第30話 無力

 立ち枯れの樹から切り出した円筒形の枝を、両側から削り出して板を作り、それに三角形の切り欠きを小刀で慎重に入れる。これがなかなかに難しく、力加減を間違えると深く削れてしまう。自分はこんなにも不器用だったのかとうんざりした。

 それが出来ると、いよいよ乾燥した枝をこすり合わせて摩擦まさつをおこす。回転に加えて上から圧迫することで、強い摩擦熱が起こり、発火する仕組みだ。

 テツに教わった通りに枝を擦り合わせるが、木は焦げ付くだけで、煙すら立たなかった。テツが易々と火種を作ってみせたのが嘘のように思えてくる。

 額に汗をにじませながら、せめて煙があがるまでと続けていると、手のひらの皮が剥けてヒリヒリと痛んだ。その傷を握りつぶすようにして、もどかしさに溜息をつく。


「無理すんなよ。すぐにできる奴なんてひと握りだ」

「わかってるよ。わかってるけど──」


 悔しさを噛みしめるように呟くと、テツは眉尻を下げた。


「火を起こすよりも、絶やさない方が大事なんだ。一晩中見てなきゃならないから、そっちの方が大変だ」

「そっか、消えちゃったらまたやり直しだもんね」


 赤い灯りがゆらゆらとテツの顔を照らす。地下牢で出会った時も、蝋燭ろうそくの小さな火がそんなふうにテツを照らしていた。つい昨日のことなのに、テツとはもうずっと前から知り合いだったように感じる。


「──俺だってそうだ」


 突然、テツの声が低くなった。赤く照らされた真面目な面持ちには、うっすらとだけ笑みを残している。


「森のことなんてよく知らない。剣だって十年も触ってない。役立たずって言われても何も言い返せねえ。自分に腹が立つ」

「そんなことないよ!!」


 しかし、テツは静かに首を横に振る。


「けど、そんなこと言ってたってどうにもなんねぇ。できるようになるにはどうしたって時間がかかる。悔しいけど、やれることをやるしかない」

「……テツでもそんなふうに思うんだね」

「あ、あたりまえだろ」


 テツの頬がほんのり赤く染まった。

 葵から見れば、テツは決して役立たずではない。むしろこんな状況でも他人を気遣える懐の深さに脱帽するくらいだ。そんなテツでももどかしさを抱えていることに、少なからずホッとしてしまった自分を、後ろめたく思った。


「本当はあんな奴、顔も見たくないし、葵に近づけたくねぇ。いつ裏切るかもわかんないのに……」


 口を尖らせて言う表情かおは、友達と喧嘩した小さな子供のようだが、次には急に大人びた顔つきに戻った。


「──でも今は、あいつの力を借りなきゃ森を抜けられない。俺が弱いせいだ。本当はぶん殴ってやりたいけど我慢する」


 大袈裟に頷いてみせると、葵に顔を向けた。


「すっげー嫌だけど!!」


 テツはどれほど嫌かを顔面いっぱいに表現した。その表情が、謝罪を断固拒否した時のリンにそっくりで、思わず笑いが込み上げる。


「なんで笑うんだよ!?」


 戸惑う表情は、また少年に逆戻りしている。

 葵にとってテツは、子供と大人の両面を持っているような、不思議な人物だ。テツのような人種と関わるのは初めてで、話せば話すほど新鮮だった。


「森を抜けたらどうなるんだろう。リンは本当に私を社に連れ戻すつもりなのかな?」

「自分で言うんだから、きっとそうなんだろ」

「でも、考えが変わることだってあるじゃない?」

「あいつがそんな融通きくかあ?」

「それは、いえてる……」


 苦笑いすると、テツは片手にこぶしを握った。


「ま、それまでにはあいつより強くなるさ!!」


 好きにはさせねえよ、と愛嬌のある笑顔で宣言した。そんなふうに笑う人が、あの冷酷無慈悲な惲薊うんけいの息子だとは、何かの間違いであるように思えた。


(テツに水波盛は合わない)


