第九幕 燃える景色

 玉依の民の隠れ里〝神宮の里〟よりの帰り道、背に重い銭の袋を背負いながら、雷童丸はなんともいえない不安に駆られていた。


「……なんか、妙に胸騒ぎがするんだよなあ」


 麓の村も近づき、人の住む里山の景色も見え始めた山道を歩きながら、独り雷童丸は呟く。


「グルル…」


 すると、人ではないが彼の旅の同行者――左肩に乗る三日鎚もどこか不吉げな鳴き声を低く響かせる。


「三日鎚、お前もそう思うか? なんだかわかんないけど、やっぱり何か引っかかってんだよなあ……」


 雷童丸の、その不安の原因は彼自身にもよくわからない……しかし、彼の心の奥底にある正体不明の何かが、その胸に言い表しようのない居心地の悪さを与えているのだ。


「なんなんだ? この胸騒ぎは……」


 雷童丸は記憶の海を探り、ここ最近にあったことを一つ一つ思い出してみる……何が、この不安を生み出しているのかを突きとめるために。


 それでも掴みどころのないそれは、なかなかはっきりと姿を現してはくれない……だが、そんな中で一つ、不意に彼の心を捉える感覚があった。


 それはやはり、あの滝の裏側に空いた里への入口の洞窟を出てすぐの頃、沢に沿って伸びる一本道を歩いていた時のことである。


 あの時、雷童丸は近くに誰かいるような、そんな気配を確かに感じたのだ。


 ただ、そこは人一人が通ればやっとの幅しかない一本道。誰かいれば絶対に気付いたと思われるのだが……。


「……でも、やっぱり気になる。戻るぞ、三日鎚!」


 雷童丸は肩の三日鎚にそう告げると、急に踵を返してもと来た道を駆け出した。


 そしてそのまま、全速力で沢筋の道を駆け昇って行く……並の者では到底追い付けぬ、カモシカのような速さである。


 あるいは山を吹き上る風のように進み、今朝見たばかりの滝の流れ落ちる場所へと辿り着く……だが、それでも彼は足を休めることなく、昨日と同様、滝の裏側にポッカリと開く洞窟内へと飛び込んだ。


 そして、隠れ里へと続く暗い洞窟も一気に駆け抜けたその場所で雷童丸は……

 

「…………!?」

 

 思わず絶句して、前回とは違う意味でまたも目を見開いた。


 雷童丸の目に映ったもの……それは、燃え上がる里の光景だった。


 家という家は炎に包まれ、炊事の白い煙とは明らかに違う黒々とした煙がもうもうと天に昇っている……。


 田や畑、里の中を通る道も、何か巨大な獣でも這いずり回ったかのように地面が捲れ、方々に赤黒い血痕や倒れた里人の姿も見受けられる……。


 今朝見た長閑な山里の風景は最早そこにはない。


「いったい、何があったっていうんだ……」


 雷童丸はうわ言のように呟き、その場に膝から崩れ落ちる……と同時に、そんな彼の脳裏には、遥か記憶の彼方に残るあの日の光景が不意に蘇る――。




「――うわぁぁぁぁぁーん…」


 闇の中、幼子の泣き声が聞こえる……。


 月もなく、星もない真っ暗な夜の闇、すべての家が紅蓮の炎に包まれ、その炎に赤く浮かび上がる村の真ん中で、その幼子は泣いていた。


 そのこどもは他の誰でもない……それは、幼き日の雷童丸自身である。


 焼き尽くされたその村に、幼き雷童丸以外、村人の姿はまるで見られない……。


 ただ独り、周囲を取り巻く炎にじりじりと焼かれながら、泥と煤に塗れた小さく非力な彼だけが、大きな泣き声を上げて立ち尽くしている……。

 

 どうやらその村が雷童丸の故郷であるらしいのだが、なぜ村が燃えているのか? いったい家族や他の村の者達はどうなってしまったのか? どうして自分はこんなところで独り泣いているのか? ほぼすべてといっていいほど何もわからない……。


 戦国の世の倣いとて、村が戦にでも巻き込まれたのだろうか? それとも野党か何かに襲われたのだろうか?


 自分が今、悲しくて泣いているのか? それとも何かを恐れて泣いているのか? それすらも雷童丸にはわからなかった。


 そんな中、ふと気がつくと、目の前には銀色の鎧に身を包み、白き合羽マントを纏った大男が一人立っている。


 その雲を突くような大柄の男……否、まだ彼が小さかったために実際以上に大きく見えたその男は、雷童丸の前で膝を突くと幼子の目を真っ直ぐに見つめて言った。


「わしとともにくるか? ……いかづちわらしよ」


 その声は、けして優しい口調でも、穏やかでもない無骨な男のものであったが、なんだかその時の雷童丸にはとても温かなものに感じられた――。




 その後、どういう経緯で呪士になる道を選んだのかは憶えていない。


 物心の付いた時にはもう、燃え盛る村の中で彼を拾った白銀の鎧の男――まだ若かかりし日の剣鎧の呪士・鬼城兵庫之介について旅をしたり、呪弥山で呪士生として厳しい修行に明け暮れる日々を送っていた。


 雷童丸が憶えているのはただそれだけのことである……その、ただ一つ鮮明に憶えている幼き日の記憶が、今、目の前に広がる地獄絵図と化した神宮の里の光景と重なって、不意に彼の脳裏に蘇ったのだった。


「……はっ! お珠ちゃん!」


 ようやく我に帰った雷童丸は、彼女のことを思い出す。


「三日鎚、お珠ちゃんがどこかにいないか探せ!」


 そして、肩の三日鎚を下ろして指示を与えると、自身も珠の安否を確認するため、再び全力で走り出した。


「グルル…」


 三日鎚は強靭な後足で大地を蹴り、燃え盛る人家の方へと高速で飛び跳ねて行く。


 そんな三日鎚とはまた別方向へ向った雷童丸は、しばし走ったところで道端に倒れる里人の男に出くわした。


 親しく言葉を交わしたわけではないが、昨日の宴席でも見た憶えのある顔だ。


「おい! 大丈夫か!? しっかりしろ!」


 急いで駆け寄り、その男を抱き起こすと肩を揺すって声をかける。


「………………」


 だが、口から血を流した百姓風のその男は、だらりと力の抜けたその身体をぴくりとも動かそうとしない。


「……駄目だ。もう事切れてる……くそうっ!」


 雷童丸は男をそっと地面の上に寝かすと、またも燃え盛る里の中を走り出した。


 それより同じような行為を繰り返すこと数十回……どれだけ人の形をしたものを見かけようとも、まだ息のある者と出会うことは一度としてなかった。


 何かに殴り飛ばされたかのようにして死んでいる者、大きな槍のような武器で身体を刺し貫かれている者、鋭利な刃物で腕や足、あるいは首などを切断された者……雷童丸の目の前にはあまりにも凄惨な光景が広がっている。


 加えて端から炎上する家々に、荒れに荒らされた田畑や田舎道……いったい、どれほどの軍勢がこの隠れ里に攻め寄せたというのだろうか? 田畑の中や道の上に所々空いた大穴から見るに、敵は石火矢いしびや(※大砲)まで持ち出してきたというのか?


 それでも果敢に戦おうとしたのだろう……中には槍や刀を手にして死んでいる者の姿もある。


 無論、それが無駄な抵抗であったことは、もうこれ以上、語る必要もあるまい。


 ただ一つ。不思議に思うのは里のあちこちに倒れている遺体のほとんどが、なぜか男のものばかりであるということだ。


 女・こども…特にこどものものは一体も見当たらず、女でも巫女装束を着けた者の遺体はまったく見当たらない。皆、どこかに逃げおおせたのだろうか? それとも燃え上がる家の中で炎と一緒に……。


「くそうっ!」


 思い至ってしまった最悪の予想に、雷童丸は走りながら再び毒づいた――。




 ……どれくらい、里の中を駆けずり回っていたのだろう? 


 気がつくと、いつしか燃え盛っていた家々もすべてが焼け尽し、ただ後に残る真っ黒に焦げた太い柱や大きな梁からはプスプスと白い湯気だけが天に上っている。


 そんな廃墟と化した里の中を、かつては里で一番大きかった家――昨日、オババさまと対面し、自分を歓迎する宴を開いてくれたあの屋敷の残骸へと雷童丸は向かった。


 そこに別行動をとっていた三日鎚の姿を見たからだ。


「三日鎚~っ! お珠ちゃんはいたかーっ!?」


 雷童丸はそう叫びながら、三日鎚の方へと駆け寄って行く……だが、その相棒の周りに人影はまるで見当たらず、自らの問いかけが無駄であることは返事を聞くまでもなくわかった。


 その様子では、三日鎚の方も珠はおろか生存者一人見つけられなかったのだろう。


「みんな、家と一緒に燃えちまったか……」


 駆け出したその脚も希望を失くしてだんだんに失速し、最後はとぼとぼと力なく歩きながら雷童丸は呟く。


 それでも、その重い足取りで焼け焦げた木材の上を跨ぎ、三日鎚のいる焼け跡の中央部分へと惰性で進む……。


 黒と灰色二色に染まったもと・・屋敷内に足を踏み入れると、地面に積もった炭と灰が、いまだ熱を帯びているのを草鞋の上からでも感じ取ることができる。


「……ん? 何やってんだ三日鎚?」


 しかし、三日鎚の傍まで近寄った彼は奇妙なことに気づく。


 三日鎚は犬ではなくウサギ…正確には狡兎であるが、花咲爺さんよろしく、「ここほれワンワン」とばかりに前脚でまだ熱い地面を掻いているのだ。


「三日鎚、もしかして、その下に何かあるのか?」


 不可解な三日鎚の行動に、雷童丸は何かを感じ取る。そして、三日鎚と同じように慌てて自分もその場所を掘り始めようとしたその時。


 ボガン…っ!


 と、地面に溜まった細かい炭混じりの灰がいきなり吹き飛び、焼けた土の上に四角い穴が空いたのだった。


「うわっ…!」


 突然の衝撃に、三日鎚はひっくり返り、雷童丸は尻餅を搗く。


「熱っ…!」


 その瞬間、地面に手が触れると積もった灰はまだ火傷をするほどにかなり熱い。


 危うく自分も掘るところだったが、鉄をも切り裂く爪を持った狡兎の三日鎚ならばいざ知らず、軟な人間の素手などで掘ったりせずによかったかもしれない……。


 いや、今はそのようなことを悠長に考えている場合ではない。


 気を取り直して雷童丸が確認すると、突如として現れたその四角い穴は地面の灰を吹き飛ばして石の蓋が持ち上がったためにできたものらしい。


「これは……?」


 突然、ぽっかりと地面に空いた怪しげな穴を見つめ、雷童丸は目を見張る。すると、今度はその暗い穴の中より何者かがひょっこりと顔を突き出すではないか!


「ふぅ……ようやく治まったようじゃの……家も何も皆焼けてしもうたわ……」


 そして、そのどこか見憶えのある長い白髪の人物――神宮のオババは辺りを見回し、ふと目の前に転がる雷童丸達の姿を見つけると惚けた口調で呟いた。


「おや、これは兵主殿」


「お、オババ……さま?」


 雷童丸もポカンと開けた口をパクパクさせて、その思いのほか元気そうな老人に呟き返した――。






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