第21話 水巫女の間

 赤い部屋に葵は立っている。

 声が出ない。


──ああ、またあの夢だ。


 いつの間にか、目の前にあの白無垢の女が立っていて息をのむ。

 綿帽子に隠れた顔からは表情はうかがえないが、決して良い雰囲気ではないことだけはわかる。

 自分と同じ顔の花嫁が、また掴みかかってくるかもしれない。


──早く、早く起きなくちゃ!


 両目をぎゅっと瞑って、眠っている自分の意識へ訴えかけるが、すぐに躊躇ためらってやめてしまった。

 起きたら自分はもう死刑台の上かもしれない。

 そうだったら、今よりももっと恐ろしくて耐えられない。

 この夢も充分リアルで恐ろしいが、所詮しょせん夢だ。実際に害はないはず……。


 ぐっとこぶしを握って、ゆっくりとまぶたを開けてみる。

 綿帽子が血に染っていた。


───やっぱり怖い!!


 葵は身をよじった。

 少しでも花嫁から距離をとりたかったが、それは許されないようで、脚は一ミリも動かなかった。


 綿帽子がわずかに動いた。

 嫌だと思うのに、葵の視線は下へと移動した。

 綿帽子のかげから、葵にそっくりな花嫁の哀愁ただよう目が覗いている。

 前回のような、おどろおどろしい顔ではなかったことに、葵は内心安堵あんどした。


 花嫁は何か言いたげな表情だが、口を開こうともしない。

 人を脅かしておいて、こちらから察しろというのだろうか。それに、自分の顔を真似しているのも気にくわない。

 葵はだんだん腹が立ってきた。


──言いたいことがあるなら、はっきり言えば?


 声が出ない代わりに、心の中で問いただした。


──何を伝えたいの?


 花嫁が顔を上げる。

 さっきまでの哀しげな目ではなく、しっかりと焦点は葵を捕らえている。

 その力強い瞳に、逆に葵の方が視線をらすことが出来なくなっていた。

 花嫁が深紅色の唇を小さく開いた。

 放ったのはたった一言。それはまるで言い聞かせるような口ぶりだった。


「────すべきことを」




 はっと目を開くと、薄暗い部屋のなか。


(──こっちは夢じゃないのか……)


 寝転がったまま反対側に寝返りをうつと、格子の塀が視界をさえぎっている。

 まだ生きている事には安堵したが、決して手放しでは喜べない。



『────すべきことを』


 あの花嫁の言葉がリピートする。

 国の為に犠牲になれという事だろうか。

 夢の中でも説得されるなんて、とうとう思考まで水波盛こちらの常識におかされてしまった。


 起き上がると、掛布団が肩をすべり落ちた。

 眠りについたときは寒かったのに、一度も目が覚めなかったのはこのおかげか。


(誰がかけてくれたんだろう……?)


 見回すと、そこには既にリンの姿はなかった。


「────まさかね……」


 乾いた笑いは部屋にこだまし、誰に届けられることもなく消えた。

 そのタイミングで、階段を下りる足音が近づいてきた。菊乃が年配の下女を一人引き連れている。

 二人は床に手をつくと、葵に笑顔を向けた。


「おはようございます、葵様」

「菊乃さん……」

「お支度のお迎えにあがりましてございます。この者は上級下女の志津しずと申します」

「──志津と申します。この度のお役目、光栄至極こうえいしごくに存じまする」


 マニュアルを読んでいるような言い草で、感情が読みとれない。

 葵はぎこちなく頭を下げた。


「よ、よろしくお願いします」


 頭を上げた志津は、貼り付けたような笑みを浮かべている。

 感じか、と葵は思った。

 葵は志津しずのような人種が苦手だ。

 牢の扉がび付いた音を立てて開かれた。


「どこへ行くんですか?」

「身を浄めに参ります。巫女様は、水神すいじん様の大切な花嫁ですので」

「……ああ、首もはねやすくなるしね」

「まあ、巫女様ったら」


 皮肉たっぷりに返してやったつもりなのだが、菊乃と志津は冗談と受け取ったようで、口に手を当ててくすくすと笑った。

 どうやらこの二人は、水神とやらのにえとなるのが光栄なことだと、本気で思っている。

 葵がこれまでに聞いてきた〝名誉めいよの死〟とは、かなり概念がいねんがかけ離れている。

 英雄譚えいゆうたんでもなんでもない、こんなものはただの悲劇だ。


「巫女様専用の湯は、水神様の川から湧いたものをそのままひいてきている、とても贅沢ぜいたくなお湯なのですよ」

「温泉ってこと?」

「ええ」


 まさか温泉があるだなんて。しかも源泉かけ流しだ。

 去年、ナナと行った箱根以来だ。近場だったが、あれが初めての旅行で……あの頃は本当に楽しかった。


今生こんじょう、最後の贅沢が温泉かあ……)


