第2話 転移の先で
初夏に差し掛かった、蒸し暑さも感じるその夜。
風光明媚と名高いドラガヌア城は炎に包まれていた。
今日の陽が沈むまでは身分も種族も問わず、様々な人物が行き交っていた玉座の間もまた、炎の魔の手からは逃れられなかった。
『いまさらこんなことをしてどうなる』
玉座は空。重く腹に響くその声は玉座の少し上から発せられた。
そこには長大なからだに
豊かな銀色の髭は炎の照り返しで鈍く輝き、人族などひと呑みにできそうな口からは、鋭利な牙と炎が覗き見える。
「どうにもならない、と思うのはあなたの頭が凝り固まっている証拠だ」
龍と対峙するのは全身に琥珀色の鱗が輝く竜人。
竜人はすらりと腰の刀を抜き、滞空する龍に切っ先を向ける。
「滅びてもらう」
低く静かに。
「我ら竜人はお前達龍族をも超える、圧倒的な力を得た。ならば我らこそが世界を統べるに相応しい」
豊かな髭の奥で、龍の口角が緩やかに上がる。
『そんなものは幻想だ。お前に与えた龍の力は、お前には使いこなせない。それは五年前に思い知ったはずだ』
「うるさい黙れ!」
吠える竜人に、しかし龍は嘲笑も込めて言う。
『それが甘えと言うのだ。自らが得た力に溺れ、目の前の邪魔な存在を、ただ消滅させることでしか取り除くことができない。それが哀れな甘えだと、お前のようなハナタレ小僧が気付けるはずも無いか』
ぽたり、と龍のからだから落ちたのは血だ。
龍自身の鱗の色と四方を囲む炎のせいで見落としがちだが、龍のからだには無数の傷が刻まれ、対する竜人は僅かな擦り傷と、焦げ跡のみ。
ハナタレ小僧にここまでしてやられるとはな─僅かに龍の口角が上がる。
同時にある言葉が脳裏を過ぎる。
子はいつか親を超えるもの。
深く目を閉じ、それでいいと、そうでなければならないと強く願う。
たとえ子らが進む道に、破滅しか見えなくとも。
『覇道も王道もいずれ滅びる。いまお前が行っているようにな。覚えておけ。天地開闢から幾星霜。滅びなかった命や文化などただのひとつも無いと言うことを』
竜人は目を細め、一瞬足に力を込めたと思った刹那、宙にある龍の眼前に躍り出た。
龍の薄く濁った瞳にようやく竜人の姿が映る。
しかし思うのは自らの血を引くふたりの子のこと。
ふたりとも無事逃げおおせただろうか。王子は大丈夫だろうが、王女は無駄に責任感が強い。またぞろ城下で暴れているのではないかと不安になる。
まあよい。
親が子のためにしてやれることなど、思う以上に少ないのだから。
『どうか、幸せにな』
龍のつぶやきは竜人の耳にも届いた。
「全てを神の御前に」
それでも一瞬の躊躇もなく竜人は刀を振り下ろす。
龍の王は地に墜ちる。
断末魔のひとつも上げなかったのは、見事としか言いようが無かった。
* * *
龍の王が墜ちて十日ほどが過ぎた。
「……ここは……?」
見たことの無い天井と、壁。シーツなどから感じるにおいは、自分のものと見ず知らずの女のもの。なぜかほんのりと快く感じた。
情報を集めようと巡らせた視線に映るのは、左側すぐの壁とその上にある窓。右側に少しのスペースがあってその先にドア。
ドアの近くにある三段ほどの本棚は半分ほどが埋まっている。背表紙の文字は龍族のものに混じって人族のものもちらほらある。タイトルから察するに、物語とアクセル・ギアに関するものが大半だ。
どこだここは。
疑問と不安が押し寄せ、それに突き動かされるようにガルザードは起き上がる。
正確には起き上がろうとした。
「がっ!」
ほんの少し、右腕を動かしただけで全身に激痛が走り、起き上がることは出来なかった。
なんでこんな深いケガを、と思い巡らせる。
確か、そうだ。
なんの前触れもなく、あの竜人たちは城に現れた。
城に居た龍族も人族も、誰彼構わず殺し、火を放ち、そして。
「ガルディナード王……」
王の間まで攻め入られるまでそれほどの時間は要さなかった。
近衛である彼、ガルザードも当然竜人たちと戦った。
侮っていた。
龍の力を持っていると言っても、所詮は人族との混血。後れを取ることなど無いと。
だが蓋を開けてみればどうだ。
完全な奇襲であったことを抜きにしても、人族の機動性と龍族の攻撃力。ふたつを存分に発揮され翻弄され、祖国も自らも蹂躙された。
なぜ自分は生きているのだ。
なぜ自分も最期まで共に戦わなかったのか、と思い至ってようやく記憶がよみがえってきた。
