第八幕 桃の宴

「――オババさま、お久しぶりにございますわ」


 断崖に囲まれた窪地の奥に立つ、この里で一番大きな屋敷の中で、雷童丸と珠は一人の老齢の巫女と対峙していた。


 ぴかぴかと黒光りする板敷の大広間には、正面奥に祭壇が設けられ、その祭壇の前に年老いた白髪の巫女と、さらにその左右にお付きの若い巫女二人づつが控えている。


「久しいの、珠姫……して、こちらの御仁は?」


 挨拶を受けた老巫女は、皺だらけの顔から覗く鋭い眼光で雷童丸のことを見つめ、再会の喜びもそこそこに珠へと質問を投げかける。


「これなるは鳴神の呪士・兵主雷童丸さまにございます」


 その問いに、珠はいつも以上に丁寧な言葉遣いで雷童丸のことを紹介した。


「鳴神の呪士……随分とお若い呪士じゃな……」


 老巫女は他の多くの人々同様、雷童丸の若さに呪士であることを疑るような顔をしてみせる。


 だが、珠の言葉を信じたのか、それ以上は何も言わず、しわがれた愛想のない声で自らの名を名乗った。


「わしはこの里のおさ神宮じんぐうすずじゃ。多くの者は〝神宮のオババ〟と呼んでおるがな」


「あ、ども、兵主雷童丸です……」


 雷童丸も、この巫女装束の上にいにしえの時代を思わす勾玉の首飾りをかけた、異様な威圧感を持つ小柄な老齢の巫女――〝オババさま〟に、少々圧倒されながらペコリと頭を下げる。


「グルル……」


「と、あと、これがおいらの相棒の狡兎の三日鎚です」


 その時、またしても忘れ去っていたが、懐で昼寝をしていた三日鎚がちょこんと頭を出したので、ついでに三日鎚のことも紹介する。


「……して、その呪士が何用でこの里においでなすった?」


 一人と一匹をしばし眺めた後、オババさまはそんな当然の質問を彼らに投げかける。


「それについてはわたくしがお話しいたしますわ」


 すると、その問いには珠が代わりに答え、これまでの経緯を彼女に語り聞かせた。


「――なるほどの。そういう次第じゃったか……それは助かり申した。兵主殿とやら、わしら玉依の民一同、心よりお礼を申しますぞ」


 すべてを聞き終えたオババさまは、そう言うと深々と雷童丸に頭を下げた。と同時に、両脇に控える若い巫女四人も無言のまま老巫女同様丁寧なお辞儀をする。


「あ、いえ、おいらはただ自分の仕事をしただけですから……」


 なんだか必要以上に感謝され、雷童丸は面喰ってしまう。


「おおそうじゃ。呪士の仕事であれば、代金をお支払いせねばなりませぬな。早々用意致しますゆえ、後で勘定方の者にお申し付けくだされ」


「あ、は、はい! では申し訳ないですけど、仕事なんで遠慮なく……」


 なかなか言い出しにくい代金の話も向こうから申し出てくれて、なんだか拍子抜けに雷童丸は慌てて返事を返す。最初は警戒してたのか、ひどく取っ付き難い印象だったが、一度打ち解ければ、なんか、ものすごくいい人達みたいである。


「しかし、そちののことが織田方に知られるとはの……どこから漏れたのか知れぬが、もしも織田方に捕まっていたら、それこそ大変なことになっているところじゃった……」


「あの、そのことについてなんですが……」


 珠の方に再び視線を移すと一転、安堵と不安のない交ぜになったような眼差しで彼女を見つめるオババさまに、雷童丸がおそるおそる尋ねる。


「……その、お珠ちゃん…あ、いや、珠姫さまが、何かとてつもない力と関わってるようなお話を聞きましたが、その力っていうのはなんなんです? その力と珠姫さまには一体どういう関係があるんですか?」


