第13話 洞窟の奥
ガルザードたちが出発したその頃、ダンゲルグはドラガヌアから西にある山脈にあるとある洞窟を訪れていた。
莫迦弟子が「ダンゲルグを信じる」と言ってくれたことは、正直嬉しかった。
オヒメサマが即答したのは予想通りだったが。
「しかし、いい面構えしてやがったな、あいつ」
思い出すだけで顔がニヤけてくる。ほんの少し目を離しただけであそこまで成長するとは思わなかった。
やはり少し上の相手とやった方が上達は早いのかも知れない。
危うく抜刀しかけるところだった。
自重できたのはウィル坊の救出という目的があったからに過ぎず、部屋の隅にいた龍族の女が治癒の息でオヒメサマも回復してふたりがかりで来られたら、目的を果たすためにふたりを切らなければならない。
「若い芽を摘むのは趣味じゃねぇからな」
国やあいつらを裏切った自覚はあるが、あいつらはまだ自分を師と思っているように感じた。
そこまでのことをした覚えはないのに、お人好し過ぎて目頭が熱くなる。
「これが終わったら、本気であいつらの師匠をやるのも悪くないかもな」
ガルザードは考えすぎで、イオナは考えなさすぎ。ある意味バランスは取れているが、個別では脆い。どうにかしてやりたい、と思うのは勝手だろうか。
そうなったらそうなった時だ、と妄想を打ち切り、ダンゲルグは目当ての洞窟へと入る。
「俺だ。入るぞ」
入り口付近はおろか、光が届く範囲に人影はなく、ダンゲルグの挨拶はゴツゴツとした岩肌に幾重にも反響しながら消えていった。
アクセル・ギアなどを使って掘り進んだこの洞窟は、通路は滑らかに舗装されているが、雨が降ると滑りやすくなるのが難点だ。
足音と鞘音が響く中を歩き、光も完全に届かなくなった頃、ようやく正面に木製のドアが現れる。
「開けるぞ」
ひと言置いてドアを開ける。
「ようこそいらっしゃいました。ダンゲルグさま」
ダンゲルグを恭しく出迎えたのは、まだ年端もいかない人族の美少年。それも、人族ならば性別を問わず情欲を抱いてしまうほどの。
そんな美少年が一糸まとわぬ姿で出迎えても、ダンゲルグはため息ひとつ吐いて彼の流麗な金髪を乱暴にかき回しただけ。
なぜならば、彼は「ヒト」と呼ばれる家畜としての人族なのだから。
「アブリエータはどこだ?」
「治癒室にいらっしゃいます」
「……案内しろ」
「かしこまりました」
深々と頭を下げてくるりと踵を返す。ほどよく贅肉の乗った尻が規則正しく揺れ、艶やかできめ細やかな白い肌が点在するかがり火に照らされ、てらてらと光っている。
─そりゃ観賞用に繁殖させたくなるわな
ダンゲルグ自身は人族への情欲を感じたことはない。ましてや同性を、などと龍族にも感じたことはない。
同性愛や異種愛をしたいやつはすればいい、というのが彼のスタンスだが、ヒトの美しさはそんな自分ですらそれを踏み越えてしまいそうになる。
この洞窟にヒトは百人程度が飼われ、十数名の医師団たちの身の回りの世話や実験の手伝いなどをしている。
「到着しました」
そんなことを考えている内に、目的地である治癒室へ到着した。
木製のドアを丁寧に二度ノックをして、美少年は告げる。
「アブリエータさま。ダンゲルグさまがいらっしゃいました」
「入ってもらって」
ドア向こうからの、妙齢の女声にかしこまりました、と返して美少年はドアを開ける。
中は薬品の匂いが充満しており、ダンゲルグは思わず咳き込んでしまう。
「ああ、申し訳ありません。換気が追いつかなくて」
軽い謝罪と共に現れたのは、フード付きの白衣を着た四十代ほどの人族の女性。ふぁさ、とフードを外すと穏やかな笑みで会釈した。
彼女がアブリエータ。ウィルを連れ去った医師団の長だ。
