第7話 全てを神の御前に

 吐く息が白い。

 あり得ない。

 いくら秋口に差し掛かったとは言え、今朝は多少の冷え込みがあったとは言え、まだ昼を過ぎたばかりだ。

 なのに地面には霜柱が無数に立ち、焼け落ちた木々が樹氷を形成し、草には細かな氷がびっしりと張り付いている。


「……、はぁ、はぁ……っ」


 すっかり凍り付いた街道で、ガルザードは荒く肩を上下させる。

 アクセル・ギアが形作る鎧は、端々が焦げ、あるいは凍り付き、破損している。

 上空に佇むイオナに目立った傷は見当たらず、その銀の鱗を艶めかせている。

 すうう、とイオナが深く息を吸い込む。

 どちらだ。

 炎の息は最初の一発と、そのときの交錯で地面に落ちたガルザードへの追撃で放った合計二発だけ。あとは雹や吹雪の息ばかり。

 この距離ならおそらく雹だ。拳大の氷が降り注がれる雹の息は、ガルザードを飛翔させることを許さず、ガルザードは地面から離れることができない。

 仮に龍の姿に変化(へんげ)したところで、この傷ついたからだでの龍の巨体は却って的になるだけだ。

 考えろ。

 竜人たちは龍の姿に変化した手練れたちをどうやって撃破していったのか。

 スピード。

 その単語を思い浮かべた次の瞬間、ガルザードはギアの出力を上げ、地面から僅かに浮き上がり、生い茂る草に頬を腹を擦らせながら移動。そのまま一気に木々の生い茂る森へ突入し、ある程度深くまで進んだ所で急上昇。

 イオナはその巨体を素早く反転させて正対。

 ガルザードはその直後、仰向けの姿勢でイオナの下方を潜って尻尾の位置まで急加速。鮮やかな銀の鱗に映り込む自分の顔はその速度により圧し潰されていた。

 イオナは腹の下へガルザードが移動した直後に首を下に。口に炎を溜めたままガルザードに噛みつく。


「くっ!」


 猛スピードで迫る牙と炎をギリギリで回避しつつ、さらに加速。それを追ってイオナもからだをくねらせ体勢を整え、真っ直ぐにガルザードを追う。

 はやい。

 人の姿でも十分速い拳筋だったが、龍の姿でもその速度はまるで落ちていない。

 こちらが急反転しても、即座に反応し、さらなる加速で追い立ててくる。いけない、このままではやられる。そうだ。何度目かの方向転換の後、急停止。同じ軸線上にいたイオナは躊躇なく口の中の炎と共にガルザードを噛み潰す。牙の隙間からこぼれた炎が、火の粉となって森に落ちていった。


「勝ったことに慢心はしないのに勝利を確信すると雑になるクセは治ってないな」


 ガルザードはイオナの、犬のように伸びた鼻先に浮かんでいた。


『なにを言っている』

「オレは、お前の兄だ。父上も崩御された。もう、お前しか肉親はいない」

『だったらなんだ! わたしは、お前を殺すんだ!』


 口を限界まで開け、突風さえ巻き起こす咆哮を放つ。

 ほんの僅か、身を固くしただけでガルザードはその場から動かず、淡々と言葉を続ける。


「苦しんでいる妹を、放っておくわけにはいかないんだ」

『お前を殺せばこの苦しみは消える! だから死ね!』


 開けた口の中に火種が生まれ、それがあっという間に膨張し、巨大な火球へと成長した。

 火球の熱波がガルザードの肌を鱗をちりちりと焼くが、それでもガルザードは怯まず話し続ける。


「オレを殺して、お前が苦しみから開放されて、それで本当に苦しみが消えたなら、オレは兄失格だったんだって思うからいい。けどな」


 す、と刀を腰溜めに構え、イオナの銀色の瞳をしっかりと見つめる。


「オレはそこまでお前から嫌われていたとは思ってない」

『死ねぇっ!』


 口の中の火球が放たれる。ガルザードは怯まず、すううう、と大きく息を吸い込んで、イオナのそれよりも二回りほど小さな火球を回転を加えて放ち、イオナの火球の下部へ当てる。一瞬もみ合ったふたつの火球はねじれながらふたりの遙か上空に打ち上がり、花火のように弾けて消えた。

