第22話 母のような

 それは、楽園のように見えた。

 龍族と人族が対等の立場で意見を言い合い、働き、酒を酌み交わしている。

 違う。

 こんなものは楽園ではない。

 全てを神の御前に捧げたあとの世界には、神を盲目的に崇拝する僅かな人族だけが存在すればいいのだ。

 世界は美しい。

 世界は神が造りたもうた。

 ならば世界は神が住まうべきだ。

 人族は神の下僕として造られたのに、いつの間にか龍族ごときがその立場を奪い、傲慢にも世界を支配した。

 我らは世界をあるべき姿に取り戻すために働いていたのに、神は我らの献身を無視しようと言うのか─。


「っ」


 ザンガが目を覚ましたそこは、かつて医師団の施設があった山脈のふもと。その近くにある湖畔だった。

 胸の傷は深くえぐれ、かろうじて血が止まっているという程度。


「残念だけど、傷が深すぎてあたしの治癒の息じゃ、これが限界よ」

「それでいいです」


 す、と横たわるザンガの目の前に、無数の亀裂の入ったウィルの漆黒のギアを差し出す。


「これが、ウィルのギアだ。お前がヒトと呼び、蔑んだ者の心だ」

「それが……なんだと言う……」

「五年前に死ぬ前日、ウィルは言った。『世界の広さと美しさをぼくは知っている』と。ウィルの龍の力を使っていたお前なら、その思いも伝わったはずだろう。なのになんで世界を壊そうとしたんだ」

「そうさ、世界は美しい……。美しい世界を神の御前に捧げるために、お前たち龍族は不要なんだ。あの人龍は、そのための力だったのに……っ」


 そこで咳き込み、吐血し、胸の傷も開いてしまう。


「ガルザード、時間がないわ」


 はい、と頷いて、ウィルが教えてくれた神話の一節を語った。


「龍族の神を造りたもうたのも、お前たちが言う神だ。神は望んで龍族を造られたんだ」

「知っているさ、そんなこと……っ」


 ごふ、と大きな血の塊を吐き、荒い呼吸でザンガは言う。


「だからといって、おまえたちが我が祖先にしたことの罪が消えるわけじゃ、ない。神だけが、命を支配する権利があるのに、私たちがおまえたちへの意趣返しをして、どこに不条理があると、お前のような子供に言える!」


 吐き出した血で顔中を汚しながら、ザンガは哄笑(わら)った。

 ひとしきり哄笑い終えたあと、ザンガは満足したような顔で、事切れた。

 哄笑の残響が消え、耳が痛くなるほどの静寂がふたりを包む。

 メディナは血で汚れるのも構わずザンガの目と口を閉じてやり、


「命を奪っていいのも、神だけだろう……っ!」


 ガルザードは拳を振るわせていた。




 せめて、と湖畔の水で顔とからだを洗い、荼毘に付し、遺灰を手で掘った穴に埋めてやった。

 適当な木にもたれて座り、時折絡み合うメディナの視線には何も言えず、ただ疲弊したからだを休めて、


「そうだイオナ」


 自分はなぜいつも心が落ち着かないと妹のことを思い出さないのだろう。


「やっと気付いたの?」

「だ、だって」

「ほら、はやく行くわよ。向こうは向こうですごいことになってるから」


 だったら無理矢理にでも引っ張ってくれれば良かったのに、と思った途端に殴られた。 不条理だ。


    *     *     *


「お兄ちゃん……師匠が、師匠が……」


 イオナがダンゲルグを倒した現場は、ひどい有様だった。

 深く巨大なクレーターが地面を抉り、木々はなぎ倒され、中心に向かうほど焼け焦げ、あるいは炭化している。

 ガルザードが声をかけるまでイオナは、クレーターの中心で座り込んで幼子のように泣きわめいていた。


「ダンゲルグが、どうした?」

「あたしの龍の息で、からだを動かなくしてる内に撃て、って言われて、撃ったらこうなって、師匠の姿がどこにも見当たらないの!」


 イオナの話を聞く限り、ダンゲルグは洗脳のギアに極限まで抗った。しかしどこにあるのか分からないギアを破壊するため、イオナに最大出力で龍の息を使わせ、自分ごとギアを攻撃させたようだ。


「お前の時と違って、どこにあるのか分からなかったからな」


 ぽん、とへたれ込む妹の頭を撫でてやる。

 いま思えば分かりやすいティアラに洗脳用のギアを組み込んだのも、ウィルの願いだったのかも知れない。


「なんで、そんなに落ち着いてるの! 師匠がいなくなったのに!」

 イオナが怒る理由も分かる。

 自分だって同じ状況なら似た行動を取るだろう。

 だが、ここに来るまでの間に、ふたりはある人物とすれ違っている。


「いや、だって、なぁ」

「いい、妹ちゃん。落ち着いて聞いてね」

「な、なによ」

「あのおっさんなら、いま湖で水浴びしてるわ。だから……」


 す、と耳元に口をよせてなにかを囁く。

 メディナが顔を離すと、ぼんっ、と音を立ててイオナの顔が赤く染まった。

 ひとの妹に変なことを吹き込まないで欲しい。


「と、と、とにかく、師匠は生きてるのね?」

「まあな。メディナさんが何言ったか知らないけど、掴まえておくなら早くした方がいいと思うぞ」

「なんで?」

「たぶん逃げるぞ。あのひと」


 このクレーターに来る途中ですれ違った時ダンゲルグはこう言っていた。


『俺の仕事はもう終わりだ。水浴びしたら帰るからお嬢によろしくな』 


 と。そのときは気にも留めなかったが、よくよく考えてみればドラガヌアがあの有様ではどこへ帰ると言うのか。


「なによそれ! 稽古付けてくれるって言ったのに!」


 ぐいっ、と袖口で涙を拭って立ち上がり、メディナにぺこりと頭を下げると湖へ向けて走り出してしまった。


「あんまり急ぐと転ぶぞ」

「子供扱いしないで!」


 振り返りながら返すものだから案の定木の根に躓き、危うく転びそうになっていた。

 それでもめげずに走っていく妹の後ろ姿を見送ると、ガルザードは背後を振り返ってよく通る声で言った。


「出てきて下さい。こちらに攻撃する意図はありませんから」


 クレーターの淵、炭化した木々の影からフードを被った女性がゆっくりと姿を見せた。


「アブリエータと申します。ウィルの、母親のようなことをやっていました」


 こちらにゆっくりと歩み寄りながら外したフードの下にあった顔は美しく、どこかウィルに似ていた。

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