第4話 元王子

「じゃあ、取りあえず馴染むやつを探すから、一個ずつ手に取って試してみて」


 龍族の家、と言っても人族のそれと大差あるわけではない。

 外観は四角く、屋根の形状がその地方ごとに変わることも同じ。

 ガルザードが世話になっているこの里の家々も、質素な平屋が不規則に並び、里の中央には全員が集まれる広場がある。きっと季節の祭りなどはここが中心になるのだろう、とガルザードはぼんやりと思った。

 広場の中央には太ももぐらいの高さのテーブルが置かれ、その上にはアクセル・ギアが五つ並んでいる。

 ちなみにメディナは広場の外苑に立って、大声でガルザードに指示を出している。その声につられて里の龍族たちが、なんだなんだと顔を覗かせ、ある者はそのまま見学し、ある者は興味を引かれることなく家に戻っていった。

 中にはガルザードの顔見知りも包帯姿で混じっていたが、反応は里の者たちと代わらなかった。

 ギアの見た目の大きさは手の平ほど、厚さは指一本分ぐらいの板状。この板が基本的な形で、技師や使う者によって形は多岐にわたる。

 ガルザードは一番右端にあったひとつを手に取り、じっと見つめる。おもむろに右の親指を自分の犬歯で切り、ぷく、と指先に浮かんだ血をギアに押しつける。


「……」


 親指をギアに乗せたまま、ガルザードは意識をギアに。やがてギアが淡く光り始める。が、十数えるよりも早く光は消えてしまった。


「はーい、じゃあ次ー」


 ギアに付いた血を袖口で拭ってガルザードはいま持っているギアと右から二番目のギアを交換。同じように血を付けて反応を見る。

 ギアが淡く光り、それは十を超え、三十を超えたあたりで強く輝きはじめる。

 アクセル・ギアは心の力を受けて起動する。

 ガルザードたち龍族はその身に流れる血によって強大な力を発揮する。

 龍の力は心の力。こうやって自らの血をギアに与えることによって、そのギアが自分の龍の力、すなわち血と馴染むかを判断しているのだ。


「おー、良かった。二つめで当たりとか運がいいわ」


 満足げに頷くメディナとは裏腹に、ガルザードは空を見上げていた。

 どうしたの? と問いかけるよりも早く、広場に琥珀色の塊が落ちてきた。


「なになになに!」


 土煙が立ちこめる中、メディナは混乱した悲鳴を上げ、ガルザードは土煙の中心を睨み付けている。


「このギア、借ります」


 視線はそのまま、言葉だけをメディナに向け、ガルザードはギアを握りしめる。

 土煙が風に巻かれて晴れる。

 琥珀色の塊が落ちてきたそこには、琥珀色の鱗を持つひとりの竜人がいた。

 そこから強い殺気が、里の全域に放たれる。

 ガルザードの全身に燻る傷たちが一斉にうずき始める。


「ウィル!」


 祖国ドラガヌアを急襲した竜人のリーダーであり、五年ほど前までガルザードの兄弟として共に暮らしてきた竜人、ウィルがそこにいた。


「ガルザード。まだ生きていたか」


 それまで見学していた者たちに加え、土煙にひかれて集まってきた里の龍族たちを油断なく睥睨しつつ、琥珀色の竜人、ウィルは尊大に言い放った。


「無礼な若造じゃな。他者にものを頼むということがどういうことか、親から教わらなかったのかい?」


 ざわつく龍族や人族の輪の中から、深緑色の美髯と鱗をたくわえ、左右のこめかみからは一対の短い角を生やした龍族の老人が一歩踏み出し、琥珀色の竜人を叱責する。


「オレはウィル・ドラグーナ。ドラガヌアの元王子だ」


 ざわつきは一度ぴたりと止み、次いで種々の笑い声が上がった。深緑色の老龍は笑いこそしなかったが、その瞳の奥には憐憫が見て取れた。


「お若いの。ドラガヌアは龍族が興した国であり、純粋な龍族が代々治めてきた国じゃ。誰に吹き込まれたかは知らぬが、竜人のあんたが二度とそのように名乗ってはいけないよ」