 牢から出ると、来た時に使った階段とは反対方向へ案内され、葵は疑問に思った。


「菊乃さん、あっちじゃないんですか?」

「水巫女の間はこの先にございます」

「水巫女の間……?」


 廊下の奥を見やると、蝋燭ろうそくの薄灯りのなか、室内におさまる程度の小ぶりな鳥居が現れた。柱にはしめ縄が飾られている。


 鳥居の先からは、それまで木造だった床が石造りに変わっている。ピカピカに磨かれてつやをおびた階段を挟むようにして流水がゆるやかに流れ、梅花藻ばいかもの白い花が咲き乱れている。

 すずやかな流水音が耳に心地よく、吹き抜けになった天井からは、清らかな陽の光がスポットライトのように差し込んでいる。

 こうも自然をうまく利用した建築技術には、目を見張るものがある。

 最初は室内に鳥居があることに違和感をおぼえていたが、うまく聖域せいいきとの境界線の役割を果たしている。


「……綺麗」

「ここから先は、女人以外の立ち入りは禁じられております」

「どうぞ巫女様、こちらへ」


 思わず見とれている葵をうながすと、菊乃達は一歩下がって後に続いた。

 葵は少しでも長くその光景を眺めていたくて、出来るだけゆっくりと階段をあがった。


「ここだけほかと雰囲気が違う……」

「水巫女様が支度を整える間でございます。本来なら、こちらで一晩過ごして頂くはずでしたが……」


 そこまで言ったところで、志津は口をつぐんだ。

 菊乃が睨みをきかせて、制止したからだ。


(──私が逃げたからって言いたいわけね)


 誰だって、じめっとした狭苦しい牢屋の中で眠るくらいなら、花に囲まれた部屋で暖かい布団にくるまりたいに決まっている。

 そんな当たり前のことが、じつは贅沢な事だったのだと今更わかってももう遅い。

 梅花藻ばいかもの一本道が終わると、朱塗りの両開き式の大扉に突き当たった。

 菊乃と志津が二手に分かれて、それぞれが片方ずつ扉を手前に引くと、重厚じゅうこうな音をたてながら両扉が動いた。

 厳重な鉄製の分厚い扉は、蟻一匹逃がさない鉄壁てっぺき要塞ようさいのように、葵の目には映った。


「どうぞ、お進み下さい」


 菊乃が何ともないように促すが、葵にとっては三途の川を渡るかどうかの最後の選択を迫られているように感じた。

 とはいっても、もう引き返す事は許されないのだから、進むほかに道はないのだが……。


(──最後くらい、いさぎよく……!!)


 そう思う事で、死に対する恐怖心に無理やり蓋をした。

 深く息を吐くと、ほんの少しだけ気が楽になった気がした。

 意を決して、一歩踏み入れる。


(──これでいいんだ)


 ふと、梅花藻の花をもう一度見たくなって、振り返った。

 扉が閉まる寸前。ほんの一瞬だけだったが、鳥居の下に巫女の格好をした小さな女の子が立っているのが見えた。


(なんでこんなところに子供が……?)


