第20話 最後の審判
ガルザードたちが剣戟を繰り広げる洞窟の最深部。
そこに広がる地底湖の岸でザンガは不適に笑っていた。
「ああ……、やっと完成した……」
その美貌に恍惚とした笑みを浮かべ、地底湖と見まがうばかりの、蓋の無い巨大な水槽の前で自身を抱きしめている。
「この、広くて美しい世界は、神々の御前に差し出すべきもの……。我が悲願が、ついに叶う……っ!」
水面がゆっくりと膨れ上がり、ザンガの身長ほどまで水面が持ち上がったあたりで重力に負け、頂点から割れて水面を持ち上げていたものが姿を見せる。
「あああ……。想像通りの姿……。なんて神々しいんだ……」
最初に現れたのは、人族の頭部。
見た誰もが懐かしさを覚えるのだが、誰もその顔を思い出せない顔立ち。
湖畔に付いた手は指の一本一本が大人の身長ほどもある。しかしそこから繋がる腕にはまるで筋肉が見えず、十歳前後の少年のよう。
それは胴体も同じで、胸板は薄く、腹部は脂肪で僅かに膨らんでいる。
その巨大さを無視すれば、上半身は平均的なヒトの容貌なのだが、下半身はまるで違う。
下半身は、龍そのものだった。
若草色の鱗がびっしりと並び、背中側には金色のたてがみ。尾の先端は向こう側が透けて見えるほどに薄く、琥珀色に輝き、揺らめいている。
上半身の三倍、いや五倍はあろうかという下半身は、狭い洞窟の中では幾重にも折りたたまなければならず、それだけで洞窟の大半が埋め尽くされてしまった。
付け加えれば─始祖から現在に至るまで、どれだけ巨躯を誇った龍族であっても、ここまで長いからだを持つ者はひとりだって居ない。
美少年の上半身と、龍の下半身。
ふたつを併せ持つその存在は、巨大さも相まって異形や奇形と呼ぶに相応しい。
にも関わらずザンガは宝石や美術品を見つめるような熱い視線を送り、興奮で呼吸も荒くなっている。
そして目の前にある下半身の鱗を愛おしそうに撫で、愛を囁くように言う。
「さあ、行こう。祖先から私たちに連なる全ての願いを叶えるために」
ヒトと龍を併せ持つ、敢えて呼ぶなら「人龍」となろうその存在は、ザンガに言われるまま天井を見上げ、ゆっくりとその手を上に伸ばす。
すぐに手が届いた天井を人龍は当たり前のように持ち上げる。衝撃は凄まじく、洞窟全体が鳴動し、天井から大小の土くれが降り注いでくる。人龍の長大な下半身が屋根となってザンガを守らなければ、彼はあっさり潰されていただろう。
天井が割れ、空が見える。
人龍は両手で天井を割り開き、自らが出るための道を確保する。と、同時に穴の外縁部に手をついて先ほどと同じように地上へ姿を現す。
「さあ、始まりだ!」
* * *
突然の地震に刀を収めたガルザードとダンゲルグは、急いで外へ走り抜け、洞窟の崩落に巻き込まれるのを寸前で回避した。
「な、なに、あれ……」
群がっていたヒトをあらかた気絶させ、一カ所に集めて寝かせていたメディナたちも、洞窟があった場所から出てきた人龍に言葉を失っている。
「あれが、全てを神の御前に差し出す存在、だそうだ」
ダンゲルグが苦々しく呟く。
ちっ、とメディナが大きく舌打ちし、眠るヒトたちに憐憫に似た視線を送る。
「ウィル……?」
人龍を見つめるイオナが呆然と呟く。確かに、あの人龍の顔立ちはウィルに似ている。けれど違うと断言できる。どこがどう、とはっきりと言えないが、ウィルはあんな顔ではない、と。
「違う。しっかりしろイオナ。ウィルはもういないんだ」
「うん。だいじょぶ。あたしの見間違いだったよ」
落ち着きを取り戻した妹に安堵しつつダンゲルグを見やり、
「あれが、連中の切り札なのか?」
「いままで造ってきた竜人もどきを、集めて煮込んでひと塊にしたのがアレだそうだ」
「あんなものを造るために、ウィルは苦しんだって言うのか」
「連中の悲願だからな。その辺りウィル坊も納得してた」
ちょっとなによそれ、とイオナが詰め寄り、ダンゲルグが手短に説明する。
最初はおとなしく聞いていたが、段々表情が険しくなり、ついに爆発した。
「ふざけんじゃないわよ! 命をなんだと思ってるのよあいつら!」
「だから言ったでしょ。人族なんて滅ぼすか、家畜に戻した方がいいって」
メディナの冷めた意見に、イオナは歯噛みする。
「そうかも知れないけど! でもそれをやったらあいつらと同じになっちゃうでしょ!」
メディナは寝かせているヒトたちを眺め、つぶやく。
「あんたのとこの国是、あたしも嫌いじゃないのよ」
「じゃあなんであんな言い方するのよ」
「こっちがいくらがんばっても、向こうが受け入れずに勝手にやってたらどうにもできないでしょ」
「それは、そうですが」
国是に縛られ、困り果てる兄妹にしびれを切らしたメディナが、唇を尖らせながらガルザードに詰め寄って彼の髪をかき乱す。
「ああもう、悩むんじゃないわよ」
ついでに彼の一本角にもツメを立てて握りしめる。
痛みは無いが、異性の角を触るのはあまり上品な行為では無いので三人は一斉に眉をひそめた。
が、構わずメディナは続ける。
「あのね、あんたたちにテストさせてたギアは、弱い者が生き残るのを手助けする力よ。自分ではどうにもならない相手に、仲間が逃げるだけの時間を稼いで、ついでに自分も逃げおおせるようになるための力」
そこで髪から手を離し、人龍を見上げる。
「そりゃあ、勘違いした莫迦な子が自分からケンカ売って、返り討ちになるのまでは責任持てないけどさ、簡単に死んでいい命なんて無いのよ」
そして振り返って、イオナの蒼銀色の瞳を見据えてくっきりと言う。
「無いんだからね」
「う、うん」
よろしい、と頷いて、
「だからもう、連中があんなこと出来ないように、連中だけは滅ぼした方がいいのよ。徹底的にね」
言葉は物騒だが、ガルザードも根っこの部分では同意できる。
あいつらを放っておけば、きっとまたウィルみたいなヒトも出てくるだろうから。
それを止めるために自分はここまで来たのだから。
「いいえ。滅ぶのはあなた方の方です」
上空からの声に、四人が一斉に振り仰ぐ。
「生きてやがったか、ザンガ。崩落に巻き込まれたかと思ってたがな」
軽口を叩くダンゲルグ以外は初対面のザンガは、人龍の右掌の上で四人を睥睨していた。
「お前が、ウィルをあんな風に使ったのか」
師匠の言動から、この男が元凶だと察したガルザードが、圧倒的な怒気を持って対峙する。
「ヒトを家畜としていいように使っていたのは龍族でしょう。その末裔であるあなたに、いまさらとやかく言われる筋合いはありません」
「ドラガヌアを滅ぼしたのもお前の差し金かと訊いている!」
「アレは力を得て暴れたがっていた。わたしはそのはけ口を示唆しただけ。ドラガヌアを滅ぼしたのは、アレの意志ですよ?」
ぐ、と半歩下がるガルザード。
「違うわ。あの子には洗脳用のアクセル・ギアが埋め込まれていた。示唆したんじゃなくて、滅ぼしたくなるよう、暴れたくなるよう誘導したのよ。間違いないわ」
メディナの言葉に牽かれるように、ザンガが彼女を見る。
「その焦げ茶色の鱗……、あなたがメディナですか。我が先祖が世話になったようで」
「は、こっちは悪党の片棒担がされて、はらわた煮えくりかえってるの。あとで噛み砕いてやるから覚悟しておきなさい」
やれやれと肩をすくめてザンガはイオナに視線をやる。
「あなたは、アレを快く思っていなかったようですが、なぜここに居るのです?」
「あのさ、他人の会話を遠くから盗み聞きしてるようなヤツに、なんでそんな大事なこと言わなきゃいけないの?」
ひと言で切って捨て、兄以上の怒気をぶつける。
しかしザンガはねずみ色の瞳に何の感情も表さず、涼しげに言ってのけた。
「全員の遺言も聞き終えたところですし、全てを神の御前に差し出すための儀式を、始めるとしましょうか」
やはりそう来るか、と構える兄妹。兄は刀を、妹は拳を構えるが、ふたりの師匠は違った。なにもせず、ただ力なく立ち尽くしていた。
「師匠?」
「あ、ああ、……すまんな。からだが、動かないんだ」
はっ、とメディナが立ち上がり、警告する。
「洗脳のギアが付いてる!」
「ああ……そういう、ことか。ウィル坊の約束だけじゃ……っ!」
ぐぐっ、とからだを丸めたダンゲルグの全身が震えはじめる。
頬の鱗が顔中に回り、額の角が天に向かって伸びていく。
龍に変化する。
彼の意志ではなく、洗脳のギアの力によって無理矢理に。
場の全員がそう察した直後、イオナが悲痛に叫ぶ。
「師匠! 無理に押さえ込まなくていいから! 戦いたいならあたしが龍の姿で相手するから!」
「言うじゃ、ねえか、莫迦弟子……っ。なら、師匠の本気、受け止めてくれるか……?」
「受け止める! お兄ちゃんがそうしてくれたみたいに、あたしが師匠を助ける!」
「ありがとうよ。……あとでちゃんと、稽古付けてやるからな」
「約束だからね!」
おおおおおおっ!
それは返事だったのか、それとも咆哮だったのか。
ともかくダンゲルグの口から発せられたそれは、大気を山の木々を、崩れ落ちた洞窟の土砂までも振るわせた。
「イオナ! ダンゲルグを頼む!」
「うん!」
返事をすると同時に一瞬で龍の姿になったイオナは、巨躯には不釣り合いな小さな手を使い、まだ人の姿で堪えているダンゲルグの首根っこを掴み、突風を引き連れて遠方へと去って行った。
「メディナさんは、ここのヒトたちをお願いします! オレが出来るだけ遠ざけますから!」
「分かった。落ち着いたら援護に行くから、それまで耐えるのよ」
予想外の対応に、え、と驚き、なによ、と視線で返されて。はい、と返事をしてガルザードは上空のザンガへと向かう。
眼下には広大な針葉樹の森。故郷ドラガヌアはここから東の彼方。かつてウィルが語ってくれた巨大な鳥の住まう土地へは、人龍の背後に連なる山脈を越えなければいけない。
ウィルのことを思い出したら勇気と元気が湧いてきた。
人龍に視線を戻す。
ひと飲みにされそうなほどに巨大な人族の上半身と、五倍はあろうかと言う長大な龍の姿の下半身。それぞれを見れば確かに美しさも感じるが、それらを合わせたならば、こんなにも醜悪な存在になるのかと辟易した。
人龍の掌に乗ったまま、ザンガは嘲笑と驚きを持ってガルザードを迎える。
「まさか、戦うつもりですか?」
「ああ」
「ならば、見せしめとして無残に殺してあげましょう。死体は腐れ落ちるまでドラガヌアの城門前に晒し、あなたの妹をはじめとして親類縁者一族郎党を同じ目に合わせてやりますから、覚悟しておきなさい」
ふっ、とガルザードのからだが消え、次の瞬間には切っ先をザンガの喉元に突きつけていた。
「このまま、突いて殺すのは、ウィルへの冒涜になる」
「あんなヒト程度の駒に同情するのですか?」
「お前がどう思おうと、オレにとっては家族であり友人だ」つ、とほんの僅か束に力を込め、切っ先を皮膚に沈ませる。「選べ。ここで首を落とされるか、地上に降りて黙って見ているかを」
「どちらも断ります」
ふ、と笑って左を見るザンガ。
気配で、右からなにか巨大なものが迫ってくると気づき、後ずさるガルザード。そのすぐ前を巨大な拳が通り抜け、間一髪直撃を避けた。
「最後の審判です」
巨大さを感じさせない速度で人龍の左手が戻る。同時に人龍は口を大きく開け、ザンガを乗せた右手を口元まで運んでいく。
「これは私という最高の頭脳が入ってようやく完成するのです。全てを神の御前に捧げることができるのなら、この身など惜しくはありません!」
高らかに宣言し、ザンガは人龍に丸呑みされた。
「な、なにをしたんだ。あいつは」
愕然とするガルザードの懐から、アクセル・ギアがメディナの声で呼びかけてくる。取り出して応じると、
『その人龍と同化したのよ。完全に自分の意志で支配して動かすためにね』
嫌悪と悪心に満ちた声音だった。
ならばイオナを遠ざけておいて良かった。こんな異常を見たら妹はきっと発狂してしまう。かくいうガルザードも、吐き気を堪えるので精一杯な状態だ。
『では、いきますよ!』
人龍がザンガの声で叫ぶ。
本当に人龍とひとつになってしまったのだ、と思うと憐憫に似た感情も湧くが、それに構ってやるつもりは無い。ねじ伏せ、ギアを取り出し、叫ぶ。
「アクセル・スロットル!」
ギアから光が溢れ、まばゆく輝きながらガルザードを包み、弾ける。
「行くぞ!」
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