 優しく、ぐずる幼子をあやすように。


「それに、ドラガヌアの王子は五年前に死んだよ。派手に葬儀もやった。だとすればあんたは死者ってことになるね」

「実情を知らないのはお前達の方だ。あの忌まわしい王族はな……」

「その者が言っていることは真実です」


 ウィルが腰の刀に手を掛けたのを見て、ガルザードが割って入る。

 しかし答えたのは老龍。


「メディナが保護した龍族の坊やだね。まだギアが直ってないと聞いているが、いいのかい?」


 最後は彼の後ろにいるメディナに向けて。

 メディナは頷いて返しつつ誰にも気付かれないように家へ戻る。老龍はそれを気取られぬように注意しながら視線をガルザードに戻す。


「どっちにしても、動くだけで精一杯ってところだね。追い払うだけならこちらでやるから、いまは養生するといい」


 老龍の口調は柔らかく、真の気遣いが感じ取れた。

 だからこそ、とガルザードは強く言う。


「ご老体、これは私たちの問題です」


 老龍は目を閉じながら小さく嘆息し、もう一度ガルザードの赤さび色の瞳を見つめて言う。


「そうかい。無茶はするんじゃないよ」


 ありがとうございます、と深く礼をしてガルザードはウィルに視線とからだを戻す。


「何の用だ。敗残兵狩りに回す人手も足りないのか」


 こんな皮肉を口にするなんて思ってもいなかった。内心それだけウィルの行いや自らの不甲斐なさに腹を立てていたのだろう。


「お前はぼくが直接殺す。それだけだ」


 こうして正面からしっかりと見ると、やはりウィルだと分かる。

 病弱で博学で、世界は広くて美しいと嬉しそうに語っていた、あのウィル。

 五年前に死んで、葬儀にも出席した、あのウィル。

 にも関わらず、彼の容姿はちゃんと五年分の成長が見て取れる。

 なのに、中身はまるっきり正反対だ。

 何が彼をここまで変えてしまったのか。

 それはいまはどうでもいいことだ。

 敵意を、殺意をもって対峙するならば、全力をもって応じなければいけない。


「詳しいことはあとで訊く」


 刀はまだ寝室だ。が、取りに行くような愚行をいまのウィルが許すはずもない。

 どうする。

 傷は一応塞がったが、体術も龍の息も満足に使えない状態だ。無刀での訓練も受けているが、このからだでどこまでやれるか。

 不思議な感覚だった。

 祖国も何もかも失って自暴自棄になっていたのに、こうして戦う相手が見つかったらこんなにも心が沸き立っている。それに応じて手にしたギアが輝いている。

 そうだ。自分にはギアがある。

 活路が見えた。


「……行くぞ」


 ギアを懐にしまうと同時に加速。障害物も無く、ギアの力を借りた加速ふたりの距離は一瞬で詰められ、わずかに反応の遅れたウィルの左頬に、ガルザードの右拳がめり込んだ。

 ほう、と老龍が感嘆する。


「がっ!」


 殴られたウィルは勢いそのままに、顔から地面に叩き付けられる。


「それが、いきなり殴られる痛みだ」


 うつ伏せに倒れたウィルの後ろ髪を掴み、強引に立たせて今度は腹を殴りつける。


「そしてこれが、家族から殴られる痛みだ」


 ガルザードの語調は強くも鋭くもない。低く静かに、どこか諭すような色さえある。

 だが。拳に残るこの違和感はなんだ。

 自分は妹と違い、拳術は学んでいない。けれど一応無刀での戦い方は習っている。その程度な自分が、自分の拳が、強い違和感を訴えてきた。

 だがその違和感も心に刻んですぐに封じた。

 いまはウィル自身に集中しなければいけないのだから。

 口の端から血を零しながら、ウィルはガルザードを睨み付ける。


「……だからなんだ。ぼくはお前たちのことを家族だと思ったことなんか、一度も無い」


 腹へのダメージが残っているうちにガルザードは、ウィルの腰から刀を外し、ギアが並ぶテーブルへと蹴り飛ばしてしまう。


「お前は、オレを殺すのは自分だと言ったな」

「全てを神の御前に……差し出すためだ」


 城で襲撃してきた竜人たちも口々にこの言葉を吐いていた。

 きっと意味があるのだろうが、それを追求するのはいまじゃなくていい。


「だったらオレはお前を止める。それが全てを失ったオレの成すべきことだ」

「……やってみせろ!」


 下。

 後ろ髪を掴み上げられての不安定な体勢ながら、ウィルは鋭いアッパーを放つ。

 掴んだ髪から手を放しつつスウェーで避けるガルザード。アッパーを撃った反動と開放のタイミングが重なり、着地に少しもたつく。その隙を逃さず距離を、回し蹴りが左から来る。クロスガード。重い。一瞬の硬直をウィルは逃さない。


