第10話 咎人

 痛みは来なかった。

 代わりに、獣の甲高い断末魔が耳をつんざき、葵が目を開けると、鷹の長い首に矢が刺さっていた。

 続けて二本、三本と矢が襲い、獣は巨体をよじった。


「今のうちに!」


 紗華さいかに腕を引かれ、もつれる足でなんとかバランスを取り直すと、地団駄をふむ獣の足を避け、小屋へ一直線に走った。



 小屋に駆け込むと、紗華は隅に立て掛けてあったくわを手に取り、戸につっかえをした。

 そのまま二人で戸にもたれながら息を整える。

 足の裏を傷つけたのか、ジンジンと傷んだ。


(そういえば、裸足で出てきちゃった……)


 見つかる前にと、急いでいたから気が付かなかった。

 二つ目の門までは床も綺麗だったから違和感がなかったが、これ以上村の中を裸足で駆けずり回るのは無理だ。


(それにあんなのに追いかけられたら──)


 大きさも規格外だが、あの凶暴性は異常だ。

 この国はあんなのがいつも襲ってくるのだろうか。

 既にもう三度死にかけている。葵は身震いした。


(冗談じゃない!! こんなところ早く出たいのに──!!)


 けれど、どうやって帰ったらいいのだろう。

 ここが日本ではないとわかったのがついさっきだし、外へ出られたとしても路頭ろとうに迷うことになる。

 葵の脱走計画プランは全て崩壊してしまったのだ。


(まあ、計画プランという程でもなかったけど……)


 どっちにしても、帰る方法がわからなければどこへ行けばいいのかさえわからない。

 考え込んでいると、紗華さいかが葵に向き直った。


「ここから出ることは出来ませんよ」

「どうして!?」

「森は妖獣の餌場のようなもの。村をへだてる壁は高くてとても越えられない。それに門は特別な時以外は絶対に開きません」

「特別な時……?」

「巫女が下界の穢れをはらう為に、多くの兵を従えて下山します。その時だけ」


 なるほど、と葵は希望を抱いた。ならばそれにまぎれて脱出すればいい。

 葵はずいっと前のめりになって訊ねた。


「それ、いつ!?」


 だが紗華さいかは目を伏せ、首を振った。


「年に四度。けれどここ十年、水波盛は巫女に恵まれていませんから……」

「なら、私がその巫女として下山すれば、後は隙をついて────」


 いいえ、と紗華はやんわり否定した。


「嫁入りの儀式が先でしょう」

「嫁入り? なにそれ?」

「水神様に水巫女を捧げる儀式です。巫女を嫁がせることにより、水を浄化し、災蝕さいしょくを防ぐのです」

「……ごめん、よくわんない」


 なぜ嫁ぐことが天災を止めることに繋がるのか、水波盛ここの常識は理屈になっていない。

 それでも紗華は、馬鹿にするような素振りは一切なく、懇切丁寧に説明をした。


「巫女はその命と引き換えに、人々の穢れを祓い、災蝕をも止めるのです」

「ま、待って待って‼︎ なにそれ!?」


 思わず紗華に掴みかかった。


「命と引き換えって──!! 私、死ぬの!?」


 愕然がくぜんとする葵を見て、紗華は目を見張った。


「まさか……ご存知なかったのですか?」

「知らないよ!! いきなりこんな所に放り込まれたのに、そんなこと知るわけないじゃない!!」


 紗華は不思議そうに首を傾げた。


「葵様はおやしろで育ったのではないのですか?」

「まさか!! 水波盛みなもりなんて全然聞いた事ないし、あんなバケモノだって見た事もないもの!!」

「では何故なにゆえこの国に?」

「わ、わかんない。でも井戸に落ちたところまでは覚えてる。それから気を失って、目が覚めたら本殿に居て……そしたら急に、水巫女みずみこだの災蝕さいしょくを止めろだの言われて、本当わけわかんなくて……」

「井戸? そんなところからどうやって……」


 葵は紗華さいかの両肩をがしっと掴むと、食い入るように見つめた。


「とにかく私は、ずっと遠くの国から事故で流されてきたの!!」


 紗華さいかは難しい顔をして聞いていたが、すぐに葵に笑顔を向けた。


「わかりました。信じます」

「ほ、本当!? そんなすんなり?」


 紗華さいかは、はい、と頷く。


「通常、水巫女達は赤子あかごのうちにやしろへ流れ着き、物心が着いた頃より巫女としての教育が成されます。でなくとも、下界げかいの民ですら知っている基本的なことをご存知ない──。であれば、異国から来たと考えてもおかしくはないかと……」


