第5話 唇に

 ガルザードは常闇を彷徨っていた。

 自分の腕すらも見えず、上下の感覚も無く、龍の姿で空を飛ぶのとは全く違う浮遊感に似た何かに包まれていた。


「…………」


 声を出そうとしても、出しているつもりであっても、その声は自らの耳にも届かず、また体内で響いている感覚もない。

 死んだのだろうか。

 あまりに血を流しすぎた。

 いくら龍族であっても、血を流しすぎれば死ぬ。それは剣術の稽古の時に散々ダンゲルグから耳とからだの両方に叩き込まれていたことだ。

 だからこそ本能的に急所を外すようになるし、受け身も取るようになる。

 本音を言えば、楽しかった。

 互角の実力を持つ相手と、死力を尽くして刀を振るうことがこんなにも楽しいなんて知らなかった。

 国のことも、妹のことも、五年前に死んだはずのウィルのことも、果ては自らの命さえもどうでもよくなっていた。

 あの瞬間、ウィルの瞳に過去のウィルの気配を感じるまでは。

 ならばやはり自分は死んだのだろう。

 家族を殺そうとしたから。

 その罰として。

 以前座学で僧侶から聞いた話によると、龍族も人族も他の動植物も等しく、死ねば魂はいくつかに分裂し、他の分裂した魂たちとひとつになって新しい肉体に宿るそうだ。

 ならばいまから自分は細かく寸断され、また別の生を受けるのだろうか。

 イヤだ。

 まだ、生きていたい。

 メディナや里の者たちから受けた恩を返していない。

 恩を返さずに死ぬなんて、ドラガヌア王家に生まれた者にとって死よりも重い恥だ。

 無意識に手を伸ばし、なにかを叫んだ。

 その感触は一切自分に返ってこなかったけれど、それでも懸命に手を伸ばし、いきたいと叫んだ。

 ふいに、

 唇に、

 なにかが。




「で、試験の結果なんだけど」


 あれから丸一日が過ぎた。

 その間ガルザードは眠り続け、ようやく目を覚ました時にはもう夕暮れを迎えていた。

 目を覚まして薬草たっぷりの粥を平らげ、苦みしか感じない薬膳茶を飲まされ、ひと息ついたところでメディナは当たり前のようにそう話しかけてきた。


「……なによその目。ひとの里でさんざん暴れておいて、傷の手当てまでさせておいて、労いの言葉もらおうとかしてるんじゃないわよ」


 そんなに変な目つきをしていただろうか。

 メディナの褐色の瞳を見返したはずなのに、なぜか視線は彼女の唇へと落ちる。


「なに見てるのよ」

「い、いえ別に」

「……へんたい」


 なぜ頬を薄く染めているのだろう。

 そういえば常闇を彷徨っている時に、


「とにかく!」


 急に大声を出されて、ガルザードの思考は現実に引き戻された。

 こちらを見据えるメディナの表情に、もう恥じらいはない。

 はっきり言って恥じらっている姿も全然かわいく無かったので、ガルザードはむしろほっとした。


「あんたがの出力も、ギアが出した反応も問題はないけど、まだ欲しい出力には足りてないわ。やっぱり龍の力はギアに抑制されるみたいね」


 あれで足りない、と言われるとかなり困る。

 それに、龍族を莫迦にされたみたいで少し腹も立つ。


「人族はよき隣人ですが、身体能力などではオレたちの方が上です」

「ああ、違う違う。アクセル・ギアは魔素まそで動くけどさ、魔素を励起させるのは扱うひとの心の力なの」


 アクセル・ギアとは人族が開発した万能機械。

 この世界にありふれたエネルギー体、見た目には赤く濡れた石である魔素を核として、所有者の心に湧く力をエネルギーとして様々な形状へ変化する。

 それはガルザードも長年使用してきたから分かる。


「ギアに血を含ませて魔素と自分をリンクさせて、感情の力で動かす。


 あんたたち王族は龍の力が強すぎるから、力を授かった時に制御用にギアを持たされてる。そうしないと龍の力に翻弄されてただの獣になったり、死んだりするからね。

 ギアはまず龍の力を抑制して、感情の力を処理するのはその後。

 その処理を並列でやるか、順番を逆にすれば人族以上の出力を出せるんだろうけど、いままで誰も成功していない。龍の力と魔素の力が混ざったぐちゃぐちゃのバケモノになった、って文献に書いてあったから、多分そういうことなんだと思う。

