(六)保健室のベツドにて寝ぬ

 運動会は当然のごとく中止され、簡易的な帰りの会が行われた。児童たちの姿が徐々に減っていく。保護者がきているところは、保護者とともに帰路へくことになり、事情を話してられるようならきてもらい、どうしても来られないようなら、なるべく集団下校で帰ることになった。雨脚が弱まるのを待たず、何組かの集団は学校をとうに離れている。傘を忘れてきた子には、学校のビニール傘が手渡された。



 教室を出てすぐの廊下には、体育着入れが整然と並べられている。ずぶ濡れになってしまったものは、新聞紙の上へと置かれていた。これは教頭が帰りの会中に置いていったもので、逃げ惑う児童たちがテントに忘れていったものだ。帰りがけに、自分のものを各々おのおの持っていく。彩は、自分のと稲穂のぶんを拾い上げる。一応、確認のために、体育着入れに顔をうずめた。うん、間違いなく稲穂の匂いがする、と彩は確信する。



「稲穂のだ」「名前、書いてありますよ。視覚で判断できませんか?」



 一連の行動を見ていた龍が、冷静にツッコミを入れた。……きみのような、勘のいいガキは嫌いだよ。



「あ、受持うけもちさん。きょう、親御おやごさんはきてなかったよね」

 立ち去ろうとして、彩は担任の先生に声をかけられた。

「は、はい……仕事が忙しいみたいで」本当は暇してるんだろうな、と父母のことを考える。それから、彩は龍に目配せした。「あたしは稲穂を起こして一緒に帰ります」

「そうだな、ありがとう。そうしてくれると助かる。御饌都神みけつかみさんは……」「途中まで同じ方向なので送っていきます」「そうか。がった良がった。じゃあ気をつけて帰りなさい」



 そうして先生とは別れ、階段をりていく。保健室へ寄る前に、どうなっているか、状況を確認しておこう、と彩は思った。かなり派手に戦ってしまったし、花子はなこさんや二宮にのみやくんの安否を確かめておかないといけない。稲穂のランドセルと体育着を抱えたまま、三階の女子トイレに入って、誰もいないはずの個室をノックする。龍には、一階の音楽室を見に行ってもらった。



 その後、ふたりは一階と二階の踊り場で合流する。二階の職員室前で、複数人の話し声が耳に届いたから、ふたりは聞き耳を立てた。警官が三、四人、教頭のもとへと報告しにきている。うちひとりは、この小学校の卒業生ということもあって、積もる話もあるのだろう、事件以外の話に花を咲かせている。すっかり空は晴れ上がったらしく、窓からは煌々とした陽光が差しこんでいた。学校の敷地外へ見回りに出かけていた先輩らしき警官が戻り、つかの間の談笑もお預けとなる。



「不審な人物は見当たりませんでしたね」「そうですか。やっぱり逃げてしまったんですかね」「重傷者が出なかったのは、不幸中の幸いでした」「ええ。本当に」「またなにかありましたら、いつでも連絡ください」



 唯一、校長は病院へと搬送されていったが、病院からの連絡によると軽傷で済んだらしい。誰が最初に言い出した配慮なのか、警察からの事情聴取は、教師のみを対象として行われるということになったそうだ。被害届を出したあとは、警察のほうで不審者を割り出してくれるそうだが、おそらく、いや、絶対に捕まりはしないだろう、という確信を彩や龍は持っている。



 素知らぬ顔をして、職員室の前を突っ切り、保健室を目指す。子どもらしい愛想を振りき「こんにちはー」と「さよーならー」を言ってりゃあ、疑われることはないだろう。もっとも、疑われるようなことはしていないんだけど、と彩はセルフツッコミする。校長室を挟んだ、ひとつ先にあるのが保健室だ。



「あら。ふたりとも」ちょうど養護教諭が退室するところだったようで、ひょっこりと顔を覗かせる。「よかった、先生これから会議だから。五瀬いつせさんが起きたら、一緒に帰ってくれる? よろしくね」

「はい!」



 彩は元気いっぱいに返事をした。養護教諭が立ち去ると、彩は真顔に戻って、龍に問いかける。なにごともなかったかのような養護教諭の反応が気になったのだ。



「……どこまで覚えてないの?」「気を失う前後十分間くらいだと思います」「前後? 前だけじゃなくて、あとも?」「はい。気を失ったという記憶もなくなるので、そこだけ突然ぽっかりと記憶をなくした状態になります」「な、なるほどね……」



 保健室のなかを区切っているカーテンを開ける。ベッドの上では、稲穂が気持ちよさそうに眠っていた。彩は時計を確認する。稲穂が眠りに落ちてから、二時間が経とうとしていた。



「校舎の崩れたところは、とりあえず石土神いわつちびこが修復してくれたみたいだから」「すみません」「でも一時的な措置だから。夜になったら、またここ集合ね。いい?」「はい……俺のせいですから」「誰のせいでもないよ」「いえ。俺が招いたんです」「御饌都神くんが来なくても、いずれこうなってはいたよ」「俺のことも助けていただき、ありがとうございます」「あたしがしたのは、あくまでも応急処置だから。病院でてもらうことをオススメするよ」「はい……」



 彩は、決して如何いかがわしい目的などではなく、龍の身体を観察する。いつの間にか着替えていたようで、まったく破けていない新品同然の体育着を身にまとっている。さすがというべきか、完全に傷口がふさがっているように見える。というよりも、傷口が消えている・ ・ ・ ・ ・、といったほうが正確だろう。蒲黄かまのはなに、そこまでの効能はないはずだが、神の力は偉大ということか。いな、と彩はかぶりを振る。いくら素戔嗚尊すさのおのみことの子孫といえど、治るのが早すぎる。



 彩の疑念は確信へと変わった。転校してきたときから気づいてはいたことだが、やっぱり龍は……

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