彼女達の爾今

 階下を忙しなく行きかい、靴が床を叩く音が直接耳に響いて、俺は半ば強制的に目覚めさせられた。

 それもその筈で、俺は昨夜は床の上で寝る破目になったんだ。

 そのせいで、今朝は体がバキバキに痛かった。

 その代りとでも言うのか、大よそ男の一人部屋では考えられない何とも甘い香りが部屋に充満していた。

 たった一晩女性が部屋で寝ただけでここまで部屋の香りが変わると言う事を、俺は今日初めて知った……気がした。


 俺は勢いよくカーテンを開けた。

 瞬間、眩しい程の陽の光が部屋を一杯に満たす。

 ゆっくりと振り向けば、そこには二人の少女が、それはもうあられもない姿で寝息を立てていた。

 二人の少女とは、昨夜酒場で出会ったマリーシェとサリシュに他ならない。

 結局、マリーシェはあの直後に寝入りそのまま意識を取り戻す事は無く、サリシュもフラフラと危なっかしいと言う事もあり、俺は自分の部屋へと連れて来てベッドに寝かせたと言う訳だ。

 二人ともこんな状態なんだ、俺に何をされても文句は言えない筈だ。

 世の中には悪い奴なんていくらでもいるし、少女好きな変態も少なくない。

 もっとも、彼女達の年齢ならもう嫁に出されていてもおかしくないから、それ程性癖を疑われる事も無いだろうけどな。

 兎に角、昨晩食事の席に同席したのが俺で、彼女達は助かった筈だ。

 食事に宿まで提供されて指一本触れないなんて、お人よし以外にあり得ないだろうな……。


 今の俺は15歳の見た目だが、中身は酸いも甘いも経験して来た30歳だからなぁ……。

 今更、駆け出し冒険者の少女に特別な興味なんか湧きようがない。

 俺の好みとしては、もう少し……そうだな、後5年もすれば女性として意識するかもしれないが。

 今のマリーシェ達だったら、少しぐらい着崩して肌が露出したところで……例え彼女達の下着姿を見た処で、何とも思わないだろう。

 まぁ、流石に裸で迫られる様な事にでもなれば、いくら俺でも自制心を働かせる事が出来るか自信はないけどな。


 それに、彼女達をこの部屋へと連れてきたのには訳がある。

 それは、うっかり発動してしまったスキル「ファタリテート」によって、マリーシェの未来を垣間見ちまったからに他ならない。


 そして、俺が見た彼女の命運は……人攫いによる拉致……だった。


 流石に、未来を覗き見るのが二度目ともなると注意深くもなる。

 俺はそのシーンを、隅々まで観察した。


 彼女が囚われていた年齢としては、今とそう変わりなかった。

 と言う事はこれから程なくして、彼女は何処かで誰かに捕まってしまうと言う事だ。

 場所までは流石に特定出来なかったが、そこはどうやら薄暗い洞窟の中。

 両手首を後ろ手に縛られたマリーシェは、誰かを憎々しそうに睨みつけていた。

 だが、掴まってしまっては所詮か弱い少女……彼女にはどうしようもないだろう。

 そしてその先に待つ運命とは……恐らくは身売りの類だろうな。


 この街には、実に多くの若者が意気揚々と集まって来る。

 そして、そんな彼等の殆どが世の中の右や左も分からない者ばかりだ。

 それは仕方ない。

 人生経験ってやつは、生き残って初めて得る事が出来るんだからな。

 若くして、そんな経験を身に付けている方が稀有ってやつだ。

 そして若者は、甘い言葉にすぐ釣られてしまう。

 それもまた人生経験……なんて言ってしまう程、俺は悪人になれそうもない。

 それに、少なくとも食事を共にした仲である二人が掴まってひどい目にあうのを、指を咥えて見ているだけなんて出来そうになかった。


 同じく覗き見たサリシュの宿命も、マリーシェと似た様なものだった。

 恐らく、二人で行動中に掴まってしまうんだろう。


「……やっぱり……フィーナの言った通り、見なきゃよかったな……」


 俺は嘆息と共にそう呟いた。




「……う……ううん……」


 その声に反応したのか、それとも満足のいくほど睡眠を貪ったからなのか、俺の眼前でマリーシェが声を上げたかと思うと薄っすらとその瞳を開いた。


「……おはよう……マリーシ……グホッ!」


 俺が朝の挨拶を言い終わる前に、シーツから伸びた彼女の美しい脚が俺の股間を捉えた! 

 完全なる不意打ちに俺は全く避ける事も、受け身すら取れずにその攻撃を受けて撃沈した!