 どことなく、その女の子に見覚えがある気がして記憶を探ってみるが、どうにも思い出せない。


(……そんなわけないか)


 他人の空似だと思い直し、葵は自分の運命を受け入れるべく、前へと進んだ。



***



 案内されたのは露天風呂だった。

 湯気が狼煙のろしのように空高くのぼっては風に流され、遠くへと消えていく。

 煙の消えゆく先に頂上が見えないくらい巨大な滝がある。


「こちらでお召し物をお預かり致します」

「え? ──ちょ、ちょっと待った!」


 床は簡単に茣蓙ござを敷いただけの簡単な脱衣スペースとなっていて、その上に立たされた葵は身ぐるみを剥がされようとしていた。

 菊乃たちの手を逃れると、片手を突き出して〝待った〟をかける。


「葵様!! お手伝い致しますので、どうかじっとしていて下さいませ!!」

「いいです!! 自分で出来ますから!!」

「そんな……!! わたくし達が叱られてしまいます」


 それがさも当たり前の事のように、下女達は服を脱がせようと手を掛けてくる。

 他人に脱がされるなんて幼少の頃だけだし、時代劇でよく出てくる殿様の着替えシーンのように、大の字でデーンとつっ立っている度胸などない。

 女同士といえども、自分だけ素っ裸になるなんて恥ずかしい。


「大丈夫!! 私が言わなきゃバレないですよ!!」

「ですが……!!」

「お風呂の時くらい一人になりたいの!! もう逃げないから……最後くらい、お願いします」


 菊乃と志津しずは困ったように顔を見合わせていたが、最後の望みということもあってか、軽く頭を下げると浴場を後にした。

 監視の目から解放され、ようやく肩の力が抜けると、着物を脱ぎ捨て、ゆっくりお湯に浸かった。


 全身にじんわりと伝わる熱が心地よく、気の抜けた吐息をもらした。まさに極楽浄土という言葉がぴったりだ。

 気持ちも落ち着き、改めて浴場を見回した。

 浴場を囲うように植えられた姫椿の桃色がよく栄えている。それだけではない。よく見ると、様々な四季の花が植えられている。春夏秋冬、いつでも花が咲いている状態を維持する為だろう。

 それらが殺風景な岩肌と合わさって、華やかだが落ち着いた楽園を作りあげている。

 先程通ってきた石造りの階段もそうだが、かなり手が込んでいて、センスも良い。

 たった一人の為にこれだけのものが用意されるなんて、水巫女が特別な存在であるのがよくわかる。


 お湯の温度と花にいやされながら、今度は滝を眺めた。

 すぐに違和感を感じる。

 その違和感を解明する為、目を細めて滝を凝視した。そしてそれが分かった時、思わず悲鳴にちかい大声をあげていた。

 大自然に圧倒されたからではない。いや、ある意味そうなのだが、それ以上にありえない事が起きているのだ。

 目の前の光景に圧倒され、口をポカンと開いたまま釘付けになる。


 葵の声を聞きつけた菊乃と志津が、浴場へ駆け込んできた。


「──葵様!? どうされましたか!?」


 葵は口をぱくぱくさせて、なかなか出てこない言葉を何とか絞り出した。


「滝が逆流してる!!」


 菊乃も志津も目が点になった。

 葵は真剣な顔で返答を待っていたが、返ってきたのはくすくすという笑い声だった。


「な、なんで? 驚かないの?」

「え、ええ……だって、葵様ったら」

「何事かと思えば……」

「ほ、本当なの!ほら、見て!」


 葵はごうごうと音を立てて逆流する滝を指さすが、菊乃は落ち着いた口調で葵をいさめた。


「葵さま、滝の水が登っているのは、当たり前じゃありませんか」

「あ、当たり前? そんなわけ……」

「あれは水神の滝でございましょう。あの滝の流れる先に水神様のお住いがあるのですよ」

「葵様ったら、ご冗談がお好きなのですね」


 平然と、ただ笑っている二人が嘘をついているようには見えない。

 葵はただただ混乱していた。


「お支度が済みましたら、あの滝の頂上へ向かいます」

「登るの!? あれを!?」

「ええ。儀式は水神様のお住いで行いますので」

「でもあんな絶壁ぜっぺき、どうやって?」

「特別な乗り物がございますゆえ、ご安心なされませ」

「ご入浴が済みましたらお声掛け下さい」


 菊乃と志津は一礼すると、そろそろと出ていった。

 常識とは、育った地域が違えば相違そういがでてくるのは当たり前のことだ。

 きっと、この国には葵が見たことも聞いたこともないような常識がまだまだあるのだろう。

 だが、重力を完全に無視したこの滝はどう考えてもおかしい。おかしいのだが────、


(それももう、考える必要もない……)


 葵はひとり、自嘲じちょうの笑みをもらした。

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