(四)降り籠めたる雨の学び舎
稲穂は階段に腰かけていた。掃除が行き届いているのか、大きな
膝を抱えた腕の中に顔を
ならばと思い、なるべく稲穂は下を見ないよう、震える脚で校長の横を通り抜け、正面玄関へと向かう。ちょうど引き戸の取っ手に指をかけたとき、背後からガタっという物音が聞こえ、校長がゾンビになったかと、稲穂は背筋の凍るような気持になった。下駄箱の陰から
「あ、あなた。なにしているのっ」
稲穂が声をかけるよりも先に、養護教諭が駆け寄ってくる。ひととおり校内を巡回し、また戻ってきたのだろう。ふたりとも、稲穂の姿には気づいていない様子だった。龍の右手が素早く動き、養護教諭は糸が切れたマリオネットのように、その場へと
「先生っ」ふと恐怖心も忘れ、思わず身体が動く。いつの間にか稲穂は死角から飛び出し、養護教諭のそばで膝をついていた。「……あ」
「五瀬、か」
雨音に
「あ、あの……こ、殺さないで」
「誰が殺すか、バカ」
稲穂のことを
「な、なにしてるの」
龍の行動を止めるべく、稲穂は龍の右腕にしがみついた。しかし、よくよく見てみると、校長の身体には、一切の刃先が触れていなかった。その場に漂う、黒い影のようなもののほうが切り刻まれていき、だんだんと色を薄めていく。それまで微動だにしなかった校長が、苦しそうにではあるが、身体を折り曲げて
「……なにをしたの?」
「いや、なにも」
「保健の先生は?」
雷鳴の彼方から聞こえるサイレンの音が、だんだんと大きく高いものになっていく。どうやら、救急車が到着したようだ。その音によって、少しばかり安心感が増したような気がする。くるっと方向転換した龍は、階段に向かって歩いていこうとした。「あとは、おとなの人たちに任せよう」
そうはいっても、こんなところで先生ふたりも放っておけない。せめて、裏口から入ってくる雨がかからないよう、稲穂は扉を閉めに向かう。龍が入ってくる瞬間は目撃していないが、おそらく龍が入ってきたであろう裏口から外のほうを見上げる。数分前にパラパラと降り始めた雨は、もうすっかり激しさを増していた。ふと、一年教室の前を歩いている龍を、稲穂は呼び止める。
「待って!」
体育着入れは教室に置いてきたんだっけ、と、つい数分前までの記憶を
「あっ、ごめん。タオル……保健室に行けば、新しいのあると思うんだけど」「いや、いい。大丈夫だから」「でも、風邪ひい……」
言いかけて、あることに気がついた稲穂は口を
「彩のことは見なかった?」気になることは山ほどあるが、彩の安否も心配でならないもののひとつである。龍を捜しにいったはずの彩は、一向に姿を現さない。龍のことを見かけていれば、戻ってきているはずだ。行き違いになっているんだとしたら、なおさら危険なグラウンドから連れ戻しに行かなければ、と稲穂は思う。名前で
「ああ、うけもちの……さんとは、そこで会ったよ」
思いつく限りの彩の特徴を言い終える、きちんと龍は彩の苗字を覚えていたらしく「
彩からもらったお守りを、ぎゅっと握りしめると、その瞬間、ぽぅっと光ったような気がした。見えない壁が幻だったかのように消え、急に抵抗感が一切なくなり、思わず稲穂は
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