第4話 行き場

 帰宅すると、玄関には鬼の形相をした養母が仁王立ちしていた。


「ただいま……ど、どうしたの?」


 ただらならぬ空気に、あおいは動揺する。

 また、義父ちちおやとの事で何かあったのだろうか。


「誰と一緒にいたの?」

「……と、友達」


 咄嗟とっさに嘘をついた。

 義父の愛人の息子、だなんて正直に言ったら、火に油を注ぐどころではない。


「金髪のチャラチャラしたのが? いつから不良と付き合いがあるの?」


(見られていた? でも……)


 あの時、家に義母は居なかったはずだ。

 ならば一体どこで……。

 とにかく今は誤魔化さなければならない。葵は誤解を解こうと、和真かずま擁護ようごした。


「ふ、不良なんかじゃ……」

「しかも男だって言うじゃない! お向かいさんが見たって! 変な噂がたったらどうすんのよ!? そんなのとは今すぐ縁を切りなさい!!」


 頷いたら、この話は終わると思っていた。

 しかし、義母は立ち去るどころか、葵を睨みながら何かを待っている。

 その意味を察するなり、葵は愕然とした。


「い、いま!?」

「今電話しなさい! もうお付き合いは出来ませんって!」

「と、友達だよ!」

「貸しなさい!」


 義母ほ葵の鞄を奪い取ると、スマホを取り出した。床に落ちた鞄から中身が飛び出して、玄関に散らばった。

 義母は血眼になって、電話帳から男の名前を探している。ロックはしていない。以前は設定をしていたのだが、義母に、何かやましい事があるのか、と疑われてからは解除していた。

 義母は常に、葵と義父のやりとりを気にしているのだ。義父が葵に連絡をよこすなんて、もう何年もないのに。

 唯一の救いは、和真かずまの連絡先は電話帳には登録していない。お互いの連絡先は、メッセージアプリの方で交換したのだ。それでも見つからないという保証はない。早くスマホを取り返そうと、手を伸ばした。

 そのままスマホの奪い合いに発展する。


「お願い、返してよ!」

「やっぱり! やっぱり何かあるのね!?」


 止めようとすればする程、義母はヒートアップしていく。


(ダメだ、止められない)


 そう思った時、スマホがメッセージを受信した。

 その音に敏感に反応した義母が、画面を凝視する。


「か、返して!」

「見せなさい!! どうせろくでもない男──!?」


 画面に表示された名前を見た途端、義母は絶句した。

 無理もない。送り主は義母も知っている名前、それも夫の愛人の息子なのだから。


(最悪だ……)


