龍宵願恋 ガルザード

月川 ふ黒ウ

第1話 最初の星空

「ねえガル。ぼくは思うんだ。世界はとても広くて美しいって」


 いまにも降り出してきそうな星空の下、車いすの少年はそう語りかける。


「……そうだな」


 車いすを押す龍族の少年は、弱々しく同意する以外なにも出来ないでいる。

 ふたりがいるのは、風光明媚で名高いドラガヌア王城の三階にあるバルコニー。

 ここに繋がる部屋の照明は落とされ、城下町も僅かな街灯が灯されているだけなので、ふたりはまるで星空の中を漂っているようにすら感じる。

 純白の手すりには精緻な装飾が施され、星明かりを受けて淡く輝いている。

 淡く輝くのは、龍族の少年のからだにちりばめられた赤さび色の鱗も同じ。車いすの少年が深夜に散歩したがるのはこれを見たいためでもある。


「あ、信じてないね? だってぼくは知ってるんだよ?」


 龍族の少年を、挑発的な笑顔で振り返りながら、少年は右側を指さす。


「あっちの、西の山脈とその向こうの平原と海を越えた先にはものすごく大きな鳥がいて、毎年里の女の子を生け贄にしてるって」


 車いすの少年が指す方向は東だったが、龍族の少年は言わないでおくことにした。


「ぼくはね、ガル。ベッドの上と、このバルコニーしか世界を見たことはないよ。でも、きみやイオナや、旅の商人や踊り子さんたちからいっぱいお話を聞かせてもらってる」


 熱っぽく語る少年に、龍族の少年は丁寧に相づちをうつ。


「それに、本もいっぱい呼んでるし、家庭教師の人族たちからもたくさん世界について教えてもらってるんだ」

「……ああ」


 体調が良い日はこうしてふたりで散歩に出ていた。その度に車いすの少年は新しく仕入れた神話や寓話や民話や伝承などをガルに語っていた。

 大人顔負けの軽妙な語り口はガルの心を引きつけて放さず、時には城で働く大人たちも少年の話に喝采を浴びせていた。


「だからはっきりと言える。世界は広くて美しいって」

「なんで急に、そんなことを」

「最近、ガルの様子が暗いからね。元気になってもらいたくて」

「オレはお前が! ……ウィルが……っ!」


 ガルが何を言おうとしているのか、車いすの少年、ウィルは察している。


「大丈夫だよ、ガル。ぼくはもうすぐいなくなるけど、それは悲しいことじゃない。ぼくが頭でっかちにならなくて済んだのは、色々なひとから色々な話を聞けたし、それをみんなに伝えることが出来たからなんだ」

「……?」

「ぼくが話した物語は、ぼくの一部と一緒にみんなの中に宿る。みんながぼくがした話を覚えていてくれる限り、ぼくがした話を別の誰かにしてくれる限り、ぼくの想いは消えない。絶対にね」


 すっかり視界がぐにゃぐにゃになってしまったガルに、ウィルの言葉はしかし優しく染み渡っていく。


「だから何回でも言う。大丈夫だよ。ぼくの想いは、きみといつまでも一緒にいられる。こんな体に生まれたぼくが、ずっと生きていられるたったひとつの方法なんだ」


 そう言って笑うウィルの琥珀色の瞳に、穢れも曇りも無い。


「泣かないで、ガル。世界はこんなにも広くて美しいんだからさ」

「ああ……。そうだな……」


 見上げた星空は、ふたりが幼い頃からなにも変わっていないように思える。

 死んで星になるとはつまり、そういうことかも知れないと、ガルは思った。


「だからガル、お願いがあるんだ」

「……なんだ?」

「この広くて美しい世界を、守って欲しいんだ。どんなことがあっても、絶対に」


 できるだろうか。

 ガル自身も世界の広さを体感したことはない。けれど、ウィルが語る世界はあまりにも広大で。たとえ龍の姿になったとして、どれほどのものが守れるだろうか。


「大丈夫だよ。ガルは強い。ダンゲルグだっていつかは超えられるさ」


 剣術の師匠さえも、と言われ、ガルザードは過大評価だと苦笑しつつも彼の言葉を信じることにした。


「分かった。オレが生きている間は、何があっても世界を守る。約束だ」

「ありがとう。ガル。大好きだよ」


 微笑まれ、なのに胸が高鳴った理由を、ガルは一生思いつけなかった。


「じゃあ、そろそろ戻ろうか」

「……そうだな。夜風も冷えてきた」


 ゆっくりと車いすを押すガル。

 部屋に着くまでの間、時折咳き込みながらもウィルは話し続けた。

 その中には以前何度も聞いたものも含まれていたが、ガルは構わず聞き続けた。



 ウィルが亡くなったのは翌日。

 国葬をもって弔われた彼の死を、国民の誰もが悼んだ。

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