 だからギアの出力は人族の方が上ってこと。分かる?」

 喋りすぎて疲れたのか、一度小さく息を吐いて持参した湯飲みから茶をふた口ほど飲んだ。

 じっと聞いていたガルザードは、そんなこと言われても、と渋面を作る。


「何よその顔」

「いえ別になにも」


 自分が王族の生まれだと、メディナに語っただろうか、と思ったが、何かの弾みで言ったかも知れないし、鱗の色で類推されたのかも知れない、と思い直し、表情を戻した。


「そんな顔しなくても、龍族と人族のギアへの出力差を出す計算式もあるのよ。だから安心して」

「じゃあ、まだテストするんですか?」

「あったりまえじゃない。テストってのは何回も何回も繰り返して満足する結果が出るまでやるの。だからまだ当分被験者でいてね」


 断ることなんて出来るはずもなく、ガルザードは頷くしか出来なかった。


「でもまぁ、あんたのからだもまだ本調子じゃないし、テストは治ってからでもいいわ」


 それは助かる。

 実際、こうして喋っていても全身に痛みはあるし、食事中も内蔵がチリチリと痛みを訴えていた。


「おばあの見立てだとあと二、三日寝てれば治るって言ってたから、それまでは面倒見てあげる。だけど」

「その後はこき使うつもりですね」

「分かってるならよろしい。じゃ、おかわり持ってくるから湯飲み貸して。読んでも意味分からないだろうけど本棚の本も読んでいいから、この部屋から絶対に出るんじゃないわよ。いいわね」


 トイレはどうすれば、と聞ける雰囲気では無かった。

 ガルザードはまたも頷くことしか出来なかった。


    *     *     *


「それでは、行ってまいります」


 ウィルの襲撃から五日後。

 ガルザードは自身の三倍はありそうな巨大なリュックサックを背負い、老龍に挨拶をしていた。

 その隣では工具の入ったショルダーバッグを右肩に背負ったメディナが軽い口調で言う。


「じゃあばーちゃん、工房のこととかお願いね」


 それにしても、ガルザードの荷物の大きさは何度見ても驚きを禁じ得ない。縦も横もガルザードの身長ほどもあり、その中には、これも修行よ、と要不要を問わずに目に付く物全てをメディナによってリュックサックに詰め込まれたのだ。

 この里からドラガヌア王都までは徒歩で二十日ほど。龍の姿で空から行っても二、三日はかかる。

 龍の姿で行くには目立ちすぎるため徒歩での行程となったが、それでもこの荷物は多すぎるとガルザードも老龍も、持たせたメディナでさえ思っているが、結局誰も言い出せないまま出発となってしまった。


「はい、しっかりね」


 三人が顔を合わせているのは、老龍の家の玄関先。

 早朝ということもあって、里も周囲の森もひっそりと静まりかえっている。

 うかつに大きな声を出せば驚くほどに反響してしまうので、三人とも小声で話している。


「まったくお前のせっかちは誰に似たのかねぇ」


 呆れの混じった笑顔でメディナを見つめ、次いでガルザードに視線を移す。


「ふつつかな孫娘ですが、よろしくお願いします」


 深く頭を下げられてガルザードは困惑するばかり。


「あ、あの! 止めて下さい! 頭を上げてください!」

「きっとメディナが我が儘を言ったのでしょう。ガルザードさんには大事な使命があると言うのに……」


 するりとメディナの隣に移動し、ぐい、と頭を下げさせる。じたばたと抵抗するも、がっちりと掴んだ手は絶対に離さなかった。


「至らない所があったら、いつでも遠慮無く見捨てて構いませんから。どんなへんぴな土地であってもへらへら笑って帰って来ますから」


 そこでようやく手を離したが、老龍は頭を下げたまま。困惑し通しのガルザードの目には、その横でメディナが唇を尖らせている姿はまるで入っていなかった。

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