「そうだ……王が、ギアで……」
アクセル・ギアは所有者の思いを、ひいては心の力を具現化する機械。
ガルザードも常用していているが、機構までは詳しくない。精々鎧や武器に変化する程度のものだと思っていたが、まさか転移まで行えるものだったとは。
そして、転移させられる直前の記憶から察するに、きっと王はあのあと戦死したのだろう。
王が崩御し、城に火を放たれ、王位継承者の行方も知れない。
ならば、ドラガヌア王家の近衛である自分が次に進むべき道はなんだ。
人族のように仇討ちをするべきか、それともいっそ自害してしまおうか。
なにをするべきか分からず、せめて体の内に溜まった重苦しい空気を吐き出そうと深く長いため息を吐き、ガルザードは体から力を抜く。
「そうだイオナ」
新しく吸い込んだ空気と共に過ぎったのは実の妹のこと。
竜人たちが襲来した時、住民たちの避難誘導を行うと言って真っ先に飛び出していったが、無事当人も脱出できただろうか。
兄の目から見ても、立ち居振る舞いはかわいらしいが、その中身は武闘派。あのまま修練を重ねれば兄を超えるだけの武才を持っていると誰もが口を揃えて言い、ガルザード自身もそう思う。なぜならいまでさえ十本勝負して一、二本は負けるのだから。
強いと言っても、一対一、それも試合形式での立ち会いだ。
実戦は彼女にとっても始めて。
不安だ。
住民たちの避難が終わったあと、城に戻って加勢していないだろうか。
それはないと思いたい。誰と試合をやって誰に勝っても決して驕ることのない賢さも持っていた。王か兵士か、同行していた彼女の近衛か、もしくは住民の中の大人が警告すれば素直に従うだろう。
ならば、傷が治ったらまず妹を探しに行こう。
そう考え始めた時、右側にあるドアが開いた。
「やっと起きたわね」
女だ。
それも龍族の。
こめかみの少し上からはオレンジ色の角が左右一対。
手の甲や頬に焦げ茶色の鱗をちりばめ、その下の肌の純白を引き立たせている。
おそらくこのベッドの主だろう。
女は切れ長の瞳をさらに細め、ガルザードを睨み付ける。
「傷が内蔵までいってるからしばらく食事は諦めてね。あたし、治癒の息は苦手なの」
首からは分厚いゴーグルを下げ、衣服は赤い染みがそこかしこに見えるツナギ。胸元は大きく開いているが、白のシャツを着込んでいる。しかしそのシャツも汚れが目立ち、まるで色気というものを感じない。
「それと、あんたが使ってたギア。こっちも壊れてたから修理してるけど、あんまり期待しないでね」
衣装や言動から察するにアクセル・ギアの技師だろうが、龍族なのは珍しい。
激痛に顔をゆがめながらもどうにか彼女に視線を向ける。
「あなたが、助けてくれたのか……?」
「そうよ。他にも何人か龍族が落ちてきたから、いま里のみんなで治療してる。あんたが一番重症だったから、安心して」
そうか、と安堵のため息を吐くガルザード。
「なんと礼を言って良いか分からないが、」
「お礼とかいいからさっさと傷治して。ギア直ったら出て行ってもらうから。敗残兵に長居されると色々面倒だから」
ここまではっきり言ってくれると却って清々しい。
小さく笑って見せたが、それがきっかけで全身に激痛が走り、仰向けのままむせてしまう。口元を押さえることも出来なかったので、血や唾が顔にかかってしまった。
「ああもう。なにやってるのよ」
さすがに見かねて女が駆け寄り、ツナギのポケットから取り出したハンカチで顔を拭ってやる。
「すまない」
「お礼言わないでってば」
頑なな姿勢に好感を覚え、ガルザードは彼女の願いを叶えることに決めた。
「ならもう少し眠らせてもらう」
「ん。じゃあ少しだけ」
右の手の平を口元に寄せ、ふうううっ、と息を吹きかける。
きらきらと輝きを放つ息は、ゆっくりとガルザードの全身を包み、すうっ、と皮膚や、頬や手の甲の鱗へと吸収されていった。
治癒の息だ。
苦手だと言っていた割に、ずいぶんとからだが楽になった。
「早く出て行って欲しいからね」
そう言い残して女は部屋を出て行った。
「名前、聞きそびれたな……」
全身を苛んでいた激痛が和らぎ、それと引き替えに押し寄せてきた疲労と睡眠欲に負けてしまったガルザードは、再び眠りの中へと落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます