第18話 覚悟

 ヒトと人族は似て非なるものだ。


 ヒトとは龍族が家畜として繁殖、育成し、観賞用や労働力として使われていた存在。

 人族とはヒトが龍族の支配から脱した、あるいは開放されて独自の文化や文明を作り出した種族。

 ならば同じ存在ではないか、と問われれば答えはこうなる。

 自由意志があり、自らを自らの主人であると規定できる者が人族である、と。

 だがこれらの定義も、かつてドラガヌアの開祖が定めただけで、現実的に人族の本性はさほど変わっていない。

 が、龍族たちは違う。

 かつて自分たちがヒトに対して行ってきた行為の数々への自戒もあったのだろう。

 人族への悪意ある接触、行為、暴力は禁忌とする。

 ドラガヌアの開祖が提言し、少しずつでも浸透すればいいからと国是にまでしたこの掟は、世代を重ねるごとに龍族たちにしっかりと根付き、千五百年経過したいまはふたつの種族の関係は良好であり、よき隣人、あるいは友人だと大半の龍族は考えている。

 人族にとっては神代の世界に等しい千五百年という時間は、ヒトを直系の祖先に持つ者たちには怨嗟を積み重ねるには十分であった。

 そしてついにヒトを直系に持つ人族たちは龍族と世界に反旗を翻し、全てを神々の前に差し出そうと動き出した。


 手始めに、世界でも有数の大国ドラガヌアを壊滅。

 そしてアクセル・ギアによる洗脳や剣豪の技術を植え付けた竜人たちを使って各地の龍族の里を襲撃していった。

 奇襲であったが故に成功したドラガヌアの陥落と違い、里への襲撃は素早い情報の伝達により事前の準備を行われたため、戦果は芳しく無かった。


「本当に、やるのですか?」


 ほの暗い洞窟の中で、アブリエータはザンガに問いかける。


「ウィルは消滅し、洗脳した者たちもドラガヌアの残存兵や他国の龍族たちにより撃破や洗脳を解除され、私たちに残された戦力はもうありません。それでもあなたはまだ諦めないのですか?」


 メディナの里で治療を受けていた龍族たちは独自に動き、近隣国と連携しつつドラガヌアを壊滅に追いやった竜人たちを撃破、あるいは洗脳を解いていた。

 その影でメディナがアクセル・ギアを使って情報を流していたことをガルザードたちは知らない。

 ウィルを修復するために使われていた水槽の前でザンガは、不敵な笑みを浮かべる。


「はい。戦力ならもうひとつだけ、残されています」


 ザンガの言葉に、アブリエータは戦慄する。

 あんなものを本当に造っていたなんて、信じられなかった。


「もう止めにしましょう。ウィルは満足して逝きました。これ以上はあの子の死を穢すことになります」

「死を? 穢す? ウィルはヒトです。家畜の死に意味なんかありません。あなたこそ、家畜程度になにを感情移入しているのですか」

「いいえ。ウィルは自らの意志で動き、願いを叶えました。ヒトではありません」


 ザンガの言う通り、ウィルはヒトだ。

 五年前、ドラガヌア王家の養子として死亡したウィルを、彼ら医師団は極秘に回収し、この水槽で他のヒトたちの魂や記憶を移植することで蘇生。さらに肉体の強化やさらなる洗脳を施し、ドラガヌア侵攻の尖兵とした。


「私たちに、全てを神の御前に、という明確な目的を定めたのはあの子の意志ではありませんか。あの子以上に私たちの本懐を、」

「それ以上はアレの触媒にしますよ」


 僅かに振り返り、低く放ったザンガの言葉に、アブリエータは彼やこの組織へ諦めに似た何かを感じた。

 ここまで来れただけでも、祖先の願いは果たせた。

 ヒトを家畜以下の存在として使役している自分たちに、かつての龍族たち以上の正義は決して無い。

 ザンガを動かしているのはもう、彼個人の情念だ。

 かつてあれほど崇高に感じていた「すべてを神の御前に」という信念や理念も、彼の中で曲解され、もうアブリエータの考えと交わることは未来永劫無いだろう。

 ウィルを送ってくれた龍族たちを、これ以上ヒトの血で穢すことはしてはいけない。

 だから。

 懐に手を入れる。

 指に触れる、ずしりと重い鉄の塊。

 かつてダンゲルグから「これぐらい持っていた方がいいぞ」と渡された匕首。

 彼がこれを渡した真意は結局聞きそびれてしまったが、あるいはこういう時を想定していたのかも知れない。

 決然とした思いを胸に、アブリエータはザンガへと歩み寄った。

 

    *     *     *


「ついたわ。ここよ」


 メディナが案内したそこは、龍の姿でも余裕を持って通れそうな洞窟だった。


「この奥にウィルにひどいことをさせた連中が居るのね」

「そんなところよ。じゃああたしは里に帰るから。どんな風に終わっても報告とか来なくていいからね」


 心底面倒くさそうに言いつつ、ひらひらと手を振っただけありがたいと思いつつ、ガルザードはメディナに礼を言い、兄妹は彼女と別れた。

 別れに感慨が湧くような穏やかな旅では無かったが、それでもメディナには感謝しかない。きっと嫌がるだろうが、全てに決着がついたら菓子折でも持って挨拶にいかなければと決めた。

 薄暗い洞窟に足を踏み入れる。

 ひんやりとした空気と、入り口からでも分かるカビのにおいに、どこかウィルの面影を感じながらゆっくりと歩を進める。

 中に入ってみると天井は思った以上に高い。横幅は少し狭く感じるが、刀を振るうだけの余裕はあるから万が一の場合は防戦しながら外に出られる。

 ひとまずの安心材料が見つかって生まれた余裕から、後ろの様子を伺う。

 到着まであれほど騒がしくしていたイオナだったが、緊張しているのか、到着してからはずっと黙っている。

 こっちまで緊張するからなにか喋って欲しい、そう思った直後、入り口付近からのメディナの悲鳴が洞窟全体に響き渡る。


「メディナさん?」


 知り合ってから、まだ十日も経過していない。けれど、彼女が容易に悲鳴を上げるような性分でないことぐらいは分かる。


「ちょ、ちょっとなによあんたたち!」


 恐怖というよりは困惑に満ちた悲鳴に振り返ろうとするガルザードの正面に、


「おっと、莫迦弟子ども。お前の相手はこっちだ」


 ダンゲルグが立ち塞がる。

 洞窟の入り口からなにが迫っているのかは分からないが、三人は挟み撃ちにされた。


「師匠!」


 振り返ってイオナが叫ぶ。


「ウィルはもう居ないんだから、こんなことしなくてもいいの!」


 どこかばつが悪そうにダンゲルグは言う。


「こっちも仕事でな。まだカネももらってないから、仕方ないだろ」

「お金ならあとであたしが倍払うから!」

「そんな理由で裏切ったら、これから先の仕事が目減りするだろうが」

「あ、あたしが一生雇うからお願い! 師匠とは戦いたいけどこんな風に戦うとかは絶対やだ!」


 イオナの言葉に、どこか満足したように笑い、しかしすらりと刀を抜いた。


「俺も、ウィルに頼まれたクチでな。悪いが、ガルザード。勝負だ」


 妹とは逆に、ガルザードは冷静に刀を抜いた。


「……はい。よろしくお願いします」

「お兄ちゃん!」

「お前はメディナさんのところへ行け!」

「でも!」

「大丈夫だ。安心しろ」

「……でも」

「頼む。いまのお前じゃ、足手まといになるんだ」


 はっきりと言われ、イオナは唇をへの字に曲げて振り返り、入り口へと走って行った。


「やるね、オニイチャン」

「ダンゲルグこそ。追わないでいてくれて助かる」

「いまのお前となら、本気を出しても問題無さそうだからな。単純にサシでやりたかっただけだよ」


 本当にそうだろうか。

 昔から飄々とした男だったから、どこまでが本気なのか分からない。

 彼の本心がどこにあろうと構わない。


「終わってから、全部訊くから」

「そのとき訊けたらな」


 ふっ、と姿が消える。

 ガルザードの姿も同時に消えた。

 薄暗い洞窟の中で火花がきらめき、斬撃の音が幾重にも反響し、衝撃が岩壁をびりびりと振るわせ、細かな石がこぼれ落ちた。

 洞窟が崩れるのも、時間の問題だろう。

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