 記憶の中の雪花は、きっと同じ気持ちだったのであろう。

神王みわおうが期待するような跡継ぎにはなれない。きっと、リンの方が次期神王みわおうに相応しい器を持っている。

 それでも葵は、テツが国を治めた未来を想像せずにはいられなかった。


「……なればいいのに」

「ん?」

「テツが神王みわおうになればいい、と思う」


 時が止まったように見つめ合っていたが、先にテツが視線を下げた。

 テツにその気はない。

 わかってはいたが、ほんの少し残念に思った。


水波盛みなもりが嫌いだ。国を愛せない奴が神王みわおうなんかになったら、大変なことになるぞ」

「でも、きっとテツなら──」

「それくらい、憎くてしょうがない……」


 心に消えることなく掛かっていた霧が、数秒前の人懐っこい笑みを覆い隠してしまった。

 思っていたよりも、抱える傷は深いものだった。それをえぐるようなことを言ってしまったことを、葵は後悔した。


「そいつに神王みわおうは無理だ。荷が重すぎる」


 突然割り込んだ声に驚いて振り返ると、リンが戻っていた。ずいぶん早く戻ったものだと空を見上げれば、すっかり日は沈んでいる。いつの間に随分と時間が経っていたことに驚きながらも、「おかえり」と声をかけたが、返事は返ってこなかった。──当然、期待もしていない。


 リンは手にぶら下げている白い野兎を岩の上に寝かせた。腹は切り開かれて中身が空っぽになっている。外で血抜きを済ませてきたのだろう。テツに預けていた脇差を、返せというように手をさしだした。テツがムッとしながら放り投げた小刀は、緩やかな弧を描いてリンの手におさまった。


「そもそも、そいつに覚悟があればこんな事にはなっていない」

「そんな言い方──!!」

「腕と足、切り落とされるならどちらだ?」

「──は!? どっちも嫌だよ!!」


 鞘から抜くと、冷ややかな光を帯びる刃を見下ろしながら、冷めた口調でさらに問いかける。


「肉親の命で、大勢の命が救われるとしたら……?」


 まさに、自分の命が大勢の命と天秤にかけられているというのに、なぜそんな質問をするのか。

 誰も自分を選んではくれない。それだけでも辛いのに、わざわざ傷口に塩を塗るようなことを言われて、頭に血がのぼる。


「この世の基本は喰うか、喰われるか。生きるために他の命を喰らう。弱い動物が集団で行動するのは、少しでも自分の生存率を上げるためだ。災蝕さいしょくを前にしては、我らも同じく弱者でしかない。だから多くを生かすために決断する」


 リンはウサギを仰向けに寝かせると、その華奢な足首に刃を突き立てて切り込みを入れる。裂けた腹から刃を入れて皮を引っ張ると、まるで服を脱ぐように真っ赤な身があらわになっていく。その光景が生々しく、葵は思わず目を背けた。


「何かを得るには犠牲をともなう。国を治める者は、理不尽な選択を常に迫られることになる。それでも選ばなければならない」


 ミチミチと皮を剥ぐ、嫌な音がする。川の音にかき消されるほどかすかなのに、やけに耳の奥まで響く。


「できなければ皆死ぬだけだ。こいつのように──」

「もういいだろ」


 見かねたテツが口を挟んだ。

 二人の視線がぶつかり、火花を散らした。


「選ぶ必要なんかない。命の重さなんて比べられない」

「選ばなければ全滅する。それは、どちらも捨てるも同じこと」

「それが自分だったらどうなんだ? もしお前の犠牲で、みんなが助かるとしたら、同じことが言えるのか?」

「私に役目があるのなら、喜んで引き受けよう」


 その言葉に迷いはない。


「選べないのが、一番タチが悪い」


 誰も言い返さなかった。

 リンの返答には嘘がない。惲薊うんけいが双子の存在を知った者達を切り捨てた際にも、迷わず自分の身を差し出すような男だ。心中には、確かな覚悟がある。

 ウサギの足の関節に刃を差し込むと、リンは一気に体重をかけた。鈍い音をたてて、胴体から足が切り離される。命が解体される嫌な音が、しんとした洞窟にいっそう大きく響き渡っていた。