「………………」


 だが、その質問にはオババさまも珠も、二人して貝のように押し黙ってしまう。


「あ、いや、呪士としての職業柄、〝理不尽なほどの力〟というのはどうにも気になりまして……いえ、話せないなら別にいいんですよ、別に……」


 その重苦しい空気に耐え切れず、雷童丸は慌ててそう付け加える。


「……すまぬな、兵主殿。それについてはいかに助けてくれたお方とはいえ、部外者のそこもとに話すことはできぬのじゃ」


 オババさまは目を伏せると、ひどく申し訳なさそうな声色で雷童丸にそう述べた。雷童丸のとなりに座る珠も、やはり心苦しげな表情をして俯いている。


「どうやら織田の一部の者には知られてしまったらしいがな。そう多くの者が存じているわけでもあるまい。あれは織田にとっても諸刃の剣……その力というのはそうしたものなのじゃよ。じゃからこれ以上、他の者に知られるわけにはいかんのじゃ……」


「でも、一部であれ織田の者が知っているとなれば、今後も襲ってくるかもしれません。そうなると、理不尽な行いを正すおいら達呪士としても放っておくわけには……」


 話せぬ理由わけを説明するオババさまに、雷童丸も正直なところを口にする。


「いや、この里に入ってしまえばもう大丈夫じゃ」


 だが、雷童丸のその不安を玉依の民の長老はきっぱりと否定した。


「ここはご覧の通り、外界からは完全に隔離された隠れ里じゃ。この里を知る者は我ら玉依の民と、そこもとのように特別入ることのできたごく少数の部外者以外にはおらぬ。ほとぼりが冷めるまでここにおれば、織田に見付かるようなこともまずあるまいて」


「それならいいんですが……」


「我らとて馬鹿ではござらぬ。織田なぞにみすみす珠姫を渡すようなことはいたさぬゆえ、ご安心めされ……さて、話はこれぐらいにして、大事な同胞を助けてくれた御仁をおもてなしせねば、それこそ玉依の民の名折れ。折しも三月三日の桃の節句でもございますしな。今宵は兵主殿を歓迎しての宴を開きましょうぞ。お前達、皆の者に言うてすぐに宴の用意をさせよ」


「はい」


 里長の命に、左右に控える四人の巫女達は声を合わせて返事をすると、音もなく緋袴の裾を引き擦って大広間から立ち去って行く。


 こうして、どこかすっきりしない思いを残す雷童丸本人を他所に、その夜は彼への感謝を込めた、里を上げての大宴会が催されることとなったのだった――。




「――わはははははっ!」


「おほほほほほ!」


 裏の炊事場の薄暗い土間で、穴の開いた鍋やら釜やらをおいしそうにかじっていた三日鎚は、時折、ここまでも響いてくるバカ騒ぎに長い両の耳をぴくぴくと前後左右へ動かしている……。


 そのバカ騒ぎ――宴のため、オババさまの屋敷に集まった里人達の楽しげな笑い声は、広間の高い天井に反響して割れんばかりに木霊していた。

 

 もともと〝桃の節句〟というハレの日・・・・ではあったものの、雷童丸のような部外者がこの里を訪れるのが珍しかったのか? はたまた〝姫〟である珠が来てくれたことに感激したためか? この夜の宴はそれはそれは賑やかなものとなった。


 男も女も、巫女もそれ以外の者も、里人達は余すことなくこの場に集まり、振舞われる里自前の濁酒どぶろくの肴には、伊勢近海で採れた海の幸や近在の山の幸が贅沢に膳の上に並ぶ。またその余興には、幾人もの美しい巫女達が同じく美しい調しらべに乗せて華麗な舞を披露し、時には酔った里人の男が滑稽な田舎踊りを見せたりもする……。


 雷童丸はお子さまなので、まだまだ半分ほどしかその楽しみを味わい切れてはいなかったりするが、成人男性諸氏にとっては助けた亀に連れられて竜宮城にでも来てしまったかのような極楽浄土である。


