第15話 出生

 書庫は三階の東側に位置する、比較的小さめな部屋だった。棚には本や巻物が隙間なく埋められ、ほのかにすみの匂いがする。

 リンはすでに、台の上にいくつか巻物を広げて待機していた。

 余程染めたくないのか、髪は白いままだ。


(……反抗期か?)


 惲薊うんけいだけにはしたっているように見えたが……。


「済んだか?」

「うん、まあだいたい。……じゃあ、あとは頼んだよ」


 ニシキは葵と目が合うと、ぱちんっと片目をとじた。

 すぐには何のことかわからなかったが、〝鬼退治〟の件を思い出した。


(限りなく無理だわ)


 そんなこと、頼まれても困る。

 そんな葵の気も知らず、ニシキは軽い足取りで去っていった。


 複雑な気持ちで窓の外を見やると、境内けいだいを一望できるくらい見晴らしが良く、楼門ろうもんが景色のメインを飾っている。


(────バレるわけだ……)


 いや、考えてみれば、最初はなから見越して監視かんししていたのかもしれない。

 腹黒いリンのことだ、きっとそうに違いない。


「学生なんだろ? 字は読めるか?」


 リンは手元の巻物の一つを葵に向けた。


「そりゃあ、字くらい────何語!?」


 言いながら巻物を覗き込むと、和紙に達筆な字がみっちりと書かれていた。

 達筆だから読めないのではない。ひらがなでも漢字でもない、ましてや英語でもない。全く見たことも無い文字がズラズラと連なっている。


「お前……学生とは名ばかりで、実のところサボってたろ?」

「いやいやいや!! ちゃんと通ってました!! 優等生でした!!」

「……」

「なにその目!? 本当だから!!」


 じとー、という擬音ぎおんが聞こえてきそうな眼を向けられ、葵は強く抗議した。


(言葉は通じるのに、文字が違うなんて……!!)


 そうだった、と思い直す。

 ここでは常識が通用しないのだ。

 嫌というほど目の当たりにしてきたのに、修正すべき常識のズレがまだあるのかと思うと、うんざりする。


(もう勘弁して欲しい……!)


 身のうちで滂沱ぼうだの涙を流しながら、文字を追っていくと、花の絵が出てきた。


「これ……!!」


 葵の首の後ろにある痕と似ている。


「このしょにはお前のことが書かれている」


 葵は少なくとも興奮していた。

 初めて、自分の出生について触れた瞬間だった。


「これは十七年前に下界の役所へ届けられたもの。忌み子を川へ流す前に、親は役所に申請する。それが各分社ぶんしゃへ届けられる」

やしろって、ここだけじゃないの?」

「ここは本宮ほんぐうだ。分社ぶんしゃは七つある」


 そんなに大きな組織だったのか、と葵は改めて驚いた。

 そういえば、ニシキが兄弟は他にもいると言っていた。おそらくその兄弟たちは分社にいるのだろう。


「母親はお前たち双子を生んだ後、すでに他界しているらしい」

「……わ、私を生んだせい?」


 昔は出産で死ぬ確率が高かったと、学校の授業で聞いたことがある。ましてや双子であれば、その確率はぐんと上がるだろう。水波盛もそれにあてはまりそうだ。

 しかし、すぐにリンが否定した。


「いや、やまいと書いてある」

「病気? なんの?」

けがれが発症したらしい」


 水波盛みなもりにきてから、幾度いくどとなく聞いた言葉だ。

 ────死ぬほどの重い疫病えきびょう

 葵にはその実態はわからないが、もしかしたら知っている病気のことかもしれない。


「その〝けがれ〟って、なんなの?」

「誰もが、身の内にたねを持っている。その種が、災蝕さいしょくによって芽吹き、身体をむしばんでいく」

「う、うーん……よくわかんない」

「見た方が早いが、本殿には病にかかった者はいない。下界は特に被害が広がっている」

「そんなに怖い病気なんだ……」


 つまり自分は、母親の命を奪ったやまいをこれ以上増やさないために犠牲となるのか。

 そう思うと、ほんの少しだけ責任の重さがわかるような気もする。


(それでも死ぬのは嫌なんだけど……)


