第十六幕 秘策

 クシナダの姫と化した珠がスサノオ・・・・を呼び寄せてより四半時(約三十分)ほど後……。


「そろそろ頃合だな……よーし! 兵の乗り込んだ舟より川を渡って敵陣へ進めえーい! もたもたしてると川が荒れて逆に渡れなくなるぞっ!」


 暴風雨により水嵩が増し、雑賀川が舟でも十分に行き来できる深さになったところで、幾艘もの小舟に分乗した織田の兵達は対岸の雑賀城砦目指して一斉に櫓を漕ぎ出す。


 この恐ろしいほどの数の舟は間見に言われた羽柴秀吉が一昼夜の内に用意させたものである。


 壺やら縄やらが川底に仕掛けられ、人馬では容易に渡河することができなかった雑賀川を舟で渡る……それが〝クシナダの姫〟を使った織田の狙いの一つなのだ。


「もたもたするなあっ! 急げえっ!」


 ただし、川の水嵩を増す暴風雨の副作用として、少しでも機を逸すればたちまち川は荒れ狂い、むしろ余計に渡ることが困難になってしまう。どの武将も声を荒げ、配下の兵達を急かしているのはそのためだ。


「それえい! 進めえーっ! これまで散々愚弄してくれた雑賀の者どもに、今日こそ目にもの見せてやるのだぁーっ!」


 どうどうと激しい勢いで流れ出した雑賀川を渡る船団の先頭を行くのは、数日前に先鋒として最初の渡河を試み、結果、散々こっぴどい目に遭わされた堀秀政である。


「雑賀め! 今日こそその城落としてくれるわ!」


 これまでの借りを返すべく、今回も彼は一番乗りを果たそうとしているのだ――。




「――鳴神殿の心配が的中してしまったの……」


 その頃、雑賀軍の本城・雑賀城では、先代孫一である鈴木佐大夫が天を見上げ、残念そうに呟いていた。


「まあ、こうなってしまっては致し方ない。『乙』作戦とやらで行くしかないの……皆の者! 屋根の下から鉄砲を撃てる者はとにかく間を置かずに撃ち続けい! そうでない者は弓を取って矢を射かけるのじゃ! 絶対にこちらの岸へやつらを上らせるでないぞっ!」


 本丸の館の縁に立つ佐大夫は、外に向けて大声を発する。


「オーッ!」


 大将の号令に応え、雑賀の兵達は気合の籠ったときの声を一斉に上げるが、その声が虚しく聞こえるほど、得意とする鉄砲がほとんど使えないこの状況は彼らにとって致命的である。


 城とはいってもこの頃の城というのは近世の城――いわゆる現代人がイメージする〝日本の城〟とはまったく違い、柵や板壁、堀に土塁などを小高い山みたいな所に巡らしたものであって、大きく立派な建物も、瓦屋根の載った白亜の城壁などもまるでない。


 雨が降れば当時の銃火器〝火縄銃〟を使える場所はごく限られたものになってしまうのである――。




「――それえーい! 進めえっ!」


 雑賀軍が迎撃の準備をしているその間にも、織田の船団は川岸に設けられた柵に取りつかんと激流の中を近付いて来ている。


「弓隊、放てぇーい!」


 …ピシュン……ピシュン……ピィシュ…ピシュン……。


 いち早く配置についた雑賀の弓隊が、織田の船団目がけて第一射を放った。


 ……カッ! …カッ! …カッ…!


 だが、織田の舟の周りには厚い木の楯を立てて城壁のように巡らしてあり、鉄砲の弾ならばいざ知らず、矢ではなかなかその楯を射抜くことができない。


 加えてだんだん激しさを増し始めた風のためにその狙いも定まらず、第一射に続いて二射、三射といくら矢を射かけてみても、織田の進軍を止めるまでには至らなかった。


「鉄砲隊、放ぇーい!」


 …パーン! ……パン! …パーン…!


 止まらぬ織田の船団を前に、辛うじて鉄砲の使える条件下にいる者達も号令に合わせて鉄の弾を撃ちかけ始める。


 ……ドシュ! …ドシュ…!


「うぐっ!」


「ぐあっ!」


 さすがに今度は木製の楯を貫通し、撃たれた幾人かの織田兵はもんどり打って川の流れに転げ落ちてゆく……しかし、今日の戦闘はいつもと違い、比べものにならないくらい使用している鉄砲の数が少ないのだ。これでは討ち取れる織田兵の数などたかが知れている。


 それでも雑賀の鉄砲隊は慣れた手つきで一発づつしか撃つことのできない火縄銃に素早く火薬と弾丸を込め、迫り来る敵に間断なく弾丸を浴びせ続ける……が、弓隊同様、こちらも数で勝る織田の大軍を足止めすることは一向にできなかった。


 そして……。


 とうとう織田軍の舟は川岸の柵まで辿り着き、ある者は舟から飛び移ってそれをよじ登ろうとし、またある者は刃物を手に木材を繋いでいる縄を切って柵の破壊を試み始める。


「これを越えればもう城は目の前ぞ! 皆の者! このまま一気に雑賀の城を攻め落とすのじゃ!」


 堀秀政の叱咤に尻を叩かれ、柵に取り付く兵達がついにそれを乗り越えようとしたその瞬間。


「止むを得んな。あまり気乗りはせんが、あれ・・を使うしかあるまい……よーし! 全員、例のもの・・・・を使うのじゃあ!」


「おぉぉーっ!」


 ……ビュッ……ガッ!


「うがっ!」


 ……ビュッ……ガン!


「痛っ!」


 ……ビュ……ビュ……ビュ…ビュ…ビュ…。


 ……ゴン! …ガン! …ゴッ! …ガッ…!


「うあっ!」


「ぎゃあっ!」


「ぐえっ!」


 佐大夫の発した号令とともに、何か、かなりの質量を持った物が突如空から飛来し、今まさに柵を越えようとしている兵達の身体に勢いよくぶつかった。


 顔や頭、腕や足に胸や腹……それぞれ当たる箇所は違えども、高速で飛んで来る重たいそれ・・の命中した兵達は皆、一様に悲鳴を上げて次々と柵から落っこちてゆく。


 まるで火にたかる虫がその炎に焼かれ、無惨にも地に落ちるが如くである。


「な、なんだ?」


 その奇妙な光景に、堀秀政は訝しげな表情を浮かべ、自分の舟の中に飛来したそれを拾い上げてみる。


「……石?」


 それは、石礫いしつぶてだった。


 雑賀勢が一斉に投げ出した石礫が、攻め寄せる織田の兵達の上に降り注いだのである。


 石はそれなりの重量がある上に風の影響を受け難い形状をしているため、この強風の中にあっても比較的狙いをつけて投げることができる。


 また、鉄砲や弓矢に比べれば、さすがにその威力は多少見劣りするもの、それでも当たればかなり痛いし、打ち所が悪ければ重傷や死に至る可能性だってありうるのだ。


 最早、自分達の進軍を止めるものは何もないと確信していた織田の兵達は、予想外のその痛み・・・・によって急激に戦意を低下させた――。




「――ガッハッハッハッ! こりゃ愉快愉快。思った以上に効いとるようじゃの……じゃが、鉄砲で知られたこの雑賀衆が、まさか石ころを頼みにせにゃならんとはの。こんな話、後の世には残せんわい」


 小高い雑賀城の本丸から、織田兵の慌てふためく様子を愉しそうに眺めていた佐大夫であるが、一転、苦笑を浮かべるとそんな独り言を呟く。


 しかし、雑賀の鉄砲戦術に自負の念がある佐大夫はそんなこと言ってるものの、この石を投げる行為――飛礫つぶては、中世を通して有効な攻撃方法として認められていた。それは戦国最強と謳われた武田信玄の軍勢の中に、「石投げ隊」というそれ専門の部隊が存在していたことを見れば明らかであろう。


 また、この〝飛礫〟という行為は古く「印地いんじ」・「石合戦」などとも呼ばれ、平安時代頃から神社の祭礼や端午の節句などに「印地打いんじうち」という石を投げ合う遊びが行われるなど、当時の人々にとっては非常に馴染みの深い、誰でもほとんど訓練なしにできる平易な〝戦い方〟でもあった。