 なんて話のわかる人なんだろう、と感心していると、紗華は恥ずかしそうに頬を染めた。


「……というのは建前で、正直に申し上げますと、難しいことはよくわからないのです。けれど、葵様がそうおっしゃるなら、きっとそうなのでしょう」


 じーん、と熱いものが胸に込み上げる。

 こんなありえない話を手放しで信じてくれたのだ。


「──ありがとう!! 紗華さん!!」

 

 嬉しさのあまり、思わず紗華に抱きついた。

 紗華は動揺していたが、遠慮がちに背中を優しく叩いてくれた。

 弱った心に優しさがみて、涙が出た。


「葵様? 大丈夫ですか?」


 急いで紗華から離れた。

 血で濁った川に落ちたせいで赤黒くそまった着物に目を落とす。

 血生臭ちなまぐさい匂いで、妖獣が喰い散らかした死体の光景を思い出し、また気分が悪くなった。

 こんなひどい状態でくっ付いたら、紗華の着物にも汚れや匂いを移してしまう。


「抱きついたりしてごめんなさい、汚れてるのに……」

「決してそんなことは! その、私のほうこそ……」


 紗華は恥ずかしそうに着物のすそを引っ張った。

 今の今まで気が付かなかったが、紗華もまた裸足だった。葵と違って足裏が無傷なのは、ずっとその状態で過ごしてきたのだろう。それに同じ年代の少女達よりもかなり痩せていて、彼女の生活が相当困窮しているのが分かる。


(本殿の人達はあんなに裕福なのに……)


