第6話 妹と龍

「ごめんねー、おばーちゃんが困らせて」


 里も見えなくなって、二人きりになって、先に沈黙に耐えられなくなったのはメディナの方だった。

 ふたりが歩くのは、王都へ繋がる街道へ繋がる、馬車の轍がくっきりついた道。舗装も整備もされておらず、行商人などはいつも難儀し、提言しているが改善されることは当分先だろう。

 道の左右には獣避けの柵が設置してあるが、所々朽ちており、実に心許ない。

 上空は道に沿って青空が広がっていて、快晴の今日は通り抜ける風も相まって実に気持ちがいい、とメディナの頬は出発から緩みっぱなしだ。


「いえ。親類とはああいうものかと」

「なにその言い方。生意気ね」


 そんなこと言われても、と渋面をつくるガルザードのおでこを指で弾いて、メディナは周囲を見回す。


「静かね」


 え、とガルザードが返事をするよりも前にメディナは続ける。


「こんなに静かなのって滅多にないのよ?」


 そうなんですか、と答え、ガルザードも少し周囲を見回す。

 確かに静かだ。

 家でも滅多に会話をしなかったふたりは、特にガルザードはメディナのことをよく知らない。

 そういう話題にしようとしたことは何度かあったが、メディナはすぐにはぐらかして結局は聞けず、それ以外のなにを話せばいいのか分からず、ふたりの間には沈黙が訪れた。

 だがガルザードにとっては好都合だった。

 静寂の中に置かれて考えるのは、これまでとこれからのこと。

 傷の回復に専念する数日間、ウィルやダンゲルグによる再襲撃は無かった。

 傷の深さで言えばこちらの方が大きいぐらいなのに、と不審に思いつつも治療に専念していたガルザードの耳には不穏な情報しか入ってこなかった。

 一足早く傷を癒やしたドラガヌア兵たちが独自に情報を集め、見舞いも兼ねて伝えてくれていた。

 各地の里や集落に武装した竜人が現れては家々を破壊し、人族を殺し、龍族に深手を負わせている、といったものや、龍族や人族のいなくなったドラガヌアに、どこからか竜人たちが集まり、なにやら画策しているようだ、といったものまで。

 止めなくては、と夜中、里の者が寝静まった頃に家を抜けだそうとしては、どこからか嗅ぎ付けたメディナや老龍に立ち塞がられ、頭をぶん殴られていた。

 当然ガルザードは面会謝絶となり、いよいよもって退屈で悶々とした日々を過ごすはめになってしまった。


『あんたの命はあたしのものだって言ったでしょうが。だから大人しく寝てなさい』


 退屈しのぎにメディナの蔵書を読んでみても、無学な自分にはさっぱり意味が分からず、あとやれることと言えば、イメージトレーニングぐらいだった。

 もっと強くならなければいけない。

 動機がなんであれ、あいつはドラガヌアを滅ぼし、いまも各地を荒らし回っているのだから。

 悶々とした日々の中で、あいつを止めると誓った。

 それは五年前からの約束でもあるから。

 けれど、なにもやれることが無かった。

 思いだけが先走って、意味も無く呻いたり部屋をうろうろ歩き回ったり、自分の無力さに枕を濡らすこともした。

 さすがに見かねたメディナが、取りあえず動けるようになった頃合いを見計らって、家事や薪割りや水くみなどさせていたが、それでも焦りが消えることはなく、半ばメディナが折れるかたちで今回の旅が決定した。


