第17話 仮面の男

 さらさらと、風に吹かれる波の音がする。

 本殿からほんの数メートルしか離れていないのに、なんて静けさだろう。ここまで静寂だと逆に不安になる。

 少し迷ってから戸を叩いてみたが、返事はない。


(誰もいないみたい。まあ、その方が好都合だけど……)


 葵は深呼吸をしてから引き戸に手をかけた。

 すーっと、音を立てて戸が開く。


 中はすぐに土間があり、右側にはこじんまりとした台所、左側には居間のような空間があり、少し散らかってはいるが、どこか生活感を感じさせる。

 奥の方にも引き戸が見える。ここは誰の家なのだろうか。


(────うう、入りたくないなあ……)


 急に葵の背中を押すように、追い風が吹いた。

 見えないものに促されているように感じた葵は、意を決して足を踏み入れた。


 部屋の前まで来ると、もう一度戸を叩いてみた。

 やはり返事はない。


(廃墟なのかな……)


 誰もいないなら、と今度は普通に戸を開けた。

 八畳はあるだろうか。わりと広めな部屋で、古いが箪笥などの家具も揃っている。


 部屋の中央まで入ると、急に足音が軽くなった。

 不思議に思って足元を見下ろすと、そこは正方形の床下扉の上だった。


(────地下だ!!)


 やはり何か隠しているものがあるのだろうか。

 水波盛家みなもりけの弱味を握れれば、万が一捕まったとしても、取引ができるかもしれない。

 心の隅には、出口につながっているかもしれない、という淡い期待もあった。

 早速扉を持ち上げようとした時、耳が微かな音をひろった。

 それから自分以外の気配に気づく。

 葵は後ろを振り返った。


 老婆だ。壁の方を向いて座り、前後に揺れながらなにやらブツブツと呟いている。よく聞けば子守唄のようだ。

 驚いて後ろへ後退すると、壁に背をぶつけてしまった。

 その拍子に小さな鉄の塊のようなものが床に落ちて、鈍いを立てた。


(────やばい!! 気づかれた!!)


 葵は身構えた。

 心臓がドクンドクンと脈打ち、冷や汗が背中をつたった。

 ホラー映画ならば、この不気味な老婆が刃物を持って襲いかかってくるところだ。


 しかし、老婆はこちらに振り向くことなく、歌い続けている。


(────た、助かった……!!)


 ああ、生きた心地がしない。

 引き返そうか迷ったが、戻ったところですぐに捕まるのは目に見えている。

 葵は着物の袖で冷や汗を拭うと、足元に落ちているに目がいった。


(────鍵?)


 史劇なんかでよく見るような、古い形の鍵だ。ひどくび付いている。

 さっきの大きな音はこれが落ちたせいだったのか。

 葵は興味本位でそれを拾った。ガサガサと錆び付いた感触と、鉄の重みがずっしりと手に伝わる。


(もしかしたら、必要になるかもしれない!!)


 一応持っておこう、と鍵を袴の帯に挟んだ。

 できるだけ音を立てないよう、ゆっくりと床下の板を持ち上げた。


 開けるとすぐに木造の階段があり、その先は点々と壁に立てられた蝋燭ろうそくの火が、奥深くへと続いている。

 一体どこまで続いているのか、何が潜んでいるかもわからない。まるで、丸腰で魔物のひそむ洞窟に入るかのような恐怖が押し寄せるが、引き返してもその先に待つのは死だ。


(大丈夫、何も出ない。たぶん……)


 心を落ち着かせてから一歩踏み入れると、思いのほか大きな音で床が鈍く軋み、さらに葵の不安をあおった。

 一時停止ボタンを押されたかのように動きを止め、耳をすます。

 やはり老婆は振り向かない。

 こちらには無関心なのか、単に耳が遠いだけなのか……。


(でも、その方が助かる……)


 気を張りながら階段を下り、静かに扉を閉めた。


 一気に明かりが制限された。それだけでも怖いのに、この先は何が起こるかわからないのだ。


(頑張れ!! ここまで来たんだから!!)


 不安に押し潰されそうになりながらも、自分を鼓舞こぶし、奮い立たせると、一段、また一段と、足で耐久性を確かめながら階段を降りた。


「かなり深い。……考えてみたら、ここって湖の下なのか」


 時間をかけて降り続けると、足裏に冷たい岩肌の感触を感じ、ようやく地に足が着いたことに安堵あんどした。

 すっかり目も慣れて、蝋燭ろうそくの頼りない灯りだけでもどんどん前へ進んでいく。


「一体どこまで続いてるんだろう?」


 もうとっくに、小舟がないことに気付かれたかもしれない。

 そう思うと気持ちに焦りが生じ、葵は歩く速度を早めた。


(────急ごう!)


