第7話 水巫女

 それからリンは、何かを迷ったように少し間を置いてから、意を決したように葵を見つめた。


「どちらにせよ、水巫女みずみこのお前にはやってもらう事がある」

「……水巫女?」


 そこからか、という顔をされた。リンが考えていることを表情かおに出したのは初めてだ。


「水巫女には役目が二つある。一つは他者のけがれをはらうこと。そしてもう一つが、国に迫り来る〝災蝕さいしょく〟を止めること。お前がやるのは後者だ」

「さいしょく? ……よくわかんないんですけど?」

災蝕さいしょくが起こると、疫病えきびょう蔓延まんえんし、多くの犠牲が出る。いわば天災てんさいだ。災蝕さいしょくを止められるのは水巫女みずみこだけだ」

「そんな……そんな……」


 そんなファンタジーな話があるか!と、突っ込んでもいいのだろうか。

 いや、それよりも、この男が言っていることはつまり──。


「それって帰す気がない──」


 どこからか、轟音ごうおんが鳴り響き、地が大きく揺れた。余震で家財がガタガタと音を立てる。


「じ、地震!?」

「間隔が短い……次の災蝕さいしょくが近い」


 リンは神妙な面持ちでそらを仰いだ。

 災蝕さいしょくと聞いてもいまいちピンと来ないが、ここが山で、地震の間隔が短くなってきているということは、まさか火山が噴火する前兆なのではないだろうか。疫病えきびょうが火山灰による気管支炎や喘息のことを指しているとすれば、辻褄つじつまも合う。ならば、このやしろが一番危ない。

 葵は焦って、リンに掴みかかった。


「火山じゃないの!? みんな逃げなきゃ!!」


 葵の真っ青な顔を見るなり、リンは小さく鼻を鳴らした。


水波盛みなもりに火山はない」

「え……そ、そうなんですか?」

「どうやら本当に水波盛我が国の者ではないらしい」


 至って常識的な事を言っただけなのに、呆れたように言われて不服に思う。

 だとしたら災蝕さいしょくとは何なのか、ますます理解に苦しむが、どちらにしろ、ただの高校生である葵がどうこうできる問題ではない。

 妙な事態じたいに巻き込まれる前に、おいとまするべきだ。

 そう決心した葵は、すっと立ち上がり、二人に向き直った。


「とにかく勘違いですので! 私、水巫女みずみこってやつじゃないので!! すみませんが帰ります!! 大変お世話になりました!!」

「待て」


 深々と頭を下げて退散しようとしたところを、首根っこを掴まれ、引き戻された。

 「グエッ」と女子校生らしからぬ声を出して、尻もちをつく。


(────雑っ!! 扱い雑っ!!)


 首をさすりながらリンを睨むが、謝るどころか少しも気にした様子もない。

 断言しよう。たとえ天地がひっくり返っても、この男の事は好きになれない。


「お前は洗礼の川を登ってきた。うなじのしるし水巫女みずみこである何よりの証拠」

「これは生まれつきで──!」

「幻覚のようなものが視えるだろう」


 葵は息を呑んだ。なぜそんな事を知っているのか、という事よりも、この男が〝かせ〟の正体を知っている事の方が気になった。


「巫女は他者に触れることで、その者の記憶を視ることが出来る。〝視憶しおく〟というものだ」

「〝視憶しおく〟……?」

「それはまるで、その者に成り代わったかのように視えると聞く。 水巫女みずみこだけが持つ特別な能力ちからだ」


 それがずっと自分の首を絞めていた〝枷〟の正体なのか。

 そんな変な能力ちからを持つのは自分だけだと思っていたが、水波盛ここでは珍しいものでもないらしい。葵以外にも、視憶しおくができる人がいるのだ。

 同じ苦悩を持つ人間がいるなら、是非会ってみたい。

 が、葵は頭を振ってその願望を振り払った。


「……いや、ないです! そんなもの!! 私はただ、早く家に帰りたいだけなんです! さっき送ってくれるって言いましたよね!?」


 リンの着物を掴んですがるように揺さぶると、リンは「おろかな……」と溜息混じりに呟いた。


「お前は全く事態を理解していない」

「はあ?」

「今は、身の安全だけを考えていればいい」

「だったら帰してください! 帰りたいんです!!」


 リンは袖を掴む葵の手を静かに払うと、さとすように言う。


水巫女みずみこ達の中にも、まれ親元おやもとへ帰りたがる者はいる。だが、皆必ずここへ戻ってくる」

「……なぜですか?」


 当たり前のことを聞くな、とでも言いたげな目を向けられる。


「捨て子に帰る家などなかろう」


 身に覚えのある言葉が葵の胸を突き刺す。

 リンは、わかっていたとでも言うように小さく息をつくと、葵に言い聞かせた。


「決して本殿からは出るな。外へ出る際は、必ず私に断りを入れるように。菊乃その者に言えば迎えに来よう。くれぐれも、単独での行動は控えることだ」

「そんな! それじゃあまるで──」

「勝手な行動は許さぬ。──よいな?」


 リンは葵のむなぐらを掴んで念を推すと、返事も聞かずに去っていった。

 人ひとりは殺してるんじゃないかと疑うくらいの眼光に、体が強ばる。完全に脅しである。


(やっぱりヤバい組織に拾われたんだ!!)


 葵はそう確信し、床に手を着いたまま俯いている菊乃を見やる。

 先程の菊乃の震えは尋常ではなかった。


(まさか菊乃さんも捕まってるとか?)


 菊乃はリンあいつと違って少しも危ない感じはないし、どこから見ても清楚でか弱い女性だ。きっと、あいつに脅されているに違いない。


(なら、一緒に逃げた方が……!)


 意を決して声をかけようとした時、菊乃が高揚こうようしたようにうっとりと呟いた。


「なんてみやびで優雅な御方おかた……」

「え゛っ……!?」


 菊乃は、赤く染めた頬を押さえながら夢見がちな目で、リンが去った方角を見つめている。

 あんなに雑な扱いを受けていたのに、しかも怖くて震えていたはずなのに、突然何を言い出したのか。


「で、でも……怖くないですか? あの人……」

「ええ、まあ……。されどわたくし、あのような冷たい目を向けられると、なんだか胸の奥の方がうずうずとうずくのです」

「嘘でしょ……」


(この人もヤバい……!!)


 あれは恐怖で震えていたわけではなかったのか。むしろ、あの状況下で悶絶もんぜつしていただなんて、図太いというか、なんというか……。

 菊乃に白い目を向けていると、「いやだ、巫女様まで……」と呟かれた。


(私までなんなの!?)


 けれどその後のことは、聞いてはいけない気がする。


「それにしても、さすが巫女様。神子様みわこさまと冷静にお話が出来るだなんて。わたくしにはとても……」

神子みわこ?」

水波盛国このくにおさめる神王様みわおうのご嫡男ちゃくなんでございます」

「へー……」


(つまり王様の息子か……ん?)


 驚きのあまり思わず声を張り上げた。


「ええっ!? 王子!? あれが!? 嘘でしょ!?」

「しー! 巫女様! 誰かに聞かれでもしたら──!!」

「ありえない!!」


 葵が想像する王子様は、白い歯をチラリと見せて爽やかに微笑わらうイケメンであって、決して女性を雑に扱ったりしない。あんな冷めた目で人を見たりしない。

 夜叉やしゃと言われた方が納得できる。


(でも、そもそもこの話自体が虚言なら関係ないか。うん、そうだ。きっとそう──)


 そう自分に言い聞かせていると、突然、腹の虫が大きな声で鳴いた。葵は咄嗟とっさにお腹を押える。

 顔がみるみる熱くなった。

 そういえば井戸に落ちたあの日、夕食を食べ損ねていた。あれからどのくらい眠っていたのだろう。


(こんな状況でもお腹は減るのか……)


 その音を聞くなり、菊乃が自分の失態を悔いるように、深々と頭を下げた。


「はっ! わたくしとしたことが! すぐにお食事をお持ち致します!」

「す、すみません……」


 菊乃は跳ねるようにして立ち上がると、慌ただしく去っていった。

 ひとり取り残された葵は、改めて居室を見回す。部屋は至って普通の和室で、必要最低限の家財道具は綺麗に整頓され、ホコリひとつない。


(制服、どこにあるんだろう? 携帯は落としちゃったんだっけ……)


 たとえ携帯を持っていたとしても、水没して使えないだろうけれど。

 ひと通りあちこち物色してはみるが、自分の持ち物は何一つ見当たらず、肩を落とす。


災蝕さいしょくって言ってたけど、あんな話ありえないよね。聞いたこともないし)


 あの二人と話していても噛み合わない事だらけだが、ここが日本であることは確かだ。言葉が通じているという事実が、何よりの証拠である。


(これ以上、変なことに巻き込まれる前に退散しよう!)


『捨て子に帰る家などなかろう』


 あの男の言っていたことが引っかかった。

 確かに、帰ったところで家に入れてもらえるかわからない。将来だって、どうなるのかもわからない。

 そう思うと、躊躇ちゅうちょした。


(だったら、このまま──)


 そう思いかけて、慌てて首を振った。

 余計なことを考えるな!と、自分に言い聞かせる。


(大丈夫!! きっと今頃、みんなが居なくなった私を心配してる!!)


 自分を奮い立たせる。


(逃げるんだ!! 今しかないんだから!!)


 当主とやらに礼も無しに出ていくのは後が怖そうだが、なりふり構ってはいられない。

 廊下に出た葵は、左右の廊下を交互に見た。

 菊乃は食事を取りに行ったのだから、右に行けば台所があるということか。従業員が集まっていたら人の目を盗んでいくのは難しい。それに菊乃はここに戻ってくる。その時に鉢合わせになってはいけない。


(じゃあ、左に行くしかないや)


 くれぐれもリンにだけは会わないようにしなければ。ドキドキしながら左へ歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る