「父親の方は今も健在らしい」

「そうなの!? じゃあ、お父さんがどこにいるかもわかるってこと?」

「まあ……」


 リンの歯切れが悪くなった。


「どこ?」

「知る必要はない」

「なんで!? 教えてくれるって言ったじゃん!!」

「お前、会いにいく気満々だろ」

「そんなことはござらんよ……!!」


 尋常じんもんのような視線に、キリッとした顔で対抗していると、リンがため息をついた。


「親が恋しいのはわかるが────」

「別に恋しくはない」

「……なら、なぜ?」

「いや、なんていうか……しきたりとかおきてだとしても、そんなすんなり捨てられるものなのかなって……」


 しんみりと言った気はなかったのだが、お互いなんとなく黙りこくった。


 本音を言えば、どんなつらをしているのかくらい見てやりたい。それに、急に捨てた子供が目の前に現れたらどんな表情かおをするだろう。

 泣いて謝ったって許してやらない。


 そんな意地悪心から言っただけだったが、思いのほか言葉に悲壮感ひそうかんただよってしまっただけである。


「……なにか────」


 先に口を開いたのは、意外にもリンだった。


「────やむを得ない事情もあったことだろう。下界は混乱していると聞く。はかり知れぬ苦労もあろう……」


 リンは苦虫を噛み潰したような、妙な顔をしていた。

 まさか、と葵は驚く。


「────もしかして……それ、なぐさめてる?」


 リンは仏頂面で首を振った。


(ふーん……?)


 だんだんわかってきた気がする。たぶん、リンこいつも嘘がつけないタイプだ。

 思い返してみれば、リンは言葉を伏せることはあっても嘘をついたことはなかった。多くを語らないのは、そういうことなのかもしれない。

 とはいえ、さんざん雑な扱いをしてきたくせに、急にらしくもない気遣いをされると、逆に怖いものがある。


「私のこと殺すくせに……」

「────役目だからな」

「巫女を守るって言ってなかった?」

「おくり子というのは────」


 リンは一呼吸おくと、について簡潔に説明した。


「儀式の日まで巫女を護り、その命を絶つまで役目は終わらない」


 葵は血の気が引くのを感じた。

 初めて会った時に言われたことを思い出し、今になってようやく意味を理解した。


って────そういうことだったの!?」


 ちっとも家に帰してくれないと思っていたけれど、そっちの意味の〝おくる〟だったとは……。

 リンは呆れたようにため息をついた。


「今までで役目の期間が最短なのに、お前がいちばん面倒だった」

「私だって殴られたのは初めてだっての!! 謝れ!!」

「断る」

「はあ!? 謝ってよ!!」

「嫌だ」


 リンはそっぽを向いた。


「ああでもしなけりゃ、大人しく引き返さなかっただろう。やむを得ずだ。────ま、川に落ちていなければ、まだマシな連れ戻し方ができたやもしれぬが……」

「やっぱわざとじゃん!! マジありえない!!」


 こんな奴に可愛い時代があっただなんて、信じられない。

 駆け落ちなんて、何かの間違いではないのか。


(くっそー……!!)


 水波盛ここにきてから、だんだん言葉遣いも粗末そまつになっていく自分に悲しくなってくる。

 きっと、リンから謝罪の言葉を引き出すのは無理だ。ならば────、


「じゃあ……お姉ちゃんのこと教えてよ」

「姉……?」

雪花せつかっていうんでしょ? 殴ったこと謝らなくていいから、教えてよ」

「教えるといってもここに書かれてるのは────」

「そうじゃなくて!!」


 リンが紙の文字をなぞるのを、手を置いて遮る。


「ほら、どんな子だったかとか……色々思い出とか、あるでしょ?」


 リンは困惑したような、混乱しているような、複雑な表情かおをした。


「……なぜ私に?」

「だって……仲良かったんでしょ?」

「────ニシキがそう言ったのか?」


 内緒、と言われていたが、葵はうなずいた。

 リンが怒る素振りを見せなかったからだ。


「────よく知らない」

「いや、嘘つかないでよ」

「……」


 リンは一点を見つめたまま黙り込んでしまった。

 よほど言いたくないのだろうか。

 だが、葵も簡単には引き下がれない。


「────……見せてくれない?」

「なにを……?」


 葵は右手を差し出した。

 自主的に視憶ちからを使おうとするのは、これが初めてだ。


「見せてほしい。お姉ちゃんのこと」

「お前が望んでいるようなものはない」

「なんでもいい! 本当の家族のことを知りたい」

「────なにもないと言ってる!!」


 急にリンが声を荒らげたので、びくっと肩がはねた。

 しかし、葵にも知る権利がある。

 意地になってリンの手を掴もうとしたが、すっと一歩後退されて、手は空をかすめた。


視憶しおくをそんなことに使うな!」

じゃない!!」


 もう一度触れようとするが、また避けられる。


「良くしてやれって言われたじゃん!!」

「お前が見るようなものはない!!」

「姉妹なのに!? 血が繋がった家族なのに!?」


 じりじりと、互いに距離をはかりながら睨み合う攻防戦が続く。

 葵が知りたいのと同じくらい、相手も知られたくないらしい。


「……つらいのはわかる」

「は?」

「その、可哀想だったと思うし……」


 急に息が苦しくなり、背中に痛みが走った。

 遅れて、壁に押し付けられたのだとわかった。胸ぐらをつかまれ、左腕も壁に貼り付けたように拘束されている。

 なぜこうなったのかわからないまま、耳元で声がした。


「そんなに知りたいなら教えてやる」


 目の前に鬼がいる。

 眉間に青筋を浮かべ、今にも喰らいつかんばかりに牙をむく。


「雪花をのは私だ!」


 葵は目をいた。

 リンは口の端を片方だけ歪めて、奇妙な笑みを浮かべた。


「────ニシキは言わなかったのか?」

「……ど、して……」

「どうして?」


 なにを言う、とリンの声が震える。


「そうしなければならなかったからだ────」


 歯がこすれる、嫌な音がした。


「運の悪い女だった。なにせ、剣を握ったのは初めてだったから……」


 リンの呼吸は乱れ、目はどこか上の空だ。

 普段の冷静沈着さは欠片かけらもなかった。


「父上だけは褒めてくださったがな」


 葵の腕を掴んでいる手が、すべるように手に向かっていく。


「そんなに見たいなら見せてやる……苦痛に歪む顔、もがき苦しむ声────お前の姉の最期さいごを!!」


 その手が手首にまで迫ったとき、えりを掴む手が一瞬ゆるんだ。

 葵はその手を振りほどくと、怒りを利き手に集中させ、渾身の力でリンの頬を叩いた。

 ぱーんと、乾いた音が響いた。

 尋常ではない痛みが腕にまで伝わり、骨が砕けたのかと思った。手のひらの感覚は麻痺まひしているが、ちゃんと動く。

 本気で人をぶったのは初めてで、こんなに痛いものなのかという驚きもあったが、いっこうに怒りは治まらない。


 再び静寂が訪れる。

 リンの表情かおは見えない。動く気配もない。

 しばらく、自分の息遣いだけを聞いていた。

 もしかしたら、今ここで斬り殺されるかもしれない、とも思った。が、もうそれはそれで仕方がないと、この時は妙に肝がわっていた。


「────明日……」


 リンがぽつりと言った。

 声色はやけに落ち着いていた。


「すぐに終わる。痛みもなく、斬られたと気づく間もなく────ほんの一瞬で……」


 葵に向けられた顔は、どこまでも虚無であった。


「今はもう慣れている」

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