第十二幕 織田の思惑
関宿の呪士宿・御蔭屋……。
「――御蔭屋さーんっ!」
夕刻前の穏やかな時が流れる宿屋の中へ、突然、物凄い勢いで雷童丸が飛び込んで来る。
「ああ、鳴神はん」
「あ、雷童丸はん」
それを見て、帳場にいた平四郎とお駒は揃って間の抜けた声を上げる。
「どないしはったんですか? そないに急いで?」
文字通り
「それに神宮辺りまで行ってたわりにはやけに早うお帰りでしたな。そないに宿代けちらんと、もっとゆっくり帰ってきはればよかったのに……ああ! もしかして三日鎚を使わはりましたな? あきまへんでぇ~鳴神はん。掟では、霊獣に騎乗していいのは戦の時と何か緊急な用がある時だけと…」
平四郎もそんな軽口を叩き、冗談に苦言を呈しようとしたのだったが。
「今が、その緊急時なんですよっ! …ハァ……ハァ……」
息を整え、ようやく雷童丸の上げた大声が平四郎のよく回る口を塞いだ。
「へ? ……何が緊急なんでっか?」
しかし、事情を知らぬ平四郎は、ポカンとした顔でなんのことだかさっぱりわからないといった様子で呟く。
「お珠ちゃんがさらわれたんです! それも、おいら達と同じ呪士によって!」
「はあ、あのお珠はんがさらわれなはって……ええっ!? そ、それはほんまでっか!?」
二言目に発っした雷童丸のその言葉に、ようやく平四郎も時間差で事態の重大さを理解したようである。
「ほんまですか!? 雷童丸はん!」
お駒も、真剣な顔になって雷童丸に聞き返す。
「ああ……ハァ…ハァ…こんなこと、嘘や冗談で言うもんか……」
「で、でも、その呪士にさらわれたっちゅうのはどういうことでっか? お珠はんは織田方の者に狙われてて、そんで神宮にある玉依の民の隠れ里まで送って行きなはったんでっしゃろ? それがいったい、なぜそないなことに……鳴神はん、いったい何があったんでっか!?」
降って湧いた事態への驚きと今一よくわからぬその話の内容に、少々混乱気味の平四郎は早口に雷童丸を問い詰める。
「だから、その隠れ里まで連れてった後に、織田方へ通じた呪士がお珠ちゃんを連れ去ったんですよ! 霊獣で里を襲ってね!」
なかなか話の通じぬ平四郎に、思わず大声になって雷童丸は答えた。
「織田に通じた呪士? ……いや、鳴神はんもよくご存じの通り、呪士は特定の勢力に付くことを禁じられてますのやで? それに罪もない玉依の民の里を攻めるなど、因果応報の理に背く、決してしてはならん行為……まさか、そないなことをする呪士がいるなんてことは…」
「間見ですよ! あの、おいら達と一緒にここへ泊ってた間見甲次郎が、その決してしてはならないことをやらかしてくれた外道の呪士なんです!」
「はざみ……ええっ!? あ、あの間見はんが!?」
まったく予想もしていなかった名前を聞き、さすがの平四郎も目玉が飛び出るほどにその眼鏡の奥の細い目を大きく見開くと、よりいっそうの驚きの声を上げる。
「ま、まさか、そなアホなことが……そ、そら、ほんまにほんまなんでっか? 鳴神はん!」
「ええ。ほんまにほんまですよ……残念ながらね……」
俄かには信じられぬという平四郎に、雷童丸は少々イライラした様子でそう答えたが、その言葉尻はひどく淋しげな呟きとなり、その表情にもどこか悲しげな色を浮かばせる。
「……どうやら、ほんまの話のようですな」
雷童丸のその様子を見て、それが嘘や冗談ではないことを平四郎もようやく悟り、肩をがっくり落とすとその声を小さくする。
「……も少し詳しい話を聞かせてもらいましょか。とりあえず、ここじゃなんですし、わての部屋ででも」
そして、いつになく真剣な面持ちになると、自分の部屋へ移動するよう雷童丸を促した。
「はい……御蔭屋さん、おいらに力を貸してください! その前にお駒ちゃん! おいらに水を一杯! それから三日鎚にも何か鉄っぽいもんやってくれ」
