第22話 神獣
「まあ、なんて美しいのでしょう!」
「とてもよくお似合いですよ、葵様」
入浴を済ませた葵は、別室に連れられていき、そこで白無垢を着させられた。
着付けしながら、素朴な疑問を抱く。
「────なぜ白無垢?」
「婚礼の儀にございますゆえ」
「え……私、結婚するの?
「生贄だなんてとんでもない!! 水神様のもとへ嫁がれるのですよ」
(それを生贄っていうんだよ)
ものは言いようだな、と身の内でごちる。
別に婚礼という形じゃなくてもよいのではないか。
こちらとしては嫁ぎたくて
菊乃と
正確な時間はわからないが、おそらく小一時間ほどだろうか。葵の身支度は整った。
渡された手鏡を覗き込むと、そこには夢に出てきたあの気味の悪い花嫁にそっくりな姿が映っていて、背筋がゾッとする。
あの夢は、こうなる運命を予言していたのだろうか。
「葵様、わたくし達のお役目はここまでになります」
「────え?」
菊乃は寂しげに
「葵様のお世話をできましたこと、わたくしは誇りに思います」
菊乃と志津はそろって頭を下げた。
「──あ、ありがとうございます。菊乃さん、志津さん……」
これが今生の別れとなるのに、気の利いた言葉が思い浮かばない。
「────お支度は整いましたかの?」
しわがれ声に呼ばれて振り向くと、派手な装飾で着飾った
真っ白な着物と袴に紅色の首飾りが何重にも巻かれている。いかにも
(────シュールだ……)
いつの間に居たのだろう。
「ここからは、わしが
仁王立ちのまま軽く頭を下げた。
色々とツッコミどころ満載だが、そうしなかったのは、諦めがついたせいもあるだろう。
(慣れちゃうと、何でも受け流せるのもなんだなあ)
「──では水巫女様、参りましょうぞ」
老婆に導かれるままに部屋を後にする。二人の巫女姿の少女が、葵の後ろに並んで続いた。
(これが花嫁道中ってやつか)
決して望んだことではないのに、いざ体験してみると本当に結婚するみたいで緊張する。
本当に夫となる人が待っていてくれているような気さえしてきた。血の繋がった家族には会えないが、これからは自分の手で作るのだという、そんな幸福な妄想まで浮かぶ。
葵にとって花嫁というのは、そんな特別な感情を抱かせるほど、強烈な何かがあった。
後ろを歩く巫女達は、からの
なぜ
「あなた達も巫女なの?」
話しかけられた少女たちは、ぎょっと目を見開くと慌ててうつむいた。
「その二人は水巫女ではありませぬ」
代わりに先頭を歩く老婆が答えた。
葵は前に向き直って、老婆の後頭部を見ていると、老婆は振り返ることなく、言葉を続けた。
「不運なことに
「なぜですか?」
「身なりは巫女とはいえ、中身は下級下女にございますゆえ……ちょうど良い年頃の
老婆は独り言のようにように
振り返ると、二人の下女は顔を赤らめて俯いている。
(婆さん、ナチュラルにばらすなよ……)
デリカシーの欠片もないな、といたたまれない気持ちになったが、どう声をかけていいものかもわからず、結局何も言えずじまいとなった。
「水神様はあらゆる穢れを受け入れて下さる…… 」
歩幅を合わせながら歩いていると、老婆が淡々とした口調で話し出した。
「穢れとは恐ろしいもの。人を不治の病にかけ、多くが命を落とす。その死体を喰った動物は妖獣と化す。妖獣が増えれば、餌を求めて人里を襲う。────ゆえに、水神様に穢れを浄化して頂くのです」
そういえば、逃げることに必死で儀式の意味を聞いたことがなかった。
葵は静かに老婆の話に耳を傾ける。
「だがの、水神様とて穢れを受け入れるにも限界がおありなのです。どんなに大きな
そういえば、リンが地震を予兆だと言っていた。
妖獣の襲撃があったのはその後だったが、それも予兆のひとつだったのだろうか。
「それを防ぐため、清純な巫女を
(だから白無垢なのか……)
ようやく婚礼の形式をとる意味を理解できた。
同時に、こんな悲しい結婚式があってたまるか、とも思った。
「穢れはもともと人の中にあるものじゃ。誰もがその
その悪い芽を詰んで保管するのが巫女の役割、というのは
水巫女なんて、生きていてもいいこと一つもないじゃないか。だったら、赤ん坊の頃に死んでおいた方がよっぽど良かった。
葵が己の運命を呪っていると、老婆はどこか
「水波盛は水神様によって繁栄した国。決して、信仰を
それからは、先が見えないほど長く薄暗い通路を、黙々と歩いた。着物のせいで歩幅が狭くなったせいもあって、永遠と辿り着けない気さえしてくる。
着物が重い。
どうせなら一生に一度、ウエディングドレスを着てみたかったというのが本音だ。
(結婚なんて、まだまだ先だと思ってたのに。それも相手は人間じゃないなんて……)
やがて朱色の鳥居が見えてきた。
鳥居の奥は
老婆に促されて鳥居をくぐると、そこには体長が二メートルほどもある大きな獣が、
顔のまわりにうねった
「──よ、妖獣!?」
村を襲った鳥の獣、あの恐怖が記憶がよみがえる。
葵は警戒しながら後退すると、老婆が落ち着いた口調で訂正した。
「これは
「……し、神獣?」
「神に使える、とても神聖な生き物でございます。何種類か存在しますが、この
「狛犬って……、そんなの
「いいえ、現に目の前におります」
冗談かとも思ったが、誰一人笑う様子もない。
狛犬は重たそうに頭を持ち上げると、巨大な足で耳の裏側を掻いた。それからその足の匂いをクンクン
そして満足したのか、再び頭を下げてウトウトしている。
(これが神聖? 普通に犬じゃん……!!)
なんとも緊張感のないその態度に、葵は気が抜けた。
後ろに控えていた下女たちが
それでも狛犬は、興味無さそうに顔を背けて動こうとしない。
「さあ巫女様、お乗りくださいませ」
「──え゛っ!?」
老婆の言葉に、自分でもどこから出したのか分からないような、汚い声を出してしまった。
菊乃から特別な乗り物があるとは聞いていたが、これのことだったのか。
しかし、狛犬には
「あのー……私、乗馬の経験すらないんですけど……」
「問題ございませぬ」
「でも…… 」
「
「……」
少しもアドバイスにもなっていないことに、言葉を失う。
急に狛犬がむくりと立ち上がり、葵の傍へのそのそと近寄ると、匂いを嗅ぎだした。
敵意は無さそうだが、万が一、噛まれでもしたらひとたまりもない。
緊張で全身の筋肉が強ばった。
しかし狛犬はゴロンとひっくり返り、無防備に腹をさらけ出した。
舌までだらしなく垂らしている間抜け
それでもこの緊張感のない態度に、ほんの少しだけ心が救われた。
腰を落とすと、その無防備なお腹を優しく撫でてみる。
(────も、もふもふ……!!)
「──名前、なんて言うんですか?」
「名前はございませぬ」
「ここで飼ってるんでしょ?」
「な、なんと
何気なく言った〝飼っている〟という言葉に、その場の全員が目玉が飛び出そうになるくらい目をひん
「神獣は自然に寄り付くもの。最も神聖な
「それって、いつ居なくなってもおかしくないって事ですか?」
「左様にございます」
そんな会話をよそに、狛犬はグネグネと身をよじりながら、葵の手にじゃれついている。
甘噛みされたせいで、撫でている手はベトベトだ。
(
苦笑いしながら飼い犬のように遊んでやっていると、
「──巫女様、そろそろ」
老婆の一声で狛犬は飛び起きると、四肢を折り曲げて葵の前に伏せた。
(生贄を運んでるって、わかってなさそうだな……)
葵よりも先に、老婆がまたがった。
「──巫女様はわしの後ろに」
葵はなんとか狛犬に乗ろうとしたが、着物が脚の可動域を制限し、乗馬のように
葵は少し悩んで、横向きに座るようにして身体を預けた。
葵の体重が掛かると、狛犬はゆっくり立ち上がった。
「では水巫女様、しっかりとおつかまりください」
「────はい……うわっ!?」
急に狛犬が駆け出したので、慌ててしがみついた。
「は、早っ……もっとゆっくり──!!」
てっきり来た道を戻るのかと思っていたが、真っ暗な洞窟を一直線に駆け抜けると、先に見えた光の中へ飛び出した。
視界がひらけて、晴天の空が広がった。
だが、それを
今、自分がどうなっているのかわからない。意に反して首を後ろにまわす────。
「ぎゃああああああああああ!!!!!!!!」
見たことを後悔した。
下は霧がさえぎっているせいで見えなかったが、どうなっているのかはすぐに理解できた。
葵は雲よりもずっと高い場所にいて、狛犬は
「いやああああああああ!!!!!!!! 死ぬ死ぬ死ぬー!! まじ死ぬって──!!!!!!!!」
「巫女様、そんなに暴れられては転げ落ちますぞ」
「────それマジ冗談になってないからー!!」
恐怖と不安で震えながら、腕の力だけは緩めまいと、強く、強くしがみつく。
ぎゅっと目をつむり、ひたすら恐怖に耐え続けている間、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます