第8話 門外
建物の外側に沿って
最初は人が通る前に物陰に身を隠していたが、素人の隠密行動は長く続くはずもなかった。しかしすれ違う下女達は、葵の姿を見ると
本殿をうろつくくらいなら問題ないということだろうか。
(あの人、
しばらくすると、廻廊が二股に別れたので、葵は足を止めた。片方は建物に沿っていて、もう一方は人が立ち入れないよう、鎖で遮られている。その先は霧が濃くてうっすらとしか見えないが、かなり
お化け屋敷のように気味が悪いのに、その奥に何があるのだろう、と好奇心が疼いた。
(でも橋もないし、出口には繋がって無さそう)
ただの廃墟かもしれないが、禁じられると、それを破りたくなるのは人の
好奇心が葵を誘惑する。
(いやいや、寄り道してる場合じゃない!)
一歩踏み出したところで、葵は首を振った。
早く出口を探さなければ、と早足で建物に沿った道をひたすらゆくのだった。
ようやく見えた
「出口だ!!」
しかし、巨大な楼門の扉は閉ざされている。
扉には波と花のような模様が描かれていて、その両脇には
すぐに訪れた試練の壁に、葵は肩を落とした。
(外は目の前だってのに!!)
ここまで来て諦めるわけにはいかない。なんとかしてあそこを通らなければ。
下女のフリして、買い出しとかなんとか理由をつければ通れないだろうか。
葵は意を決して門へと歩いた。
「む? そこの娘!」
「はひっ!?」
葵の姿を見るなり、門番の一人が声をかけてきた。色黒の屈強な男で、額に傷がある。
「貴様……そんな格好で何をしている!?」
「え? 格好……おかしいですか?」
「そりゃあ昼間に寝間着で
(え゛!? これパジャマだったの!?)
よく見れば菊乃が着ていた着物とは少し帯の形が違う。締め付け感もないし、割と動きやすいとは思ってはいたが……。
だからすれ違う人達みんなが二度見していたのか。
確かに怪しいことこの上ない。
考えていた言い訳も通用しなくなってしまった。
(さっそく
門番の男は
葵の背中を冷や汗が伝った。
「どうした、女?」
葵はできるだけ平静を装いながら、なんとか誤魔化そうと言葉を選んでいると、もう一人のつり目の男が口を挟んだ。
「おい、この女アレじゃないのか?」
「アレ?……ああ」
(────ヤバい!! バレた!?)
男達は互いに顔を見合わせると、意味ありげにニタリと笑った。
「お前、
「……は?」
一瞬、思考が停止する。
それから言われた単語の意味を考えたが、男達の葵を舐め回すように見る視線で、
「違うのか?」
色黒の方の男が眉をひそめたので、葵は慌てて肯定した。
「違わないです!!
男達は、さも面白いものを見つけたという顔をした。
今まで感じたことのない程の羞恥心が葵を襲う。
しかしそれで門を通してくれるなら、乗っかるしかない。
(──
こんな状況だというのに、つまらないギャグを考えてしまった自分を情けなく思っていると、男達は声を潜めて葵に詰め寄った。
「おい! 相手は誰だ?」
「口外せぬから教えろ!」
どこの組織でもスキャンダルには興味津々らしい。
しかし、この質問には非常に苦しいものがある。
本殿ではなぜか女性にしか会わなかったし、唯一知っている男といえば、
あんなのでも仮にも王子。そんな立場の人間のデマを流してもいいものなのか、葵は少し気が引けた。というより、後が怖そうで怖気付いたのだ。
「そ、それは……ちょっと……」
「よいよい。通いの女はお主だけではない」
「よもや顔見知りの者もおるくらい。今更隠すこともなかろう」
何としてでも聞き出そうという圧力がかかる。これは言うまで門を開ける気はなさそうだ。
焦った葵は、やけくそになった。
無事家に帰れたら、もう二度と会うこともないだろう。
「り、リン様です!!」
「──なっ!?」
「ま、まさか……!?」
男達は絶句した。つり目の男は殆ど閉じているような目を真ん丸に見開いている。
「──ま、
「もういいですか!? 早くそこを通してください!!」
「……まさか……み、
二人共、小刻みに震え出した。口元が緩んでいる。
「──いやはや、隙のない
「あの方とて、所詮男というわけだ」
「いや、わしはむしろ安心した」
「プッ、止めぬかお主!……して、なぜ寝間着のままなのだ?」
滅多にお目にかかれないご馳走を前にした獣のように、二人はうぬうぬと葵に詰め寄ってくる。
まだ詮索するのか、と葵はうんざりした。
「いや……着替えがなかったから……」
実際、制服が見つからなかったのだから仕方がない。
が、男達はなぜか盛大に噴き出した。
「ぶっはははっ!!……わ、若いの……!!」
「これは良い酒の
なにか、とんでもない誤解をされているのが分かったが、訂正出来ないのが辛い。
穴があったら入りたい。けれど、とにかくここさえ突破できれば逃げられるのだから、と自分を抑える。
「あの!! 早く門を開けてください!!」
葵が急かすと、大柄な方の男が「すまんすまん」と、二階で様子を伺っている仲間に合図をした。
重々しい音を鳴らしながらゆっくりと門が開くと、辺り一面がロータリーのようになっていた。とてつもなく広いのに、今は人っ子一人いない。
葵が踏み出すと、後ろで門が閉まる音がした。
完全に閉まる直前──、
「つい笑っちまったけど大丈夫かな? 神子様のお手つきだろ?」
「どうせお気に召さなかったんだろ。でなきゃ着物くらい新しいのをくれてやるって」
「それもそうだの」
という会話が聞こえて、葵はなんだか死にたくなった。
(────けど、難所を越えられたんだ!)
気を取り直して辺りを見回す。
遠くの方で、威嚇するような男達の声がする。広場を挟むように、背の高いお屋敷が幾つも並んでいて、米粒程度に人が動いているのが見えた。
声に混じって、バチンバチン、と激しい物音もする。
(……剣道の道場かな?)
剣道部の竹刀がぶつかり合う音に似ている。
ここの住人は主に武人達で、普段は建物の中に引き篭って稽古をしているのだろうか。
小走りで先へ進んでいくと、二つ目の楼門が見えてきた。
当然門番もいたが、適当に「
ということは、
門の先には巨大な村が広がっていた。
家と家の間には、道のかわりに川が網目のように流れ、人々はその間を小舟や橋で移動している。小舟に根菜を詰んで売っている者や、数種類の魚を売っている者は民家の前で威勢よく声を張り上げ、その中には年端もいかない子供ですら、大人顔負けに商売に勤しんでいる。
中心部より外れに見える黄金の草原は、稲が立派に育った田園だ。
とても同じ日本だとは思えない。まるで巨大な映画のセット、いや、本当にファンタジーの世界に迷い込んだかのようだ。
「わあ……すごい……」
思わず出た声はため息混じりで、賑やかな声に掻き消された。しばらく見物しながら細い橋を渡り歩いていたが、はっと、本来の目的を思い出す。
(そうだ、逃げないと!!)
景色に圧倒されて、すっかり頭から抜けていた。
葵が捕まっている
「あの、この村から出るにはどう行けばいいんですか?」
「はあ? バカ言ってんじゃないよ。からかってんのかい?」
「ち、違います。家に帰りたいけど、道がわかないんです」
「家って……まさか、下界からきたとでも言う気かい?」
「下界……? 村の外のことですか?」
「村の外は森。森を抜けた先が下界さ。当たり前だろう?」
まただ。また話が噛み合わない。
けれど、この村から出るには、その下界とやらに行く必要があるようだ。
女は眉を寄せながら「変な
「じゃあ、その下界? には、どう行ったらいいんですか?」
「アンタ、何言ってんだい? 正気じゃないだろうね?」
とんでもない、というように女は首を振った。
「でも、
「アンタね……。森は妖獣がうじゃうじゃいるし、一度入ったらとても生きては出られないよ。剣士でもない限りね」
「妖獣? 熊とか狼じゃなくて?」
「そんな可愛いもんじゃないよ。……アンタ、どこの娘さんだい? 見たところ育ちも良さそうだけど。高そうな
「これは、その……、あ、ありがとうございました!」
葵は礼を言うと、足早に立ち去った。
本殿から来ただなんてバレたら、また厄介なことになりそうだ。
少し距離を離れてから、別の人に同じ事を聞いてみたが、森には妖獣が住みついていて危険だと、同じ答えが返ってきた。そしてまた歩き、同じ質問をするが、やはり答えは一緒だった。
(妖獣? そんなのいるわけないじゃん!)
来た方向を背にして、できるだけ真っ直ぐに進んでいくと、やがて建物の間を流れる川の幅が広がっていき、簡素な民家が建ち並ぶ通りに出た。
民家といっても、壁には隙間が目立ち、ボロ小屋と言った方がしっくりくる。
すっかり活気は薄れてしまってはいるが、人はそれなりにいるようだ。ただ、着ているものは継ぎ接ぎだらけで、いかにも貧乏臭を漂わせている。
(な、なるほど……)
一通り見てきた葵なりの解釈ではこうだ。
どうやら本殿が一番格式が高く、その次に武人達、村の内側は平民で、外側にいくにつれて物価も身分も下がっていく、ということだろう。
(これが、同じ日本……?)
葵はここに来てようやく、現実を受け入れ始めた。
先進国である日本に、身分制度があるわけがない。
それに水上に建っている村だなんて、世界的にも話題になりそうなのに聞いたこともない。
「だったら……ここはどこなの?」
本当に帰れないかもしれない、という絶望が押し寄せる。
愕然としていると、葵の足下を黒いものが通り過ぎた。
────影だ。それもかなり大きい。
それがいくつもいくつも通っていくので、不思議に思って空を見上げようとした時、中心部の方から裂くような悲鳴が上がった。
間髪入れず、崩壊音が鳴り響く。
あまりの爆音に、爆弾でも投げ込まれたのかと思った。
驚いて声の方を見やると、民家の屋根の上を何かが飛び回っている。
(……鳥?)
かなり大きい。それも家一軒分くらいはある。
脳の処理が追いつかずにいると、すぐ目の前の家が急に崩壊し、葵は爆風で後ろにふっ飛び、川に落ちた。
慌てて水面から顔を出して息を吸い込んだ。顔を両手で雑に拭って目を開けると、崩壊した建物の上に
その獣は両翼を広げ、甲高い声で鳴いた。
「妖獣だ!!!!」
どこからか上がった誰かの叫び声で、その獣が何であるかを、葵は初めて知ったのだ。
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