第19話 ウィルの掌
「メディナさん!」
イオナが駆けつけたそこは、裸体のヒトで溢れかえっていた。
「ごめん、ちょっと手伝って!」
「うん!」
ざっと見て百人は居るヒトたちは手に手にナイフや拳大の石などを持ってメディナへ群がり、無表情に無造作に振り回していた。
半開きの口からはうめき声のような音が絶えず漏れ、はっきり言って亡者のようだ。
亡者と違うのは、肌つやがよく、その肉体だけならばイオナでさえ見惚れてしまうということだけ。
そういう彼ら彼女らの挙動に、イオナはまず恐怖を感じ、次にこんなことをやらせている連中へ無性に腹が立った。
「ちょっと、こら! 危ないでしょうが!」
メディナも、全裸の彼ら彼女らにどう対応して良いか分からず、狼狽しながら叱責しつつ少しずつ狭まる包囲を掻い潜りながらどうにか直撃は免れているという状況だ。
「両手を挙げて!」
言われるままメディナは両手を挙げる。と同時にイオナは飛び上がり、ヒトたちの頭上を掠めるように移動しながらメディナの両手を掴み、そのまま引っ張り上げた。
ずぽっ、と音がしそうな勢いで引き抜いたあと、イオナは足下にいたヒトの肩を蹴ってジャンプ。包囲の外側へと向かう。
「ありがと、助かったわ」
礼を言われて、イオナはむしろ怪訝な顔をかえす。
「なによ。あたしだってお礼ぐらい言うわよ」
「あ、ごめん。思わず」
「ほんっと兄妹揃って生意気ね」
苦笑しながら謝りつつ、イオナはヒトたちの輪の外にメディナを下ろし、念のため持って行けと兄から渡された腰の刀を鞘ごと抜いて、鞘紐で束と鍔を固定する。
「あの子たちはただの
「手加減とかそういうの苦手」
「苦手でもなんとかして」
龍族にとって人族は庇護の対象であり、危害を加えることは可能な限り避けるのが慣わしだ。
だがそれはドラガヌアの開祖が発信したものであり、ドラガヌアとは関係ない、と言っていたメディナがそれを守ろうとしていることに、イオナは誇らしい気持ちになった。
「なによ、にやついて」
「べつに。案外優しいところあるんだな、って」
「うるさいわね。ほら、来るわよ!」
うん、と頷いてメディナの前に出る。
緩慢な挙動でヒトたちがこちらを振り返り、やはり緩慢にふたりへ迫ってくる。
こうして目線を合わせて分かるのが、半開きの口からは当然のようによだれが筋をたてて零れ、地面へ落ちている。なのに誰一人それを拭おうとしない。
人に、生き物に理性や知性や羞恥心を与えずにいるとこんな、亡者同然の振る舞いをするのかとイオナは哀しくなった。
そしてなぜか先日の兄の言葉がよぎる。
ドラガヌアが国是として掲げている文言も。
ふううっ、と息を吐いて覚悟を決める。
「あんたたち、ちょっと痛くするからね!」
* * *
強い。
斬撃のひとつひとつは言うに及ばず、足さばきひとつにしても強さが垣間見える。
城で剣術を習っていた時には感じなかったことだ。
ならば、自分も強くなった証拠だ。
「おおおおっ!」
消えた彼が正面に出る、とはっきりとした予感を信じ、ガルザードは虚空へ大上段から振り下ろす。
当たった。
「くっ!」
しかし掠っただけ。左に逃げられる。追わず、ガルザードは正面へ。三歩進んで振り返りながら切り上げる。火花。高音の残響音に耳が潰れそうになる。同じく下から来ていたダンゲルグの刀との力比べを嫌って半歩引く。それは向こうも同じ。離れた間合いを戻そうと踏み出したそこへ、喉を狙った突きが来る。僅かに左へ軸をずらしながら加速。頬の鱗を刃が掠める。
「だああっ!」
腹へ膝蹴り。左拳で迎撃される。突き出されたままの刃が返り、頸動脈を狙ってくる。密着状態では満足な威力は無いと踏んで頭を下げつつ、押し倒すようにダンゲルグへタックルを放つ。
遅れた髪が刈り取られる。タックルは命中したが、右腕を絡め取られ、逆関節に持ち上げられる。
「ぐぅっ!」
ぶは、とダンゲルグが大きく息を吐く。
「あー、ったく。無駄に強くなりやがって」
「なんで、裏切った」
刀を合わせている間、この男の強さを実感すると共に湧き上がってきたのは、ダンゲルグがドラガヌア陥落の手引きをしたと言う事実。これだけの強さがありながら、なぜ龍族を裏切ったのか、どうしても納得がいかなかった。
「あ? もう降参か。少しは」
「答えろ!」
お前な、と嘆息してダンゲルグは答えた。
「ウィル坊に頼まれたんだよ。死ぬ五日ぐらい前にな、お嬢を洗脳するためのティアラも一緒に」
ダンゲルグは嘘を言う男では無いし、嘘を言っているようには見えない。
「……ウィルが?」
「そうだよ。あいつはヒトとして生まれ、龍の力を授かるためにドラガヌアの城門前に捨てられたんだ。医師団の連中の手駒になるためにな」
ガルザードから力が抜けていく。同時にダンゲルグも拘束を緩めるが、お互いに攻撃する様子は無い。
「で、一回死んだあいつのからだを葬儀の前に医師団に渡したのも俺だ。でもこれは全部ウィル坊の計画だよ」
病弱だった頃からのウィルの計画。それだけは信じたく無かった。ウィルが暴挙に走ったのは生き返ってからだと信じていたのに。
しかし、ウィルと最後に刀を合わせた時の彼の言葉とも合致する。
「じゃあ、ドラガヌアで俺たちに剣術を教えたのもウィルの差し金か」
「いいや。それはお前たちのお袋さんからの依頼だ。父親が忙しいから代わりに教えてやってくれってだけの話だ」
そうか、と少し安堵した。
「躊躇は無かったのか。ドラガヌアの生まれでなくても、愛着ぐらいはあっただろう」
それなら、と苦笑しつつダンゲルグは言う。
「ウィルがな、ガルザードに仇を討たせるから大丈夫だ、って言いやがったんだ。だからダンゲルグを倒せるぐらいに強くしてやってくれ、って」
「な、なんだそれ。全部、ウィルの掌の上だったのか」
ついにガルザードの全身から力が抜け、へたり込み、うなだれてしまう。
「ウィル坊なりに考えたんだろうよ。あいつはヒトだから命令に逆らうことができない。でも国や、お前たち兄妹には愛着とか情愛とかも感じてた。だからお前に託したんだ」
ぴく、とガルザードの丸まった背中が震える。
「面白そうだと思った。だから口車に乗った。俺が言えるのはそこまでだ」
「じゃ、じゃあオレとあんたがいま戦う必要はどこにも無いだろ」
「んにゃ。俺がやりたかったんだよ。莫迦弟子がどれだけ強くなったか、ちゃんと確かめてやらないとな」
とどめに師匠からこんなことを言われてしまえば、もう笑うしか無かった。
「なんだよそれ。あいつらしくて笑えてくる」
豪快さは無いが、実に楽しそうにガルザードは笑い、それはすぐにダンゲルグにもうつった。
「じゃあ、あの竜人たちに妖狼斬(ようろうざん)を教えたのもウィルの依頼なのか?」
イオナと最初に戦い、三人の竜人たちに奪われたあのとき、竜人のひとりが使ったあの技のことは、ガルザードの胸に小さくだが残っていた。
ふと湧き上がった疑問に、ダンゲルグは曖昧に答える。
「まあ、教えたって言えば教えたんだろうな」
「どういう意味だ?」
「ここの連中が使うギアは、記憶を集めたり移植したりできる。だからお嬢みたいに人格操って言うこと聞かせたりできるんだけどな」
改めて言われると実に腹立たしいことだ。
命令や脅迫や依頼ですらなく、人格そのものを操作して言うことを聞かせるなんて。
龍族なら、いや、大半の人族でさえも思いつきもしない行為に心底吐き気がする。
「それを使って俺の持ってる技の記憶のいくつかを模写して、あいつらに移植したんだ」
そこまでするか、とさらなる渋面を作るガルザード。
「あんな技程度を覚えたぐらいじゃ強くなれんぞ、とは思ったが、ウィル坊の依頼もあったから従った」
「そういえばよく言っていたな、『単体の技を覚えただけで強くなったと思うな。それを完璧に決める過程こそ重視しろ』って」
「おぉ、覚えてたか。実践も出来てたから一応合格にしておいてやるよ」