どこかウィルと顔立ちが似ている気がするが、人族の顔はいまひとつ覚えられないダンゲルグには、ここが似ている、とはっきりと言えないのがいつももどかしい。
「ウィルの治癒と調整に時間がかかりまして」
アブリエータの背後には、横倒しになった筒状の水槽がある。
水槽は白い機械に両端を挟まれ、地面に固定されている。ダンゲルグの目には白い機械は多様な種類の骨が複雑に絡み合っているようにしか見えず、当初は薄気味悪く感じていた。
その機械はさらに別の、濃緑色の液体が満たされた大型の水槽に繋がっていて、外壁は腰の高さほどだが、実際の水深は大人でも溺れるほどに深い。
同じく濃緑色の液体に満たされた横倒しの水槽にはウィルが寝かされ、口に嵌められたチューブ突きマスクの端からは時々小さな泡が漏れている。
「……すまんな」
それほどまでに深いダメージだったとはつゆ知らず、ダンゲルグは謝罪を口にした。
「経年劣化もあります。この個体はかなり無茶をさせていますし、今回の損傷は精神的な面も大きいので」
「そういうことか」
イオナを見せしめとして処刑せず、アクセル・ギアで洗脳して手駒にしようと言い出したのはウィルだ。
ドラガヌアで剣術指南として暮らしていた頃からウィルとは知り合いだ。
放浪の身である自分の話をウィルは楽しんで聞いていた姿が、いま水槽の中で眠る彼と重なり、懐かしく思う。
「しかし、あんなに強く殴るとはな」
「ええ。よく壊れなかったものだと思います」
病弱であった彼のことをイオナはあまり好ましく思っていなかったように、ダンゲルグは受け取っている。
というよりほとんど気に留めていなかった節さえあった。
イオナは強い存在が好きだ。
そしてまだ十三歳だ。
相手の内面的な強さを推し量るには、少々短絡的すぎて、ウィルの本当の強さに気づけなかったのだろう。
ウィルがイオナを洗脳しようとした意図を、彼はついに明かさなかった。その意図が、恨みか、憧憬か、あるいはもっと別の由来からきたにせよ、きっと今後も語ることは無いだろう。
「……すまんな。加減を知らないやつで」
す、と水槽を撫でるダンゲルグの瞳には、少しばかりの後悔が滲んでいた。
「まだ、時間はかかりそうか?」
水槽を見つめたままの問いかけに、アブリエータは隣に並んで答える。
「内臓を中心に、根治できない傷がいくつもあります。いつ崩落が始まってもおかしくない数値をいくつも出しているのに、彼はそれを全く感じさせません。……はっきり申し上げれば、何がここまでウィルを動かしているのか、私には分かりません」
アブリエータは生まれついての学者だと聞いている。
生き物が時に数値以上の能力を出すことを認めることは出来ないのだろうと思い、何気なく彼女の横顔を見る。年相応に刻まれた目尻の皺と、うるおいの抜け始めたた肌。
普通の人族の里に生まれたなら、学者などという仕事を選ばなければ、誰もが振り返る美貌をアブリエータは持っている。
その美貌に目がいくのは、つい先刻までヒトを見ていたからだろう。
「っ、おまえ……」
静かに、アブリエータの頬を伝う光に、おそらく彼女は気付いていない。
「……、この個体以上に働いてくれる個体は、もう生まれないのでしょうね」
気付いていないなら無理に教えるもの野暮だろうと思い、視線を水槽に戻す。
一瞬の静寂を破ったのは、別の存在だった。
「大丈夫ですよ。アブリエータ。ここには素材がたっぷりとありますから」
高慢な口ぶりは、いつもダンゲルグの癪に障る。
その主は二十代前半の人族の男性。
名をザンガ。
この医師団のもうひとりの長であり、
赤黒く汚れた白衣を、纏っていた。
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