そんな平四郎にそう答え、雷童丸は帳場の縁にどっかり腰を下ろすと、傍らの三日鎚を顎で指し示しながら、お駒に注文をつける。
「へえ! ただいま!」
今の雷童丸の心情には相応しくないお駒の溌剌とした声が、薄暗い帳場の天井に甲高く鳴り響いた――。
「――そうでっか……あの間見はん…いいや、間見がやったのは間違いないんですな……すんまへん。わてがもう少し気ぃつけてれば、こないなことにはならへんかったのに……」
「いいえ。おいらの方こそ、呪士ならば大丈夫だと思って迂闊に話してしまいましたから……ですが、今はそんなこと言っている場合じゃありません。この失態の償いのためにも、織田に理不尽な力を与えないためにも、そして呪士の掟を破った間見に落とし前を付けさせるためにも、お珠ちゃんを無事に救い出さなくては!」
謝る平四郎の顔を、雷童丸は強い意志を秘めた瞳で真っ直ぐに見つめて言葉を返す。
「ああ。そうですな……確かにその通りや。今のわてらがすべきことは、反省よりもお珠はんを救い出すことや」
すると平四郎は再び腕を組み、雷童丸に向かって大きく頷いた。どうやら彼も雷童丸の考えに同じようである。
「そこでなんですが、間見がどこへ行ったのかわかりますか? おいらの方にはまったく心当たりがなくて……」
「そうですなあ……三日前、鳴神はん達が出ていかはってからすぐに間見もこの宿を発ちましたが、どこへ行くとも確かな行き場所は言うてませんでしたからなあ……もっとも言うてたとしても、きっと嘘を言うたでしょうし……」
雷童丸の問いに、平四郎は眉間に皺を寄せながら考え考え呟いた。
「ただ、うちへ来た時には紀伊(※現和歌山県)の方から来た言うてましたかなあ」
「紀伊? ……でも、それだって嘘を言ってたんじゃないですか?」
「いや、鳴神はんがお珠はんを連れてうちへ来たことはまったく予定外のことでっしゃろ? おそらく間見にとっても、ここでお珠はんの消息を得るとは思うてもいなかったと思いますのんや。となると、その前に言うてたことはほんまってこともあるかもしれまへんで?」
疑う雷童丸に、平四郎はそんな可能性を示唆する。
「う~ん…紀伊ですかあ……紀州で織田っていえば、今は
そのわずかな手掛りになるかもわからない言葉に、雷童丸は旅先や呪士仲間から入手した知る限りの情報を駆使して、その関連性を探ろうとする。
「雑賀でっかあ……まあ、確かにそれくらいしか思いつきまへんなあ……」
呪士のつなぎ役である呪士宿の主として、情報通である平四郎も彼と考えることは一緒のようだ。
雑賀――それは紀伊国
この雑賀衆は農業・漁業を営む傍ら、西日本との交易による経済力を背景に周囲の戦国大名からも独立した形を保っており、さらに鉄砲を大量に所有していたことで一種の傭兵のような存在としても活躍していた。
特に
各地で一向一揆(一向衆門徒による一揆)をけし掛けては天下取りへの道を阻む本願寺と激しく敵対していた信長は、これより一年前の天正四(一五七六)年に行った本願寺攻めにおいて、雑賀の傭兵を含む数千挺の鉄砲を備えた一万もの兵と、中国地方の毛利氏率いる水軍のために大敗を喫する羽目となった。
そこで、これを教訓に先ずは本願寺の主力である雑賀を討とうと考え、天正五年の二月初旬より、自らが十万の大軍を持って出陣する〝雑賀攻め〟を決行していたのである。
「信長はんも痛い目負うて、雑賀を目の敵にしてはりますからな……けど、そもそもその間見が織田に通じてるいうのは確かなんでっか? 間見は織田とはまた別に、独断でお珠はんをさらったっちゅうことも……」
その線で思案を巡らしながらも、あまりピンとこない平四郎は再び疑問を呈する。
「いえ。〝クシナダの姫〟のことは玉依の民だけの秘密ですから、それほど多くの者が知っているわけじゃありません。そこへ来て織田が探しているこの時期となると、間見が織田と無関係にお珠ちゃんをさらったとは考えにくいですよ」
