第13話 ニシキ
こうなったら何がなんでも逃げなければならない。
葵は
「怖い顔をしているよ……まあ、無理もないか」
そっと、肩に手を添えられた。
見上げるとニシキが
「教育を受けていない君には、とても
ひどい目なんてどころではない。もう散々だ。
葵は唇を噛んでうつむくと、優しく頭を撫でられた。
「君にいいことを教えてあげる」
耳元で囁かれて葵はニシキを見た。
「いいこと……?」
突然、視界が白い幕にさえぎられた。
強制的に手を離されたニシキは苦笑いを浮かべ、「リン」と呟いた。
「巫女への過剰な接触はさけて頂きたい」
「
ニシキは笑った。
「優しくしてやるように言われたろう?」
「
「キミのできる
リンがムッと表情を
会議での冷静さは見受けられない。あれは仕事用の顔だったのだろうか。
「だから余計な世話だと言ってる。親の事を教えるのも、私は良い考えだとは思わぬ」
「いいじゃない、それくらい。何も知らされないままだなんて可哀想だろう?」
楽観的なニシキの態度が気に食わないのか、リンの機嫌はどんどん悪くなっていく。
「こいつは逃げる。親の事を知ったら、なおさらじっとはしていないだろう」
「ずいぶん手をやいてるんだ? キミがねえ?」
「ばかを言うな。その気色悪い顔をやめろ」
ニシキが可笑しそうに笑うと、リンは早々に切り上げたいらしく、葵の腕を引っぱって立たせた。
「親のことを教えてやる。着いてきなさい」
自分を捨てた親なんかどうだっていい。けれど
一度捨てられたとはいえ、頼るアテは他にないのだから。
葵がリンに着いていこうとすると、逆の腕をニシキに引かれた。
すぐに気がついたリンが、獣の
「……どういうつもりだ?」
「その前に、巫女様を
振り向いたリンの眼は血走り、狂気に満ちていた。
「邪魔をするな」
今にも斬りかかってきそうな威圧に、葵は後ずさる。
場に残っていた神官達が危険を察知し、逃げるように散っていった。
「そ、そんなつもりはないさ!」
ニシキは慌てて両手をふった。
争う気がないことを示しながらも、さり気なく葵を背後に隠す。
「この
「怖いのはどの巫女も一緒だ。それに
「また
「巫女は女ではない。〝
つまり人ですらない、と言いたいのだろう。
今までの雑な扱いはそういうことだったのだ。
これにはさすがに腹がたって、文句を言おうとしたところを、ニシキの手にさえぎられた。
「だけどリン、物心がつくまえから教育を受けているのと、昨日今日でいきなり言われるのとでは
ニシキが穏やかな口調で
「頼む、僕に任せてほしい。結果的に、キミのためにもなる。兄弟なんだし、協力させておくれよ……ね、いいだろう?」
ニシキはリンの手を両手で包むと「ね、お願い!」と繰り返してごり押しした。
グイグイと詰め寄られて、リンの顔が引きつっていく。
「寄るな」
「じゃあ、任せてくれる?」
リンはしばらく苦しげな顔をしていたが、ニシキの手を払い除けると諦めたように深く息を吐いた。
「……一刻だけだ。だが南棟に連れていくは許さない」
「え? 駄目?」
ぽかんと聞き返すニシキを、リンが呆れ目で見やる。
「当たり前だ。盛りのついた猿の
「うっ、言い返す言葉もない……」
会議での一件をつつかれて、ニシキは言葉をつまらせた。
しかし、なんとか食い下がろうと頑張っている。
「けれど、さすがに巫女に手出しする
リンは
「本殿の居室を使え。のめないならこの話は無しだ」
「わかった、じゃあそれで! ありがとう、リン!!」
ようやく落としどころが決まり、ニシキは満足げに両手を広げた。────が、待てどもその胸に飛び込む者はおらず、
「話が済んだら書庫に連れてこい」
「うん。髪でも染めて待っていてよ。また父上に叱られてしまうし」
リンは
「……どうせすぐに落ちる」
「僕はその髪色の方が好きだよ」
「染めるか……」
「褒めたのに!!」
リンが無愛想なのは既に心得ているが、ニシキにはさらに厳しいように見える。
しかし兄はめげない。そっぽを向く弟をどうしても構いたいらしい。
だが、一方では反応を楽しんでるようにも見える。
仲が良いのか、悪いのか……。
「そろそろ
「断る」
リンは即答すると、これ以上関わりたくないのか、兄には目もくれずに行ってしまった。
さっきよりも深く
本当にこの男について行って大丈夫なのか……不安だ。
「……じゃあ、行こうか……」
「は、はあ……」
(なんなんだろう、この人……)
***
「……あの、大丈夫ですか?」
「うん? ああ、いつものことだよ」
ニシキは目じりに残った涙を
「僕が
「一緒に育ったんじゃないんですか? 兄弟なんですよね?」
ニシキの笑みに苦さが混じった。
「リンの
「今どき一夫多妻なんですか」
「子は必ず育つとは限らない。いつどうなるかわからないから、できるだけ子を
「そういうものですか……」
「君の国は違うのかい?」
葵はうなずいた。
「普通は一人です。浮気しようものなら大問題ですよ。……もうそれは、めちゃくちゃですよ」
言いながら、完全に自分の事を話しているようでいたたまれなくなった。
養父のしていることは間違っていることなのに、この国では成立してしまうのだから、常識とはおかしなものである。
「……それは、大変だったね」
ニシキが
なのに、なぜリンが突っぱねるのか、葵にはわからない。
こんな優しい兄がいるなんて、羨ましいかぎりだ。
(やっぱ、あいつの性格が曲がってるんだな)
ニシキは
葵も同じ方を見る。
この社は、景色だけは別世界のように美しく、唯一好きなところだ。
じっと見つめていると、まるで時間が止まっているようで、自分の命のカウントダウンが
下を見るともう一人の自分と目が合った。
そっちに行けば何の心配もせずにすむのだろうか。
けれど、向こう側の自分も同じく苦しげな顔をしているのを見ると、そんな想像も気休めにはならなかった。
「どうして
葵は首を横にふった。
「いえ……」
「神の王と書いて〝
葵は答えなかった。
無宗教の葵からしたら、バカバカしいと思ったのもあるし、人間が神に近づけるわけがない、という否定的な考えもある。
「すまない。儀式を止めることはできない」
初めてニシキの深刻な声を聞いた。
急にそんな言い方をされると、現実味が湧いて苦しくなる。
「
「……神なんかいない」
ニシキはわずかに目を見開いた。
その発言は
「
「私が死んだって、病気はなくならないし、バケモノもいなくならない。何もかわらないんです!!」
ニシキの表情に陰りが出る。
「それは、
「私はこの国になんの愛着もない。好きでもない国のために命は張れません!!」
「……それもそうだね」
ニシキは水面に視線を落とした。
その
儀式を逃れる方法は一つだけある。が、それは葵にとって、とても容易にできることではない。けれど、死ぬことに比べればその方がマシに思えた。
頭の中で、
決断出来ないのは、ほとんど
葵が身の内で
ニシキは葵を見るなり、突然ふき出した。
「な、なんですか!?」
「はははっ……いや、すごい顔をしているから、つい……」
「────すごい顔って……」
「いやすまない」
ニシキは朗らかに笑うと、支柱に背を預けた。
目が合う。
なくはない、と思った。
初対面とはいえ、ルックスも性格も申し分ないし、変な男に触られるよりは断然いい。
(────死ぬよりは、マシだ)
考えている事が顔に出ていたのか、ニシキがまた笑いだしたので、葵は罰が悪くなった。
「ありがとう。とても光栄だよ」
「何も言ってませんけど……」
ニシキはまるでお見通しとでも言いたげに、首を振った。
「みな考えることは同じさ。資格を捨てようとした巫女は決して少なくはない。追いつめられると、人はなんでもするから。────あと、君は顔に出やすい」
ギクリとする。
バレていた。死ぬほど恥ずかしい。
「その通りだよ。男と
改めて言われると生々しい。
ニシキは困ったように眉尻を下げた。
「助けてあげたい気持ちは山々なんだ。だけどごめんね、僕には心に決めた人がいるから──。それにまだ首も繋がっていたいし」
「────で、ですよねえええ!! すみません!! 本当すみません!!」
熱くなる顔をおさえながら、高速で何度も頭を下げる。
告白する前からフラれるってこんな感じか。いや、それはもう経験済みだが、下心となるとこんなに恥ずかしいものなのか。
「……でも、なんでそんなに重い罪なんですか?」
「多くの民の命を犠牲にするようなものだからね。みな
「そんな……」
じゃあやっぱり死を待つしかないのだろうか。
『それは、他者を犠牲にしてもですか?』
資格を捨てられても、自分も相手の男も死罪。
死罪をまぬがれても、大勢の人々を見殺しにする。
自分が助かる代わりに、必ず誰かが死ぬことになる。
(────そんなこと言ったって……!!)
再び
『ですから────』
葵は恐ろしさで身震いし、勢いよく頭を振った。
無性に
会って、話したい。
「まあでも、リンは別かな」
頭を抱えていると、ニシキがぼんやりと言った。
葵は
「……どうしてです?」
「
逆に言えば、あいつはやりたい放題ということか。だからあんなに理不尽なのか。
まあ、あの
「僕が
「代わり?」
「リンが、使い物にならなくなった時のため、と言った方がいいか」
ニシキにしては嫌な言い方をする、と思った。
が、自嘲気味に笑うのを見ると、本心からではないのがわかる。思いとは裏腹に、大人たちの圧力があったのだろう。
ニシキは少し迷ったような素振りを見せると、重たげに口を開いた。
「────十年前、リンは大罪をおかしたんだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます