第五幕 もう一人の客

「――なるほど。そないな事情やったんですな……」


 組んだ腕を袖に入れ、目を瞑った御蔭屋平四郎は考え深げにそう答えて頷く。


 あれより半時(約一時間)程の後、湯殿で旅の疲れをすっかり洗い流した雷童丸と珠は、先程の約束通り主の部屋を訪れていた。外界は日も傾きかけ、中庭から吹いてくる夕暮れ時の風が湯で火照った身体には心地よい。


 湯上りのためか、雷童丸はこれまでずっと羽織っていた黒い合羽を身に着けてはおらず、「雷光」を表す赤い角ばった渦巻き模様の入った灰色の小袖と、裾を脚絆で捲いた濃い暗灰色の袴姿を見せている。


 一方、珠の方は白地に「御蔭屋」の屋号の入ったこの宿の浴衣を借りて、湯上りのまだ熱い身体に纏っている。


 雷童丸はあえて目を向けないようにしているが、その上気して頬の赤くなった美しい顔と、まだ乾かず湿り気を帯びて光る豊かなカラスの濡れ羽色の髪が、実年齢にも増してなんとも艶っぽい雰囲気を醸し出している。


 その上、少々肌蹴た胸元や裾から覗く桜色のもちもちとした肌は、多感な思春期の少年には大変目の毒だ。


「まあ、ほんまはその織田が狙ろとるっちゅう〝力〟のことについて詳しゅう聞きたいとこではおますけどお……どうやら嘘は吐いてはれへんようだし、掟言うなら、こちらもわからん話やおまへんからな。その依頼、わても受けて構わんと思いますわ」


「ありがとうございますわ」


 しばし熟考した後、そう判断を下す呪士宿の主に珠は笑顔で礼を述べた。


「いえいえ、礼には及びませんて。こっちも商売ですからな。ええと、神宮の近くまで行かはるんでしたな、さすると宿代は二人で一日分と考えて……」


 頭を下げる珠に掌をひらひらと振って答えると、平四郎は脇の文机ふづくえの上にあった算盤を手に取って、おもむろにパチンパチンと弾き始める。


 つまりは呪士を雇う代金の計算だ。そこら辺を忘れないのはさすが商売人といったところだろうか。


「ほな、お珠はんの美しさに大負けに負けて、道中の宿代・飯代込みでこんなとこでどうでっしゃろ? 天下に名高い玉依の民はんの財力なら、こないな金額安いもんでしゃろう?」


「うーん、ちょっとお高いですわね……この関宿まではもとから雷童丸さんの帰り道のついでですし、これは呪士の皆さんにとっても〝因果応報〟を守る本分となるお仕事ですから、そんな諸事情も差し引いて……こんなところでいかがでしょう? 無事、里に着けましたら全額一括でお支払いいたしますわ」


 弾いた算盤を彼女に見せ、庶民からすれば少々高額な代金を平四郎が提示すると、珠もその算盤をパチンと弾いて、したたかにも値切ろうとする。


 一見、のほほんとした育ちのよいお嬢さまのように見えて、こちらも平四郎に負けず劣らず、そういうところはしっかりしているようだ。まだうら若き女子とはいえ、呪いを生業に旅から旅の放浪暮らしで生計を立ててるだけのことはある。


「いや~かないまへんなあ。べっぴんはんなだけやのうて目はしも利きなはる。こりゃ、玉依の民だけで終わらせるのはもったいない。ぜひ、うちの女将はんになってもらいたいくらいですわ……よっしゃ。ここは思い切って清水はんの舞台から飛び降りたつもりで、そんで手を打ちまひょう」


 目聡くも痛いところを突いてくる意外と商い上手な珠に、平四郎は参りましたとばかりに頭を掻きながら、大仰な素振りでその値引きを了承した。


「んにしても、その若い身空で織田に追いかけられるとはお珠はんも大変ですなあ」


 だが、損した割にはまんざらでもない様子で、値段交渉が終わると今度は商売抜きに、平四郎は珠に慰めの言葉をかける。


「いえ、それがわたくしの運命さだめと心得ておりますから、特に大変とも思っていませんわ」


「かぁ~! 自らの辛い運命にも何一つ文句を言わへんとはなんて健気な娘はんなんやあ! おまけにごっつうべっぴんはんで話し方も上品ときてる。鳴神はん! こりゃ、ちゃんとお守りしてその神宮近くのお里まで送っていかな、ほんま罰当りまっせ!」