 床に伸びている白い毛皮を眺めながら、わずかな素焼き肉を味がなくなるまで噛みしめる。噛む度に嫌な血生臭さと、ひどい罪悪感が押し寄せたが、それ以上に腹が満たされることへの満足感が上回った。

 心の底からウサギに同情しているのに、口が動くのを止められない。水波盛国に来てから、自分の偽善に嫌というほど気付かされる。


「私も沢山の命に生かされてるんだなあ……」

「何をいまさら」


 ぼんやり呟くと、リンに鼻で笑われた。

 数十分前は野山を駆け回っていた可愛い野兎が、人間の胃の中に入ることになるなんて予想しなかったであろう。小さな手足を必死に動かして逃げ回ったが、運悪く捕まってしまった。とはいえ、人間が素早い野生動物を捕まえるのは容易なことではない。それはそれは大変な苦労をしたであろう。


「漠然としか考えられなかったけど、実際に目の当たりにしたら、私も同じなんだなって」

「葵の国は豊かなんだな」

「ただの平和ぼけだろ」

「お前なあ……」

「──そうかも……!!」


 二人は、ほぼ同時に葵を見やった。

 リンにとっては何気なく言った一言だったが、妙に納得がいった。豊かで便利だからといって、満足していたかと問われれば、そうではない。この国で〝死〟というものに初めて触れ、意識した今だからこそわかる。この国での葵は、確かに〝平和ぼけ〟だった。

 そんな葵の様子に、テツが不安げに声をかける。


「……葵?」

「ずっと、どこか他人事みたいに思ってたけど、違うんだ」


 生きるために、こうして他の命を犠牲にしている。国のために巫女を犠牲にする水波盛と、どう違うのだろう。

 今の葵は、この野兎と同じなのだ。

 生きて帰りたい葵と、国を救いたい水波盛。おそらく、より想いが強い方が勝ち取るのだろう。


(逃げるも追うも、命懸けだ)


 焦げついた肉に視線を落とす。

 ウサギは捕まってしまったが……。


(──必ず逃げ切ってやる!!)


 改めて決意を固める葵を、テツはじっと見つめていた。


 リンが苦労して手に入れてきてくれた食料も、三人で分けるには酷くとぼしい。それでも葵の手に持っている肉塊が一番大きく、狩ってきた本人はたったひと欠片しか口にしていない。故意か無意識か、ここでもヒエラルキーが暗黙の了解となっているようだ。


「足りねー」


 思ったことをそのまま口にしたテツを、リンの平手打ちが襲う。突然の攻撃を頬に受けて、悲痛な声を短くもらした。テツはじんじんと腫れ上がった頬を抑えたまま涙目で黙り込んだ。

 この大自然で、葵たちが使える道具は刀だけである。そんななか、野兎を捕まえられたのは大したものだろう。洞窟で待機していた葵たちが文句を言える立場ではない。

 悪意がないにしろ、今回ばかりはテツに同情できなかった。



 夜の見張りはリンとテツの二人で、交代で行うことになった。見張りくらいならと葵も申し出たが、リンに「お前は勘が鈍い」と一蹴されてしまった。


(そりゃあ、二人ほど野生的じゃないけど……)


 役に立たない、と同意だろう。せめて雑用でもいいから何かさせて欲しい。二人が夜通し見張りをしている間、自分だけ休むことなんてとてもできない。それなのに、出来ることが何もないなんて、情けなくてしょうがない。そうしてまた、自分の無力さに悶々もんもんとする。


(ダメだ、落ち込んでる場合じゃない!!)


 頭を振って、落ちかけた気持ちを奮い立たせた。

 何かないかと見回すと、目に飛び込んだのは火起こしに使った手製の道具。葵が失敗したため、所々が焦げ付いている。藁をも掴む思いで手を伸ばした。

 火起こしが出来るようになったところで、たいして役に立たないかもしれない。


(それでも、今よりは少しマシになれる気がする)


 無力さを振り払うように、一心不乱に火起こしに没頭するのだった。

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