第16話 霧の中

 居室へと戻るため、無言でリンの後について歩く。

 気まずい空気のなか、リンの後頭部を見つめながら、なんとか隙を作れないものかと思考をめぐらせた。


(────手刀とかで気絶させられないかな)


 よく漫画でもあるあの手法。素人だが思いっきりやれば可能なのではないだろうか、と思いついた。

 みぞおちなら経験済みなので確実な気もするが、リンに前から攻撃をくらわすのは無理だろう。


(ていうか、みぞおち殴られて気絶経験ある女子高生って……)


 しかし、暴力なんて……。それに失敗したらまた酷い目にあわされる。今すぐ殺されることはないにしても、怖い……。

 恐怖心と道徳心がブレーキをかけるが、背に腹はかえられない。


(私は生き延びる。そして家に帰るんだ!)


 歩く速度を少しあげて、じわりじわりと距離を詰める。

 腹をくくると、リンから受けた理不尽な暴力への怒りがわいてきた。

 この恨み、この一発にこめてやろうと、片手を高く掲げた。


 ────が、それは未遂に終わってしまった。

 振りかざすより先にリンが振り向いたのだ。


「────あっ……」


(────やばっ!!)


 高く上げたままの手を見られてしまい、たらりと、冷や汗が流れた。


(き、キレる……!?)


 しかし、リンは何も言わずにまた歩き出した。

 葵はしばらく固まっていたが、慌てて追いかける。


(────ば、ばれてないの? たまたまだったのかな……?)


 ならばもう一度やってみようと、今度はためることなく思いっきり振りかざした。


(────くらえ、悪霊退散あくりょうたいさん!!)


 ────が、それも手応えなく終わる。

 リンは身をかわすと、逃げられないよう葵の手を掴んだ。空いた手でこぶしを構える。

 その目掛ける先は、葵のみぞおちだ。


「────うそうそうそごめんごめん!! 冗談です!! すみませんでした!!」


 全力で許しをう。

 ありぞうのような強大な相手には平伏すしかないのだ。


「ド素人が……」


 そう吐き捨てると、葵の手を離し、また何事も無かったように歩き出した。

 どうらやら、おとがめなしですんだらしい。


(────あ、あぶなっ……!! 今気絶したら明日になっちゃうところだったよ……)


 葵はほっと胸を撫で下ろすと、また別の方法を模索もさくしながら歩を進めるのだった。



***



(もういっそ、楽になるのも悪くないかも……)


 居室に着いた頃には、そんな投げやりな考えも頭をよぎっていた。すぐに頭を振ってそれを追いやる。

 これをもう何度繰り返しただろうか。

 リンの監視を逃れるのは至難しなんわざだ。


(────いやいや、弱気になっちゃダメだ!! 絶対生き延びるぞ!!)


