危急の縁の乙女たち

「……悪かったわよ」


 ブスッと膨れっ面をしたマリーシェは、昨日と同じ酒場の席に座り正面の俺から九十度体を背けたまま、不承不承と言った態でそう謝った。

 これは勿論、先程の理不尽な暴力についての謝罪である。


 全くの不可抗力ではあるが、マリーシェは俺の前で全裸を晒し、俺はそれを真正面から見る事となった。

 彼女の肢体を上から下まで俺は見てしまった訳で、彼女はこれ以上ないと言う程恥ずかしい思いをしたのだ。

 それを考えれば、彼女が動転して俺に危害を加えたと言うのも……いや、やっぱり理不尽だな。

 それでも、多少の怪我を負わされたとしても、俺としては別に気にする事では無かった。

 ……まぁ実際は、大怪我を負わされた事案ではあるのだが。

 それでも、元々の原因がマリーシェにあるとサリシュに諭され、着替えを終えて降りてきた彼女はこうして俺に頭を下げていたんだ。


「もう良いって。気にするな……ってのは無理かもしれないけれど、この事は水に流そう。……な?」


 俺は苦笑いでそう提案した。

 口では謝っていても、マリーシェの心中では納得していない事は彼女の態度からバレバレである。

 これ以上彼女に謝らせても、この場の雰囲気が良くなるとは一向に思えなかったからだ。


「……マリーシェ……。アレクには一宿一飯の恩義があんねんで―――……。それに、眠りながら服脱いだんはあんたなんやし……。もうそろそろ、機嫌治しぃや―――……」


 そこへ、サリシュの助け舟が入る。

 彼女も、このままの状況が良くない事は理解しているんだろうな。

 俺とサリシュ、二人からそう諭されてはマリーシェもこれ以上無視する事は出来ないのだろう、勢いよく俺の正面へと向き直った。


「もうっ! 分かったわよっ! それじゃあ今日の朝食はアレク、あんたの奢りだからねっ! それで無かった事にしてあげるわっ!」


 頬を赤らめてそっぽを向きながらそう提案するマリーシェを、俺とサリシュは微笑ましく見ていた。

 勿論、彼女の提案には賛同し、俺は彼女達に朝食を御馳走した。




「それで? 二人は今日、何処に行くんだ?」


 マリーシェの機嫌も何とか治り、朝食を食べ終えたタイミングを見計らって俺は彼女達にそう切り出した。

 そしてこの質問こそ、俺が未だに彼女達と行動を共にしている最大の理由だと言える。

 勿論、昨日の出会いから今朝のやり取りを踏まえれば、朝食を一緒に採る事にそれ程大きな理由なんて必要ない。

 惰性でそうなったと言った所で、誰も不思議に思う者は居ないだろうが。

 もしマリーシェ達が、「今朝は用事があるから」と言って俺の前から離れようとしていたとしても、俺はきっと何かと理由を付けて呼び止めていたと思う。

 逆に、もし俺に何かしらの用事があったとしても、兎に角彼女達と朝食を採る時間は捻出したに違いなかった。


「今日? 今日は……何かあったっけ?」


「……今日は、クエストが一つ入ってて……。その為に、『ボラン洞窟』に行かなあかんねん……」


 すぐに答えが浮かばず、右斜め上を見ながら答えに詰まったマリーシェの代わりに、サリシュがそう答えた。


 彼女の言った「ボラン洞窟」とは、この街の東にある「テルンシア港」から更に東へと向かった場所にある海に面した洞窟の事だ。

 海洋属性のモンスターが多数生息し、潮の満ち引きで入り口が塞がるのは勿論、洞窟内の行動可能範囲も変わってしまう地下迷宮ダンジョンだ。


「そうそう、そうなの! クエストを受けてたから、その洞窟に行かないといけないんだった! 一応最深部まで潜るつもりだから、丸一日は掛かるかもしれないわね―――……」


「……それに……時間によっては行かれへん場所とこもあるかも知れへん……。深いダンジョンやないって話やけど、考えてるよりも手間掛かるかも知れへんなぁ―――……」


 マリーシェの言葉を、サリシュがそう引き継いで補足説明した。




 事情を知らない者が見れば、俺はどう見てもレベル5の駆け出し冒険者だ。

 ボラン洞窟の対象レベルが7から10である事を考えれば、俺がその洞窟の事を知っている可能性は低いと考えるのが普通だろう。

 マリーシェ達の話は俺に対しての説明だと分かったけど、それと同時に彼女達も「ボラン洞窟」は初めてだと窺い知れた。

 だが、その洞窟自体に問題はない。

 勿論、モンスターが生息する洞窟だと考えれば全くの問題がないわけでは無いんだが、彼女達のレベルならばそこに出現するモンスターとも互角以上に渡り合う事が出来る筈だ。

 厄介なのは話にも挙がっていた、潮の干満による地形の変化……と言う処か。

 慣れない者であれば、通ってきた道が変わるだけで途端に現在位置を見失って、余計な時間と体力を消耗する事になる。


「そっか―――……。今日はパーティを組んで、一緒にレベル上げでもって考えてたんだけど……。ボラン洞窟じゃあ、俺には荷が重いな―――……」


 俺は殊更に、残念そうな口調でそう言った。

 レベル上げってのは別にどうでも良かったんだが、パーティを組めないのが残念なのは本音だった。

 今日一日でも一緒に居れば、彼女達が危機に陥るのを防げるかもしれないと考えたからだった。


「あら? ボラン洞窟の事を知ってるのね? でも残念。あそこは私達のレベルでギリギリ攻略可能なダンジョンだから、あんたじゃ……ねぇ?」


 マリーシェも、俺のレベルを踏まえてそう言葉を返して来た。

 もし俺が彼女達の傍にいたとしても、何かの役に立つとは彼女にも想像出来なかったんだろう。


「……ウチ達も余裕のあるレベルやないから……。何かあった時に、アレクを護れるかどうか分からん……」


 それに続いたサリシュの言葉で、俺は何とも情けない気持ちになった。

 昨日まで齢30でレベル85だったこの俺が、今じゃあ若干15歳でレベル7の女の子に身を案じられているんだ……。

 これ程泣けてくる話も、ここ最近では無かった事だ。


「そ……そっか……。じゃ、じゃあ、俺は一人でノンビリレベル上げでもしておくよ。今日二人が帰って来れば、またこの酒場で落ち合わないか?」


 そんな精神攻撃マインド・アタックに思いも依らない負傷ダメージを負いながら、それでも俺はそう提案した。

 だが勿論、言葉通りの行動を取るつもりはない。


「ええ、良いわよ! 昨日は色々奢って貰っちゃったから、帰ってきたら私の方があんたに御馳走するわね!」


 でも、俺の提案にマリーシェは笑顔で賛同してくれた。


「……御馳走するんはマリーシェやねんから―――……。ウチはお金出さへんで―――……?」


 しかしすかさず、サリシュがそうツッコミを入れる。


「ええっ!? そこは二人で折半でしょ―――っ!?」


 情けない声でサリシュに抗議を行うマリーシェを見て、俺とサリシュは大きく笑い声をあげた。

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