「はあぁっ!」


 開いた左脇腹へしなやかな蹴り。


「ぐっ!」


 直撃に内蔵が激しく揺れる。傷口も開きはじめる。まずい。正面、拳。頭を右に振って避ける。耳を髪を掠める。しかし好都合。腕を伸ばして絡め取り、半回転。


「せあっ!」


 一本背負いで地面に叩き付け、自分もその反動で背中からボディプレスをかける。


「があっ!」


 しかし、悲鳴をあげたのはガルザード。

 彼の右の後ろ腰には、鋭い、三角錐型の突起物が突き刺さり、そこを起点に持ち上げられている。

 ウィルが、その右手に鱗を集めてサイズを二倍以上に巨大化。さらに手首までを硬質、先鋭化させた凶器へと変貌させてガルザードを持ち上げているのだ。


「ウィル……っ!」


 ガルザードは苦悶と、僅かな疑問を孕んだ瞳を下に向けながら、腕を全身をデタラメに動かす。こちらを担ぎ上げるウィルの右手を振り払うために。


「ふっ」


 ウィルはガルザードのからだを無造作に放り投げ、ゆっくりと立ち上がる。


「今度はぼくの番だ」


 ざっ、と足を開き腰を落とし、前傾姿勢を取りつつ、大鷲が翼を広げる直前のように両腕をたわめながら力を溜める。ツメは硬度と鋭さを増し、両脚の筋肉は限界まで隆起する。

 どうにか立ち上がったガルザードは、この状況を打破すべく懸命に思考を巡らせる。

 ウィルの姿がかき消える。

 刹那、右肩から鮮血。

 大丈夫。見えている。

 腰と右肩をやられた。塞がりかけていた傷たちもすっかり開き、足元がおぼつかなくなってきた。

 左太ももがやられた。

 構うな。考えろ。

 龍の息はまだ使えない。ウィルから奪った刀はいつの間にか紛失。使える獲物は自らのからだだけ。

 違う。まだ、持っているものがある。

 血はもう十分に吸わせた。だから、やれるはずだ。

 正面から来る。


「アクセル・スロットル!」


 ガルザードが叫ぶと同時に、彼の懐からまばゆい光が放たれ、それはすぐに彼の全身を包んだ。


「なっ!」


 右腕を振り上げ、今まさにガルザードの首を狩ろうとしていたウィルは光によって吹き飛ばされ、派手に地面を転がった。

 光が収まる。

 そこにあったのは、純白の甲冑をまとうガルザードの姿だった。

 よし、と小さく頷いてガルザードはウィルを探す。居た。正面。いつの間にか撤去されているが、つい先刻までアクセル・ギアが並べられていた机のあった辺りにウィルは立ち、またも力を溜めている。右手だけだった硬質化は両ヒジのあたりまで進んでいる。


「ガルザード!」


 右から女声。直後棒状の物体が回転しながら飛んでくる。視線をウィルに固定したまま右手を伸ばし、飛来する物体を掴む。愛刀だ。ありがたい。

 相手は素手だがそのツメは凶器だ。

 構わず束と鞘を繋いでいたヒモを口を使って解き、抜刀。鞘を投げ捨てて加速。小細工は無しの正面突破。

 ウィルが不敵に笑う。

 きっと自分も笑っていたのだと思う。

 あの日から五年。

 もしウィルと再会できたなら、と、話したいことは山ほどあったはずなのに、こうして対峙してしまうともう、どうでもよくなっている。

 いまやるべきは眼前にいるこの男を屠ることだけ。

 それを実行するだけの存在として自らを認識する。

 間合いに入る。下段から逆袈裟懸けに振り上げる。

 ウィルが左手でガード。金属音に似た高音が鳴り響く。掴まれる前に、と前蹴りを放つ。うかつだった。放った蹴りはあっさりと絡め取られ、ろくに抵抗することもできずに持ち上げられ、背中から叩き付けられてしまう。


「がはっ!」


 純白の鎧により、ダメージそのものは抑えられたが、肺の中の空気は一気に押し出され、一瞬の酸欠に陥る。

 その隙を逃さずウィルは、凶器と化した右の五指全てをガルザードの胸に突き立てる。

 刀での防御は間に合わないと判断し、ギアの出力を上げる。ギリギリで間に合った増加は、ウィルのツメを強く弾き、彼のからだを大きくのけぞらせる。水面蹴りで足払い。崩れるウィル。こちらが立ち上がるのと、向こうが堪えきれず膝をつくのは同時だった。


「はあっ!」


 まだ硬質化していないウィルの左肩へ刀を振り下ろす。呻きつつ右手で反撃。体を開いて回避。だが左脇腹を掠め、鎧の破片が飛び散る。これでいい。


「終わりだ!」


 残った右の二の腕へ振り下ろし、凶器をふたつとも封じる。

 あと落とす箇所はただひとつ。

 躊躇したつもりはない。

 恋人同士のようにずっと外さなかった視線。その中にほんの一瞬、五年前の、病弱だった頃のウィルと同じ光を、ガルザードは見てしまった。


「そこまで!」


 大音声が里全体に響き渡り、ガルザードは反射的にウィルから距離を取ってしまう。

 声のする方を見れば、里の上空に三人の竜人と一人の龍族が浮かんでいた。

 竜人たちに覚えは無いが、龍族は知りすぎるほどに知っている男だ。


「よぉ。ちゃんと生きてるな、莫迦弟子」

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