 葵は絶望の淵に立たされた気分だった。

 義母の顔は真っ赤に染まり、わなわなと震えている。


「……によ……これ……」


 葵は恐ろしくなって、思わず後ずさった。


「なんなのよこれ!? あんたも──! 私をバカにして!!!!」


 頬に裂くような痛みが走り、葵は横によろけた。


「ちがっ──! 違う!! 今日、さっき初めて会ったの!!」

「ご機嫌取りするふりして、ずっとかげで笑ってたんでしょう!? この裏切り者!!!! あんたなんか!! あんたなんか!!!!!!」


 髪の毛を鷲掴わしづかみにされ、乱暴に振り回されながら必死に弁解するが、全く聞き入れてはもらえない。

 揺れる視界と痛みに耐えながら、いつものように嵐が去るのを待つ。ひとしきり、義母が怒りをぶちまけさせて、疲れて泣き崩れたら、静かに部屋へこもればいい。

 そうやって、いつものパターンを考えていると、なぜか苦痛が軽減し、我慢できた。

 しかし、今回ばかりはその流れにはならなかった。


「──もう無理!! もう耐えられない!!」


 投げつけられたスマホが顔に当たりそうになり、咄嗟に両手で遮る。腕に当たったスマホは、床に落ちた衝撃で画面にヒビが入った。


「出てって!! あの女のとこで養子にでもなれば!?」

「……お母さん……」


 泣き崩れる義母に触れようと手を伸ばすが、強く弾かれ拒絶された。


「さっさと消えなさいよ!!」


 敵意を剥き出しに向けられた、そこに込められた憎悪が、葵の胸に大きな穴を空ける。その穴から、今まで溜め込んだものがぼろぼろとこぼれ落ちていく気がした。

 葵は床に転がっているスマホを手にとると、外へ駆け出した。



 住宅街の道端にうずくまって、嗚咽の混じった声をもらしながら泣いた。

 今夜はきっと帰れない。帰ってはいけない。だからといって、明日帰れるかもわからない。


〝はみ出し者〟


 その言葉が葵に付きまとう。それを否定出来ないむなしさが、身の内に広がっていく。

 胸に溜め込んだものを吐き出すように泣きはらした。


 しばらくそうしていると、少しだけ頭が冷静になってきた。深呼吸して、状況を頭で整理する。

 とにかく今は、一晩だけしのぐ場所が必要だ。立ち上がって、唯一持ってきたスマホの画面を触る。

 咄嗟にスマホを拾ってくるなんて、とっくにこの脳はスマホに侵されている。

 画面は和真かずまからのメッセージが開いたままになっていた。


【家ついた? 今日はありがと。またあそぼーね】


 最後にふざけたキャラクターのスタンプがついている。見かけによらず、マメな性格なのかもしれない。

 一瞬、カズに連絡しようかと思ったが、義父の愛人の息子、という関係を考えると手が止まった。愛人の家に泊まるなんて、それこそ義母との関係にみぞを作るばかりだ。

 思い直して、今度はナナとのメッセージ画面を開く。


(さすがに迷惑かな……)


 迷ったが、思いきって通話ボタンを押した。

 コール音が鳴る。が、しばらく待っても応答がない。

 深い溜め息が出た。タイミングが悪かったのかもしれない。


(どうしよう……。でも、もしかしたらナナから折り返しがあるかも)


 それが最後の頼みの綱だと、自分を励ます。

 とにかく誰かに話を聞いて欲しい。今こういている間にも溢れ出る想いを吐き出したかった。それが出来る相手は、もうナナ以外に思い浮かばなかった。

 自分の交友関係のとぼしさに、今更愕然とする。


(ナナんち、行ったら迷惑かな……)


 泊まれなくたっていい。ほんの少しだけでいいから話を聞いてもらって、ついでに「大変だったね」と言ってもらえたら、きっとそれだけで落ち着ける。その後のことは、それから考えよう。

 ぐちゃぐちゃな頭で結論を出すと、わらにもすがる思いで歩き出す。

 こんなに人肌恋しく思うのは初めてだった。



***



 ナナの家から少し離れた公園のブランコに腰掛けて、スマホを握り締めながらナナからの連絡を待つ。さすがに家の真ん前では迷惑だろうし、不審者だと思われるのも嫌だ。

 藁にもすがる思いで来てはみたが、暗くなった公園で、ひとりぼっちで待つというのはなかなか辛いものがあった。


(このまま連絡がなかったら……)


 いやそんなことはない、と顔を横に振ってネガティブな考えを払った。今までもナナは必ず返信をくれていたのだから、今日に限ってそんなことあるはずがない。


(ダメだ、心折れそう……)


 どんどんナーバスになっていく自分を止められない。

 自分が今、大人だったなら、こんな目に遭わずに済んだのだろうか。狭くて、少しくらいボロくても、当たり前に帰れる自分だけの家が……。

 少なくとも玄関の扉に手を掛ける度、憂鬱になることもきっとないのだ。


(こんなことなら、中卒で働いてた方がよっぽどマシだったかも……)


 和真かずまの言っていた事が、今更身に染みる。あの時、偉そうに説教した自分が恥ずかしくなった。


『 無理に大人ぶんなよ。つまんねーから』


 和真かずまに言われた台詞が胸に突き刺さる。


(ほんと、そのとおり……)