 一度は逃げ出せたのだから、と自分をはげます。

 まあ、それも最初からばれていたのだが……。



「おかえりなさいませ」


 居室の障子を開けると、菊乃がうやうやしく両手をついて頭を下げた。

 リンは葵の襟首えりくびを掴んで居室へ押し込めると、ぶっきらぼうに言った。


「儀式は明日。こいつが逃げないよう、目を離すな」

「かしこまりましてございます」


 菊乃の返事を聞くと、ピシャリと音を立てて戸を閉めた。

 なんて奴だ、と障子に向かって威嚇いかくしていると、菊乃に優しく声をかけられた。


「葵様、お食事の用意が整ってごさいます」

「き、菊乃さあん……!!」


 そんなに時間が経っていないのに、実家に帰ってきたような安心感がわいて、葵は泣きついた。

 一日で色々なことがありすぎた。

 妖獣に襲われ、人が死ぬのを嫌というほど見せられたあげくオカッパに殴られ、ギスギスした会議で死刑宣告を受けた後、またオカッパから暴行を受けた。

 もはやトラウマのオンパレードである。


「ど、どうされたのですか? 葵様、わたくしに触れるのは……」

「いいのそんなの!! もうなにもかもうんざり!! 全部クソくらえだよ!!」

「そ、そのような品のない言葉を口にされては……!!」

「だってヒドイんだよ!? 全部勝手に決められてさあ!! まだ十代なのに死ぬの私!? あんまりだよ!!」


 おんおんと泣きじゃくると、菊乃は戸惑いながらも背中を叩いてあやしてくれた。


「葵様、わたくしは心から感謝しております」

「……え?」


 菊乃は綺麗に微笑んだ。


「下界のどこかにいる親や兄弟をお救いくださること。今日この日まですこやかに生きてこられたことを。わたくし達は水巫女様によって生かされているのです」


 困惑のあまり言葉が出てこない。

 菊乃は何を言っているのだろう、とひたすら考えた。


「水巫女様のお役目は、とてもとうときものにございます」


 愕然がくぜんとした。それと同じくらい落胆らくたんもした。

 別に神のようにあがめて欲しいわけじゃない。

 死ぬのが嫌だ、と言っているのに、なぜ犠牲になるのが良いおこないのように言うのだろうか。

 結局、優しい菊乃もだということだ。


(なんだ……なにもわかってくれないんじゃん)


 菊乃は朱色の漆器しっきを乗せたぜんを、ぼんやりしている葵の前に置いた。

 着々と食事の準備がなされていく。

 たいを丸々一匹焼いたものと汁物、根菜の煮物に、お新香が添えられた定食スタイルで、白米は山盛りに盛られている。


(鯛かよ……なんもめでたくないわ!!)


 今日一日、何も口にしていなかった葵は、空腹が限界に達していた。だが、残念な気持ちが胃をもやもやさせているせいで、かき込むほどの気力はない。

 鯛の白くなった目が、地面に転がる自分の生首のそれと重なる。

 こんな感じで白目をむいて、ひどい顔をして死ぬのだろう。


(美しくもなんともないな……)


 ふてくされながら箸を持つ。

 改めて見れば、まるで祝言のような豪勢な料理だ。

 きっと、最後の晩餐というやつだろう。


(お肉が食べたかったな……リクエストくらい聞いてくれればいいのに……)


 身の内で文句をたれ流しながら鯛に手をつけようとすると、誰かが手をつけた痕跡こんせきがあるのに気が付いた。


「菊乃さん……」

「はい」

「つまみ食いした?」


 菊乃はきょとんとしてから、料理に視線を移した。

 それからすぐに、くすくすと笑った。


「まさか! これは毒見のあとにございますゆえ、安心してお召しあがりくださいませ」

「ど、毒見!?」


 そんなことまでするのかと驚く。

 どうせ死ぬのだからそんなのいらないだろう、とも思ったが、水波盛家にとっては、儀式の前に巫女に死なれては困るのだろう。

 どこまでも徹底している。


毒殺どくさつも嫌だなー……)


 ぼんやり思いながら、白米を口に運んでいると、使っている箸に目がいった。

 よからぬ考えがよぎる。


(────これ、凶器にならないか?)


 目やのどを狙えば……、と心の中で悪魔がささやいた。

 リンが相手では無理だが、女なら────菊乃ならば、力ずくでなんとかならないだろうか。

 葵が袴姿なのに対し、菊乃は着物をきている。

 着物は動きずらいだけでなく、歩幅を制限されるのだ。


(────いける!!)


 葵は菊乃に近づいた。


「……葵様?」

「菊乃さん、ちょっと……」


 菊乃の背後にまわりこむと、菊乃は首を傾げた。

 そのまま抱きつくようにして、取り押さえた。


「さ、騒がないでください!!」

「あ、葵様────!?」


 喉もとにはしを突きつけると、菊乃は驚愕の声をもらした。


「ごめんなさい……でもこうするしか────」

「────お、おやめくださいませ!!」


 視界が反転し、背中を強打した。

 自分の身に起こったことが信じられなかった。

 しとやかで、見るからに無害そうな菊乃に投げ飛ばされたのである。


(────き、聞いてないよ……)


 とんだ隠しだまではないか。

 大人しそうな顔をして、実は武芸をたしなんでいるだなんて思いもよらない。

 思惑が失敗して、葵はすっかり絶望した。

 これでは全く逃げられる気がしない。


 そんな葵に、菊乃は一歩下がり、慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ございません!! お怪我は……大事ございませんか!?」


 葵はそれを無視した。

 腹が立っていたから、菊乃がもっと慌てふためけばいいと思っていた。


「────あ、葵様……?」


 菊乃の声がおそるおそるになった。

 それでも葵は無反応を続ける。

 畳をる音がして、菊乃が近寄ってくる気配を感じる。


「あ、あの……だいじょう────」


 顔を覗き込まれた瞬間、葵は菊乃の頭をがっしりと掴み、思いっきり起き上がった。


「────いっ!!」

「────くっ!!」

 

 目の前を無数の星が散った。

 葵は揺れる頭をおさえながらも、なんとか居室から這い出て、全速力で駆け出した。


「────ご、ごめんなさい!!」


 顔を覗き込まれる寸前で、咄嗟とっさに思いついた作戦は、自分にもダメージがあるとはいえ成功したわけである。


「リン様!! リン様あああああ!!!!!!!!」


 後ろから菊乃の叫ぶ声が追ってきた。


(────やばい!!)


 リンに見つかったら逃げ切れる気がしない。

 あいつが駆けつける前に姿をくらます必要がある。

 だが、ここから先は無計画ノープランだった。


(────どどどどどうしよう!?)


 昼間に歩いたとおりに廻廊かいろうを走っていると、その時の記憶がよみがえった。


(途中で、霧が濃くなる所があったんだ! 今も霧が出ていれば目くらましにはなるかも……!!)


 しばらく走ると、その岐路きろが見えてきた。

 鎖でさえぎられ、昼間よりいっそう、おどろおどろしく見える。

 葵は鎖を越えるのを躊躇ちゅうちょした。



『こっち』



「────え?」


 霧の向こうから呼ばれた気がした。幼い女の子の声だ。


「巫女様ー!!」

「葵様ー!!」


 あちこちで葵を呼ぶ声がする。やしろが徐々に騒がしくなってきた。

 ドタバタと複数の足音が近づいてきた為、葵は慌てて鎖をくぐり抜けた。


 辺りが白い霧に包まれる。

 意外にも通路はほんの二、三メートルで途絶えていた。


「────そんな……ここで終わりなんて冗談じゃない!!」


 四つん這いになってその下を覗くと、少し離れたところに木製の小舟が一つ浮かんでいる。


(────この先にも何かあるんだ!!)


 葵は小舟をつなぐ縄を手繰り寄せ、滑り落ちないよう、気を張りながら小舟に乗り移った。

 手漕ぎは慣れている。

 ほこらに行く為に、何年もほぼ毎日漕いできたのだから。


 しばらく進むと、霧の中に黒い影が見えてきた。

 近づくにつれて、建物だとわかったが、かなり古い。社というよりは、木造の簡素な日本家屋といった方がしっくりくる。

 壁や屋根には所々隙間があり、まるでお化け屋敷のような佇まいに、葵は身震いした。


「……入るしか、ないんだよね……?」


 本殿は崖や塀に囲まれているし、戻るわけにもいかない。

 気味が悪いが、一旦身を隠すには良いかもしれない。

 葵は家の前に小舟をつけると、縄を適当な柱に繋いだ。

 改めて見ると、やはりただらなぬ雰囲気がある。

 葵はゴクリと唾を飲み込むと、家の入口に足を踏み入れるのだった。

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