第十三幕 雑賀攻め

 天正五年三月七日夜・紀伊国雑賀荘(※現和歌山市、紀ノ川河口付近)……。


 目の前を流れる雑賀川を挟み、対岸の雑賀城や雑賀勢が築いた城砦群と対峙する織田軍の陣中に、珠を引き連れた間見甲次郎の姿はあった。


 神宮の里を襲って珠を強奪した間見は、その足で馬を乗り継ぎ大和国(※現奈良県)に出ると、吉野川(紀ノ川)を自分の霊獣・化蟹の〝大鋏〟を用いて高速で南下し、紀伊半島の反対側にあるこの地までわずか三日の内に到着したのであった。


 白い陣幕に囲まれた一角で、縛り上げた珠を従えて畏まる間見の前には、佐久間信盛、羽柴秀吉、荒木村重、堀秀政、美濃三人衆(稲葉一鉄・安藤道足・氏家卜全)、さらには別所長治・重宗といった、織田軍のそうそうたる武将達が顔を揃えている。


 しかし、彼らとて従軍した武将の内のたった半分であり、これが雑賀攻めを行った織田軍のすべてではない。


 彼ら〝山の手軍〟と呼ばれる軍勢とは別に、〝浜の手軍〟と呼ばれる滝川一益、明智光秀、細川藤孝、丹羽長秀、筒井順慶ら大和衆に加えて、織田信忠、北畠信雄、神戸信孝、織田信包のぶかねという連枝衆(信長の親族)の率いる軍勢もいるのだ。


 今回、信長は十万もの大軍勢を〝山の手軍〟と〝浜の手軍〟の二手に分け、その二方向から雑賀へと侵攻していたのである。


 この内、浜の手軍は北より紀伊に入ると雑賀の防衛線を突破しつつ南下し、降伏させた中野城を拠点に、雑賀衆の首領・雑賀孫一まごいちの居館平井政所ひらいまんどころを昼夜を問わず激しく攻め立てていた。


 一方、山の手軍はというと紀ノ川を渡り、東から雑賀川(和歌川)を挟んで対岸に居を構える雑賀へと迫ったのであるが、対する雑賀側は雑賀城を本城に、弥勒寺山城を中心とする城砦を川に沿って連なるよう築き、さらに川岸には柵を設けてこれに相対した。


 そして、この川を隔てた強固な防衛線に、織田軍は思いもよらぬ大苦戦を強いられることとなる……。


 実はその川底に逆茂木さかもぎ(枝を切って棘のようにした木)・桶・壺・槍先・縄などが仕掛けられており、一見底が浅く、歩いて簡単に渡れそうな川に思えるのだが、それこそが敵の思う壺なのだ。


 加えて、その障害をなんとか乗り越え、よしんば雑賀川を渡り切ったとしても、そこで彼らを待ちうけているものはぬかるんだ湿地帯だ。


 当初、織田勢は堀秀政を先鋒に雑賀川の渡河を試みるも人馬はこれに足を取られ、そこを狙いすましたかのように鉄砲や弓矢の雨あられをこれでもかと浴びせられた……おかげで織田方は無駄に甚大な被害を被っただけで、あえなく撤退する羽目となったのである。


 以降、そうした事情からなかなか雑賀川を渡ることもできず、ただじっと対岸の雑賀勢と睨み合いを続けねばならない山の手軍であったが、折しもちょうどそんなところへ珠を連れた間見が到着したというわけだ。


「――絶縁の呪士・間見殿と申されましたかな? いや~上さまより知らせは参っておりますぞ。なんでも、雑賀の鉄砲を封じる〝切り札〟を持って来てくだされたとか。して、その切り札というのは一体どこに?」


 調子よさそうに先ず声をかけたのは、間見の前方で楯板の机をぐるりと囲んで座る武将達の内の、まるで猿のようにおもしろい面相をした男だった。


 その猿のような顔をした男――誰あろう後に天下人となる羽柴秀吉(豊臣秀吉)である。


「はっ! こちらの娘に存じまする」


 呪士といえど相手は織田の重臣達なので、間見は一応、畏まってそう返答をする。


「むすめ? ……いや、まあ、美しい娘子はわしも嫌いではないが……」


 秀吉はその予想外の答えに目を見開き、よりいっそう猿に似た顔で見当違いな発言をする。


「娘といってもただの娘にはござりませぬ。玉依の民の巫女……それも特殊な力を持つクシナダの姫にござりまする。この娘を用い、雑賀が鉄砲を使えぬよう大雨を降らせてご覧にいれましょうぞ」


 その猿顔を細い目で見つめ、間見は自信に満ちた声でそう答えると、背後に横たわる珠の方へと視線を向けた。後ろ手に縛られた珠は間見を睨み返すも、口には猿轡を嵌められているため何も言うことができない。


「大雨? ……おお、なるほどのう。ああ、そういう策にござったか……なるほど、なるほど……なかなかに美しい娘子じゃの……」


 そんな珠を不思議そうに眺めつつ、秀吉はちゃんとわかっているのかいなのか? とりあえずは呪士の言葉に納得した振りをして見せている。


「……間見とやら。本当にそなたに任せて大丈夫なのだろうな? 雑賀川を渡ることもできずに早や十日……最早これ以上、無駄に時を費やすことはできん。上さまからも早く攻め落とせと矢のような催促じゃ。もしこのまま何の進展もなければ、我ら全員どんなお叱りを受けるかわかったものではないぞ?」


