第9話 兄と妹と
「しっかしさ。ほんとに門番も立ててないとか、少し心配になるわね」
ふたりは王城内部にいる。
「ここまで破壊されたものに、誰も執着はしないでしょうから」
それもそうね、と頷き、メディナは無遠慮に歩を進める。
内部はひどい有様だった。
ドラガヌア城と言えば、毎年数千人単位で観光客の訪れる名城。
百年かけて完成された城の一部は一般にも公開されており、調度品や内装、あらゆる装飾が見る者の目を奪い、感嘆の吐息を漏らさずにはいられなかった。
それがいまや誰もが目を伏せ、失望のため息を零すばかりの有様だ。
さすがに死体こそ見当たらないが、血痕を含めたあらゆるものが焼け焦げ、破壊され、すっかり廃墟と化していた。
外観はさほどダメージを受けているように見えなかっただけに、ガルザードのショックは大きく、足取りも重く見える。
「ほら、しゃんとしなさい。妹ちゃん助けるんでしょ」
はい、とどうにか顔を上げてガルザードは進む。
目的はイオナの救出。
ドラガヌアに到着したその日から、ふたりはイオナとウィルに関する情報を集めて回った。
それらの情報を統合すると、イオナは竜人たちが襲来した直後から弱者の救出や保護、安全な場所までの避難誘導などを自分の近衛たちと共に行っていたが、ウィルにより捕縛され、いまはドラガヌアの守護者として居城しているらしい。
ウィルに関する情報も、それとなく耳にしているが、ガルザードたちには快いものはほぼなく、数日前からダンゲルグと共に他の地方へ遠征に向かっている、という情報だけが唯一の収穫だった。
『どっちにしても、あの竜人みたいな子が居ないのは好都合よ。さっさと妹ちゃんのギアぶっ壊して国の再興なりなんなりしなさい』
二部屋取るよりこっちの方が安いし、あんたにそんな度胸ないでしょ、と強引に相部屋にされた宿屋で、就寝前のメディナはそう言い捨てて眠り、反論するチャンスも失ったガルザードも焦る気持ちを懸命に抑えながら眠った。
実際、旅の疲れは如実に蓄積されていて、まぶたを閉じて開けた時にはもう日が昇っていた。
そしてメディナに朝食に付き合わされ、ようやくガルザードは王城に入ったのだった。
「でもあんた、妹ちゃんがどこにいるか分かってるの?」
「恐らく、妹の部屋かと。妹のにおいもそこから感じますから」
そ、とあしらったメディナがここまで付いてきた理由は変わらない。
ガルザードに貸したアクセル・ギアのテストデータを収集するため。
本人はそう言っているが、ドラガヌアに入ってからはずっと、どうにも彼女が隠し事をしてるように感じて仕方が無かった。
それを疑ったままにしておくのは失礼だとは思うが、仮に問いかけたとしてもきっとまたはぐらかすのだろうと思い至り、結局そのままにしている。
ふたりは無言のまま城内を移動する。
足音と、時々聞こえる壁や床が崩れる音だけが支配し、焼け落ちた窓から差し込む光はかつての栄光を感じさせる神々しさもあって、ガルザードの内心はぐちゃぐちゃに渦巻いていた。
「ここです」
やがて到着したその部屋は、ここだけが襲撃を受けていないように壁もドアも美しかった。
「案外綺麗ね」
つまらなそうに呟いて、メディナがドアを開ける。
「天蓋付きじゃないんだ、ベッド」
広さは、龍の姿では狭いが人の姿では十分なスペースがある。ドアの右手側にはテラスへ続くガラス戸があり、城がこうなる前は妹がよくそこに出て鉢植えに水をやったりしていた。
いまは白いカーテンが閉められてやや薄暗いが、それでも部屋の隅まではちゃんと見える。そしてやはり、というか部屋の中も、荒らされたり破壊されたりした跡は見られず、ただただ整然としていた。
妹の部屋はこんな何もない部屋だっただろうか。
イオナが幼い頃に一度、ひどい熱を出してその見舞いに入ったきりなので良く覚えていないが、もっとぬいぐるみとかで溢れていたような気がする。
もっとも、成長して剣術と剣術を学ぶようになってから破棄した可能性はあるが、それでもこの部屋は妹らしくないと思う。
人格を操られている影響がこんなところにも出ているのだろうか、と苦い思いが胸中に広がる。
妹はまだ十三歳なのに。
「ほら、なにやってるの。妹ちゃんこっちで寝てるわよ」
部屋の様子を観察していたガルザードを、質素なベッドの傍らに立つメディナが呼びつける。
はい、と返事をして歩み寄り、妹の様子を見やる。
衣服は、膝のすぐ上ほどのドレススカート。フリルは控えめで色はうっすらと青が混じった白。腕は二の腕まである長手袋。足はふとももが少しだけ見えるブーツ。色はどちらもドレスと同じ。まるで社交界から帰ってすぐに眠ってしまったかのようだ。
横向きの、両手と両脚を重ねて安らかな寝息を立てて眠る姿は、以前あれほど激しく襲いかかってきた彼女とは思えない。
蒼の混じった銀の髪は肩のあたりで切り揃えられ、頬や手の甲などに輝く同色の鱗と共に美しさを際立たせている。
そう、美しいのだ。
十三という年齢でありながら、幼さの見え隠れする容姿でありながら、民衆の前に立つその姿からは次代の王としての威厳が満ちあふれていた。
「けっこうかわいいじゃない。鱗も肌もつやつやで、うらやましいわ」
何気なく、メディナが指を伸ばしてイオナの頬鱗をひと撫でする。
瞬間、イオナはぱちりと目を覚まし、何度か瞬きをする。そしてゆっくりと仰向けになってメディナ、ガルザードの順に視線を移し、ガルザードの喉を両手で締め上げた。
「が……っ」
あまりに自然な、殺気のない挙動にガルザードの反応は決定的に遅れ、無防備だった妹に反撃するという選択肢を消し去ってしまった。
「あんたなにやってるのよ!」
呆気にとられていたメディナがようやく状況を理解し、体当たりで拘束を解き、そのままガルザードの首根っこを掴んでドアまで移動する。
「す、すいません」
咳き込みながらガルザードは妹を見やる。
「なぜ、お前がここにいる」
殺意をまき散らしながらイオナはベッドからゆっくりと降り、サイドテーブルに置いてあったティアラ型のギアを付ける。
「オレは、お前の兄だ。妹の不調を見舞いに来ることに不思議は、無いだろう?」
喉と呼吸の具合を確かめながらガルザードはゆっくりと左手を腰にやる。
「ぼくの兄はウィルだけだ。お前なんか、お兄ちゃんなんか、兄じゃない!」
自分でもなにを言っているのか分かっていないのだろう。苦痛に顔をゆがめながら、頭を抑えながら全身に力を溜めていく。
「下がっててください。十回に一回ぐらいは負ける相手です」
「不安になるようなこと言わないでよ!」
「だから、です。加減したら絶対に負けます。メディナさんを気遣ってる余裕は無いですから」
いままでにない迫力にメディナはたじろぎ、壁に沿って二、三歩下がる。
「わ、分かった。しっかりね」
はい、と頷いてガルザードはギアを鎧に変形させ、抜刀。妹を見据えて言う。
「お前もドラガヌア王家に生まれたなら知っているな?」
「な、なにを」
「己の正しさは、己自身で証明しろ」
殺意一色に淀んでいたイオナの瞳に僅かな光が宿る。
これなら、やれる。
「だから、オレがお前の兄かどうかは、お前自身の拳と刀で証明してみせろ!」
低く。切っ先を下にガルザードは急加速でイオナに迫る。
妹が付けるティアラに似せたアクセル・ギア。あれを破壊すれば妹は元に戻る。
それ以外を考える余裕は無かった。
たとえ、ウィルやダンゲルグのことであっても。
「おおおっ!」
細かいフェイントを幾重にもばらまいて、狙うは頭部に輝くティアラのみ。
フェイントに騙されつつも、それら全てを対処できるのはイオナの強みであり、恐ろしい点だ。いまも、二十を超えるフェイントを撒いたのに、もう大本命である頭部への直撃の回避を始めている。
「ふっ!」
左から拳。当てた反動で回避する算段だと気付くが、もう遅い。こめかみに喰らう。脳が揺れる。揺れる視界の中でイオナが左に流れる。拳が振り抜かれる。刃が空を切る。完全に左に回り込んだイオナが腰と背中の継ぎ目、龍族の急所のひとつであるしっぽの付け根へ回し蹴りを放つ。
