第2話 枷

日河葵ひかわあおいにはある〝秘密ひみつ〟があった。


葵は物心がついた時から、ある種の幻覚げんかくに悩まされていた。

 他人に触れると、知らない映像が頭の中に流れ込んでくるのだ。最初は他のみんなも同じだと思っていたが、中学にあがる頃には自分だけがえているのだと気が付いた。

 以来、人には極力触れないようにしている。

 人によっては霊感だとか、第六感という言葉に当てはめられたりもするが、これがなかなかに厄介やっかいな〝かせ〟となってきた。


(これはきっと呪いだ)


 人と違うと孤立する。

 これまでの人生で、あおいが学んだことだ。



***



「まーたここに居たの?」


 ぴょこん、とナナが段差に飛び乗って振り返った。その仕草が小動物みたいでクスリと笑ってしまう。


「うん、あまり家にいたくないし」

「そっか……。ね、買い物行こうよ! 新しい服も欲しいし、付き合って」

「うん!」


 ナナは今どきの愛くるしい女子高生だが、他人の悩みに無粋に首を突っ込んだりせず、こちらが話したい時には、静かに耳を傾けてくれる。

 葵にとって、一緒に居ても肩の力を抜ける、唯一の友人だ。


「で、のぶくんに告んないの?」


 二人並んでコンクリートで舗装された大通りに出ると、ナナが核心をついた。こちらの行動パターンは読まれているらしい。

 葵は笑って誤魔化そうとしたが、当然、通用しない。


「さっさと言わないと、先越されちゃうよー?」

「で、でも……」


 ピシャリと言いきられてぐうの音も出ない。

 信人のぶとは近所に住む幼馴染で、その明るい性格から男女問わず人気がある。小・中と同じ学校だったが特別仲がいいわけでもなく、話した事もあまりなかったが、葵はずっと、密かに想いを寄せていた。それが顔に出ていたのか、すぐにナナに見抜かれ、それ以来早く告白しろ、とあおられる日々である。


「私なんかじゃ……」

「なんかってなによ?」

「だ、だって……」


 葵は自信なく目を伏せた。

 告白する気がないわけではない。しかし、自分にまとわり付く、気味の悪い〝かせ〟が、いつも葵を思いとどまらせた。

 これまで葵が必死に築き上げた人間関係を、この〝枷〟が片っ端から壊していった。


「はあ……。 グズグズしてると、のぶくん……とられちゃうよ?」


 呆れるように言うナナの表情かおは、うつむいているせいで見えない。


(気を悪くさせちゃったかな?)


 不安になって慌てて言い訳する。


「そのうち、きっと言うから!」

「そう言ってもう一ヶ月たってる」

「そ、そうだっけ?」

「そうですー!」


 額をツン、とつつかれた。大きなアーモンド形の目を細めて睨む顔が、怖いよりも可愛らしくて全く迫力がない。

 葵はほっとした。どうやら機嫌をそこねたわけでは無いらしい。

 ナナとは高校を卒業しても、ずっと友人関係を続けていきたい。


「明日こそ、学校でいいなよ? なんなら、あおちゃんが言いやすいように、私がお膳立ぜんだてしてあげる!」

「いや、それはちょっと……」

「だめだよ! そうでもしなきゃ、またうやむやにするんだから!」

「そ、そんなこと……。ほんと、いいから!余計なことしないでよ?」

「えーなんでよ!」


 まずい、と葵は焦る。ナナはやると言ったら本当に行動を起こす。


「ほんと、本当に勘弁してください!」

「えー……」


 それだけは!と必死に懇願こんがんすると、ナナは口を曲げて不満をあらわにしながらも、しぶしぶ頷いた。


(あ、あぶな……)


 葵はまだバクバクしている心臓を落ち着かせていると、今度は悪巧わるだくみを含んだような笑顔を貼り付けて、葵を見上げた。

 ナナがこの表情かおをする時は、決まって何かをねだる。


「じゃ、買い物付き合って?」

「良いけど……」


 〝じゃあ〟って何だ、と身の内でつっこみながら、数駅離れた街にあるショッピングモールへと足を向けるのだった。



***



 自宅の前で深呼吸をする。


 ナナとの買い物が楽しくて浮かれていた気分は一転、自分の家を見た途端に気が重くなる。そんな家なんか、家と呼んでいいものかはなはだ疑問だが、いつまでもここで突っ立っているわけにもいかない。