 さらに、その年頃の娘にしては妙に達観した珠の返事を聞き、より「平四郎は涙目を腕で覆うような振りまでまじえて雷童丸に檄を飛ばす。


「ったく、女子には弱いんだから……わかってますよ、言われなくても。まあ、伊勢が織田の支配下にあるにしろ、目立たないよう注意して行けば気取られることもないでしょう。ただ、昨夜の鍬形の一件はそろそろ広まってる頃でしょうし、少々急いだ方がよさそうですけどね」


 そんな面倒くさいオヤジに雷童丸は渋い顔を作り、湯に濡れてより小さくなった三日鎚を拭いてやりながらそう答えた。


 そして、さらに苦々しげに表情を歪め、あまりにも珠を褒めちぎりすぎる平四郎にこう続ける。


「それからですね。この娘は一見、上品で気立てもよさそうに見えるかもしれませんが、そんな上っ面に騙されちゃいけませんよ? その言葉の真意は常に人を小馬鹿にしてますし、無礼な発言ばっかするんですから」


「何言うてますの鳴神はん! こないなカワイらしい娘はんがそないなことありますかいな! あんさんみたいな若いもんにはようあることですが、いくらカワイイからって、照れ隠しにそないいけず・・・言うたらあきまへんで!」


 しかし、平四郎はその言をまったく信じようとせず、思春期の男子特有の、異性に対する天の邪鬼な態度と勘違いして雷童丸を嗜める。


「い、いえ、そうじゃなくてですね……」


「ほんとに……ひどい言われようですわ……」


 すると、何を考えているのか? 珠も平四郎の調子に合わせ、袖の端で涙を拭うような仕草をしてみせる。


「な、なに、泣いた振りなんかしてんだよ! 誤解を招くだろ!」


「ああ! 泣かせてしもた! まったく悪いお人やな。鳴神はん、そないに女子に優しくできへんようではまだまだお子さまでっせ」


「あ、あんたも言うか!?」


 お駒ばかりでなく、平四郎にまでこども呼ばわりされる雷童丸だったが、それに便乗して珠もさらに付け加える。


「ええ。まったく困ったお子さまですわ」


「お前も言うな!」


「ほんま、困ったお子さまはんでっせ」


「ええ、ええ。ほんと、お子さまですわ。お子さま雷童丸はんって呼ぼうかしら」


「ええい! お子さまお子さま、うるさーいっ!」


 三人がそんな談笑に花を咲かせていたちょうどその時。


「御蔭屋さん、ちょっと失礼いたしますよ……」


 廊下から、聞き慣れぬ男の声が不意に聞こえてきた。


 ガチャ…!


 その声に、雷童丸は咄嗟に腰の脇差へ手をかけると表情を硬くして廊下へ鋭い視線を向ける……なぜならば、それまでその人物が近づく気配をまるで感じなかったからだ。


 呪士として訓練された雷童丸のこと。普通ならば、誰か近付いてくれば必ずわかるはずなのである。


 彼の尋常ならざる反応に、平四郎と珠もそちらへと目を向ける。


 脇差の柄を右手で握り、身構える雷童丸の視線の先……そこには、水色の小袖に海老茶色の袖なし羽織と袴を着けた、質実剛健な武士然りといった感じの男が一人立っていた。


 歳は三十くらいだろうか? 頭は月代さかやきを剃り、ぴんと立った茶筅のような髷を結っている。


「ああ、これは間見はざみはん。どないぞしはりました?」


 だが、険しい表情の雷童丸とは対照的に、その気配のない不気味な男に平四郎は笑顔でそう声をかけた。


「いえ、こちらに鳴神の呪士殿も参られたとお女中から聞きましたのでな。かの最年少で呪士になられた鳴神殿に一目お会いしたく思いまして」


 男の方も平べったいその顔に笑みを浮かべると、穏やかな声で宿の主に答える。


 ……おいらのことを知ってる?