 殊に接近戦よりも射撃戦に秀でた雑賀衆においては、鉄砲や弓が充分に使えないこの状況下で、その力を存分に活かして戦える唯一無二の戦法だったのである。


「ま、鉄砲や弓に比べて銭もかからんし、なくなってもまた拾えばいいんで便利じゃがの……」


 まだまだ石に当たって落っこちる者続出中の織田軍を見つめ、佐大夫はうれしいような悲しいような、なんだか複雑な表情を浮かべてまた独り言を言う。


 そう。飛礫のもう一つの利点として、〝石〟はどこでも比較的簡単に手に入れることのできる武器であるため、そうした点でも運用に優れているということがある。


 現在、雑賀勢が投げているこの石も、昨夜の内に河原から拾い集めておいたものなのである。


「クソっ! 小癪な真似をっ!」


 堀秀正は雨と石礫の降りしきる増水した川の上で、顔を腕で庇いながら悔しそうにギリギリと歯を噛み締めた――。




 さて、その頃。雑賀川沿いに作られた城塞の内の中心的なものの一つ、弥勒寺山砦では……。


「――うーむ……鳴神殿の言われた通り、礫を用意しておいて正解だったのう……」


 この砦で指揮を執っていた雑賀孫一――鈴木重秀も、飛礫にやられる織田軍を眺めながら感慨深げに唸っていた。


「じゃが、雑賀衆が鉄砲を使わんではやはり話になるまい……よおし、ここは一発、わしが大きいのをお見舞いしてやるとするか……」


 そういうと重秀は傍らに置いてあった巨大な鉄砲を太い腕で掴み、抱えるようにしてそれを構える。


「鉄砲は鉄砲でも、大鉄砲はいかがかの?」


 それは「大鉄砲おおでっぽう」または「抱大筒かかえおおづつ」と呼ばれている代物で、図体も大きければ、そこから発射される弾もまた大きい。


 通常の火縄銃が三もんめ半~十匁目(約十三グラム~三十七・五グラム)なのに対し、これは小さくとも二十匁(約七十五グラム)以上という重く大きな弾丸を放つことができ、無論、その威力も相当のものであった。


 ただし、その威力に比例して本体重量や発射時の反動もまた半端なく、狙いが定まり難いのが欠点である。


「ま、それだけ群れをなしとれば、どれか一つぐらいは当たるじゃろうて……」


 ドォンッ…!


 雷が落ちたかと思わんばかりの轟音を立て、重秀は砦頂上の小屋の中から眼下の雑賀川目がけて大鉄砲をぶっ放した。


 屈強な大男にもキツいその衝撃を、重秀は板の間に尻餅を搗きながら吸収する。


 …ヒュルルルルル…………ドガァァァーン…!


 わずか後、その砲弾は大挙して川を渡ってくる小舟の一つに見事命中し、文字通りそれを木端微塵に粉砕する。いや見事命中というより、とりあえず川に向けて撃っておけば、密集する舟のいずれかには必ず当たるといった方がよい。


「おーしっ! 一艘撃沈じゃ!」


 が、どうあれ相手に与えた損害に変わりはない。それを見て重秀は、硝煙の充満する小部屋の中で拳を握り締めて満足げな声を上げた――。




 同じ頃、弥勒寺山砦の北にある東善寺山砦でも……。


「――さすがは呪士! 鳴神殿の策が功を奏しましたな」


 雑賀孫市――鈴木重朝も、雷童丸の先読みに感心しつつ、攻め寄せる織田軍に一矢報いようと奮戦している。


 ……パン! ……パン…!


「よし! どんどん用意しろ! 火薬が湿って使えなくなるまで、わしが撃って撃って撃ちまくってやる!」


 重朝は家臣の者数名を専門に弾薬詰め係とし、彼らが用意した火縄銃をとっ換えひっ換え、自ら手に取って櫓の軒下より撃ち続けている。


 これも連射ができない火縄銃の欠点を補うために考案された、この時代の戦法の一つである。


 ……パン! ……パン…!


「こんな小雨とそよ風如きで我ら雑賀衆は負けん!」


 顔を殴る激しい雨風の中、そう叫びながら重朝は、飛礫に苦しむ織田の兵達を間髪入れずに狙い撃ち続けた――。




 また他方、雑賀の北にある平井政所でも……。


「――妙なウサギが持って来た父上の書状……まさかとは思うたが、その通り本当に嵐が来るとはな……」


 滝川一益、明智光秀ら率いる織田の〝浜の手〟軍対雑賀方の激しい戦闘が繰り広げられる中にあって、細身のやや病弱にも見える一人の武将が、城壁の方に視線を投じながらそんな言葉を呟いていた。


 その武将……彼は平井孫一――佐大夫の嫡男・鈴木重兼である。


 重兼の見つめるその先では、城壁を越えようとしている織田兵の顔に石が直撃し、そのまま向こう側へ崩れ落ちていくという場面が何度となく繰り返されている。


 昨夜、三日鎚の手で…というか、口に咥えてもたらされた佐大夫の手紙によって、重兼も近々暴風雨の来ることとその対処法を事前に知らされ、半信半疑ではあったものの、館内の石という石を夜の内に集めさせておいたのである。


 その甲斐あってか、山の手軍と時を一にして総攻めを始めた浜の手軍の猛攻にも、今のところ平井政所はなんとか持ち堪えている。


「……ん?」


 と、思っていたところへ、織田勢の一人が運よく飛礫を掻い潜り、城壁を乗り越えようとしているのが重兼の視界に入る。


 ……パン…!


「うがっ…!」


 それを見るや重兼は持っていた火縄銃を構え、素早くその兵を撃ち落としたが、特に喜ぶでもなく、逆に不安げな表情を浮かべて呟く。


「フゥ…しかし、この尋常ならざる雨風……鉄砲もろくに使えず、こんなことでいつまで持ち堪えることができるのやら――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る