 意を決して、ドアノブに手をかけた。


 家の中はあかりがついておらず、誰もいないことに胸を撫で下ろす。

 台所で夕飯を作ろうと、居間の電気を付けると、ダイニングの椅子に人が座っていて、葵は声をあげずに驚いた。

 義母ははだった。テーブルに肘を着いたまま動かない。


「お、かあさん……? 暗いから居ないかと思った……」


 腫れ物に触れるように声をかけたが、葵の顔を見ようとしない。

 義母ははが不機嫌な時は大抵たいてい義父ちちの事で何か問題があった時だ。


「……随分、遅いじゃないの」

「あ、ナナと遊んでたの」

「良かったじゃない、楽しそうで」

「う、うん……」

「私はから、楽しい事なんて一度もないけどね」

「……」


 どう答えても、地雷を逃れることは出来ないらしい。葵は黙りこくった。

 〝あの時〟の事を持ち出されると何も言えなくなってしまう。


「お父さんは? 今日も帰ってこないの?」

「いつものことでしょう。またあの女のところよ」


 義父ちちには愛人がいる。葵がこの家に引き取られるずっと何年も前から。


「あんたの卒業まで……」

「……え?」

「離婚はそれからって決めてあるの」


 それは初耳だった。


「本当は中学まででも良かったんだけど、娘が高校を出ないだなんて恥ずかしいでしょう。ご近所はアンタが養子ようしだなんて知らないんだし」

「……うん」

「いい? 卒業したら、県外で就職先を見つけるのよ。私達も引っ越すから」

「えっ? そんなの、聞いてない!」

「言ってなかったもの」


 平然と言う母は相変わらずこちらを見ようとしない。


「全員ここを出ていくの。あの人は女と一緒になるだろうし、私は実家に帰るけど、アンタの面倒見る余裕もないしね。高校行かせてあげただけ、ありがたいと思いなさい」

「そんな! そんなこと急に言われても……!」

きゅう? 学校の進路相談だってまだ先でしょうに」

「それは──!」

「っるさい! 私が何年我慢してきたと思う!? アンタの為にどれだけの人生を犠牲してきたと!!」


 落ち着いた口調だったが、急に声を張り上げたので、葵はビクッと肩を揺らした。


「あんたじゃない!! 全部、あんたがぶち壊したのよ!? に──!!」


 ようやく義母ははは葵と目を合わせたが、その場に頭を抱えて泣き崩れてしまった。あの時からずっと、養父母りょうしんに向けられる目はこのたぐいのものだ。

 葵はまた何も言えなくなった。

 この状態の義母ははには、何を言っても火に油を注ぐ結果になることを、葵は長年の経験で知っていた。しばらくそっとしておくのが一番マシな対処法たいおうだ。

 葵は自分の部屋に向かおうと、静かに身をひるがえした。


養子あんたなんかとるんじゃなかった!! とんだ貧乏くじよ!!」


 背中に母親の捨て台詞が浴びせられたが、溢れそうな感情をグッと押し戻すので精一杯だった。



***



 葵がこの家に引き取られたのは、まだ赤ん坊の時だった。

 両親は近所でも有名なおしどり夫婦で、実子じっしのように可愛がってくれて、葵も本当の両親だと疑わなかった。


 初めて幻覚をたのは、葵が四歳の時だった。幼稚園の帰りに、母と手をつないだ瞬間、頭の中に映像が流れ込んできた。まるで、一人称視点の映画を見ているようだった。

 最初に見たのは、両親が葵を引き取った日のもので、幼い葵は見たまんまを口にした。


「わたし、ママの子じゃないの?」


 その瞬間、母親がぎょっと目をいたのを覚えている。

 しかし、その時見た映像から感じたのはあふれんばかりの幸福感で、同調するように葵の心は満たされていた。そのおかげで、幼いながらに養子の事実を知っても、少しもショックはなかった。だからその時は、両親が神妙な面持ちで、本当の子供だと思っていること、どんなに愛しているかを、じっくり言い聞かせるのが不思議でならなかった。

 なぜ養子縁組そんな事を知っているのか、不思議がる両親に問われても、「見たから」としか答えられなかった。

 その時に感じた幸福感で、葵はが視えるのは〝良いこと〟であるとすっかり思い込んでいた。


 だが、その能力ちからは〝枷〟なのだと、すぐに思い知らされる。


 それは両親と動物園でカンガルーの親子を見ていた時の事。義父ぎふに肩車をしてもらった拍子ひょうしに、頭の中に流れ込んだのは、赤ん坊を抱く綺麗な女の人。

 実はその光景えいぞうは、前々から何度も見ていたものだった。

 映像の女の人は愛おしい目で赤ん坊を見ていて、その隣には義父ぎふが笑顔で寄り添っている。

 それは絶対に〝良いこと〟に違いないと思った葵は、やはり見たまんまを訊ねてしまったのだ。


「赤ちゃんにはいつ会えるの?」


 義母ははがすまなそうに視線を落とす意味を、その頃の葵は察する事ができなかった。

 父は僅かに目を泳がせたが、しゃがんで葵に視線を合わせると優しく笑った。


「葵は姉弟が欲しいのかい? やっぱり一人じゃ寂しいよな」


 葵は首を横に振った。


「違うよ。知らない女の人が、赤ちゃんをもってるの。パパはもう会ってるでしょ?」


 開いた口が塞がらない父と、目を見張る母。

 誰もが羨む幸せな家庭が崩壊するは、ほんの一瞬だった。



 この家では、誰も笑わなくなってしまった。

 そしてその原因を作ったのは、紛れもなく自分なのだ。


 葵は自室にこもるなり、明かりもつけずに鞄をベッドに放り投げ、その横に腰掛けた。

 投げた勢いで鞄から携帯電話が飛び出した。


 わかっている。いつかは自立しなければならない。けれど突き付けられたのは、想像していたかたちとは違いすぎて、不安でたまらない。将来のことを考えても、路頭に迷っている自分の姿しか浮かんでこなかった。


(最悪……)


 人生で二度も捨てられるなんて、こんな酷い話があるだろうか。悲しみを通り越して、沸々と憤りが沸いて出る。それを抑え込むように両膝をぎゅっと抱え、顔を填めた。

 目を瞑ると、現実から自分を遮断できる気がした。


(──あの時、黙っていたらこんな事にはなかったのかな?)


 今更考えたってどうしようもないが、そう考えずにはいられない。


(こんな気味の悪いモノ、私だって欲しくなかったのに)


 携帯のバイブレーションが鳴る。

 画面にはナナからのメッセージが届いていたが、今は見る気にはなれなかった。

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