「がっ!」
強い。
お前は剣術より拳術の方があってるよ、とダンゲルグはイオナに稽古を付けながら、何度もそう言っていた。
でもあたしは剣術がやりたいの、と駄々をこねながらダンゲルグにしがみついて稽古に明け暮れ、十回に一回は兄を負かすようになった。
こちらが負けた悔しさも晴れてしまうほどの良い笑顔で。
妹が強くなったことは嬉しいが、いま負けてやるわけにはいかない。
ベッドの枕元側が接する壁に叩き付けられながら、ガルザードは次の一手を模索する。
拳の間合いに詰められたら剣は却って不利。
そんなことは分かっている。
壁からからだを剥がしながら振り返り、そこにあるはずと決めつけたイオナの拳を頭を振ってかわす。右拳が耳を掠め、拳の鱗が耳たぶを浅く切る。
「ふっ!」
腹に左拳が迫る。まともに受けるな。壁際で動きを封じられるな。ダンゲルグの叱責が脳裏で反響する。
「くおっ!」
刀を逆手に持ち替え、勢いよく壁に突き刺す。イオナの攻撃により脆くなっていた壁はあっさりと破壊され、人が楽に通れるほどの大きな穴を作った。
「っ!」
同時に発生した土煙が部屋一杯に立ちこめ、イオナは一瞬だけ怯み、ガルザードはその一瞬を利用して穴を潜り、ひとまずの危機を脱した。
「待て!」
そのまま穴に飛び込むのかと思えば、イオナは両拳を脇腹の辺りに構えて力を溜め、
「はあぁっ!」
乱打を放って壁を大きく粉砕する。壁際に隠れていたガルザードは、破片の散弾の直撃を喰らったが、鎧のお陰でダメージは無かった。
そうだ。妹はこういう性格だ。
けれど距離を離すことはできた。正眼に構え直してイオナを、
いない。
「こっちだよ! お兄ちゃん!」
背後。背骨を狙った肘打ちが鎧にめり込む。ダメだ。調子づいてきている。これ以上手に負えなくなるまえに何とかしないと。
「だあっ!」
仰け反ったからだをそのままに、腕の力だけで後ろをなぎ払う。掠りもしない。けれどどちらに移動したかは見えた。なぎ払った勢いを利用して右足を軸に半回転。正面にイオナ。拳が顔面に迫ってくる。
「おおおおおっ!」
構わずティアラへと真っ直ぐな突き。命中。残像。下に沈んで回避された。満面の笑み。
つられてこっちも頬が緩む。腹部に衝撃。
「がはっ!」
吐血。これ以上は本当に手が付けられなくなる。なのに左脇腹に拳が迫る。
お前の剣は雑念が多すぎるんだよ─ダンゲルグの叱咤が脳裏に響く。
集中しろ! 研ぎ澄ませ!
あれだけ言われても出来なかったのに、いまならばそこにたどり着けそうな感覚が湧いてくる。そうか、笑顔だ。
イオナはこんなにも楽しそうに戦っている。
だから強い。
ならば!
「だああああっ!」
「わああああっ!」
間合いも何もない、ただそこにあるから、というだけで拳と剣が乱れ飛び、散った破片や汗や鱗や皮膚や髪がふたりを包む繭となり、ふたりだけの空間が生まれる。
そうか。
こういうことか。
刀を振るうたびに、拳を受けるたびに、ガルザードの周囲から音が光が消えていく。なにも考えなくてもからだが動く。意識すら置いてからだはイオナの猛攻を受け流し、捌いている。
やがて光と音が全て消え去る。
世界がイオナと自分だけになる。
恐怖は無い。むしろ、刀と拳を合わせ続ける多幸感にすら包まれているほどだ。
そんな光の無い世界に、ぼんやりと輝くものがある。
イオナだ。
イオナに宿る龍の力だと気付くのにそう時間はかからなかった。
自らの拳に龍の力を上乗せしていたのか。
ダンゲルグが研ぎ澄ませと繰り返し言っていたのはここに至る道のりだったのだと、師匠の稽古でもらった全ての疑問符に答えが埋められていく。
いまなら、できる!
「おおおおおおっ!」
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