「な……な……な……なんであんたがここにいんのよっ!?」


 沈みゆく俺と入れ替わる様に、彼女はガバッっと勢いよく上半身を起こした。

 スルリ……と彼女の全身を覆い隠していたシーツがずれ落ち、マリーシェの上半身が露わになる。


「き……きゃ―――っ! な……なんであたし、裸なのよっ!? あんた、昨日あたし達に何したのっ!?」


 前のめりに倒れて動く事の出来ない俺の頭を、シーツで体の前側を隠したマリーシェが強烈に踏みつける。

 何てこった……。

 確かに随分とはだけているとは思ったが、まさか一糸纏わぬ姿で寝入っているなんてな……。


「ちょ……ま……待て……。はな……話を……」


 強かに顔面を打ち付けた俺には、即座の反論など出来なかった。


「う……ん……。マリーシェ……やかましいな―――……」


 その時、独特の間延びを効かせてサリシュも目を覚ました様だった。


「サリシュッ! ちょっと聞いてっ! こいつ……って、サリシュッ!? あんたもそんな恰好っ!」


 ムクリと起き上がったサリシュもまた、下着姿のままで寝ていたのだった。

 俺はそれを、何とか角度を変える事に成功した視界で確認した。


「あ……れ―――? なんでウチ、こんな格好で寝てるんやろ……? いややわ―――……」


 独特の方言を利かせ、どこかおっとりとした印象の言葉を話すサリシュが、赤く染めた頬に手を当ててそう呟いた。


「この……このケダモノッ! 昨晩、、一体何したってゆぅのっ!?」


 自身の言葉でヒートアップして来たのか、彼女はそう言いながら俺の頭を二度、三度と踏みしだく!

 理不尽極まりない連続攻撃だが、すでに行動の自由を奪われてしまっている俺には、その怒涛の踏みつけを躱すことも受ける事さえ出来なかった。


「や……やめ……。とにかく……話……話を……」


 何とか攻撃を止めようと、俺は彼女に説得を試みる。

 だが、怒り心頭のマリーシェに俺の言葉は届かない。


「ちょ―――待って……マリーシェ……。この状況……何かおかしいで……」


 その状況をボーっと見つめていたサリシュが、マリーシェを止めに掛かった。


「ふう……ふう……ふう……。サリシュ、何がおかしいって言うの?」


 しこたま俺の頭を踏みつけて息の荒くなったマリーシェが、振り返ってサリシュにそう問い返した。


「……昨日……ウチ達が止めるんも無視して……どんどんお酒を飲んでたんはマリーシェやった……」


「えっ……。そう……だったっけ……」


 改めて冷静に昨夜の事を口にされ、それでマリーシェも思い出して来たのだろう。

 絶句に近い状況で、口を開けたまま呆然とした表情を浮かべている。そこへ。


「うん……。何やったら、ウチのお酒も奪い取って飲んどったわ……。あの時のマリーシェは……強引やったわぁ……」


「うっ……」


 ズバリと核心を突かれて、更には衝撃の事実にマリーシェは呻き声を上げて動きを止めてしまった。


「それに……昨晩の事は少しやったら覚えてるわ―――……。酔ったウチ達を彼……アレクは自分の部屋まで案内してきて、このベッドに寝かせてくれたんや……」


「ほ……ほらっ! やっぱり下心があったんじゃないっ! きっとこいつは、意識の無いあたしをひん剥いて……!」


「……ちゃうよ……」


 再び頭に血の昇りだしたマリーシェの持論を、サリシュは首を左右に振り抑揚の無い声で否定した。


「彼は、ここまでウチ達を連れて来て……何とか意識のあるウチにゆーたんや……。『部屋は取ってないのか? 無ければ今日はここで寝ろ』って……」


 それを聞いたマリーシェの足が、ゆっくりと俺の頭から除けられてゆく。


「で……でも、じゃあ……じゃあ、なんであたし達は、服も着ないで寝てたのよっ!?」


 そして今度は、サリシュの方へと噛みついた。

 もっともその声に先程までの怒気は含まれておらず、勢いも無理矢理作り出している様だった。


「……アレクはそれだけウチにゆぅて……そこの床で横になってはった……。ウチもそのまま寝たけど……確か昨晩は、あんまり寝苦しいて……寝ながら服を脱いだような気がする……。恐らくはマリーシェも……」


「そ……それじゃあ……?」


 そして、サリシュに問いかけるマリーシェの声音は震えていた。


「……考えてみたら……ウチ達はあの時点で、まだ部屋を取って無かったやろ―――……? もしあのまま、酒場で放っとかれたら……外に放り出されて、ウチ達はどうなってたか……」


 そこまで聞いたマリーシェの行動は、それはもう素早かった。


「ウワワワワッ! ご……ごめんなさいっ! あたし……あたし、つい勘違いして……っ!」


 そう叫んだ彼女は、シーツを体に巻き付けたまま一瞬飛んだように宙を舞うと、そのまま俺の方を向いて両膝で着地し、深々と頭を下げて土下座していた。

 何とかマリーシェの踏みつけから解放された俺が、ゆっくりと頭を持ち上げた。

 ベッドの方を見れば、サリシュがぺこりと頭を下げて謝意を示している。


 食事代を立て替え、部屋のベッドまで明け渡して、齎されたのはこの仕打ち。

 本当だったら、怒り狂っても誰も止めないだろう。

 それでも彼女達の謝罪を受け取った俺は、怒りよりも笑いが込み上げて来ていた。


「もう良いよ……。それよりも、とっとと朝食にしよう。腹減っちまった」


 だから俺は、彼女の蛮行も無かった事にしてあげたんだ。


「でも……でもあたし、あんたにそんな傷を……」


 確かに、モンスターと戦った訳でもないって言うのに、俺は既に満身創痍だった。

 でも、今の俺にはこれくらいの傷なら大した事は無い。


「ああ……こんなのはすぐに治るよ」


 ここが街の外なら、魔法による治癒である程度はすぐに回復する事が出来る。

 しかし、街中では魔法や特殊技が使えない。

 だが俺には、余りある程のアイテムがある。

 俺は身に付けていた腰袋から、青い液体の入った一本のガラス瓶を取り出した。


「ちょっと、あんた……。それは……」


 ベッドの上で座るサリシュと顔を上げたマリーシェが呆然と見つめる中、俺はその瓶に入った液体を顔にかけた。

 シュウッと言う音と共に僅かの煙を発したかと思うと、俺の傷は見る間に塞がりあっという間に全快していた。


「……それは……ポーションやんな―――……? 結構高いもんやろうに、こんな事で使ってえぇのん?」


 その様子を見ていたサリシュが、俺にそう問いかけてきた。


 駆け出し冒険者には、ポーションはまだまだ高い回復アイテムであり、おいそれと使う事は憚れる代物だ。

 それをこんな事であっさりと使う俺を見て、彼女達は少なからず驚きを覚えていたようだった。


「ああ、良いの良いの。こんなのは、使ってなんぼってね」


 俺は、彼女達に笑顔を向けてそう答えた。

 実際、ポーションを使う機会ってのはそう多くない。

 いや、実際は多いんだろうけど、勿体なくって使う事を躊躇うのが殆どだ。

 冒険を進めていけば恐らくは誰でも、嫌って程ストックが溜まってしまうだろう。

 まだ駆け出し冒険者であるマリーシェ達には理解出来ないだろうけど、流石に二度目の生となる俺はその事を知っている。


「そ……そうなの……? 結構、貴重だと思うけど……。ひょっとしてあんた、お金持ちか何か?」


 マリーシェが、申し訳なさそうに聞いて来た。


「ま……まぁ、そんな所かな……?」


 俺は立ち上がりながら、そう言葉を濁して答えた。


 俺としては、本当の事を打ち明けるなんて出来ない。

 まさか実は元レベル85の勇者で、間違ってレベル5に戻ってきました―――……なんて、間抜け過ぎて言える訳も無かった。


「……ふぅん……。まぁ、あんたが良いって言うなら、それで良いわ。本当に、さっきはごめんなさいっ!」


 立ち上がった俺に併せてマリーシェも立ち上がり、再度深々と頭を下げた。

 しかし、その行動が更なる災厄を呼ぶ……!


「……あっ……」


 サリシュの小さな吃驚が漏れる……。

 ファサッと、シーツが床に落ちた……。

 俺の目の前には、一糸まとわぬマリーシェの姿が晒される……。


「ひっ……!」


 マリーシェの、引き攣った声が俺の耳に飛び込んで来た……。


「お……俺は外で待ってるから……。さっさと着替え……」


 さっさと着替えろ……と、そう言って部屋から退散しようとした俺の背中を!

 マリーシェの、カモシカの様な脚から繰り出された蹴りが捉えた!


「こ……この……ドアホウッ!」


「がはっ!」


 俺は薄い扉をぶち破って廊下にまで蹴り出され、強かに頭部を打ち付けた。


「ふんっ!」


 部屋の中からは、再び鼻息の荒くなったマリーシェの声が聞こえた。


「り……理不尽……」


 薄れゆく意識の中で、俺はそれだけを口にした。

 そして俺は……もう一本、ポーションを使う羽目になったのだった……。

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