 一方、机の中央に座る山の手軍の総大将・佐久間信盛は、難しい顔をして間見を疑ぐるように見つめる。居並ぶ他の武将達も秀吉以外は皆そうである。


 確かに、これまでいかに努力しようともどうにもならなかったこの戦況が、今、目の前に転がっている小娘一人の力でなんとかなるとは到底信じられまい。


「……な、なあに、ご心配召されますな、佐久間さま。この呪士殿は上さまが遣わされたお方。上さまのご判断にいつも間違いはございませぬ。のう、間見殿? ハッハッハッハッ!」


 すると場の空気が悪くなるのを察してか、間見が答えるよりも早く、秀吉がわざと惚けた調子でそう口を挟む。


「ははっ。お任せくだされ。無残に鉄砲で狙い撃ちなどされないばかりか、皆さまが揃いも揃って如何いかんともしがたかった雑賀川も渡れるようにしてさしあげますゆえ」


 その秀吉の言を受け、間見も慇懃無礼な口調ながら一応は頭を下げて答える。


「なにっ!」


「無礼であろう!」


「決行は明後日の朝といたしましょう。すぐに大雨で水嵩が増し、船で渡れるようになりまするゆえ、それまでに諸々のご準備お願い致しまする。では、こちらも支度がありますゆえ、これにてごめん!」


 武将達の間には方々で怒りの声が湧き起こるが、間見はそれをまるで気にすることもなく、彼らを見下すように一瞥すると、それだけを述べて立ち上がった。


「……あ、ああ、承知いたしましたぞ! 船はこの羽柴筑前が用意しておきまする!」


「フン……さあ、参るぞ」


 そして、秀吉の返事を背中に聞きつつ、何も言えぬ珠の襟首を間見は掴むと、呻く彼女を無理矢理引っ張って夜の陣中を後にして行った――。




 翌八日朝・雑賀荘を東側から眺める南郷の丘陵……。


 その高台の藪の中に潜み、雷童丸は眼下に広がる戦場の状況をつぶさに観察していた。


 今日も黒い合羽をその身に羽織ってはいるが、加えてその下には同じく黒色の甲冑を着込んでいる……御蔭屋を発つ際、お駒に手伝ってもらって身に着けたものだ。


 ちなみに兜は彼の得物と同じ〝三叉戟〟の刃を金色で設えた前立まえだて(※前面に付ける飾り)を持つものであるが、重くて邪魔なのか、今は背中に提げて被ってはいない。


「うわ~いるいる。こりゃまた、うじゃうじゃといるなあ……」


 雷童丸は額に手をかざし、遠方を望みながら呆れたように呟く。


 紀ノ川と雑賀川に挟まれ、ちょうど中州のようになった雑賀荘を取り囲むかの如く、東の雑賀川沿いには織田の大軍勢がたむろしている……対して雑賀側も川岸に築かれたいくつもの砦の中に立て籠り、数え切れないほどの旗や幟を故郷の空に堂々とはためかせている……。


 また、北の紀ノ川の向こう側でも織田の兵が何やら雑賀勢の拠点を包囲している様子が伺える……まさに目が回ってしまいそうな、土豪相手の戦とは思えないくらいの兵の多さである。


「こん中からお珠ちゃんの居場所を探すのはなかなか辛いものがあるな……」


 そう……雷童丸にとっては不都合なことに、この数えきれないほどの大勢の人間達の中に紛れて、珠はどこかに囚われているはずなのである。


「でも、なんとかクシナダの姫の力を使われる前には間に合ったみたいだ」


 二日と半日前の夜、関宿の御蔭屋を発った雷童丸は先ず伊賀経由で大和へと入り、そこからは呪士とも縁の深い吉野の修験者などが使う山道を駆使して紀伊国を目指し、つい先ほど、この雑賀の地へと辿り着いたばかりなのである。


 足の速い三日鎚のおかげ・・・・・・・で早く来れたが、神宮より関宿に一度戻っていた分だけ、時間的にも距離的にも間見の方に利があったはずだ。


 おそらく珠を連れた間見は自分より先に着いてるか、そうでなくても同じくらいには到着していることだろう……と、雷童丸は推測する。


「向こうには間見もいるし、例えお珠ちゃんを見付けたとしても、この大軍勢相手に助け出すのはちょっとキツいか……早くなんとかしなきゃいけないとこではあるんだけど……ここはやっぱし、雑賀の力を借りるってもんかな? なあ、三日鎚?」


 織田の大軍を前に、そう言って左肩に乗る三日鎚に声をかける雷童丸であったが、見ると三日鎚はこっくりこっくり、半眼を開けた状態で舟を漕いでいる。


 ああ、お前も昼夜休まず走ってくれたから疲れたろうな……ふぁあ~…おいらも眠いし、この状況じゃ、お天道さまの高い間は雑賀の城に忍び込むのもままならなさそうだ……んじゃま、暗くなるまで一眠りさせていただくとしますか」


 雷童丸は独りそう呟くと、辺りに人影のないのを再度確認し、より深い茂みの中に隠れて身体を草叢の上に投げ出した――。

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