 男の言葉に、雷童丸は疑問を抱いてよりいっそう眉間に皺を寄せる。


「ああ、それはちょうどええ。今こっちに来てもろて話してたとこなんですわ。ほら、このお兄はんがその鳴神はんです」


 しかし、平四郎は本人の疑問を他所に、雷童丸のことを硝子(ギヤマン)の中の横目で男に指し示した。


「そういえば言うてませんでしたかいな? 実はあんさんが昨日出て行った後に、もう一人呪士はんがうちんとこへお越しになりましてな。んで、その呪士はんちゅうのがこちらの間見はんなんですわ」


「呪士? ……ああ、それで…」


 その説明を聞き、雷童丸の緊張は一気に紐解けた。それならば、近づく気配をまったく感じさせないその身のこなしも、また自分のことを詳しく知っていたこともすべて納得がいく。


「どうもお初にお目にかかりまする。絶縁ぜつえんの呪士・間見甲次郎はざみこうじろうにございまする」


「絶縁……」


 ようやく得心のいった雷童丸に挨拶するその間見なる呪士だったが、雷童丸が名乗り返すよりも前に、珠がその不吉な響きを持つ呪士号に思わず呟いた。


「ハハハ。縁起の悪い名だと思われましたかな? しかし〝絶縁――縁を絶つ〟という言葉が持つのは悪い意味合いばかりではござりませぬ」


 すると、珠の心を見透かしているかのように、間見は愉快そうに笑ってそんな解説を付け加える。


「無論、よい人・よき物とは〝縁を結ぶ〟方がいいですがな。逆に悪い仲間や悪しき影響を及ぼす物とは〝縁を絶った〟方がいい……そこで、世には悪縁に苦しむ者達を救うために縁切りのまじないや縁切り寺などというものがあったりなどいたしまする。それがしはそうした呪術を得意とする者……故に〝絶縁の呪士〟なのでござりまするよ」


「そう言われると、確かに〝絶縁〟というのも悪い印象ばかりではなくなってきますわね」


「そうでござろう? ま、大抵の者にはやはり縁起が悪いと思われますがな。で、ついでにこれが、それがしの霊獣の大鋏おおばさみにござりまする」


 図らずも最初に受けた悪印象を一変させられ、感心したように頷く珠に続けて間見は袖の中から何かを取り出して紹介する。


 よく見ると、それは握り拳大ほどもある大きな青黒い蟹であった。


「まあ! 大きなカニさんですこと! こんな大きな沢蟹、わたくし見たことありませんわ。もしかして、今夜の夕餉ゆうげはカニ鍋ですの?」


「あ、いや、我が相棒を食べられてしまっては困りまする。それにこいつは沢蟹ではなく、化蟹ばけがにでござる。ま、一種の物怪もののけでござるな。ハハハハ!」


 興味津々に円らな瞳を輝かし、ちょっと食いしん坊な誤解をしている珠に間見はまた愉快そうに笑って言う。


 一瞬、ぴんと張り詰めたその場の空気は、こうして再び和やかなものへと戻っていった。


「……あ、これはどうも失礼いたしました。鳴神の呪士・兵主雷童丸です。あと、こいつがおいらの霊獣の三日鎚です」


「グルル…」


 ここに至り、自分がまだ挨拶していなかったことを思い出した雷童丸は、姿勢を正して間見に向かうと、三日鎚とともにペコリとお辞儀をする。


「おお、そこもとがかの有名な剣鎧の呪士殿の弟子、鳴神殿にござりまするか? その才気溢れるご活躍ぶり……お噂はかねがね伺っておりますよ」


「いえ、そんな……おいらはまだ駆け出しのひよっこですから……」


 相棒のカニに似て甲羅のように平べったいためか、少々作り物のお面っぽくも見える笑顔で褒める間見という呪士に、雷童丸はいつになく謙遜を言って照れてみせたりなどしている。