 それにしてもこれだけ深い地下通路となると、出口説が有力になってくる。

 期待を胸に先へ先へと進んで行くと、前方に格子状こうしじょうさくが見えてきた。


「やっぱり出口だ!!」


 嬉しさで思わず声が大きくなってしまい、慌てて口をふさいだ。

 しばらく様子をうかがうが、誰かが追ってくる気配もなければ、ネズミ一匹すらいない。


(まだ見つかってないのかもしれない!!)


 ふうっと息をついて、小さな希望にすがるような気持ちで再び歩を進める。それは徐々に早足になり、気がつけば駆け出していた。


 しかし、その期待はすぐに裏切られた。

 目の前に立ち塞がる鉄格子の奥は行き止まりだったのだ。

 鉄格子の隅には、葵ですらかがまないと通れないくらい背の低い扉があり、その扉に不釣り合いなくらい大きな錠が掛けられている。

 葵は袴に挟んだ鍵を手にとった。


(鍵はたぶんこれだ……。でも、もう意味がない)


 なぜならここは地下牢獄であり、出口ではなかったのだ。

 引き返すしかないことを無惨むざんにも思い知らされ、葵はその場に力なく崩れ落ちた。


「そんな……」


 ここまで来て、すごすごと首を差し出しに戻るだなんて、滑稽こっけいすぎる。


(────終わった……)


 地面からてのひらに伝わる冷たさが、お前の事など誰も気にも止めていない、と言われているようでむなしくなった。


「誰だ」


 急に男の声がして、葵は飛び上がった。


(─────み、見つかった!?)


 声の主を探して当たりを見回すが、暗くて目視出来ない。

 今まで人の気配など無かったのに、すっかり油断していた。

 逃げ場もなければ、隠れられる物陰ものかげもない。

 祈るようにして鍵をぎゅっと握った。


「────だ、だれ!?」


 来た道を警戒けいかいしてジリジリと後ずさる。

 背中に冷たい鉄の感触が当たって、心臓が跳ねた。

 不安で呼吸が荒くなる。


「こっち」


 しまった、と思ったがすでに遅かった。

 背後からにゅっと伸びた手が葵の口をふさぎ、もう片方の腕が首に巻きついて自由を奪われた。

 悲鳴を上げる余裕すら与えないその早さは、かなりの手練てだれであるに違いない。

 遅れて出た悲鳴は冷たい手でふさがれているせいで、もごもごとした音になるだけだった。

 首に巻きついた腕を両手でひっぺがそうと足掻あがいてはみたが、ビクともせず、それどころか抵抗を阻止しようと、締まる力が更に強くなった。


「大人しくしろ。声も出すな。首を折られたくなかったらな」


 耳元で囁かれた声は、殺人鬼を思わせるには充分な程、冷酷で落ち着いていた。


(こ、殺される!?)


 酸欠によって頭が朦朧もうろうとしながらも、本能が警告音を鳴らしている。

 が、男相手にちからでは勝てるはずもない。抵抗もむなしく、葵は観念かんねんして両手を下ろした。


「鍵をよこせ」


 葵は必死に打開策だかいさくを探した。

 相手は葵が手にしている鍵を欲している。

 渡さなければこのまま絞め殺されてしまう。しかし、渡したとしてもやはり同じ結果ではないのだろうか。

 今の葵は全ルートがデッドエンドなのだ。

 ならば────、


(────これ以上好きにはさせない!!)


 葵は手に持っている鍵を思いっきり遠くへ投げた。


「あっ!?」


 鍵がえがいて飛んでいく。数秒後、遠くで小さな金属音が数回むなしく響いた。

 男の吐息に怒りが混じる。


「くそっ、なにしやがる!?」


 葵の抵抗は見事に男の逆鱗げきりんに触れたようだった。

 しかし、どんなに悪態をついても、葵が取りに行かない限り、鍵は戻ってこない。

 これで優劣ゆうれつが変わったのだった。


(────ふっ、ざまあみなさい!!)