『そのギアは人族が竜人とかに襲われた時のために作ってるものだかから、テストは実戦でやった方がいいデータが採れるから』


 と、ガルザードを睨みながら言い、


『テストが終わったらちゃんと代価にこき使ってあげるから、それまで無茶しないか監視するためにあたしも付いていくから』


 そう付け加えてふたり旅となったのだ。


「あんたって妹いるんだっけ」


 ふいにそんな話題を振られて、一瞬戸惑い、すぐにこう返した。


「はい。性格は自分に似てガサツで、まるで王女らしくないとよく叱られていました」


 するりとガルザードの前に出て後ろ歩きのまま、じろじろと遠慮無くガルザードの顔を眺める。


「顔は似てないといいね」

「ご期待に添えるといいですけど」


 しれっと言ってのけるガルザードに、メディナは一瞬渋面を作り、


「あんたほんとに……生意気ねっ」


 飛びつくようにガルザードの頭を脇にかかえ、ぐしゃぐしゃと髪をかき回す。


「や、やめてください。転びます」


 気の済むまでかき回してぱっと離し、怒ったかな、と覗き込んだガルザードの視線は自分ではなく、上空に向けられていた。


「どしたの?」

「龍が、来ます」


 え、と驚いてメディナも意識を集中して感覚を研ぎ澄ます。瞬間、メディナの全身に鳥肌が立った。

 龍族や竜人が翼も無く空を飛べるのは、大気中に含まれる魔素の粒子の流れを感じ取り、それを活用しているからだ。


「……なに、この殺気。なんでいままで感じなかったのよ……!」


 そして魔素は思いをエネルギーに変換する物質。それはつまり思いを伝播する性質を持つと言うこと。

 大気が畏れ、木々が震えている。

 圧し潰されそうな殺意を、ガルザードは感じたことがある。


「イオナ」

「え、なに? 何か言った?」

「妹です」


 どすんと荷物を下ろし、右腰の束に手をかけ、上空に意識を集中させる。

 ごおおっ、と叩き付けるような突風がふたりに降り注ぎ、メディナは思わず両腕で顔を覆ってしまう。


『ガルザード・ヴェスペルだな』


 低く重い、だがほんのりと幼さの見える女声が森に響き渡る。


「だとしたらなんだ」


 再度突風が吹き付け、木々が激しく揺れる。


『死んでもらう』


 突風が収まったそこに、色鮮やかな鱗をちりばめた龍がいた。

 ぱっと見は蒼の混じった銀。光の加減で藍玉(らんぎょく)色にも見える鱗は、本人も自慢にするほどに美しく、見る者の目と心を奪う。

 体躯こそ年齢故に短く、大人の龍と比べると小さく感じるが、その堂々とした風格の前には些細なことだ。

 兄であるガルザードも、年に数度しか見たことの無い妹の美しい龍の姿はしかし、圧倒的な殺意が随伴する凶々しさの塊に成り果てていた。

 誰があんなことをした。

 少々ワガママではあるが自慢の妹であるし、いずれは名君として民を国を導いただろう。

 そんな妹が、自らの意志であんな殺意の塊になるはずがない。


「止めろイオナ!」


 叫びながらもガルザードは、イオナの後方からやってきた三人の竜人の存在に気付く。

 先日ダンゲルグと共に現れ、ウィルを連れ去った三人の竜人。

 あいつらだ。

 あいつらがイオナをこんな風にしたのだ。


「お前らが!」


 ガルザードの絶叫も、藍玉色の龍、イオナが放つ突風にかき消されてしまう。

 それどころかイオナは深く深く息を吸い込み始める。

 イオナが最も得意としていたのは火炎の息。攻撃はもちろん、牽制に足止めにとその使い方には大人達も舌を巻いていた。

 森ごと一気に焼き払うつもりだ。

 だが、妹にそんなことをさせるわけにはいかない。

 ギアを懐から取り出し、叫ぶ。


「アクセル・スロットル!」


 一瞬光に包まれ、弾けたあとには、純白の鎧を纏ったガルザードがいた。


「メディナさんは荷物を持って、里のひとたちに伝えて下さい。最悪、森が火事になると」

「あ、あんたひとりで、大丈夫なの?」

「どれだけ殺意を放っていても、血の繋がった妹です。なんとかして見せます」

「あんたに貸してるギアはね、あたしのギアと繋がってていつでも話したりできるから。何かあったらすぐに呼びなさい。でもそれ以前に、危なくなったら、あんたも逃げるのよ。追い払うだけなら里の連中かき集めればなんとかできるんだから」

「……はい」


 よし、と答えてガルザードの髪を軽くひと混ぜし、ガルザードが背負っていた荷物を軽々と持ち上げ、里へと戻って行った。

 やがて走り出したメディナの背中に、そんなことできないです、と小さく呟いて、ガルザードは上空を見据える。

 やはり美しいと思う。

 普段の言動こそガサツだが、公の場ではしとやかに賢く振る舞っていた。

 国が平穏なまま成長すれば、種族を問わず求婚が相次ぎ、あのギャップさえ受け入れる度量があるならば、ドラガヌアはさらなる発展を遂げただろうに。

 けれど、ひと所に収まる性格じゃないから、この騒乱が落ち着いたら平民になりたがるかも知れない。

 できるだけ自由にさせてやりたいと思う。

 けれどいまは、暴挙を止める方が先だ。

 ギアが変形したこの鎧は、付けていることを忘れるほどに軽くて動きやすい不思議な素材で構成されている。いままで自分が使っていたギアから生まれた鎧も、決して粗悪なものでは無かったが、ギアを作った職人によってここまで差が出るのかと思う。


「行くぞ」


 ぴたりと動きを止めたイオナの口の端から、ちろちろと炎が漏れている。

 森への被害を減らすため、ガルザードは飛翔。イオナは視線で追うだけでまだ反応しない。こちらの的が小さい分、確実に当てられるまで引きつけるつもりだろう。ならば好都合と空中戦の基本である相手の上をとり、太陽を背にする。

 ひとつ、深呼吸。

 大丈夫だ。妹とは何度も稽古や試合をしている。

 これは殺し合いではなく、ただの稽古。

 強く深く言い聞かせ、イオナと視線を合わせる。

 額の中央に、鱗ではない何かが陽光を反射している。ドラガヌアの王女を示すティアラだ。派手すぎず質素すぎず、イオナの美麗な鱗をさらに引き立てる絶妙なデザインを妹は好きだと公言し、よく身につけていた。

 それをこんな時にまで付けてくるなんて、と呆れ半分でもう一度見てみれば、自分が見知っているティアラとは微妙にデザインが違う気がする。

 気にはなるが、いまはそれを追求している時間は無い。


「あああああっ!」


 咆哮。龍の力も使ったそれは、きっと里にまで届いただろう。

 覚悟が決まった。

 刀を下段に構え、一直線にイオナの頭部へ急降下。

 イオナも大きく口を大きく開け、一杯に溜め込まれた巨大な炎球をガルザード目がけて発射した。

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