 葵は身の内で自嘲した時、コンクリートを踏むヒールの音が聞こえてきた。その足取りはスキップでもしているかのように軽やかで、浮かれているのが伝わってくる。

 見えた人影は葵が待ちわびていた人で、たまらず立ち上がって駆け寄った。


「ナナ──!」


 振り向いたナナは、葵を見るなり目を泳がせた。

 こんな時間に押しかけたから驚いたのだろう。


「あ、あおちゃん……!? こんな時間にどうしたの?」

「ごめんね、急に。あの、あのね、聞いて欲しくて」


 言いながら視界がみるみるぼやけ、ゆがんでいく。


「ど、どうしたの? とりあえず、落ち着こう?」


 取り乱す友人を前にして、ナナは慌てたように葵の手を、両手で握った。

 その瞬間、頭の中に映像が流れ込んだ。



-----------------------------


 目の前に信人のぶとが居る。

 微笑んでこちらを見ている。

 友人に向けるようなそれとは違う、愛おしいものに向けるような……。

 信人がそんなふうに微笑わらうなんて、知らなかった。


 華奢だが、がっしりとした信人の手が腰にまわされ、そっと引き寄せられる。

 その拍子に、自分が着ている洋服が視界に入った。

 白いプルオーバーと、赤いスカート。

 葵は目立つ色の服は持っていない。とくに、赤は絶対に着ない色だ。

 変だとは思ったが、今はそんなことはどうでも良くなるくらい、のことが、無性に愛おしくてたまらない。


 ゆっくりと、信人の顔が近づいてくる。

 葵は胸の高鳴りと共に幸福感で満たされていく。

 このまま身を委ねてしまおうと、信人の背に腕を回した。


 しかし、そのに映っていたのは……。


-----------------------------



 葵は咄嗟にナナの手を振り払った。

 時間にして一秒にもたない間に、一気に情報を詰め込まれる感覚に、立ちくらみがした。


「あおちゃ──!?」


 支えようと伸ばされた手を払い除けると、ナナは驚いたように目を見開いた。ナナが着ている赤色のミニスカートに、つい反応してしまったのだ。その服には見覚えがあった。

 つい一週間前、ほこらにいた所をナナが迎えにきた日のことだ。そのまま二人で買い物に出たかけた際に、一緒に選んだものだった。

 知らずうちに、自分の想い人とのデート服を選ばされていたのかと思うと、やるせなくなった。


(それならそうと、もっと早く言ってくれれば良かったのに……)


 しかしそれ以上に理解できないのは、信人と付き合っていながら、葵に告白するようあおっていたことだ。

 わざわざ自分の彼氏に告白させるなんて、葵がフラれる所でも見たかったのだろうか。


(でも、言いたくても言えなかっただけかも……)


 ならば、告白しろと煽る必要は無い。


(そもそも、私の気持ちを知る前から付き合ってたのかも!)


 今までずっと彼氏は居ないと言っていたのに……。

 なんとか良い方へ考えようと思考をめぐらせても、出てくる言い訳は呆気あっけなく論破ろんぱされていく。

 やがて、ナナを擁護ようごする文句が尽きたところで、ようやくナナが反応した。


「……と、どうしたの? 具合悪いの?」


 脚を踏ん張って持ち直すと、平静を装った表情かおを向ける。


「大丈夫」

「でも……」

「なんでもない。なんか、考えてみれば大した事じゃなかったよ」

「え……?」


 葵は笑顔を取りつくろうと、ナナは悲しげに眉尻を下げた。

 傷付けられたのはこちらだというのに、なぜナナがそんな表情かおをするのだろう。


「急にごめんね。おやすみ」


 腹が立つのをこらえて、葵はに背を向けた。


「あ、あおちゃ……」


 呼び止めようとする声したが、聞こえないふりをして、早足でその場を後にした。



 唯一心許せる友人だと思っていたナナが、葵と一緒にいることで優越感に浸っていたのかと思うと、自分が無性に情けない生き物に思えて恥ずかしくなった。

 好きな人の彼女に恋愛相談だなんて、間抜けにも程がある。


(……もういっそ、消えてしまいたい)


 どこへともなく歩きながら、ぼんやりした脳でせるように願う。

 何か食べたいわけでもないのに、ひどく飢えているような感覚に、眩暈めまいがする。


 ここ以外の遠くへ、自分のことを誰も知らない場所で、ひっそりと生きられたら……。

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