第十四幕 雑賀孫一

 同日夜半、雑賀軍の本城・雑賀城……。


 燈明の小さな光だけに照らされる本丸の大広間で、三人の男達が話し合っていた。


「――ガッハッハッハッ! さすがの織田も我らの鉄砲の前にはかなり難渋しておるようじゃのう。まさかあの大軍で、こうも戦が長引くとは考えもしておらんかったろう」


 中央に座る白髭の老人が、杯の酒を豪快にあおって愉快そうに笑う。


「しかし、父上。こちらも少々疲れもうした。弾薬や兵糧も減ってまいりましたし、平井の兄者の方も心配にござりまする。いい加減、ここらで織田にも諦めてもらわねば困りまするわ」


 すると老人の左に座る、不精髭を生やした筋骨逞しい大柄の男が、やはり酒を飲み干しながらひどく迷惑そうに言った。


「ですが、兄上。織田もこれ以上戦が長引くことは望みますまい。天下の織田軍総がかりで、我らのような田舎侍一つ落せぬとは世の笑いものですからね。それに、信長も長らく京を留守にはしたくないはずですし、毛利が背後から攻め寄せる…なんてこととて、なきにしもあらずですからね」


 今度は老人の右側に座る精悍な顔つきをした青年が、老人の杯に酒を注ぎながら髭面の大男に向かって言葉を返した。


「ああその通りじゃ。信長は気が短いからの。もう少し踏ん張っておれば、織田も和議を申し込んでくるに相違ない。織田が折れるかこちらが折れるか、こうなれば我慢比べじゃわい」


 青年の意見に、大男に代って老人が愉しげな声で答えたその時。


「いいや。どうやら、そうも言ってられなくなりましてね」


 突然、そんな声がどこからともなく聞こえてきた。


「…!?」


 その予期せぬ声に、三人は脇へ置いた〝短筒たんづつ〟という短い火縄銃を咄嗟に掴むと、どこにいるのかわからぬ声の主を探して身構える……。


 すると、燈明の火も届かぬ真っ暗な暗闇の一角から、その闇で染め上げたかのように同じく真っ黒い合羽を纏った影のような人物が、狐狸妖怪の類の如くいきなり浮かび上がってきたのだった。


「何奴っ?」


「織田の間者か!?」


 その異様な光景を見た三人は、当然のことながら驚きと警戒の声を上げる。


「いえ、怪しい者ではありません……って、全然、説得力ないかもしれないけどね」


 合羽の頭巾を目深に被ったその人物――雷童丸は、そう答えながらも自分のどっからどう見ても怪しい姿に苦笑いを浮かべた。


 ガチャ…。


 だが、そんな冗談を言っている間にも、三人は火蓋を切って短筒の照準を雷童丸に合わせる。


「あああっ! ちょ、ちょっと待って! ほんとに怪しいもんじゃないんだってば! おいらは呪士……鳴神の呪士・兵主雷童丸だ!」


 三丁の銃口を向けられ、雷童丸は慌てて頭巾を取ると彼らに正体を明かす。


「呪士? ……呪士にしてはまだほんのこどもではないか? そなた、まことにかの名高い呪士なのか?」


 なおも短筒を構えたまま、三人の一人、髭面の大男が雷童丸を鬼のような形相で睨みつけて問い質す。


 普段でもさることながら、暗闇の中、燈明のわずかな明かりだけで見る雷童丸はいつも以上に童顔に見えるらしい。


「ハァ…またこども扱いか。いい加減、もうその反応にも飽きたよ……」


 その何度となく向けられてきた疑問の声に、雷童丸は心底うんざりしたというような顔つきで溜息を吐くと、それでも誤解を解くために今回も律儀に説明する。


「ええ。正真正銘の呪士ですよ。でなきゃ、皆さんのがっちり固めたあの防衛線を潜り抜けて、こんなとこまで一人で忍び込めるわけないですって」


「ああそうだ! 貴様、どうやってここまで忍び込んだ!? 雑賀川を渡って来ることなど到底、不可能なはずなのに……」


 今度は精悍な顔つきの青年が、今さらながらに驚いた様子で尋ねる。


「ん? ああ、そりゃあまあ隠行法と、あとはおいらの霊獣のこの三日鎚に乗って……ほら、ウサギって飛び跳ねる力が強いですからね。川を越えるくらいなんのそのってなもんです」