 弾けて火の粉がばらばらとふたりに森に降り注がれるが、ふたりは視線を絡ませたまま動かない。


「目を覚ませイオナ・プリンセッサ・ドラグーニャ! お前はドラガヌアの王女だろう!」


 びくん、とイオナの巨躯が震える。


『わ、わたしは、わたしは……っ』


 動揺している。

 いまだ。


「悪い、いまはこれしか思いつけない」


 龍の姿から、強制的に変化を解くにはいくつか方法があるが、いま実現できる手段はひとつだけ。

 龍の姿の急所である逆鱗に強い衝撃を与えること。

 だが逆鱗は個体によって場所が違う。先ほど腹部を仰向けで潜ったのはそれを探すため。見つけられたのは幸運としか言い様がない。

 刀を逆手に、動揺するイオナの腹部へ潜り込みながら加速。人の姿で言うみぞおちの少し上。自分もその付近にあるので案外血縁者の逆鱗の位置は近いのかもしれない。

 そんなことを考えている間にイオナが動揺をねじ伏せ、上昇を開始。だがちょうど目の前を逆鱗が通り、


「ふんっ!」


 束の頭(かしら)でしたたかに打ち付ける。


『こは……っ!』


 イオナが吐き出したのは空気と、火の粉と氷の粒の両方。


『………………』


 くの字に折れたイオナのからだは、淡い光を放ちながらゆっくりと落下していく。

 光がガルザードの前を通り過ぎる時、小さく、おにいちゃん、と言ってくれた。おそらくもう大丈夫だろう。が、すぐに意識を失ったのか、まぶたを閉じてしまう。強く打ちすぎたか。

 重力を無視してゆっくりと地面へ向かう。森の木々の先端に触れる寸前、淡い光は弾け、そこにはティアラを抱いた銀髪の少女が現れる。イオナだ。刀を鞘に戻したガルザードはイオナを追う。

 ただ静観していたわけではない。光に包まれた状態で他者が触れると、変化(へんげ)がうまくいかず、最悪二度とどちらの姿にも変化できない、そしてどちらの姿でもない、異形へと成り果ててしまうのだ。

 安堵したのも束の間、


「くっ!」


 視界の隅で動く、三つの人影を確認するとガルザードはイオナへと急加速する。

 援護すらしてこなかったあの三人の竜人たちの目的はイオナの回収だったのだ。

 勝てばそれでよし、負けたら回収してまた使うために。

 させるものか。

 しかし、完全に意識の外にあった三人に対応するには、ガルザードの体力は足らず、寸手のところで竜人のひとりに妹の裸身が抱きかかえられてしまう。


「イオナ!」


 手を伸ばすガルザードの正面に、残るふたりの竜人が立ち塞がる。

 体力も底が見え始めているが、やるしかない。再び抜刀し、ふたりに斬り掛かる。


「イオナを放せ!」

 しかし竜人たちはガルザードをいなすばかりでまともに相手をせず、少しずつイオナからも距離を取らされてしまう。その焦りから剣筋にも乱れが生じ、さらなる悪循環へと繋がる。


「イオナぁっ!」


 果たして、その呼び声に応えたからなのか。

 竜人の小脇に抱えられていたイオナは突如目を覚まし、弾かれたように裸身を逸らし、激しく首を振って恐らくはガルザードを探しはじめる。

 目が合った。

 瞬間、イオナは拘束を振り解き、同時に竜人が佩いていた刀を奪い取り、ガルザードへと猛スピードで向かってくる。


「イオナ!」


 止めようとした二人の竜人たちはあっさりと切り捨てられ、落下。イオナを抱えていた竜人により救助される。

 そんな様子を視界の隅にすら置いておく余裕も無いまま、ガルザードはイオナの剣戟を自らの刀で受け止める。


「目を覚ませイオナ!」

「ガルザードは! ぼくが切るんだ!」


 これは稽古だと言い聞かせてはいたが、自らへの負担すら無視したイオナの剣戟の前に、それも覆さなくてはいけないところまでガルザードは追い詰められていく。


「しっかりしろイオナ!」

「全てを神の御前にぃぃっ!」

「イオナ!」


 一体どうすれば。

 繰り出されるイオナの攻撃は、型も何もない、ただ力で押すだけの雑なもの。隙をついて反撃することは、いまのガルザードの残り少ない体力でも可能だが、それ故に加減ができるかは不明だ。


『ねえ! 聞こえる?』


 鎧が喋った。


『あたしよ、メディナ!』


 名乗られてやっと、この鎧がメディナのギアと繋がっていることを思い出した。


「は、はい! 聞こえます!」

『鎧通して見てたけど、妹ちゃんが付けてるティアラ、アクセル・ギアよ』


 やっぱりそうか。

 普段妹が付けていたものとは意匠が微妙に違うと感じていたが、案外自分の観察眼も捨てたものでは無かったようだ。


『たぶん、人格を操るギアを付けられてるんだと思う。だからそれを破壊すれば、妹ちゃんは落ち着かせられると思うわ』

「あ、ありがとうございます!」

『ん。じゃあがんばって!』


 そう言い終えると鎧は再び沈黙した。

 光明が見えた。

 そして再会した直後からの言動に感じていた違和感。それらがメディナからの助言で全て腑に落ちた。

 イオナは誰かに操られている。

 我の強いイオナをこんな風になるまで追い込むなんて、絶対に許せない。


「おあああああっ!」


 再度、龍の咆吼を放つ。

 何度目かの上段からの大振りに入っていたイオナは一瞬からだを竦ませる。その間に刀の峰を前に持ち替えつつイオナの左側へ回り込み、藍玉色の鱗が整列する腹を打つ。くの字に折れたからだに僅かな罪悪感を覚えつつも小手を打つ。イオナは痛みで束から手を放し、奪った刀は森へと落下していく。