 身分でこんなにも格差があるなんて、水波盛ここはいい国とは言えない。

 葵はいたたまれない気持ちで目を伏せた。


「巫女のお役目を逃れたいですか?」


 紗華が俯いたまま、ぽつりと言った。

 葵の気持ちは決まっている。


「そんなの、死にたくないに決まってるじゃない!!」

「どうしても?」

「当たり前でしょう!!」

「それは……他者を犠牲にしてでもですか?」

「犠牲って、そんな大袈裟な──」


 紗華の目は真剣だった。

 葵も負けじと見つめ返し、強く言い放った。


「そうよ!!」


 紗華は目を伏せ、「……わかりました」と呟いた。


「もしかして逃げ道があるの?」


 紗華さいかは首を振った。


「ただ、儀式を逃れる方法がない訳ではありません」

「ほ、本当!?」

「ええ。視憶しおく能力ちからを捨てれば良いのです」

「────視憶これなくせるの!?」


 願ってもない話に、葵の心に希望の光が差した。

 人柱を逃れられるうえに、長年葵を苦しめてきたかせを外せるのなら、まさに一石二鳥ではないか。


「ええ。……でも、視憶しおくを捨てるということは、水巫女の資格を捨てることにもなります」

「こんなものいらない!! お願い、教えて!!」


 手を合わせて懇願こんがんする葵に、紗華は眉尻を下げた。

 それから覚悟を決めたように葵を見た。


「葵様、これはあくまで最後の手段だということを。きもめいじてくださいませ」

「う、うん……」


 葵の喉がゴクリと鳴る。

 紗華は、そっと耳打ちをした。

 そのを聞いた途端、葵の顔は茹でダコのように真っ赤になった。


「それで、水巫女ではなくなります」

「む、無理だよ!! 無理無理!!」


 考えただけで顔が熱くなる。

 紗華は神妙な面持ちで声を落とした。


「けれど、これは賭けです。下手をすれば、死罪になるやもしれません……」

「──死罪!?」


 葵が声を張り上げたので、紗華は慌てて「しー!」と、口の前で人差し指を立てた。

 バクバクと鳴る胸に手を当てながら、ごめん、と謝ると、声をおさえて話を進める。


「でも死罪って……! あんまりじゃない!?」


 紗華は真剣な眼差しで言い聞かせた。


「いいえ、決して。ですから────」


 紗華は再び耳打ちをした。

 その内容のひどさに、葵は思わずどん引きした。

 とても紗華の発想とは思えない。


「そんな、そんなことしたら……」


 動揺している葵に、紗華は念を押す。

 その緊迫した声色で、葵は自分の置かれた状況が、考えていた以上に深刻であることを思い知った。


「決して良い方法ではありません。運良く生き延びたとしても、死ぬより辛い運命を強いられるかもしれません。……他人を踏台ふみだいにするということは、そういう事です」


 葵は静かにうなずいた。

 覚悟を決めたわけではない。けれど、いつかは選ばなければならないだろう。


「それでも、どうしても親に会いたいのなら、まずは生き延びること。生きてさえいれば、いつか────」


 小屋の戸板が乱暴な音をたてた。外に何かがいる。

 葵と紗華は後退りし、警戒しながらくわでつっかえをした戸を見守る。


(妖獣か、兵か────)


 葵の頭の中に白い影がさした。

 とてつもなく嫌な予感がする。


「あの、失礼を承知でお訊ねしますが……お付きのおくり子様は……?」


 紗華さいかは不安気な表情かおしている。

 いくら言動が大人びていても、怖いのは彼女も同じなのだろう。


「おくり子? リンっていうやつのこと?」


 紗華の顔がみるみるうちに青ざめていく。

 関わりたくないという気持ちはよく分かる。貧困層を放置しているような王族、嫌われて当然だ。


 もう一度派手な音がして、戸板が破られた。

 立っていたのは予想通りの人物だが、全身が赤黒くにごっていて、真っ白な部分は残されていない。村中むらじゅう駆けずり回ったのか、ひどく息切れもしている。

 リンは葵を見るなり、青筋を浮かべてズカズカ近づいてきた。

 息切れは怒りのせいかもしれない。


「────い、嫌!!」


 恐ろしくなって後退すると、紗華が葵の前に割って入った。

 紗華のまさかの行動に、葵は目を見張った。

 庇ってくれたのだ。


「──ご、ご無礼を承知で、も、申し上げます……」


 紗華の肩が、声が、ひどく震えている。

 無理もない、お上にたてつくということがどういうことか、想像するまでもない。

 リンが明らかに不快そうな表情かおをした。


「頭が高い」


 たった一言、リンが言い放った。

 紗華はすぐにひざまずこうと屈んだ瞬間、その横面を平手でぶった。痛々しい音が、小屋の外にまで響く勢いで鳴った。

 紗華は踏ん張る事も許されず、横へ倒れた。


咎人とがびとが口をはさむな」


 葵は手が震えているのに気がついた。既に恐怖はなかった。新たに湧き出た感情が恐怖をのみ込んで、別のものへと変えてしまった。

 憎悪だ。怒りで体が震えるのは初めてだった。


「何すんのよ!!」


 怒り任せにリンの体を殴りつけるが、華奢な見た目に反して硬い身体はビクともしない。


が口をきくなど、斬り捨てても文句は言えまい」


(……罪人? 誰が?)


 

 葵は倒れたままの紗華を見た。


 紗華が罪人? こんなに優しい人が? 身をていして助かる方法を教えてくれて、たった今も庇ってくれたのに?


「そんなはずない!! どうせあんた達が理不尽に罪を擦り付けたんだ!!」


 リンを睨んで、強く否定した。


貧民街ここに住む奴は皆、何らかの罪を侵している。その女も例外ではない」

「仮にそうだとしても、どうせ些細ささいな──」

「そいつは人を殺した」


 その言葉に葵は少しだけ動揺した。

 それを見抜いてか、リンが追い討ちをかけるように付け加える。


「それも、一人や二人ではない」


 信じたわけではない。信じるはずもないが、葵は確認するように紗華を見た。

 赤く腫れ上がった頬を抑え、涙をこぼしている。

 紗華が首を横に振れば、強く抗議してやろうと思っていた。

 しかし、紗華は唇を噛み、葵から目を逸らした。


(そんな……そんなはずない!!)


 葵は頭の中で必死に紗華を擁護ようごするが、胸の内では疑心暗鬼になっていた。


「……きっと、事情があったんだ。──そうだ、事故かなにかで……」

「もう過ぎたこと。今更掘り返すこともなかろう」


 リンはピシャリと切り捨てると、葵の腕を引く。

 咄嗟とっさに両脚を踏ん張って抵抗した。


「嫌!! 戻らない!! 絶対に戻らな────っ!!」


 急に息が出来なくなった。

 溝落みぞおちに激痛が走り、殴られたのだと知ったが、考える間もなくそのまま意識を手放した。

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