「なんだよ。厳しいな」
これで疑問は消えたが、ダンゲルグのさらなる言葉に戦慄してしまう。
「それにあの竜人みたいな連中は、ヒトを改造したものでな」
「……は?」
「連中、ウィル坊が持ってる龍族の力を複製して、ここで飼われてるヒトに移植して、それを使ってドラガヌアに攻め込ませたんだよ」
がん! と横の壁を叩くダンゲルグ。
いくらヒトとは言っても、連中にとっては同胞と呼べる存在ではないのか。
そしてそんな哀れな存在を指揮しなければならなかった彼の心中を思うと、いくらウィルの依頼であってもやりたくは無かったと思う。
いまならメディナが人族を嫌う理由も分かる。
「でもあいつら俺の言うことも素直に聞くからな、『出来るだけ殺すな。死にかけてるやつがいたら救助しろ』って命令したら実行してたよ。だから、あの戦いで死んだやつはほとんどいないと思うぞ」
ほとんど。つまり父の死は間違い無いのだ。
今回の騒動が落ち着いたら父の葬儀もしなければ、とガルザードは切り替え、無理矢理に笑った。
「でもこれでイオナも安心するよ。本気であんたのことを心配してたし、ここの連中の腕を食いちぎるんだって張り切ってきたんだからな」
「どうせ、『師匠に悪いことさせてる連中が悪い』とでも言ったんだろ。そういう甘さがあるから、あいつには基礎ぐらいしか教えてないんだ」
「よく見てるな」
「まぁな。弟子とるのもお前たちが最初じゃねぇから」
「そうなのか」
思えば彼の過去についてはほとんど知らない。年齢すらも、だ。
ただ父とは親しそうにしていたから、つながりはあるのだろう。父も彼については多くを語らなかったし、自分も訊くことをしなかったから。
もっとも、ダンゲルグは誰に対しても屈託がないので父とは初対面だった可能性もあるが。
「けど、お前は違う」
なにが、と言いかけて、それがさっき話題にしていた甘さだということに気付いた。
「お前は、相手が誰であってもイザとなれば切れる。例えお嬢でもな」
そんなことない、と思うと同時に、そうかも知れないとも思う。
ウィルを送った時も、心はむしろ冷静だった。
ウィルの願いだったから、というのもあったが、純粋にあいつと打ち合うのが楽しくもあった。
「ほらな。そういう目ができるから、お前を最後の弟子に選んだんだ」
「最後って」
ガルザードの肩口に、すらりと刃が乗った。
「こういうことだよ」
一瞬前の柔和な彼はもうどこにもいない。
明確な殺意をもって眼前に佇んでいる。
「……もう、終わりでいいじゃないか。オレはあんたを超えられそうに無い。ウィルには悪いけど、」
「強くなる一番の修行はな、危機を乗り越えることだ」
「刀を収めてくれダンゲルグ。オレはあんたと戦う理由なんか、もう無いんだ」
「そう言うな。師匠としての最後の務めだ」
「さっき一応合格って言ったじゃないか」
「ああ。だが気が変わった。お前はお嬢と違って放っておいても強くなるやつじゃない。ちゃんと仕上げてやらないと、せっかく教えた剣術が腐って終わりだ」
「自分の、ためか」
「ああ。お前を強くすれば俺も強くなれる。他人に教えるってのはそういうことだからな」
刀身から放たれる殺意が一層強くなるその一瞬。ガルザードはからだを捻りながら刀を振り上げ、ダンゲルグの刀を払う。
「ほう。やるな」
「師匠がいいからな」
「言うじゃねえか」
正対し、柄に一度力を込め、しかし緩めて。
「どうしても、やるのか」
「お前を強くするのは、ウィル坊の願いでもあるからな。受けた依頼はきちんと果たすのが、俺の流儀だ」
ならば、とガルザードも覚悟を決める。あいつの願いなら、叶えてやらないといけないから。
じり、とすり足でにじり寄った刹那、洞窟が鳴動を始めた。
「な、なんだ!」
「始めやがったか、あの阿呆……」
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