「ささ、呪士さま、どうぞ一杯」


 オババさまと並んで上座に座る雷童丸に、若くて美しい巫女が背後から近寄り、妙に艶っぽい仕草で酒を勧めた。


「い、いや、おいら酒は……」


 息がかかるほど間近に詰め寄る妖艶な美女に、雷童丸は少し顔を赤らめながら、その勧めを苦笑いで断る。


「まあ、そうおっしゃらずに、さ、ぐっと一杯。カワイイ呪士さま」


 すると今度はもう一人、負けず劣らずの美人巫女が反対側から彼を挟むように膝を寄せ、同じように濁酒の入った瓶子を傾けてくる。


「あ、いや、その……」


 諸手に花のその状況に、雷童丸はますます顔を赤らめ、慌てふためいた。


「フフ…駄目ですわよ。こちらの呪士さまはまだまだお子さまですから。お酒も女子も早すぎますわ」


 そんな彼を横目に眺めながら、オババさまとは逆どなりに座る珠がいつものように澄ました態度で、だが、どこか不機嫌にも見える様子で小馬鹿にしたように言う。


「な、なにをっ! おいらだってもう大人だ! 酒ぐらい人並みに飲めるさ! だが、おいらは呪士として油断ないよう酒を慎んでんだ。女子だってなあ、その気になれば呪士秘伝の超絶技法で……って、また何言わすんだあっ!」