「いやいや、そのお歳で呪士の免許を得るとは並の者では到底かなわぬこと。それがしのような遅咲きの不出来な呪士とはまさに月とスッポンにござりまするよ」


「いや~そんなあ~…おいらなんか、まだまだ皆さん先輩方から学ばなきゃいけないことが山程でぇ……」


「そうですわね。ひよっこというより、まだまだお子さまですわ」


「ええ、まだまだお子さまで……って、誰がお子さまだっ!」


 間見の褒め言葉にいっそう照れてもじもじと身体をくねらせる雷童丸だったが、となりで聞いていた珠がまたいらぬことを言って、いい気分だった彼を一気に不快にさせる。


「そういえば、こちらの娘さんは?」


 そんな珠と一人ボケツッコミをする雷童丸の掛け合いを見て、今度は珠の方へと間見は関心を向けた。


「ああ、こっちは玉依の民の巫女のお珠はんですわ」


「失礼いたしました。珠と申します」


 「ガルルル…」と猛犬の如く珠を睨みつける雷童丸になり代わり、平四郎が紹介すると彼女は澄ました態度で礼儀正しく頭を下げる。


「ほう……呪士宿に玉依の民の巫女とはまた珍しい。もしや、何か仕事でも頼みに参られたのかな?」


 自分達呪士同様、その出会うことすら稀な珠の素生を聞くと、間見は細い目をさらに細くして、そんな質問を口にした。


「あ、はい! このはさる事情で織田の者達から追われていて、それで神宮近くにある玉依の民の里まで送ってくれるよう頼まれたんです。あ、いえ! これは因果応報の掟に鑑みても妥当なものだと思いますんで。実は今もその話をしていて、御蔭屋さんの判断でも依頼は受けて構わないということになったんです。ねえ、御蔭屋さん?」


 その問いに気を取り直して答えてから、雷童丸はまた批判される前にと、同意を求めて平四郎に話を振る。


「ええ。そういうことですわ。まあ、わても不都合はないと思いますよ」


「そうですか。ならばよいのです……あ、いや、若者を心配する年配者の老婆心とお思いくだされ。昨今は道を誤ってしまう呪士も多いですからな」


 頷く平四郎に、間見は気拙さを誤魔化すかのように平坦な笑みをその顔に浮かべた。


「……おお、そうや! 気のつかんこってえろうすんまへんな。そな立たせたなりで話し込んでしもて。ささ、どうぞ中に入とくれやす」


 一瞬、会話が途切れた後、平四郎はふと、ずっと立ったままの状態でいる間見に気付いて部屋の中へ入るよう彼を促す。


「ああ、これはどうもすみませぬ。何かお邪魔してしまいましたようで……」


「なに、もうこちらの話はすみましたさかい。ささ、どうぞ遠慮しはらずに」


「そうですか? なれば失礼をば……」


 二人がそんな遣り取りをしている間に、珠が雷童丸の袖を引っ張ると小声で囁く。


「あのう……見ず知らずの方にわたくし達の話をしてしまってもよろしいんですの? もしも織田方に話が漏れるようなことがあったら……」


「ん? ……ああ、大丈夫だよ。呪士は口が堅いからね。それに前にも言った通り、呪士の掟ではどの勢力にも属してはいけないことになってる。呪士である間見さんなら、その点、用心は不要だ。もし外道の者なら、こうして呪士宿に泊まってることもないだろうしね」


「そうですか? ……まあ、そうおっしゃられるのなら安心ですわ」


 初めは心配そうに尋ねる珠だったが、雷童丸のその言葉を聞くと彼女も安堵したように顔を綻ばせた。


「さ、せっかくこないに呪士が二人も集まったんやさかい、いろいろお話もありまっしゃろ。わても後学のためにお二人が各地で見聞きしたことをこの耳に入ときたいですわ」


「おいらも間見さんに呪士としての経験談を聞きたいです!」


「わたくしもなんだか呪士というものに興味が湧いてきましたので、ご一緒にお話をお伺いしたいですわ」


 部屋に入った間見が腰を落ち着かせると、三人はめいめいにそんな言葉を口にする。


「いえいえ、こちらこそ若き呪士殿のご活躍や、それから玉依の民の珍しきお話をお聞きしたいところです」


 間見もそんな三人の顔を見回すと、同じく旅に身を置く者として彼らに同調する。


「よっしゃ! そんなら今夜は皆でとことん語り尽くしましょ。そうや! なんなら、こっちに酒と夕餉の膳を運ばせましょか? 三日鎚はんには鉄屑と、化蟹はんには……ええと、何食べはります? ま、ともかく、もうそろそろそんな刻限やし、ちょうどよろしやろ。おおい! お駒! お駒はおらんか~!」


 平四郎は早口にそう独断で決めると、廊下の方に顔を傾け、女中の名を大声で呼ぶ。


 こうして呪士と玉依の巫女の集まった珍しき取り合わせの呪士宿の夜は、珠の置かれた緊迫する状況を他所に、たいそう賑やかに更けていった……。

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