「ウサギ? なに訳わからねえことを…」


「ううむ…どうやら本当に呪士のようじゃの。じゃが、その呪士が何用じゃ? まさか、我ら雑賀に味方してくれるわけでもあるまい?」


 青年の質問に答え、肩に乗るウサギを紹介するふざえた不審人物に、当然、大男は激昂するが、それまで黙っていた白髭の老人がそれを制し、おもむろに口を開いた。


 その、年の割にはやけに背筋のピンとした爺さまは雷童丸が呪士であることだけは信用したらしい。


「じつはそのまさかさなんですよ。いろいろ立て込んだ事情がありましてね。今回、おいらは皆さん雑賀と手を組み・・・・・に来たんです」


「なにっ!?」


 そのさらっとしてくれた爆弾発言に、雑賀の三人は思わず声を上げ、短筒を握る手の力も緩めてしまう。


 因果応報に反するよっぽど確かな理由でもない限り、呪士はけしてどちらか一方の側に肩入れするようなことはしない……。


 対して今回の戦は織田とそれに敵対する本願寺という構図の中で発生した、いわば、ただの〝勢力争い〟である。それゆえに呪士が自分達の味方をしてくれるなどとは思ってもみないことだったのだ。


「どうにも信じられん! 真の呪士がそのようなことするものか!」


「貴様、やはり織田の間者か!?」


 普通なら到底あり得ないようなその話に、大男と青年はそう言って、再び銃口を雷童丸に突きつける。


「だから、ちょっと待ってって! 今、その理由をちゃんと説明しますから! ともかく先ずはその物騒な物をしまってくださいよ。危なくておちおち話もしてられない……」


 雷童丸は両手を前に突き出し、今にも本当にぶっ放しかねない彼らを再び制すると、これまでの経緯を掻い摘んで手短に話して聞かせた――。




「――なるほどの。そういう理由にござったか……しかし、呪士が掟を破って非道を働くとは、まったくもって世も末じゃのう……ああ、こりゃ失礼」


 事情を聞き、思わずそんな言葉を口にした白髭の老人は、雷童丸もその呪士であることを思い出して口を噤む。


「いや、ほんとその通りです。呪士の中からこんな外道の者を出してしまうなんて……だから、この始末は呪士であるおいらが着けなくちゃいけないんだ。そして、こんな事態を招いてしまったおいら自身の落とし前も……」


 しかし、雷童丸は老人の言葉に気を悪くするでもなく、むしろ賛同するかのように悲痛な表情を浮かべてそう答えた。


「……ま、理由はどうあれ、ほんとに呪士が味方してくれるっつうんなら、俺達雑賀としてはなんの文句もねえぜ。んなことよりも問題なのは、そのクシナダの姫とかいうやつの話だ。つまりはその玉依の民の巫女だかなんだかいうのに大きな嵐を起こさせて、俺達の鉄砲を使えなくするってえのが、織田の魂胆だっつうことだな?」


 再び後悔と自責の念に捉われる雷童丸の心情を吹き飛ばすかのように、髭面の大男がいい意味で気遣いなく口を開く。


「……ん、ええ。でもそれだけじゃなく、川底にいろいろ仕掛けてある雑賀川の水嵩を増し、川を船で渡れるようにするのも狙いの一つでしょうね。あと、強風で弓の的も定まり難くなる。そうなったところを全軍で一気に突撃……ってのが、おそらくやつらの作戦です」


 その声に雷童丸は気を取り直すと、大男の推論を補足した。


「そうか。となると、兵の数で劣る我らに勝ち目はありませんね。その、クシナダの姫というのを是が非にでもなんとかしなくては……」


 今度は青年が呟き、困惑した顔で腕を組む。


「それで今夜はそのことを相談したくって、こうして城に忍び込ませてもらったってわけなんですけど……ああ! そういえば訊くの忘れてた! えっと、雑賀孫一さんってのはどなたなんですか?」


 青年の言葉を受け、ようやく本題に入ろうとする雷童丸だったが、そこで今さらながらに話すべき相手をまだ確認していなかったことに気づき、三人の顔を交互に見回す。


 雑賀孫一――またの名を鈴木孫一と呼ばれるその人物は、代々その名を名乗っている雑賀衆の頭領である。


「やっぱ年からすると、お爺さん。あなたですか?」


「んん? ……いや、確かにわしは先代の孫一ではあるが、今は倅に家督を譲った隠居の身じゃ。わしは鈴木重意しげおき。近頃は佐大夫しげおきと呼ばれておるの……で、どの・・〝まごいち〟のことを言っておられるのかの?」