 いまだ。


「おおおっ!」


 鮮やかに輝くティアラへ、峰を振り下ろす。


「きゃうっ!」


 幼さの見え隠れする悲鳴が響き、イオナはがくん、と脱力する。

 もう大丈夫だろうと納刀し、伸ばした右掌が彼女のツメで切り裂かれた。


「っ?!」


 痛みよりも驚きが先だった。


「ああ、あああ、ああああああああああっ!」


 イオナは両手で頭を抱えながらもがき、あえぎ、泣き叫んだ。

 振り乱す髪の向こうでしかしイオナはガルザードを睨み付けることだけは止めず、殺意を振りまいていた。


『打ち込みが中途半端! なに加減してるの!』


 また鎧からメディナが忠告する。


「し、しかし!」

『とにかくもう一回! 壊さないと妹ちゃん、ずっと苦しむだけだから!』

「はい!」


 返事はしたが、狂乱する妹の頭部に狙いを定めるのは極めて困難だ。師匠であるダンゲルグならば事も無げにやってみせるのだろうが、自分にその腕はまだない。


「ああああっ!」


 躊躇している間にイオナがツメを牙を鋭く尖らせ、襲いかかってくる。

 やはりデタラメな攻撃は捌くには容易だが、デタラメな分次の一手の予測を付けにくく、隙を探すことはティアラの破壊前より困難になった。

 けれど。

 やるしかない。

 覚悟を決め、束を握り直す。相打ちになっても構わないからティアラの破壊だけに全ての意識を集中させて、

 右。

 何かが吹っ飛んでくる。回避も防御も間に合わない。直撃をくらって、それが先ほどイオナにより切り捨てられた竜人のひとりだと分かる。


「がっ!」


 よく刀を手放さなかったと思う。直撃を受けたガルザードのからだは錐揉み状態で吹き飛んでいく。ぐるぐる回る視界の片隅で、竜人のひとりがイオナの頭部に別のアクセル・ギアを近づけている。

 暴れるイオナに激しく抵抗されながらも竜人はギアをかざし続け、やがてイオナは糸が切れたように全身脱力する。落下を始めたからだを竜人は抱きかかえ、ガルザードに一瞥をくれることもなく飛び去って行った。


「待て!」


 ようやく錐揉み状態から回復したガルザードは最大速度で追いすがる。が、残りふたりの竜人はその線上に入り、見事な連携でガルザードへ斬り掛かる。


「全てを!」

「神の御前に!」


 またこの言葉か、と呆れる余裕も無い激しい連撃に、ガルザードは徐々に押され、その間にもイオナとの距離はどんどん開いていく。


「イオナぁっ!」


 どうにか隙を見つけてこの場を脱したいが、焦れば焦るほど自らの体術も剣術も雑になっていく。妹とは逆のクセが忌まわしい。格下だと思って侮っていた竜人ふたりに、少しずつ傷を付けられていく。

 そんな痛みなんかどうでもいい。

 早くしなければイオナが。


『目の前の敵をちゃんと見ろ!』


 メディナの忠告も果たしてどれだけ心に届いていたか。


「おおおおおおっ!」


 右から来る。受け流して正面から来るもう一人に対応、できない。右のひとりが食い下がる。正面が間合いに入る。一瞬の迷い。


「つぇああぁっ!」


 正面がこちらの左側面からなぎ払ってくる。まだ間に合う。それより先に、しつこい右の竜人の鼻を束頭で殴打。怯んだ腹部へ蹴り。その反動を使って正面からの斬撃に、


「っ?!」


 竜人の切っ先がぬるりと掠め動く。


「妖狼斬(ようろうざん)」


 しまった、と後悔してももう遅い。

 次の瞬間にはガルザードは全身から血を吹き出していた。


「……がっ」


 両手がだらりと下がり、しかし血にまみれた双眸だけはイオナが連れ去られた方角を見据え、みぞおちに蹴りを叩き込まれて地面へ猛スピードで叩き付けられても、それだけは止めなかった。


「イオナ……っ」


 地面を抉って無様に転がって、森の木々にぶつかりながらようやく止まったのを確認して、残ったふたりの竜人たちも、イオナを抱えた竜人の後を追って飛び去って行った。


「…………は……っ」


 かろうじて動く右腕を地面に付いて立ち上がろうとするが、自らの血で滑って無様に倒れてしまう。


「しっかりしなさい!」


 遠方からメディナの声が聞こえる。視界は朧で、不意に動く視界から、自分が彼女に街道脇の平らな地面に運ばれ、寝かされたのだと、消えゆく意識の中で認識した。


「いま、治癒の息を」

「……やめて、ください……」

「だめよ。あんたの命はあたしのもの。勝手に死なせないから」


 冷たく言われ、直後、全身を柔らかく暖かな息が包み込んだ。

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