「そうかあ……ほなら、やっぱしお珠はんは織田のもとにいはるんですかなあ……で、紀伊だとすると雑賀攻めと……ん? 雑賀といえば……ああっ! そうや! そうですわ!」
一応は納得し、再び考え込む平四郎だったが、その矢先、何かに気付いたのか、突然、頓狂な声を上げる。
「どうしたんです? もしかして何かわかったんですか?」
「いや、そうやそうや。雑賀攻めや……わかりましたで鳴神はん! お珠はんをさらったのはやっぱりその雑賀攻めのためやったんや!」
「どういうことですか?」
独り合点がいったという感じで頷く平四郎に、雷童丸は訝しげな顔をして尋ねる。
「ああ、あのですな。雑賀衆が鉄砲をぎょうさん持ってて、その上、その腕も抜群なのは鳴神はんも知ってますやろ?」
「ええ。それはまあ……」
「そんでですな、そんなこっちゃから織田も十万の兵で攻め込んだはええけども、雨霰のように鉄砲の弾浴びせられて、なかなか攻めあぐねているようなんですわ。一昨年、かの武田を鉄砲で破った織田の軍勢が、その鉄砲で苦しむとはなんとも皮肉な話ですなあ……で、そうなってくると、雑賀の鉄砲をなんとかせな織田軍に勝ち目はないわけですが……鳴神はん、鉄砲が使えなくなるのはどないな時かわかります?」
「そりゃ、火薬が湿気ってしまったり、雨が降って火縄の火が消えてしまったりしたら……ああ! そうか!」
問われて答える雷童丸だったが、その途中で彼もそのことに気が付いた。
「そういうことだったのか……クシナダの姫の力で嵐を呼べば、雑賀の鉄砲は野外で使えなくなる。いや、そればかりか、豪雨が長く続けば屋内だって火薬や火縄が湿気って使用できなくなるかもしれない……もしそうなれば、兵に勝る織田軍の方が俄然有利。それが、お珠ちゃんをさらった織田の狙いだったんですね!」
「ああ。諸々の状況から考えるに十中八九、そうと見て間違いおまへんやろ。今頃、お珠はんは雑賀に連れてかれとる最中か……ぼちぼち戦場についとる頃でっせ!」
「そうとわかれば急がないと……早くしないと、織田はお珠ちゃんを使って〝スサノオ〟を呼び出してしまいます!」
珠の居場所に見当がつくと、雷童丸は叫ぶが早いか、慌ただしく立ち上がる。
「そやな。そうなったら織田は雑賀を攻め滅ぼし、雑賀を頼みにしとる本願寺も終わりや。各地の一向一揆の火も一気に消えてしまいまっしゃろ……因果応報の法則から逸脱した、本来ならなかったはずの勢力図ができ上がってしまいますわ!」
平四郎もそう答え、雷童丸につられるようにして腰を上げる。
「そんな理不尽、なんとしてでも食い止めないと……向こうは
「よっしゃ! すぐに出しますよって、ちいと待っとくなはれや。おおい! お駒~っ! お駒はおらんかあ~!」
口早に注文する雷童丸に、平四郎は廊下に顔を出して大声でお駒を呼ぼうとするが、よく見るとすでにお駒は廊下に畏まっていたりする。
「へえ。旦さん」
「おお、そこにおったか。あんな、鳴神はんの鎧と槍を出して…」
「へえ。そう思て、もう持ってきとります」
しかも彼女は先を読んで、その傍らには雷童丸の甲冑が入った黒漆塗りの大きな木箱と、先端に黒毛の鞘を被せた三叉の槍のような長柄の武器がすでに用意されている。
「おお! さすがはこの御蔭屋が誇る看板娘や! よっしゃお駒! ついでに鳴神はんが鎧を着る手伝いもしたったり!」
よく気の利く自慢の女中を平四郎は絶賛すると、続けてそのように指示を飛ばす。
「へえ! 任せておくれやす」
「ああ、頼む。大至急でね!」
ハキハキとしたお駒の返事に、雷童丸は羽織っていた黒い合羽をバサリと床に脱ぎ落した。
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