 だが、雷童丸の推測を穏やかな声で否定すると、白髭の老人はなんだか妙なことを言い出す。


「どの?」


「ああ。〝まごいち〟と言ってもいろいろおるからのう……なあ?」


「はい……拙者は重意が二男・鈴木重秀しげひで。またの名は鈴木孫一にござりまする」


 老人に声をかけられた大男は、急に畏まって自らの名を名乗る。


「あ、じゃあ、あなたが頭領の鈴木孫一さん?」


 と、思いきや。


「それがしは重意が三男・鈴木重朝しげとも。またの名を鈴木孫市と言いまする。まごいちの〝いち〟は一つ、二つの〝一〟ではなく、市場とか初市とかの〝市〟ですね」


 続けて青年も、そう自分の名を雷童丸に伝える。


「はい?」


 なぜか二人も現れた〝まごいち〟に、雷童丸はわけのわからぬといった顔で小首を傾げる。


「他に今、平井政所に立て籠って北から攻め寄せる織田軍を食い止めておる嫡男・重兼しげかねも平井孫一と呼ばれておるの」


「ええっ!? じゃ、じゃあ、孫一さんは三人いるんですか!? なんで三人も……雑賀孫一って雑賀の頭領なんじゃ…」


「ハッハッハッ…おっしゃる通り〝雑賀孫一〟は代々雑賀の長が名乗る名前じゃがの。こんな御時世、いつ戦で命を落とすかわからんでの。もしもの時を考えて、倅達には皆〝まごいち〟を名乗らせておるのじゃよ。まあ、一応、家督は嫡男の重兼が継いでおるがの。ちなみに重朝は区別がつくよう孫ではなく、孫にしてある」


 白髭の老人――鈴木佐大夫は驚く雷童丸の様子を愉快そうに見つめながら、空中に人差し指で字を書いて彼にそう説明した。


「なるほどぉ…そういう風になってたわけですね。おいらはてっきり、かの有名な雑賀孫一さんは一人の人物なんだとばっかり……ってか、普通そうですよね?」


「ハッハッハッ…そういう風になっていたんじゃよ」


 現在、それどころではない状況ではあるが、事情を知らぬ者が見せるこうした反応がおもしろいのか? 佐大夫はもう一度、愉快そうに大きな笑い声を上げる。


「そうか。なら、その家督を継いだ嫡男の孫一さんに本来なら話を通すべきとこなんだろうけど……まあ、また平井政所ってとこに潜り込むのも面倒だし、ここにいる皆さんも、もと・・も含めて全員〝まごいち〟さんみたいだからいいか。そんじゃ話戻りますけど、クシナダの姫を奪還するために雑賀衆の皆さんにちょいと協力してもらいたいことがあるんですが……」


 雑賀衆の統率者を巡る複雑な事情が大体呑み込めた雷童丸は、今度こそ、わざわざ夜陰に紛れてこんな所までやって来た本題をようやくにして切り出した。


「おう。鳴神の呪士殿だったな。こうなりゃ、俺達が生き残るにはあんたにかけるしかねえ。んで、俺達は何をすればいい? なんでも協力するぜ?」


 筋骨逞しい髭面の大男――鈴木重秀は、その協力要請に大きく頷き、手にした自慢の鉄砲を見せつけながら雷童丸に尋ねる。


「うむ。死ぬも生きるも呪士殿次第じゃな」


「はい。それがしもこの命、鳴神殿に預けまする」


 続けて佐大夫も、そして精悍な顔をした青年――鈴木重朝も、重秀と同じように力強く頷いてみせた。


「ありがとうございます。まあ、やってもらいことと言っても、そんな大したことじゃありません。散発的に攻撃しかけるとかして、とにかく織田軍の目をこちらに惹き付けておいてほしいんです。その間においらが敵陣に紛れ込んで、クシナダの姫の方はなんとかしますから」


「なんだ? それだけでいいのか? そんならこれまでとあんまし変わらねえ。朝飯前どころか昨夜の夕飯前の話だぜ」


 雷童丸のいたって普通な注文に、重秀は少々拍子抜けしたというような顔でそう答える。


「ただ、これは織田がクシナダの姫の力を使う前の話です。暗い夜の内に、あの人ゴミの中からクシナダの姫の居場所を探し出すのは非常に困難。探すとすれば明朝、明るくなってからになります。まあ、向こうもなんだかんだで用意があるでしょうし、まだ時はありそうですが、もし、こちらが行動を起こす前にクシナダの姫の力が使われ、スサノオ――即ち暴風雨を呼び寄せられてしまったら……そうなると、かなり事情が変わってきます」


 だが、そんな重秀の期待に応えるかのように、雷童丸は但し書きを付け加える。


「そうですね。確かに鉄砲も弓も使えなくなるし、織田軍に雑賀川を渡られることにもなる……そうなっては近接戦を得意とせぬ我らにあの大軍を食い止めておくすべはございませぬ」


 重朝が暴風雨が発生した時のことを想像し、すでに負け戦を覚悟したかのような口調で呟く。


「ええ。なので、今の暴風雨が起こる前の作戦を仮に『甲』として、万が一、相手に先を越されてしまった場合に備え、作戦『乙』というのも考えてみたんですが……」


「作戦『乙』?」


 〝まごいち〟三人は、同時にそう呟いて、怪訝な顔で小首を傾げる。


「はい。では、ちょっとお耳を拝借……つまりはですね、雨の中でも雑賀の皆さんが十分に戦える方法ってわけなんですが、こんなのはどうでしょうかねえ――」


 その夜、蒼白い月が天弓を半分も移動するまでの長い間、雷童丸と三まごいち・・・・達の話し合いはいつ終わるともなく続いた……。

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