「まあ、辛い言い訳ですこと。そんな無理をなさらずともいいんですのよ。もう夜ですし、そろそろお子さまは寝に行かれたらいかがです?」


「だ、誰がこんな早くから寝るかっ!」


 あくまでこども扱いする珠に、今夜も声を荒げる雷童丸だったが。


「あらぁ、もうお眠りになりますのぉ?」


「でしたら、お姉さん達が寝所へご案内いたしますわ」


 酒を勧める二人の巫女がそう言って、艶めかしい目つきで左右から雷童丸へその女体を擦り寄せる。


 なんだか彼女達の着る白い小袖の薄い衣越しに、ぽよぽよと柔らかい胸元のものが両の肘に当っているような気もする。


「ああ、いやあ、それはそのお……」


 胸の大きな二人の美女に両脇を固められ、赤面の雷童丸は完全にのぼせ上がってヘロヘロ状態である。


「ほぉーん…女子の方はほんとによろしいみたいですわね。お子さまのくせに色気付いて……色惚けのお子さまなんて、ますます最悪ですわ」


 そのだらしない姿を珠は軽蔑の眼差しで見つめ、わざと雷童丸に聞こえるように呟く。


「な、なんだとっ! 誰が色惚けのお子さまだ! さっきからなんだよ? いちいちつっかかってきてさ。何か気に食わないことでもあるのか?」


 すると色気の呪縛から解き放たれて、雷童丸も美女二人を侍らせたまま珠に言い返す。


「いいえ別に。わたくしはただ真実を言っているだけのことですわ」


「どこが真実だっ! おまけにその人を見下したような嫌味な物言い……これだからお育ちのいいお姫様は……」


「なんですって! 言っていいことと悪いことがございますわっ! このっ朴念仁!」


「朴念仁? ……なんで、おいらが朴念仁なんだよ?」


「フン! 朴念仁じゃなかったら、朴念お子さまですわ」


「なにをっ!?」


「なんですの!?」


 そんな感じでまたも言い争いになる二人を傍から眺め、オババさまがぽつりと呟く。


「まったく、素直じゃないのお……」


「オババさま、何か言いまして?」


 それを耳聡く拾い、珠は雷童丸越しにオババさまに尋ねる。


「いいや。何も……」


 オババさまは惚けてそう答えると、杯の濁酒をこくりと飲み干した。


 珍しい来客を迎えた玉依の民の里の宴会は、そうして東の空が白む頃まで、いつまでも愉しげに続いた――。




 そして、その翌朝……。


「――今回はまことに世話になった。道中、気を付けての」


「いえいえこちらこそ、あんな宴会まで開いていただいちゃいまして」


 まだ朝霧に煙る中、隠れ里と外の世界とを分つ断崖に空いた洞窟の入り口で、雷童丸は珠やオババさま達と別れの挨拶を交わしていた。


 旅支度をすっかりすまし、呪士専用の黒い合羽を羽織った雷童丸の背中には、今回の手間賃として貰った銭の束をぎっしり詰め込んだ袋が結え付けられている。


「それから、くれぐれもこの里のことは内密にの。呪士仲間でも話してはなりませぬぞ? もしも話したら、例え呪士とて我ら総力を挙げてそこもとを呪い殺しまする」


「え、ええ。口が裂けてもしゃべったりなんかしませんよ……」


 なんだか、とてつもなく怖いことをさらりと口にする老巫女に、雷童丸は額に冷や汗を浮かべながらそう答えた。


「グルルルル…」


「ああ、こいつも昨夜は鉄屑を御馳走さまでしたと言ってます」


 今朝は左肩に乗っかっている三日鎚も、いっちょ前に別れの鳴き声を上げているので雷童丸が通訳してやる。


「わたくしも改めてお礼を申しますわ。おそらくはもう二度とお目にかかるようなこともないとは思いますけれど、もしも万が一、どこかでまたお目にかかるようなことがございましたら、その時はよろしくお願い致しますわね」


 多少、淋しい思いもあるのだが、その感情をどうにも素直に表せない珠は、そう、いつものように澄ました顔で丁寧だが嫌味な挨拶を雷童丸に送る。


「ああ。こっちももう二度と逢うことはないと思うけど、達者で暮らせよ。珠姫さま・・・


 対する雷童丸も珠の言葉にムカっときて、普段通りのケンカ腰な口調で挨拶を返す。


「ええ。言われなくても達者に暮らしますわ。それじゃ、御機嫌よう。三日鎚ちゃんもお元気でね」


「グルル…」


「ああ。んじゃあな」


 こうして最後まで穏やかに会話を交わすこともなく、あっさりと珠に別れを告げた雷童丸は、どこか淋しげに鳴く三日鎚とともに神宮の里を早々に旅立って行った。


 珠とオババさまも、洞窟に雷童丸が入るのを確認するとその場から立ち去る。


 それでも珠は途中一度だけ後を振り返ってみたが、その時にはもうすっかり洞窟の闇に覆われて、雷童丸の姿はどこにも見当らなくなっていた。


 一方、洞窟に入った雷童丸は振り返ることもなく、足早に暗闇の中を進んで行く。


「グルル…」


 そんな彼の肩の上で、三日鎚が何か言いたげに鳴き声を上げた。


「ん? もっとゆっくりしてきたかったって? ……あのな、三日鎚。おいら達は呪士だぞ? それにここは本来、玉依の民しか知らない隠れ里だ。仕事が終わったんなら、こんなとこに長居は無用。とっとと御蔭屋へ報告に行って、新たな旅へ出かけるとしようぜ」


 三日鎚にそう言い含めると、何かをふっ切るかのように雷童丸はさらに歩く速さを増す。そして、ほとんど時を置かずして滝の裏から表へ出ると、ここへ来る時に通った道を逆に戻り、沢筋を麓の方へと高速で下って行く。


 さすがに呪士だけあって、雷童丸が他人に気兼ねなく独りで歩いた時の速さは並大抵のものではない。


 ……だが、その時である。


「…!?」


 沢筋の一本道で、不意に雷童丸は何者かの気配を感じたのだった。


「………………」


 急に立ち止まり、雷童丸は辺りを警戒の眼差しで見回す……。


 しかし、山深いその場所には己自身と、あとは肩に乗る三日鎚以外何も動くものは見当たらなかった。


 耳に聞こえるのも風の音か、傍の沢を流れ行く川の水音くらいのものである。


「……気のせいか」


 しばし周囲に気を配った後、何か引っかかる思いを残しながらもそう判断を下すと、雷童丸は再び帰途の道へと足を踏み出した。



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