 この男が居るのは牢の中。つまり犯罪者だ。

 絶対に鍵を渡してはならない。


 耳元で、ギリギリと歯をくいしばる音がしていたが、やがて諦めたような溜息に変わった。


「お前、巫女か?」


 口を塞がれているせいで返事はできないが、答えずとも服装でわかるだろう。

 そんなことより、まずは呼吸を楽にしたい。

 葵は男の腕をぺちぺちと叩いて、力を緩めるように訴えてみると、男は力んでいたのを忘れていたのか、思い出したように少しだけ力を抜いた。


「騒ぐなよ」


 口が解放され、葵は深く呼吸を繰り返した。

 急に大量の酸素を取り込んだせいで、頭に血が登り、沸騰したみたいに熱い。


「わかった、儀式が怖くなって逃げ出したんだろ?」


 急に図星をつかれて、うっ、と声をもらした。

 やっぱり、と男は笑う。


 徐々に冴えてきた頭で先程の言葉の意味を考えると、少なくともこの犯罪者は、今すぐ葵を殺す気はないようだ。


 暗がりを利用して、ゆっくりと首を後へ捻ってみる。意外にも男はその行為を止めようとはせず、すんなりと男を見上げる事が出来た。

 蝋燭のわずかな明かりがチラチラと照らしたのは、無造作に伸びきった長い髪と、上半分を鉄製の仮面で覆った男の顔だった。

 顔が見えないせいで年齢不詳だが、声質から察するにまだ若い。


 男は葵を見つめたまま口を開こうとしなかった。

 穴が空くほど見られたままでは、居心地も悪い。


(────こ、この後、どうしよう……)


 どう駆け引きをしようか悩んでいると、ようやく男が開いた。


「……雪花せつか?」


 どうやら姉の知り合いらしい。

 葵は首を横に振った。


雪花せつかは姉だって、ついさっき聞いたよ。私は妹のあおい

「……妹は死んだって聞いたんだけどな……」

「────知ってるの? 私たちのことを?」


 男はうなずいた。

 雪花せつかと知り合いなら、本人から色々聞いていたのかもしれない。


「昨日、気が付いたら水波盛ここにいた。でも、私は犠牲になる気はない。どうしても家に帰りたい。だから────」

「じゃあ、手をかしてやる」

「へ?」


 言い終わるより先に男が言った。

 それは予想外な言葉で、葵は間抜けな声を上げてしまった。


「ここから逃がしてやるよ」

「……な、なんで?」

「やらなくちゃならない事があるんだ」


 違うな、と葵はうたがった。

 見たところ、この男は長期間にわたって牢獄に入れられている。そんな八方塞はっぽうふさがりなところに葵がやってきたのだ。

 ようやく訪れた脱獄だつごくへの希望。のがしたくはないはず。

 互いの利害は一致しているというわけだ。


「だったら、まずはこの手をはなして」

「じゃあ、出してくれるか?」

「その前に、このまま絞め殺してもあんたに得はないし、むしろ損じゃない? ここから出る唯一のチャンスを自ら手放すようなことできるの?」


 こんなにスラスラと言葉が出てくるなんて、自分でも驚いた。

 人間、死をまぬがれるためならば、いくらでも饒舌じょうぜつになるらしい。


 男は少し迷ったのか、困ったように首を傾げると、葵を解放した。

 葵は白衣のえりを直し、ようやく一息つくと、距離をとって男に向き直った。

 男はぼろの着物を腰で着ていて、上半身は一糸まとわぬ半裸状態だった。

 葵は目のやり場に困り、視線を外した。

 男は気にとめた様子もなく、鉄格子に手を掛けて葵に訊ねた。


「どうする? 助けがいるだろ?」

「出口を知ってるの?」

「知ってる」

「ずっと閉じ込められてるのに?」

「大丈夫だ、信じてくれ!!」

「……本当に助けてくれるの?」

「ああ!!」


 男は嬉々として答えるが、その返答は具体性がなく、あやしさしかない。

 普通ならこんな得体の知れない人物と取引なんて断固お断りするところだが、葵もこの男に頼るほか、あとがないのが現状だ。

 ただ、信用に足る根拠こんきょがなければ簡単にはうなずけない。


「どうやって?」

楼門ろうもん以外に、一つだけ下界につながる道があるんだ。かなり危ないけど」

「どこにあるの?」

「上の────はっ!?」


 男は、はっとして両手で口をおさえた。


「……ここから出してくれたら教える」


(────今言いそうだったのに!!)


 それを言ってしまっては取引にならないのは馬鹿でもわかることだが、この男、結構ギリギリの線かもしれない。

 少し心配だ。だが、もう他に手はない。


「絶対、絶対に私を逃がして!! それから、出られるまでは裏切らないと誓って!!」

「ああ!! 二言は無いさ!!」


 男は格子こうしの間から右手を差し出した。

 葵は少し躊躇ちゅうちょしたが、腹をくくってその手を握った。

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