠手、脛当も見事な色合いを醸し出している。

 だがこの甲冑は美しい色合いだけでなく、彼女のレベルで装備できる最高の防御力も持っているんだ。


 それぞれ、俺が以前に入手したはいいが、結局は使わずに売る事も無く魔法袋の肥やしとなっていた装備ばかりだった。

 だがそれも今は若く麗しい女性陣に装備され、今やこの部屋ではちょっとした品評会の様相を呈している。


「こ……これは……何と言う逸品……!」


「……へぇ―――……ごっつう魔力を感じるわ……」


「凄いっ! 綺麗っ! ねぇねぇ、これって貰って良いのっ!?」


 彼女達は大喜びしているが、俺にしてみればこれ等は今まで使わなかった言わばガラクタだ。


「ああ、今後はそれを装備して戦え」


 役に立つなら、これ以上の有効利用は無い。

 それにレベルが上がり冒険が進めば、いずれはもっと良い装備が手に入るはずだ。

 言ってしまえば、この装備も一時的なものに過ぎない。


「……それから、武器も用意しているんだ」


 俺は、クローゼットにしまっておいた武器を取りに移動した。


「……ねぇ……あんた、何者なの? こんなに沢山の防具、何処に用意してたのさ? そう言えばボラン洞窟でもあんた、不思議な事してたわよね? あれって……」


 だが流石に不思議と思ったのか、マリーシェがそう質問して来た。

 そりゃあ、これだけの装備を僅か1時間で揃えたんだ。

 疑問に思っても仕方ないよな―――……。


「……マリーシェ……それにサリシュとカミーラもだが。これ以上について詮索するなら、武器も防具も貸し与えるのは無しだ。今すぐ全て返してもらう事になるけど……どうする?」


 でもその事について詮索される事は、俺としては避けて欲しかった。

 ちょっとずるい口封じだけど、もししつこく聞いて来るなら俺は言った事を実行するつもりだった。

 僅かの間、この部屋を沈黙が支配する。

 でもそれは、本当にそう長い時間じゃなかった。


「……ウチは……アレクを信じるから……その事については聞かへん……」


 そう時間も掛けず、真っ先に口を開いたのはサリシュだった。


「あ……あたしだって、もう聞かないっ! ぜ―――ったい、聞かないからっ!」


 次いで、マリーシェも同意してくれた。


「私は……詳しい事など分からないが、聞かれたくないと言うのであればそれ以上の追及等しない事を約束する」


 昼間の騒動を知らないカミーラも、そう約束してくれた。




「魔法袋」についてはいずれ分かる事だし、今話しても問題ない様に俺も思う。

 ただ、冒険序盤から楽を覚えればきっと碌な事にはならない。

 今回は非常事態だし、それにそのレベル帯で最高の装備をする事は何も間違いじゃない。

 でも何でも楽に手に入る事を覚えれば、人はきっと堕落する。

 それに、これから渡す装飾品……アクセサリーに関しては、ハッキリ言って裏技中の裏技に違いはないんだ。


「よし。じゃあ、これから武器とアクセサリーを渡す。それから作戦と陣形も説明するから、よく聞いてくれ」


 三人の承諾を得て、俺は彼女達にそう告げた。

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